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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 春 春の恋

2021年02月06日 | 日本古典文学-春

しからきの-みねたちこゆる-はるかすみ-はれすもものを-おもふころかな 
あさかやま-かすみのたにし-ふかけれは-わかものおもひは-はるるよもなし 
(古今和歌六帖~日文研HPより)

東宮と申けるとき、故内侍のかみのもとにはしめてつかはしける 後朱雀院御製 
ほのかにもしらせてしかな春霞かすみのうちにおもふ心を 
(後拾遺和歌集 ~国文学研究資料館HPより) 

(たいしらす) 前大納言為家 
しられしな霞にこめてかけろふの小野の若草したにもゆとも 
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより) 

(たいしらす) よみ人しらす 
我恋はまた雪消ぬ若草の色にそ出ぬ下にもえつゝ 
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)  

春顕恋
うつめとも下もえまさる思草雪まさたかに色やみゆらん
(草根集~日文研HPより)

はるさめの-ふるにおもひは-きえなくて-いととおもひの-めをもやすらむ 
あふことの-かたいとなれは-しらたまの-をやまぬはるの-なかめをそする 
(古今和歌六帖~日文研HPより)

題しらす 小野小町 
春雨の沢にふることをともなく人にしられてぬるゝ袖かな 
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより) 

春くれは柳の糸もとけにけりむすほゝれたるわかこゝろ哉 
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

たいしらす 能因法師 
閨ちかき梅の匂ひに朝な朝なあやしくこひのまさる比かな 
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

わがやどに咲きたる梅(むめ)を月夜(よ)よみ夜な夜な見せん君(きみ)をこそ待て
(家持集~「和歌文学大系17」明治書院)

春夜恋
花の香もうつろふ月の手枕に覚めさらましの春のよの夢
(草根集~日文研HPより)

いささかなる隙に、文書きてつかはす。薄縹(うすはなだ)の唐の色紙(しきし)のえならぬに、
 花ゆゑに恋しき人の面影をさそふたよりの春風もがな
(石清水物語~「中世王朝物語全集5」笠間書院)

過かてによその梢をみてしより忘れもやらぬ花の面かけ
見てしよりわすれもやらぬ面影はよその梢の花にや有らん
散もそめす咲も残らぬ俤をいかてかよその花にまかへん
(鳥部山物語~バージニア大学HPより)

女みこにかよひそめて、あしたにつかはしける 大納言清蔭 
あくといへはしつ心なき春の夜の夢とや君をよるのみはみん 
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより) 

女のもとより帰りて、あしたに遣はしける み山隠れの宰相中将
見るほどもなくて明けぬる春の夜の夢路にまどふ我が心かな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

入道二品親王道助家五十首歌に、寄枕恋 前中納言定家 
おもひいつる契の程もみしか夜の春の枕に夢はさめにき 
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

(たいしらす) 伊勢 
春の夜の夢にありつとみえつれは思ひ絶にし人そまたるゝ 
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより) 

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古典の季節表現 春 春風

2021年02月05日 | 日本古典文学-春

 初春松
万代のはしめの春としらせけり今朝初風の松にふくなり
(後鳥羽院御集~続群書類従15下)

けふといへは-まつわかみつを-むすへとや-つららふきとく-はるのはつかせ
(沙玉集~日文研HPより)

いはそそく-たるみのおとに-しるきかな-こほりとけゆく-はるのはつかせ
(正治初度百首_二条院讃岐~日文研HPより)

こほりとくはるのはつかぜたちぬらし霞にかへる志がのうら波 
(拾遺愚草~久保田淳「藤原定家全歌集」)

麗景殿女御の歌合の歌 平兼盛 
山川のみかさまされる春風に谷のこほりはとけにけらしも 
(続後拾遺和歌集~国文学研究資料館DBより)

