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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 春

2018年02月17日 | 日本古典文学-春

萬里の好山に雲忽におこり。 一樓の明月に雨はじめて晴れり。げにのどかなる時しもや。春のけしき松原の。浪立ちつづく朝霞。月ものこりの天の原。及なき身のながめにも。心そらなるけしきかな。
(謡曲・羽衣~バージニア大学HPより)
春霞。たなびきにけり久かたの。月の桂も花やさく。げに花かづら。色めくは春のしるしかや。
(謡曲・羽衣~バージニア大学HPより)

正治二年後鳥羽院に百首歌奉りける時、春歌 後京極摂政前太政大臣
梅の花うすくれなゐに咲しより霞色つく春の山陰 
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

山中春望といふ事をよみ侍し 前大納言為兼
鳥の音ものとけき山の朝あけに霞の色は春めきにけり
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

山里のはるのなさけやこれならん霞にしつむ鶯のこゑ
(若宮社歌合~群書類従・第十二輯)

ふるすたつゆきまのくさのはつこゑはわかなつむののはるのうくひす
(明日香井集~日文研HPより)

京極御息所かすかにまうて侍ける時、国司のたてまつりけるうたあまた有ける中に 藤原忠房朝臣
鶯のなきつるなへにかすか野のけふのみゆきを花とこそみれ
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

山ふかみ霞こめたる柴のいほにこととふものは谷のうぐひす
(山家集~バージニア大学HPより)

あつまのかたより京へまうてくとて、道にてよめる おと
山かくす春の霞そうらめしきいつれ都のさかひなるらん
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

修理大夫顕季はりまのすけにてくたりける時、川尻まてをくりにまかりて、舟こきはなるゝ程はるかにかすみわたれるをみて 津守国基
島かくれ漕行まてもみるへきにまたきへたつる春の霞か
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

題しらす 前内大臣
朝ほらけはまなの橋はとたえして霞をわたる春の旅人
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

都にのほり侍ける時、二村山をこゆとてよめる 藤原行朝
越ゆけは一かたならすかすむなり二村山の春の明ほの
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

題しらす 恵慶法師
春をあさみ旅の枕に結ふへき草葉も若き比にも有かな
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

建長二年、詩歌を合せられけるに、江上春望 冷泉太政大臣
こき出る入江の小舟ほのほのと浪まにかすむ春の明ほの
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

眺望の心をよめる 円玄法師
なにはかた塩路はるかに見渡せは霞にうかふ沖のつり舟
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

わたのはらくもにかりかねなみにふねかすみてかへるはるのあけほの
あかしかたかすみてかへるかりかねもしまかくれゆくはるのあけほの
(秋篠月清集~日文研HPより)

亀山殿千首歌に、霞 前大納言為世
もしほやく煙も波もうつもれて霞のみたつ春のあけほの
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

同歌合に、春風を 前大納言家雅
吹となき霞のしたの春風に花の香ふかきやとの夕暮
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

暮山春望といふ事を 中務卿宗尊親王
花の香はそこともしらす匂ひきてとを山かすむ春の夕暮
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

題しらす 順徳院御製
難波かた月の出しほの夕なきに春の霞のかきりをそしる
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

旅なる所にて、月を見て
春の夜の月は所もわかねどもなほすみなれし宿ぞ恋しき
(和泉式部続集~岩波文庫)

牡鹿伏すなる春日山、牡鹿伏すなる春日山、水嵩(みかさ)ぞ増さる春雨の、音(おと)はいづくぞ吉野川。よしや暫しこそ、花曇りなれ春の夜の、月は雲居に帰らめや、頼みをかけよ玉の輿、頼みをかけよ玉の輿。
(謡曲・国栖~岩波・日本古典文学大系41「謡曲集 下」)

道助法親王家五十首歌、旅春雨 源家長朝臣
宿もかなさのゝわたりのさのみやはぬれてもゆかむ春雨の比
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

 八日、雨ふる。夜は石の上の苔くるしげにきこえたり。
(蜻蛉日記~岩波文庫)

春ノ風暗(そら)ニ庭ノ前ノ樹ヲ剪定(き)リ、夜ノ雨ハ偸(ひそか)ニ石ノ上ノ苔ヲ穿(うが)ツ
(千載佳句)

いはのうへのこけたにたへぬはるさめにのへのくさはのいかてもゆらむ
(堀河百首~日文研HPより)

