1959年、私が生まれた年に共産党に入党され、県立病院の看護婦として、また、渡辺三郎元県議の地元地域の党員として献身的に活動されてこられた森尾すゑをさんの葬儀にお参りしました。
84歳でした。
■昨年3月30日の私のブログより
私のふる里では、農耕用の馬を飼っている家が多かった。馬も家族の一員として、同じ茅葺の家の中で厩がしつらえられるのが普通であった。・・・馬は農繁期になると田んぼの荒起しから、田植え直前の代かきまで、多少の雨が降っても嵐が吹いても、休むことなく働かされた。・・・・・家族同様の愛馬も、紙切れ1枚で戦場に取られ、二度と戻らず、一人息子の兄も、曳かれるように召集されていった時代であった。・・・・・・
てもとに届いた「ふくいの年金者」に掲載されている福井市の森尾すゑをさんの「馬と暮らして」の一部です。2008年に若越文学に掲載されたもの、とあります。
わたしの子ども時代にも集落に1,2軒でしたが馬や牛を飼い、農作業している家がまだありました。
道を歩くと、大きな糞が落ちていたのを思い出しました。
森尾さんは現在闘病中ですが、連れ合いの八郎さんがエッセイを編集者に持ち込んだ、とのこと。夫婦の愛情を感じます。・・・・・・・
また、昨年10月にはご夫婦で50年共産党員のつどいにも参加され、「県立病院で看護婦をしていたが、看護学校をつくろうと4年間ぐらい運動して実現した」などの活動の思い出を話されていました。福井県の看護師養成、医療の発展にもおおきな働きをされたのだと思います。
3年前の県議選の際には、ご病気の体で「佐藤さん、地域を回らないと当選できません」と短時間でもご近所へのご挨拶に同行していただきました。
すこし歩くと、「ちょっと待って」と息を整えられ、玄関に立つと「町内の森尾です。佐藤さんをお連れしました」とりんとした声で挨拶されました。
活動の合間には、ご夫婦のなれそめなども話されました。積極的に、同じ学習会に参加してアプローチされたそうです。若々しい精神の方でした。
ご冥福をお祈りします。
昨日は森尾さんの葬儀の前には街頭宣伝、その後、生活相談や共産党の会議、福井市9条の会会合などがつづきました。
84歳でした。
■昨年3月30日の私のブログより
私のふる里では、農耕用の馬を飼っている家が多かった。馬も家族の一員として、同じ茅葺の家の中で厩がしつらえられるのが普通であった。・・・馬は農繁期になると田んぼの荒起しから、田植え直前の代かきまで、多少の雨が降っても嵐が吹いても、休むことなく働かされた。・・・・・家族同様の愛馬も、紙切れ1枚で戦場に取られ、二度と戻らず、一人息子の兄も、曳かれるように召集されていった時代であった。・・・・・・
てもとに届いた「ふくいの年金者」に掲載されている福井市の森尾すゑをさんの「馬と暮らして」の一部です。2008年に若越文学に掲載されたもの、とあります。
わたしの子ども時代にも集落に1,2軒でしたが馬や牛を飼い、農作業している家がまだありました。
道を歩くと、大きな糞が落ちていたのを思い出しました。
森尾さんは現在闘病中ですが、連れ合いの八郎さんがエッセイを編集者に持ち込んだ、とのこと。夫婦の愛情を感じます。・・・・・・・
また、昨年10月にはご夫婦で50年共産党員のつどいにも参加され、「県立病院で看護婦をしていたが、看護学校をつくろうと4年間ぐらい運動して実現した」などの活動の思い出を話されていました。福井県の看護師養成、医療の発展にもおおきな働きをされたのだと思います。
3年前の県議選の際には、ご病気の体で「佐藤さん、地域を回らないと当選できません」と短時間でもご近所へのご挨拶に同行していただきました。
すこし歩くと、「ちょっと待って」と息を整えられ、玄関に立つと「町内の森尾です。佐藤さんをお連れしました」とりんとした声で挨拶されました。
活動の合間には、ご夫婦のなれそめなども話されました。積極的に、同じ学習会に参加してアプローチされたそうです。若々しい精神の方でした。
ご冥福をお祈りします。
昨日は森尾さんの葬儀の前には街頭宣伝、その後、生活相談や共産党の会議、福井市9条の会会合などがつづきました。