はつ春の歌とて きのとものり 
水のおもにあや吹みたる春風やいけの氷をけふはとくらん 
(後撰和歌集~国文学研究資料館DBより)

長家卿家歌合によめる 源季遠 
いかなれは氷はとくる春風にむすほゝるらむ青柳の糸
(金葉和歌集(初度本)~続群書類従14上)

浅みとり染てみたれる青柳の糸をは春の風やよるらん 
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館DBより)

さほひめの-いとそめかくる-あをやきを-ふきなみたしそ-はるのはつかせ
(兼盛集~日文研HPより)

承久元年内裏百番歌合に、野径霞といふことを 順徳院御歌 
夕附日かすむ末野に行人のすけの小笠に春風そふく 
(風雅和歌集~国文学研究資料館DBより)

梅風
遠近の霞吹きとく春風にむすはほれたるむめかかそする
(草根集~日文研HPより)

 依梅知春
梅のはなさきにけらしも深山べの雪ま打ちいづる春の初風
 梅
春の花色の千くさの行へまでほのかに匂ふ梅のはつかぜ 
(春夢草~新編国歌大観8)

むめかえに吹はるかせをしるへにてはなのやとゝふうくひすのこゑ
(未詳私撰集~「古筆への誘い」国文学研究資料館編、平成17年、三弥井書店、30ページ)

榊ふくはつ春風にさそはれて千世をこめたるうくひすのこゑ
(後鳥羽院御集~続群書類従15下)

更けゆくままに、霞の迷ひなく澄み昇る月影に、物の音(ね)すごく聞きなされて、名にし負(お)ふ梅津の里の春風(はるかぜ)、香りなつかしう吹き迷(まよ)ふほど、艶(えん)なるにも、(略)
(恋路ゆかしき大将~「中世王朝物語全集8」笠間書院)

きさらぎのころそらの気色のどやかにかすみ渡りてゆるらかに。吹春風に軒の梅なつかしくかほり来て。鶯のこゑうらゝかなるもうれはしき御心ちには物うかるねにのみきこしめしなさる。
(増鏡~国文学研究資料館DBより)

比はきさらぎ十日餘の事なれば、梅津の里の春風に、餘所の匂もなつかしく、大井河の月影も、霞にこめて朧也。
(平家物語~バージニア大学HPより)

建仁二年三月、和歌所にて六首歌めしける時、春歌 従二位家隆 
桜花ちりかひかすむ久かたの雲ゐにかほるはるの山かせ 
(新千載和歌集~国文学研究資料館DBより)

夕べの雨も吹く春風もなほ見る人からに分きける心の色にや、ほかの梢よりはにほひことなる花の錦も、ただ遠方此方(をちこち)にかひなき御ながめにて、雲居に馴れし春の恋しさ、南殿の桜の盛りには、必ず上の御局にて見せさせ給ひしものを、など思(おも)ほし続くるに、(略)
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

たちまがふ霞ばかりは払ふともはな吹きのこせ峰の春風
(光経集)

花の歌の中に 藤原為道朝臣 
桜はなよきてと思ふかひもなく此ひともとも春風そ吹 
(新後撰和歌集~国文学研究資料館DBより)

大空におほふはかりの袖もかな春さく花を風にまかせし 
(後撰和歌集~国文学研究資料館DBより)

(略)若宮、
  「まろが桜は咲きにけり。いかで久しく散らさじ。木のめぐりに帳を立てて、帷子を上げずは、風もえ吹き寄らじ」
  と、かしこう思ひ得たり、と思ひてのたまふ顔のいとうつくしきにも、うち笑まれたまひぬ。
(源氏物語・幻~バージニア大学HPより)

亭子院歌合に 延喜御製 
はる風のふかぬ世にたにあらませは心長閑に花はみてまし 
(続後撰和歌集~国文学研究資料館DBより)