あさみとりなるそらの気色いみしくすみわたりたるに、こほれてにほふ御前の花さかりめてたきにもよをされ給て、物のねもはへぬへき程なるを、わたり給て、すこしも聞ならし給へかしときこえ給を、(略)
(狭衣物語~諸本集成第二巻伝為家筆本)

草のいと青やかなるを、遠くいにし人を思ふ
浅茅原見るにつけてぞ思ひやるいかなる里にすみれ摘むらん
(和泉式部集~岩波文庫)

春の歌とて 従三位親子
すみれさく道のしはふに花ちりて遠かたかすむ野への夕暮
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

燭(ともしび)を背(そむ)けては共に憐れむ深夜の月 花を踏んでは同じく惜しむ少年の春
(和漢朗詠集~岩波・日本古典文学大系)

そむけつる窓のともし火深き夜の霞にいづる二月の月
(拾遺愚草員外~笠間叢書)

有明の月に背くるともしびの影にうつろふ花を見るかな
(拾玉集)

怪しぶことなかれ紅巾(こうきん)の面(おもて)を遮(さしかさ)いて咲(わら)ふことを 春の風は吹き綻(ほころ)ぼす牡丹の花
(和漢朗詠集~岩波・日本古典文学大系)

康永三年後二月、仙洞にて、松遐年友と云事を講せられけるに 照光院前関白右大臣
千とせともかきらぬ君か友なれは松も花さく春やかさねん
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
康永三年後二月十二日、仙洞にて、松遐年友といへる事を講せられけるに 藤原為重朝臣
我君のめくみをそへて契るらし松のときはの行末の春
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

貞治二年二月、春松久緑と云事を講せられけるに 前参議実名
君かへん千とせの春の行すゑも松のみとりの色にみゆらし
藤原雅家朝臣
いく千世そみとりをそへて相生の松と君とのゆくすゑの春
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

 後堀川院御位すべらせ給て、内大臣の冷泉富小路亭にわたらせ給けるに、天福元年の春の比、院・藻壁門院、方をわかちて、絵づくの貝おほひありけり。大殿・摂政殿、女院の御方にてぞおはしましける。一方に、しかるべき女房四五人ばかりにて、ひろきには及ざりけり。(略)
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)


春さればもずの草ぐき見えずとも我れは見やらむ君があたりをば
(万葉集~バージニア大学HPより)

(たいしらす) 貫之 
津の国の難波のあしのめもはるにしけきわか恋人しるらめや 
(古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

題不知 正三位家隆 
春の浪の入江にまよふはつ草のはつかにみえし人そ恋しき 
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

過かてによその梢をみてしより忘れもやらぬ花の面かけ
見てしよりわすれもやらぬ面影はよその梢の花にや有らん
散もそめす咲も残らぬ俤をいかてかよその花にまかへん
(鳥部山物語~バージニア大学HPより)

夜、寝(い)もねぬに、障子をいそぎ開けて眺むるに
恋しさも秋の夕べにおとらぬは霞たな引く春のあけぼの
(和泉式部続集~岩波文庫)

女御まうのほり給へと有ける夜、なやましきとてさも侍らさりけれは、又の日給はせける 天暦御歌 
ねられねは夢にもみえす春のよをあかしかねつる身こそつらけれ 
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

心ならぬこと侍りける暁よみ給ひける 慣れて悔しきの桂のみこ
春の夜のはかなきほどの契りゆゑ人のつらさを見つる夢かな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

女のもとより帰りて、あしたに遣はしける み山隠れの宰相中将
見るほどもなくて明けぬる春の夜の夢路にまどふ我が心かな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

題不知 永福門院
鳥の声さへつりつくす春日影くらしかたみに物をこそ思へ
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
.

物思ひけるころ、木々の梢の青みわたれるを見て 老人(おいびと)の形見の源大納言女
人知れぬ嘆きはいつも絶えせねど萌え出づる春はわびしかりける
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

歎事侍ける時、述懐歌 後京極摂政前太政大臣
数ならは春をしらましみ山木のふかくや苔にむもれ果なん
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

 御庭の草は、やうやう青みだちて、己が心のままに茂るも、秋の霜には、あへずけたれなんと、はかなく見ゆるものから、霜うちはらふ人もあらざりけらし。
 霜がれし庭の草葉も春にあひぬ我が身ひとつぞつれなかりける
 小さき桜の一重なるが、初めて春を知りけるにや、所々咲き出でたるは、雲と見紛ふらん折まで、御命のつれなくて、ものを思はせ給はんかと、うちながめさせ給ふ。
(松陰中納言~「中世王朝物語全集16」笠間書院)

