『濹東綺譚』④
【364ページ】
朦朧(もうろう)円タクの運転手と同じようなこの風をしていれば、道の上と云わず電車の中といわずどこでも好きな処へ痰唾(たんつば)を吐けるし、煙草の吸殻、マッチの燃残り、紙屑、バナナの皮も捨てられる。
【379ページ】
----、お雪は別につまらないという風さえもせず、思出したように、むしゃむしゃ食べたり、煙草をのんだりしている。
【383ページ】
お雪は窓から立ち、茶の間に来て煙草に火をつけながら、思出したように、
「あなた。あした早く来てくれない。」と云った。
「早くって、夕方か。」
[ken]名を成した文豪としての堅苦しさ、行儀良さを払いのけ、「円タクの運転手」みたいな身なりを好んだ荷風さんの面目躍如たる文章です。時は流れ、今となっては街であれほど見かけた痰唾(たんつば)は消え、煙草の吸殻は「ポイ捨て禁止」の条例化によって急減し、マッチは日常生活から消えかかっています。
紙屑は変わらず見かけますが、路上に捨てられたバナナの皮は滅多に見なくなりました。ポイ捨ての自由はあると言えばあるのでしょうが、自らが「街の美化ボランティア活動」に参加して以降、ずいぶんと前から「路上や排水溝、植え込みなどに捨てるなら持ち帰る」ようになりました。
荷風さんの会話文はたまらなくいいですね。遊技、芸妓さんたちの様子を描く筆先には、荷風さんの優しさが滲んでおり、彼女たちが永井荷風さんの文化勲章受章を喜び、盛大なお祝いを催したことが伝説となっています。