(略)春の夕暮に、山々を見てあれば、折しも春風に、桜の花が散りかゝる、ちりちりはつと花の散りたるは、空に知られぬ雪かと見えて面白や、(略)
(岩波文庫「松の葉」より「春風」)

高砂の。 松の春風吹き暮れて。 尾上の鐘もひびくなり。
(謡曲「高砂」~バージニア大学HPより)

千鳥鴎の沖つ浪。ゆくか歸るか春風の。 空に吹くまでなつかしや。空に吹くまでなつかしや。
(謡曲「羽衣」~バージニア大学HPより)

怪しぶことなかれ紅巾(こうきん)の面(おもて)を遮(さしかさ)いて咲(わら)ふことを 春の風は吹き綻(ほころ)ぼす牡丹の花
(和漢朗詠集~岩波・日本古典文学大系)

(延喜六年正月)廿一日乙亥。内宴於仁寿殿。題云。春風散管絃。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

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古典の季節表現 春 一月 臨時客

2021年01月03日 | 日本古典文学-春

入道前太政大臣大饗し侍ける屏風に、臨時客のかたかきたる所をよめる 藤原輔尹朝臣 
むらさきもあけもみとりもうれしきは春のはしめにきたる也けり 
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

鷹司とのゝ七十賀の月次屏風に、臨時に客のきたるところをよめる 赤染衛門 
むらさきの袖をかさねて(イ袖をつらねて)きたるかな春たつ事は是そうれしき
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

春臨時客をよめる 小弁 
むれてくる大宮人は春をへてかはらすなからめつらしきかな 
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

はつ春のやどのあそびのをり得てぞ梅が枝うたふ声も聞こゆる
(年中行事歌合)

二日は、殿に臨時客などいとめでたし。女房紅梅の匂に、萌黄の打ちたる着たり。制あれば数五つなり。されど、綿いと厚くて、少なしとも見えず。あまたあるこそ厚きもあまりなれ、うち出でたるは、薄きはものげなきに、いときよげに見ゆ。上達部、殿上人参りたまひて、御遊びあり。右の大殿もの誦じなどせさせたまふ。
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

よろづみな春の心つきて、空のけしきもひきかへ、さまざまにものけざやかにめでたきに、枇杷殿の宮には、今日臨時客なれば、関白殿をはじめたてまつりて、よろづの殿ばら残りなく参りたまふに、御前の庭、け近くをかしき木も花紅葉もなけれど、うちつけの目なるべし、東の対の御しつらひあざやかにめでたきに、寝殿を見れば御簾いと青やかなるに、朽木形の青紫に匂へるより、女房の衣の褄、袖口重なり、なほほかよりは匂ひまさりて見ゆるは、おほかたこの宮の女房は、衣の数をいと多う着させたまへばなるべし。中門のわたり、東の廊の妻戸などの見通しに、さるべき随身などの見やらるるに、この殿ばらの座につかせたまへるほどなど、きたなげなき四位、五位、六位などの、さまざま取りつづきもてまゐる有様、奥つ方の御屏風などまで、見るにもまことに絵にかきたる有様、いづこかたがひたるとぞ見ゆるに、若君の御簾の内より出でたまふを見れば、紅梅の御衣のあまた重なりたるに、同じ色の浮文の御直衣着たまひて、御前の高欄におしかかりておはすれば、(略)
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

 寛治八年正月二日、殿の臨時客ありけるに、左大臣左大将・右大臣・内大臣参たり。事はてゝ各(おのおの)御馬ひかれければ、三公地に下(くだり)て拝し給けり。殿下、左府随身府生下毛野敦久・右府前駆参川権守盛雅を南階の前にめして、御衣をぬぎてたまはせけり。内大臣・中納言中将、左右よりすゝみより給て、くれなゐのうちあこめ御ひとへをくりいだされけり。中納言中将つたへとりて、御単(ひとへ)をば敦久にたまひ、打衣(うちぎぬ)をば盛雅に給けり。先規(せんぎ)あれども、時にのぞみて面目ゆゝしくぞ侍ける。次(つぎに)中宮御方、臨時客に人々まゐり給けり。催馬楽・朗詠などはてゝ、散手・新靺鞨(しんまか)・其駒などにおよびける、淵酔の興ためしなくや侍らん。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