百首歌奉りし時、述懐 前内大臣
一時の花のさきしは夢なれや春の外なる谷の埋木
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

春比、憐れなる事を、人しれず歎くに
わが袖を心も知らぬよそ人は折りける花のしづくとや見る
(和泉式部続集~岩波文庫)

心にもあらず東宮の御あたりもかけ離れて、山里に侍りけるころ 緒絶えの沼の内侍のかみ
いかにしていづれの世にか霞晴れ春のみやこの花を見るべき
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

題しらず 緒絶えの沼の右大臣
たぐひなき花の匂ひを身にしめて今いくとせの春を嘆かん
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

春述懐の心を 伏見院御歌
花鳥の情はうへのすさひにて心のうちの春そ物うき
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

春歌とて 徽安門院
心うつすなさけよこれも夢なれや花うくひすの一時の春
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

述懐の心をよめる 覚審法師
すきゝにしよそちの春の夢のよは憂より外の思ひ出そなき
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

世を背かんと思ひ立ちて、后の宮にまうでて、女房に申し侍りける 二葉の松の中納言
心しむる花のあたりの月かげもこれや限りの眺めなるべき
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)
.

前大納言光頼春身まかりにけるを、桂なる所にてとかくしてかへり侍けるに 前左兵衛督惟方
たちのほる煙をたにも見るへきに霞にまかふはるの曙
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

後鳥羽院かくれ給うてのころ 順徳院御歌
のほりにし春の霞をしたふとてそむる衣の色もはかなし
大原におさめたてまつるよし聞えけれは 順徳院御歌
いる月のおほろのし水いかにしてつゐにすむへき影をとむらん
春のよのみしかき夢と聞しかとなかき思ひのさむるともなし
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

後朱雀院かくれ給て後、源三位かもとにつかはしける 弁乳母
あはれ君いかなる野辺の煙にてむなしき空の雲となりけむ
返し 源三位
おもへ君もえし煙にまかひなて立をくれたる春のかすみを
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

こぞの夏よりうすにびきたる人に、女院かくれたまへる又の春、いたうかすみたる夕ぐれに、人のさしおかせたる
雲のうへもものおもふ春はすみぞめにかすむ空さへ哀なる哉
返しに
なにしこの程なき袖をぬらすらんかすみのころもなべてきるよに
(紫式部集~岩波文庫)

贈皇后宮かくれての春のころ、山のかすみを御覧して 堀川院御歌
梓弓はるの山へのかすむこそ恋しき人のかたみなりけれ
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

先坊うせ給ての春、大輔につかはしける はるかみの朝臣のむすめ 
あら玉のとしこえつらしつねもなきはつ鶯の音にそなかるゝ 
返し 大輔 
ねにたてゝなかぬ日はなし鶯のむかしの春を思ひやりつゝ 
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

内大臣かくれて後、一条院の紅梅も時を忘れず咲きぬらんと人のいふを聞かせ給ひて 言はで忍ぶの女院
鶯も春や昔と忘るなよ荒れまく惜しき花の古里
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

後京極摂政かくれ侍けるあくる日、従二位家隆とふらひて侍けれは 前中納言定家
昨日まてかけてたのみし桜花一夜の夢の春の山かせ
(新後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
後京極摂政春身まかりにけれは、前中納言定家もとへ読てつかはしける 従二位家隆
ふして思ひおきてもまとふ春の夢いつか思ひのさめむとすらん
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
後京極摂政身まかりて後、四五日ありて従二位家隆許より、「ふしてこひおきてもまとふ春の夢いつか思ひのさめんとすらん」と申て侍ける返事に 前中納言定家
夢ならてあふよも今はしら露のをくとはわかれぬとはまたれて
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

あにのふくにて一条にまかりて 太政大臣
春のよの夢のうちにも思ひきや君なき宿を(イ君なき宿に)行てみんとは
返し (読人不知)
やとみれはねてもさめても恋しくて夢うつゝともわかれさりけり
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

あひ知りし人のみまかりて又の春ものへまかる道にて 過ぎて見れば、住む人はなくて花は庭に散りみだれてありければ
おもほえず又この庵に來にけらし有りし昔の心ならひに
(良寛歌集~バージニア大学HPより)

