昨日は、街頭宣伝や会議、打ち合わせ、原発問題の講演会などでした。
講演会は、元原発労働者の斉藤征二さん。主催は、ただびとの会。
会場には、斉藤さんが原発下請け労働者の組合をつくった頃のニュースなどが掲示されており、懐かしく見入りました。
1981年は私が大学卒業して福井にかえってきた年であり、日本原電の事故隠しが大問題になりました。そういうなかで組合結成の運動がありました。
会場では、最新刊の「最先端技術の粋をつくした原発をささえる労働」(学習の友社)が販売されていました。なんと、その「事故隠し」の現場作業に斉藤さん自身がたずさわっていたことをはじめて知りました。
斉藤さんは原発の建設作業員から聞いた話しとして、「県内原発でも海砂がつかわれているサイトがある」「岩盤の上に立てたというが、ぼろぼろの岩盤のところもあり、コンクリートで補強している」。
自分自身、「半年で22.6msvあびた。暑い中の作業でフイルターをゆるめる。福島でも心筋梗塞での死者がでているが、暑さが要因ではないか。原発内はトイレもなく、かたすみで用を足していた」、と。
そして、「あれだけの東電事故は収束しない」「30年以上の原発は廃止して、燃料棒を抜いて欲しい」「福島で除染、といっているが、あのやり方は除染ではない」と話しました。
かつての戦争責任にもふれて、「自分も原発にたずさわってきて、戦犯かもしれないが、政治がきちんと責任をとらない現状は許せない」と強く語りました。
体はあちこちご病気だそうですが、鬼気迫るお話しでした。多くの県民のみなさんに原発労働の実態を知ってほしいし、そうすれば、非人間的な原発労働をなくしていく必要性もひろがると痛感しました。
★
いま、対話をしていると、かなり領土問題に出会います。
石原知事の態度なども連日マスコミで大きく報道されています。領土問題の解決には歴史と事実に照らして、冷静で、断固とした外交が求められます。
大門参議院議員が国会決議の議場での野次もふくめて愛国心について書かれていたのが印象に残りました。
■大門みきし参議院議員・・・野田総理問責決議案が可決された8月29日の参議院本会議。
問責決議に先立って、竹島・尖閣 「上陸非難」2決議が、民主、自民、公明、みんな、生活などの賛成多数で議決。日本共産党は反対しました。
わが党は、尖閣諸島は「日本の領有権は歴史的にも国際法上も明りょう」という立場。竹島についても、「日本の領有の正当性には根拠がある」という見解をすでに1977年に発表しています。ただ、竹島問題を解決するうえで、過去の植民地支配の根本的な清算を日本側がしっかり行うことが大事だと考えています。
領土問題は、歴史的事実と国際法上の道理にのっとり、冷静な外交交渉によって解決をはかるべきであり、感情的な対応をエスカレートさせることは双方が自制すべきという立場から、今回の「決議」には反対しました。
ところが、その本会議場で、自民党議員の一人が、わが党の席にむかって、「それでも日本人か、(反対なら)韓国へ行け」というヤジ、暴言をとばしました。ふだんはとても大人しい中堅議員です。私がにらみ返すと、下を向いてしまいました。
そのとき、しばらく前に読んだ、フリージャーナリスト・安田浩一さんの本、「ネットと愛国」(講談社)を思いだしました。
この本では、反在日、反中国などをかかげ、過激な行動をくりかえす日本の「市民団体」のすがたがリアルに描かれています。かれらが、人種差別まるだしの街頭演説などを行っているときに、聞くに耐えかねて抗議する人がいれば、その周りを取り囲んで、「おまえはそれでも日本人か、朝鮮人だろ、朝鮮へ帰れ」と口汚く罵倒するのです。
安田さんによれば、行動に参加する若者の一人ひとりは、普段は大人しい、どこにでもいる「フツ―」の青年たちだとのこと。そういう青年たちが、かんたんに人にレッテルを貼り、攻撃の対象にしていく。ヤジをとばした自民党議員のなかにも同じものを感じて、ぞっとしました。
ところで、大逆事件(1910年)で死刑にされた幸徳秋水は、愛国心についてつぎのようにのべています。
「わたくしは、いわゆる愛国心が、純粋な同情・惻隠の心でないことをかなしむ。なんとなれば愛国心が愛するところは、自分の国土にかぎられているからである。自己の国民にかぎられているからである。他国を愛さないで、ただ自国を愛する者は、他人を愛さずして、ただ自己の一身を愛するものである。うわついた名誉を愛するのである。利益の独占を愛するのである。公正といえるであろうか。私ではない、といえるだろうか」(『廿世紀之怪物帝国主義』神埼清訳)
国を愛さない人はいない。しかし、ほんとうに国を愛するとはどういうことなのか、ふたたび真剣に考えなければならない時代にきています。 ・・・・・・・・