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古典の季節表現 春 一月八日~十四日 御斎会(ごさいゑ)

2019年01月14日 | 日本古典文学-春

大きなるいもひの始め今日こそは二つののりのよをまぼるらめ
御代ながく年も豊かに守るらむ今日はいもひの始めなりけり
御いもひのはじめを今日と思ふにぞたかき昔の事も知らるゝ
世の為にいのるしるしのはじめかないもひの庭の春の光を
(夫木和歌抄~「校註国歌大系 21」)

正月八日より十四日まで八省にてならかたな僧を講師として。御斎會をこなはしめ。おほやけよりはじめ藤氏の殿ばらみなかくし給ふ。
(大鏡~国文学研究資料館HPより)

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古典の季節表現 春 二月下旬

2018年02月21日 | 日本古典文学-春

このごろにはもはらにはなふりしきてうみともなりなんとみえたり。けふは廿七日あめ昨日のゆふべよりくだり風ののちのはなをはらふ。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

今日は廿四日、雨のあしいとのどかにてあはれなり。ふゆづけていとめづらしきふみあり。「いとおそろしきけしきにおぢてなん日ごろへにける」などぞある。かへりごとなし。五日なほあめやまでつれづれと思はぬ山々とかやいふやうに物のおぼゆるまゝにつきせぬ物は涙なりけり。
ふる雨のあしともおつるなみだかなこまかに物を思ひくだけば
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

 八日の日、未の時ばかりに、「おはしますおはします」とのゝしる。中門押しあけて車ごめ引き入るゝを見れば、御前の男どもあまた轅(ながえ)につきて、簾まきあげ、下簾左右おしはさみたり。榻(しぢ)もてよりたれば、下り走りて、紅梅のたゞいま盛りなる下よりさしあゆみたるに、にげなうもあるまじううち見あげつゝ、「あなおおもしろ」と言ひつゝあゆみのぼりぬ。(略)
 このごろ空のけしきなほりたちて、うらうらとのどかなり。あたゝかにもあらず、さむくもあらぬ風、梅にたぐひて鶯を誘ふ。にはとりの声などさまざまなごうきこえたり。屋(や)の上をながむれば、巣くふ雀ども、瓦(かはら)の下をいで入りさへづる。庭の草、氷にゆるされ顔なり。
(蜻蛉日記~岩波文庫)

(略)二月の二十日余り、三条院に行幸あり。あるべき花の木末(こずゑ)は旧(ふ)りにし事にて、なほ年を経て植ゑ添へらるる若木の花まで、散るも散らぬも、主(あるじ)からにや、みな白雲と見えまがひ、日にみがき風にみがける玉かと疑はれ、枝を染め浪を染むる池の鏡の紅(くれなゐ)も、これゆゑ言ひ置ける古言(ふるごと)にやとぞ見ゆる。春宮、中宮、みなさるべき御仲らひにて、行啓なるほど、事を添へたる世のけしきなり。御遊びはじまり、文作り、何かと花の興(きょう)にて日も暮れぬれば、次の日ぞ、方丈の室(むろ)の中の構(かま)へは御覧ぜられける。(略)
(恋路ゆかしき大将~「中世王朝物語全集8」笠間書院)