洞院摂政のことを思ひてよみ侍ける 前右大臣
わかれにしむかしの春を思ひ出て弥生のけふの空そかなしき
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

(2013年2月19日と2014年2月8日の「古典の季節表現 春」の記事は削除して、この記事にまとめました。ついでに、謡曲・国栖、蜻蛉日記、狭衣物語、松陰中納言、古今著聞集などを追加しました。)

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古典の季節表現 春 二月雪落衣(にがつのゆきころもにおつ)

2018年02月03日 | 日本古典文学-春

松根(しようこん)に倚(よ)つて腰(こし)を摩(す)れば
千年(せんねん)の翠(みどり)手(て)に満(み)てり
梅花(ばいくわ)を折(を)つて頭(かうべ)に挿(さしはさ)めば
二月(にぐゑつ)の雪(ゆき)衣(ころも)に落(お)つ
(和漢朗詠集~岩波・日本古典文学大系)

二月雪落衣といふことをよみ侍ける 康資王母
梅ちらす風も越てや吹つらむかほれる雪の袖にみたるゝ
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

たをりつつかさせるうめのはなちりてたもとにさむききさらきのゆき
(嘉元百首~日文研HPより)

手折つつかさす袂に二月の雪とや梅の花はちるらん
(嘉吉三年二月十日前摂政家歌合~続群書類従15上)

松の木蔭に立ち寄れば、千歳のみどりぞ身に染(し)める、梅が枝かざしにさしつれば、春の雪こそ降りかかれ
(梁塵秘抄~岩波・日本古典文学大系)

あをきが 原の 波間より。
「 あらはれ出でし 神松の。 春なれや 殘んの 雪の 朝香潟。
「 玉藻 刈るなる 岸陰の。
「 松根によつて 腰をすれば。
「 千年の 緑 手に 滿てり。
「 梅花を 折つて 頭にさせば。
「 二月の 雪ころもに 落つ。
(謡曲・高砂~バージニア大学HPより)

シテ「あらありがたや候。や。花の香の聞え候。いかさま木の花散り方になり候ふな。
ワキ「おうこれなる籬の梅の花が。弱法師が袖に散りかゝるぞとよ。
シテ「憂たてやな難波津の春ならば。唯木の花とこそ仰あるべきに。今は春辺もなかばぞかし。梅花を折つて頭に挿しはさまざれども。二月の雪は衣に落つ。あら面白の花の匂やな。
(謡曲・弱法師)

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古典の季節表現 春 二月上旬

2018年02月02日 | 日本古典文学-春

さえにける空は二月はつ春の影におぼめくけふの三日月
(春夢草~新編国歌大観8)

あかつきがたにまつふく風のおといとあらくきこゆ。こゝらひとりあかす夜かゝるおとのせぬはものゝたすけにこそありけれとまでぞきこゆる。あくれば二月にもなりぬめり。あめいとのどかにふるなり。(略)日ごろいとかぜはやしとてみなみおもてのかうしはあげぬを今日かうてみいだしてと許あればあめよいほどにのどやかにふりて庭うちあれたるさまにてくちばところどころあをみわたりにけり。あはれとみえたり。ひるつかたかへしうちふきてはるゝがほのそらはしたれどこゝちあ やしうなやましうてくれはつるまでながめくらしつ。三日になりぬる夜ふりけるゆき三四寸許たまりていまもふる。すだれをまきあげてながむれば、「あさなむ」といふこゑこゝかしこにきこゆ。風さへはやし。よの中いとあはれなり。(略)
 いかなるにかありけん、このごろの日てりみくもりみいとはるさむかるとしとおぼえたり。夜は月あかし。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

さてついたち三日のほどにむま時ばかりにみえたり。老いてはづかしうなりにたるにいとくるしけれどいかゞはせん。と許ありて「かたふたがりたり」とてわがそめたるともいはじにほふ許のさくらがさねのあや、文はこぼれぬばかりしてかたもんのうへのはかまつやつやとしてはるかにおひちらしてかへるをきゝつゝ、あなくるしいみじうもうちとけたりつるかななどおもひて、なりをうちみればいたうしほなえたり、かゞみをうち見ればいとにくげにはあり。また此度うじはてぬらんとおもふ ことかぎりなし。かゝることをつきせずながむるほどについたちよりあめがちになりにたればいとどなげきのめをもやすとのみなんありける。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

うるふ二月のついたちの日あめのどかなり。それよりのち天はれたり。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