講演会は、元原発労働者の斉藤征二さん。主催は、ただびとの会。
会場には、斉藤さんが原発下請け労働者の組合をつくった頃のニュースなどが掲示されており、懐かしく見入りました。
1981年は私が大学卒業して福井にかえってきた年であり、日本原電の事故隠しが大問題になりました。そういうなかで組合結成の運動がありました。
会場では、最新刊の「最先端技術の粋をつくした原発をささえる労働」(学習の友社)が販売されていました。なんと、その「事故隠し」の現場作業に斉藤さん自身がたずさわっていたことをはじめて知りました。
斉藤さんは原発の建設作業員から聞いた話しとして、「県内原発でも海砂がつかわれているサイトがある」「岩盤の上に立てたというが、ぼろぼろの岩盤のところもあり、コンクリートで補強している」。
自分自身、「半年で22.6msvあびた。暑い中の作業でフイルターをゆるめる。福島でも心筋梗塞での死者がでているが、暑さが要因ではないか。原発内はトイレもなく、かたすみで用を足していた」、と。
そして、「あれだけの東電事故は収束しない」「30年以上の原発は廃止して、燃料棒を抜いて欲しい」「福島で除染、といっているが、あのやり方は除染ではない」と話しました。
かつての戦争責任にもふれて、「自分も原発にたずさわってきて、戦犯かもしれないが、政治がきちんと責任をとらない現状は許せない」と強く語りました。
体はあちこちご病気だそうですが、鬼気迫るお話しでした。多くの県民のみなさんに原発労働の実態を知ってほしいし、そうすれば、非人間的な原発労働をなくしていく必要性もひろがると痛感しました。
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いま、対話をしていると、かなり領土問題に出会います。
石原知事の態度なども連日マスコミで大きく報道されています。領土問題の解決には歴史と事実に照らして、冷静で、断固とした外交が求められます。
大門参議院議員が国会決議の議場での野次もふくめて愛国心について書かれていたのが印象に残りました。
■大門みきし参議院議員・・・野田総理問責決議案が可決された8月29日の参議院本会議。
問責決議に先立って、竹島・尖閣 「上陸非難」2決議が、民主、自民、公明、みんな、生活などの賛成多数で議決。日本共産党は反対しました。
わが党は、尖閣諸島は「日本の領有権は歴史的にも国際法上も明りょう」という立場。竹島についても、「日本の領有の正当性には根拠がある」という見解をすでに1977年に発表しています。ただ、竹島問題を解決するうえで、過去の植民地支配の根本的な清算を日本側がしっかり行うことが大事だと考えています。
領土問題は、歴史的事実と国際法上の道理にのっとり、冷静な外交交渉によって解決をはかるべきであり、感情的な対応をエスカレートさせることは双方が自制すべきという立場から、今回の「決議」には反対しました。
ところが、その本会議場で、自民党議員の一人が、わが党の席にむかって、「それでも日本人か、(反対なら)韓国へ行け」というヤジ、暴言をとばしました。ふだんはとても大人しい中堅議員です。私がにらみ返すと、下を向いてしまいました。
そのとき、しばらく前に読んだ、フリージャーナリスト・安田浩一さんの本、「ネットと愛国」(講談社)を思いだしました。
この本では、反在日、反中国などをかかげ、過激な行動をくりかえす日本の「市民団体」のすがたがリアルに描かれています。かれらが、人種差別まるだしの街頭演説などを行っているときに、聞くに耐えかねて抗議する人がいれば、その周りを取り囲んで、「おまえはそれでも日本人か、朝鮮人だろ、朝鮮へ帰れ」と口汚く罵倒するのです。
安田さんによれば、行動に参加する若者の一人ひとりは、普段は大人しい、どこにでもいる「フツ―」の青年たちだとのこと。そういう青年たちが、かんたんに人にレッテルを貼り、攻撃の対象にしていく。ヤジをとばした自民党議員のなかにも同じものを感じて、ぞっとしました。
ところで、大逆事件(1910年)で死刑にされた幸徳秋水は、愛国心についてつぎのようにのべています。
「わたくしは、いわゆる愛国心が、純粋な同情・惻隠の心でないことをかなしむ。なんとなれば愛国心が愛するところは、自分の国土にかぎられているからである。自己の国民にかぎられているからである。他国を愛さないで、ただ自国を愛する者は、他人を愛さずして、ただ自己の一身を愛するものである。うわついた名誉を愛するのである。利益の独占を愛するのである。公正といえるであろうか。私ではない、といえるだろうか」(『廿世紀之怪物帝国主義』神埼清訳)
国を愛さない人はいない。しかし、ほんとうに国を愛するとはどういうことなのか、ふたたび真剣に考えなければならない時代にきています。 ・・・・・・・・