明けぬれば、女院の御かたへ、渡らせ給へるに、長橋の左右(さう)に桜を植ゑさせければ、御衣の御袂に香ばしき風の訪るるは、この世ならぬ御心地ぞせさせ給へる。こなたには、(略)
暮つかたより、御池の汀に、篝(かがり)焚かせて、御舟にて、御遊びのありけるに、三位の中将は、島先の、岩の上にゐ給へるに、船の中(うち)より「その山吹、一枝折りて」と、いとをかしき声にて、聞こえければ、
 池水に影を映して咲く花のそこの心はさこそ見ゆらめ
とて、嘆かせ給へば、舟は行き過ぎぬ。
 夜も、やうやう笛更け過ぎぬれども、山吹の心に掛からせ給ひにけるにや、有明の月の月影に、ここかしこ、彷徨(さまよ)ひ給へればある御曹司の妻戸を、見入れ給へるに、山吹の几帳の上に掛かりけるを、<いとうれし>と思して、這ひ入り給へれば、(略)
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)

二十日あまりの有明の頃、山に造りかけたる御堂の廊の、妻戸を押し開け給へるに、月影やうやう弱りゆきて、あけはなるる霞の絶え間より、宇治橋のはるばると見わたされて、船どもの行きかふも、ほのかに見えたるほど、いみじうものあはれなり。
  晴れやらぬ身を宇治川の朝霞心細くもながめやるかな
など独りごちつつ、とばかりながめ入り給へるに、ただここもとに、艶なる文をぞさし置きたる。青鈍の薄様にて、桜に付けたるを、引き開けて見給へば、
 「限りなき伏見の里の別れこそ聞くも夢かとおどろかれぬれ
 隔て給ふ恨めしさに、思ひながらこそ」
と、内裏(うち)の上の御手にて、書かせ給へるに、(略)
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

かくて二月はつかてんわうじに詣せさせ給。このゐんをば一院とぞ人++申ける。後三条院とも申めり。にようゐんも一ほんのみやもまうでさせ給。されどかんたちめてんじやう人おほくもまいらせさせ給はず。むつまじくおぼしめす。人++さてはあそひのかたの人++をぞゐておはしましける。まづにようゐんの御くるま。つぎに一院。そのゝちに一ほんのみやおはします。にようゐんくるまふたつづゝ。にようゐんのはさくらどもに。すわうのうちたる。一院のはさくらにやまぶき。一ほんのみやのはやまぶきのにほひ一のくるまは。こき二のくるまはうすくにほひたり。おはしますみちのほどなどいとおかし。やはたにまうでさせ給て。しばしばかりありてうちの御つかひ。頭中将もろたゞのきみまいりたり。御返うけ給てかへりまいりぬ。一品のみやうへのやしろにのぼらせ給べきよし申させ給へば。舞人ぐしてのぼらせ給。いはしみづのほどにて御祓あり。舞人にものなどかつげさせ給てかへさせ給つ。四ゐの少将いゑかた侍従みちよし。ひやうゑのすけあきざねなどを御かた++の御ともにてさふらふべきにて。とゞめさせ給。
(略)
廿二日のたつのときばかりに御ふねいだしてくだらせ給ほどに。江ぐちのあそひふたふねばかりまいり。ろくなどぞ給はせける。ものなどはぬがせ給はず。つねのぶの左大弁びは。ごん中将すゑむね笙。民部太輔まさながもふえ。もろかたのべんうたうたふ。ふえの音もびはのをとも。せゞのかはなみにまかひていみじくおかし。(略)なかつかはといふところにおはしましぬ。うみのいろもそらのみどりに見えまがひておかし。とをきふねのほあげたるなどいひしらずみゆ。このほどに摂津守さま++のおもひつゑなどかきたるに。くた物まいらせたり。日やう++くれて。みぎはのたづのかすみのたえまよりみえたり。かはなみのをともつるのこゑも。さま++にこゝろうごかしかゞりびのかげも。みなそこかくれなくおもしろながらものこゝろぼそし。うぐひすのこゑも。かへるかりのひゞきも。とりあつめことさらのやうなるたびのそらなり。廿二日(大系は廿三日)ひうちくたりてかすみたなびきわたりたるほどに。御くるまどもかた++の御ふねによせて。いろ++さま++にさうそきたるものどもたちやすらふ。まづすみよしにまいらせ給。くはんばくどのくれなゐのいたしうちきに。やなぎのなをしたてまつりたりしこそ。いとおかしくこのたびのおもひいでなれとひと申けり。ましてこと人++のしやうぞくいふかたなし。御祓ありてそのゝちみやしろにまいらせ給て御あそひはてゝかへらせ給。にようゐんのにようばう。しろきどもにこきうちたる。うるはしきものゝいときよげにみゆ。一品 
のみやのには。もえぎどもに蘇芳のうちたる。ゐんのはいろ++にこきうちたる。ひのくるゝほどにてんわうじにまいらせ給。あめいたくふりてものゝはへもなし。御くるまよせて御だうにわたらせ給。このほどに蔵人少将きんざね。うちの御つかひにてまつれり。廿四日は御だうのことよく御らんじ。かめ井など御らんず。
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)