 思ひかけず旅寝の床(とこ)に夜を明かす事なん侍し比、二月の初め、例の宿りに立ちとまれるに、鳥の声、鐘の音、しきりに驚かしつゝ、車引出たる暁の空霞み渡りて、峰の横雲ほのかに白みゆく程なり。吹すさむ風につけて、其処(そこ)とも知らぬ梅が香の匂ひたるなど、いと艶(ゑん)なりしも、心なき身にはさしも思ひわかれざりしさへ、思ひ出らるゝ端(つま)にありける。
(竹むきが記~岩波・新日本古典文学大系)

如月の十日のほどに、内裏に文作らせたまふとて、この宮も大将も参りあひたまへり。折に合ひたる物の調べどもに、宮の御声はいとめでたくて、「梅が枝」など謡ひたまふ。(略)
雪にはかに降り乱れ、風など烈しければ、御遊びとくやみぬ。(略)雪のやうやう積もるが、星の光におぼおぼしきを、(略)
(源氏物語・浮舟~バージニア大学HPより)

きさらぎの十日ばかりに飯乞ふとて眞木山てふ所に行 きて有則が家のあたりを尋ぬれば今は野らとなりぬ、一と本の梅の散りかかりたるを 見て古を思ひ出でてよめる。
そのかみは酒に受けつる梅の花つちに落ちけりいたづらにして
(良寛歌集~バージニア大学HPより)

小一條院をば、今内裏とぞいふ。おはします殿は清涼殿にて、その北なる殿におはします。西東はわたどのにて渡らせ給ふ。常に參うのぼらせ給ふ。おまへはつぼなれば、前栽などうゑ、笆ゆひていとをかし。二月十日の日の、うらうらとのどかに照りたるに、わたどのの西の廂にて、うへの御笛ふかせ給ふ。高遠の大貳、御笛の師にて物し給ふを、異笛ふたつして、高砂ををりかへし吹かせ給へば、猶いみじうめでたしと言ふもよのつねなり。御笛の師にて、そのことどもなど申し給ふ、いとめでたし。
(枕草子~バージニア大学HPより)

桜の、一丈ばかりにて、いみじう咲きたるやうにて、御階のもとにあれば、「いと疾く咲きにけるかな。梅こそ、ただ今は盛りなれ」と見ゆるは、造りたるなりけり。すべて、花の匂ひなど、つゆまことに劣らず、いかにうるさかりけむ。「雨降らば、しぼみなむかし」と思ふぞ、口惜しき。(略)
(枕草子~新潮日本古典集成)

如月の朔日ごろとあれば、ほど近くなるままに、花の木どものけしきばむも残りゆかしく、(略)
(源氏物語・早蕨~バージニア大学HPより)

山の方は霞隔てて、寒き洲崎に立てる鵲の姿も、所からはいとをかしう見ゆるに、宇治橋のはるばると見わたさるるに、柴積み舟の所々に行きちがひたるなど、他にて目馴れぬことどものみとり集めたる所なれば、(略)
(源氏物語・浮舟~バージニア大学HPより)

(天平六年)二月一日 天皇は朱雀門に出御して歌垣をご覧になった。参加者は男女二百四十余人で、五品以上の風流心のある者は、皆その中に入りまじった。正四位下の長田王・従四位下の栗栖王・門部王・従五位下の野中王らをその頭(かみ)として、本末を以て唱和した。浪花曲・倭部曲・浅茅原曲・広瀬曲・八裳刺曲の音楽を奏し、都中の人々に自由に見させた。歓楽を極めて終った。歌垣に参加した男女らに物を賜わった。
(続日本紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(承和十二年)二月戊寅(一日) 天皇が紫宸殿に出御して、侍臣に酒を賜った。ここにおいて殿前の梅花を折りとって、皇太子および侍臣らの頭に挿し、酒宴の楽しみとした。近衛少将に命じて、親王以下、侍従以下の見参の物の名を記録し、御被(みふすま)・襖子(ぬのこ)等を賜った。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(嘉禄元年二月)一日。戊辰。終日天陰る。夜に入りて微雨降る。西面の紅梅(八重)盛んに開く。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建保元年二月)三日。禁裏詩歌合せ、其の座に参ずべしと云々。未の時許り、重ねての召しに依り参内す(束帯)。(略)人々座廻る。兼隆参じ進みて詩の方を読み上ぐ。詩・和歌を評定す。大略一人之を申す。又、家衡卿康光に示し合せ、狂言を出す。御気色に依り、勝負を定められ了んぬ。次で作者を書き、重ねて之を読み上ぐ。御製之を知らず。任意に褒美の詞の如き、露顕するの時甚だ其の興あり。帥秀句あり。予、其の結びの歌を詠ましめず。雪尽き、草の色青し。南老の鬂眉残る。緞在西施(脱字アラン)。顔色斯より新なり。此の題に於て、尤も沈思の力あるか。花綻ぶ仙遊の裏。同じ腰の句に云ふ、唐帝の清宮唯月の夜。漢皇の汾水又風秋。頗る賞翫ありと雖も、予の愚歌、天気に依り勝ち了んぬ。存外の面目なり。
  河上の花
 名取川春の日かずはあらはれて花にぞ沈むせぜのむもれ木
頭弁の詩、尋常なり。次で当座の歌有り。庭上の柳。書き了りて読み上ぐ。各々退出するなり。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄二年二月)四日。暁に雪降る。朝の間、粉々たり。辰後に漸く晴る。猶間々飛ぶ。(略)沍寒、厳冬の如し。今朝、硯水氷る(冬、此の事無し)。仍て出で行かず。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

