『現代落語論』(立川談志著、三一新書)を読む。
談志の落語はあまり聴かないが、彼の著書はよく読む(なぜだろう?)。
書かれたのは、談志が真打ちに昇進した少し後の1965年。生い立ちから真打ち昇進までの自叙伝、落語の観方・聴き方、古典落語と現代落語の比較、自身の考える落語論など、体系的にまとまっている。当時談志29歳、若くしてここまでの知見を持っていたということに驚いてしまう。
全編漂うのは、落語という芸に対する危機感。円楽や志ん朝が随所に登場する。特にサラブレッド志ん朝に対するライバル心は、紙面からひしひしと伝わってくる。それと同時に、落語界は自分だちが背負っていかなければならないという自負心が感じられるし、事実その通りとなった。
発刊後50年近く経っているが、全く色あせていない。
談志の落語はあまり聴かないが、彼の著書はよく読む(なぜだろう?)。
書かれたのは、談志が真打ちに昇進した少し後の1965年。生い立ちから真打ち昇進までの自叙伝、落語の観方・聴き方、古典落語と現代落語の比較、自身の考える落語論など、体系的にまとまっている。当時談志29歳、若くしてここまでの知見を持っていたということに驚いてしまう。
全編漂うのは、落語という芸に対する危機感。円楽や志ん朝が随所に登場する。特にサラブレッド志ん朝に対するライバル心は、紙面からひしひしと伝わってくる。それと同時に、落語界は自分だちが背負っていかなければならないという自負心が感じられるし、事実その通りとなった。
発刊後50年近く経っているが、全く色あせていない。