(延暦十三年)二月庚午(二十七日) 天皇が水生野で狩猟した。
(承和二年二月)壬寅(二十七日) 天皇が水生瀬野(みなせの)に行幸(みゆき)して猟をした。扈従する者に禄を賜い、日暮れて宮へ戻った。(略)
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛弘四年二月)二十八日、乙未。
雨気が盛んで、今にも降りそうであった。巳剋に、人々が土御門第に集合した。春日社に出立した。楽遊(がくゆう)が有った。求子(もとめご)のみであった。やって来た公卿は、(略)。宇治に着いて、饗宴が有った。山城国司が儲けた。申剋に出発した。木津に着いた頃、雨が少々降った。笠を取るには及ばなかった。亥剋に佐保殿に到着した。饗宴が有った。公卿と殿上人が、それに着した。その後、また雨が少し降ったことは、初めのようであった。
二十九日、丙申。
雨気は晴れた。雲を返して、時々、雨が降った。辰剋の頃、雷声が四、五回ほど有った。雪が降った。未剋に春日社の社頭に参った。この間、雨が少し降った。或る者は笠を取り、或る者は取らなかった。社頭に着いた頃、天気が晴れた。日脚(ひあし)が晴れた。御幣殿(ごへいでん)に着いた後、御棚(たな)を舁(か)いたのは、公卿と殿上人であった。神宝を奉ったのは、藤原氏の殿上人と四位の者であった。祝文(しゅくぶん)を読んだのは、(藤原)知章朝臣であった。奉幣を行なった。戻ってきて座に就いた。神馬と十列(とおつら)が廻(めぐ)った後、神馬四疋を永く奉献した。その後、東遊(あずまあそび)があったのは、常と同じであった。次に神楽があった。次に膳を進めた。人長(にんじょう)の兼時に、人々は被物(かずけもの)を纏頭した。夜通しあって、神宴(しんえん)が終わった。
三十日、丁酉。
早朝、春日社の馬場殿に着した。餛飩(こんとん)が供されたのは、常と同じであった。禄を下賜した。四位と五位の者、合わせて三十人に纏頭を下賜した。舞童に禄を下賜した。殿上人に纏頭を下賜した。纏頭が終わった頃に、馬を引き出した。別当僧都(定澄)に二疋、僧綱三人<観昭・林懐・扶公。>に各一匹を下賜した。通例の被物の他にである。楽人たちに禄を下賜した。上座(じょうざ)の時算を召して衵を下賜した。賜禄(しろく)の儀が終わって、佐保殿に着した。すぐに出立した。木津に着いた頃、小雨が降った。その後、天気になった。木津に着いて饗宴が有った。舞人・陪従・弁・少納言に禄物を下賜した。右衛門督と左衛門督に馬二疋を引き出した。源中納言は、一足先に京に入った。夜に入って、京に着いた。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(正治二年二月)廿二日。天晴る。(略)坊門に向ひ、又退出し、直ちに御所に参ず。大臣殿、中将殿の御宿所におはします。俄に出題ありと云々。今日の詩筵、極めて深恩の事と雖も、興無きに似たり。又、不堪えの由、表はすべし。仍て座を立つに応じて諷吟す。題に云ふ、花開きて宮中に遊ぶと。秉燭以後、講了りて分散す。大臣殿の御共し、御堂に参じて退下す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(正治二年二月)廿五日。天晴る。午の時許りに、召しに依り大臣殿に参ず。中書と右の方の歌を撰み了んぬ。御共して御堂に参ず。隆信朝臣・寂蓮入道等、召しに依り参入す。右の歌を撰み了んぬる後、昏に御前に参ず。和歌あり。題。華を待ちて日暮れぬ。春の夜の増す恋。読み上げ了り退下す。殿下、今夜、御方違へ。歌人(十題歌合せ)。左の方は、中将殿(実は殿下の御歌)・隆信朝臣・保季朝臣・宗隆・寂蓮・業清。右の方は、資実(実は大臣殿)・能李朝臣(実は僧正御房)・有家朝臣・定家ゝゝ・顕昭・丹後。深更に帰参す。殿の御共して法性寺に参じ、定法寺に宿す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(正治二年閏二月)廿一日。朝の間、大雨。辰後に止む。天、間々晴る。夕に大雨雷電。其の音、猛烈。戌終に雨止む。(略)新御所に於て出題。各々評定して云ふ、今日詩、歌と合せらる興たるべしと。予申して云ふ、不堪の物、尤も一方を作るべしと。但し、大臣殿一紙に書かしめ給ひ、衆中に下し給ふ。各々被見す。
 詩の題。春日山寺の即事。
 歌の題。山花。滝水。
 詩の作者。左大臣・右中将・有家ゝゝ・以宗ゝゝ・長兼・為長・成信・信定・知範。
 歌人。左大臣・季経卿・中将・隆信朝臣・有家ゝゝ・定家ゝゝ・長兼・業清・信定。
各々之を披き見る。即ち諷吟に堪へず。両方極めて術無し。暫く御饌に入りおはします(能季朝臣・予等陪膳)。季経卿御前に召され、閑所に入れらる。能季戸又私(ひそか)に之に行く。自余の人々、仰せに依り、又各々に酒餅等差(すす)め了んぬ。晩頭に及び、雷鳴以後に詩を献ず。殿下之を召し取り、結番し御清書。信定又之を給ひて書す。秉燭以後、講ぜらる。衆議評定するの間、雷雨大風、掌燈頻りに滅するの間、格子を下げ、内に於て講ぜられ訖んぬ。予が和歌は、為長が詩に合せらる。一首持、一首負く。詩は信定が歌に合せらる。一首勝ち、一首持。是れ存ずるの外なり。詩の胸の句、
 鳬鐘響き近し松風の夕 鳳輦蹤遺(しょうゐ)草露の春
座中、頗る難無きの由を称ふ。尤も存ずるの外となす。歌に於ては、異様(ことやう)の処せられ了んぬ。是れ又何為(いかんせん)や。評定訖るの間、雨止むと云々。人々退下す。前後に退出。即ち還りおはします。騎馬にて、御共し、即ち退下す。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(承元元年閏二月)廿三日。水無瀬の里の梅花ヲ衣筥の盖に取り入れ、随身秦頼弘を以て使となし、大内に献じ、和歌一首を詠じて之に相具す。紅の薄様に書く。立文は白き薄様なり。詠に曰く、
 みなせ山ほどはくもゐにとをけれどにほひばかりをきみがまにまに
即ち御返し歌有り。白き薄様に書く。立文は紅の薄様なり。其の詠に曰く、
 みなせ山ほどは雲井のはるながらちよのかざしのいろぞうれしき
此の事其の興多し。仍て記する所なり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄元年二月)廿九日。天快晴。暑さ初めて催す。鶏鳴以後に帰洛す。山階に於て日出づ。往還の間、社頭の路次、花盛りの最中なり。田夫樵父悉く一枝を挿す。桃李浅深又満望。白河の辺りを過ぎ、只懐旧の思ひ有り。昔旧遊と花を翫(もてあそ)ぶの所、時移り事去り、花猶毎春回らず。古木折れ尽し、堂宇滅亡す。新豊の遺民只一身あり。暮齢の身を恐るるに依り、暫くも眺望する能はず、盧に帰る。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

忠盛朝臣備前守たりし時、鳥羽院御願得長寿院とて、鳳城の左鴨河の東に、三十三間の御堂を造進し、一千一体の観音を奉居。勧賞には闕国を賜べき由被仰下但馬国賜ふ。其外結縁経営の人、手足奉公の者までも、程々に随て蒙勧賞、真実の御善根と覚えたり。崇徳院御宇長承元年壬子二月十六日に勅願の御供養有べしと、公卿僉議有て、同二十一日の午の一点と被定たりけるに、其時刻に及て、大雨大風共に夥かりければ延引す。同廿五日に又有僉議、廿九日は天老日也、勅願の御供養宜しかるべしとて可被遂けるに、氷の雨大降、牛馬人畜打損ずる計なりければ、上下不及出行又延引す。禅定法皇大に被歎思召けり。昔近江国に有仏事けり。風雨煩たびたびに及ければ、甚雨を陰谷に流刑して、堂舎を供養すといへり、されば雨風の鎮有べきかと云議あり、尤可然とて諸寺の高僧に仰て御祈あり。度々延引の後、重て有僉議。同年三月十三日、曜宿相応の良辰なりとて、其日供養に被定。御導師には、天台座主東陽房忠尋僧正と聞ゆ。(略)
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

二十九日 乙卯。朝ノ間雨降ル、 未ノ後休止ス。羽林、永福寺已下近辺ノ勝地ヲ歴覧シ給ヒ、晩鐘ノ程ニ、還御シタマフ。永福寺ニ於テ、郢曲有ルノ僧、児童等、釣殿ニ参リ、頻ニ杯酒ヲ申シ行フ。御供ニ候ズルノ輩、頗ル以テ酩酊ス。
(吾妻鏡【正治二年閏二月二十九日】条~国文学研究資料館HPより)

三月(やよひ)に隣(とな)る峯上(をのへ)の櫻(さくら)、這里(ここ)も那里(かしこ)も開初(さきそめ)て、花香(はなのか)寄する春の風、吹くとはなしに霞こめし、谷の柴鶺鴒(うぐひす)、珍らしき、人来(ひとく)と鳴くや、我も亦、経こそ読(よま)め墓参り、路(みち)の小草(をぐさ)も目にぞ憑(つ)く、現(げに)托生(たくせう)の蓮華草、導き給へ仏の座、心つくしも幾春(いくはる)を、今は杉菜(すぎな)と薹(たう)に立つ、色美(うるは)しき草も木も、竟(つひ)に悉皆成仏の、功徳を徐(しづか)に念じつゝ、山又山(やままたやま)を向上(みあぐ)れば、奇嵒(きがん)突立(とつりう)して、造物天然の妙工を見(あら)はし、嶮辺(そはのべ)逈(はるか)に直下(みおろ)せば、白雲(はくうん)聳起(そびえおこ)りて、谷神(こくしん)窅然(ようねん)と玄牝(げんびん)の門(かど)を開(ひら)けり。然(され)ば流水(ながれみづ)に零(ち)る桃花(もゝのはな)は、武陵の仙境遠きにあらず。偃松(はひまつ)に罹(かゝ)る藤葛(ふぢかづら)は、天台の石橋(しやくきやう)危(あやふ)きに似たり。
(南総里見八犬伝~岩波文庫)

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