 二月大
一日 壬申 幕府ニ於テ、和歌ノ御会有リ。梅花万春ニ契ルトイフヲ題ス。
武州、修理ノ亮、伊賀ノ次郎兵衛ノ尉、和田ノ新兵衛ノ尉等、参入ス。女房相ヒ接ハツテ、披講スルノ後、御連歌有リト〈云云〉。
(吾妻鏡【建暦三年二月一日】条~国文学研究資料館HPより)

(嘉禎元年)九日、壬申、将軍家、後藤大夫判官基綱の大倉の宅に入御、御水干、御騎馬なり、陸奥式部大夫、相模式部大夫、前民部少輔、駿河前司、伊東大夫判官、駿河大夫判官等供奉す、五位は水干、六位は直垂、立烏帽子、上野七郎左衛門尉、同五郎、武田六郎、以上三人、甲を著けて最末に候す、今夜彼家に御止宿、遊興一に非ず、先づ御的、次に小笠懸、次に御鞠、次に御酒宴、管絃、夜に入つて、和歌御会と云々、相州、武州、参り給ふ、(略)
(吾妻鏡~岩波文庫)

比は二月初の事なれば、峯の雪村消て、花かと見ゆる所も有り。谷の鶯音信て、霞に迷ふ所も有り。上れば白雪皓々として聳え、下れば青山峨々として岸高し。松の雪だに消やらで、苔の細道幽なり。嵐にたぐふ折々は、梅花とも又疑はれ、(略)
(平家物語~バージニア大学HPより)

比は二月の始也、霞の衣立阻て、緑を副る山の端に、白雲絶々聳つゝ、先咲花かとあやまたる。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

春風にそよぐ松の響、岩間に落る水音ばかりにて、(略)。姑射山仙洞の池の汀(みぎは)を望ば、春風波に諍て、紫鴛白鴎逍遥せり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

詩歌管絃は公家仙洞の翫物、東夷争磯城島難波津の言葉を可存なれ共、梶原は心の剛も人に勝れ、数寄たる道も優也けり。咲乱たる梅が枝を、蚕簿に副てぞ指たりける。蒐れば花は散けれども、匂は袖にぞ残りける。
  吹風を何いとひけん梅の花散くる時ぞ香はまさりける
と云ふ古き言までも思出ければ、平家の公達は花箙とて、優也やさししと口々にぞ感じ給ける。
(略)
懸るやさしき男成ければ、さしもの戦場思寄べきにあらね共、折知貌の梅が枝を、箙にさして寄たれば、源氏の手折れる花なれ共、平家の陣にぞ香ける。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

時しもきさらぎ上旬の空のことなれば。須磨の若木の桜もまだ咲きかぬる薄雪のさえかへる浪こゝもとに。生田のおのづからさかりを得て。かつ色見する梅が枝一花開けては天下の春よと。軍の門出を祝ふ心の花もさきかけぬ。
(謡曲「箙」~謡曲三百五十番)

(2013年2月9日と10日の「古典の季節表現 二月上旬」を二つとも削除して、本記事にまとめました。ついでに、竹むきが記と良寛歌集と続日本紀と続日本後紀と吾妻鏡と謡曲「箙」などを追加しました。)

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古典の季節表現 春 一月下旬

2018年01月25日 | 日本古典文学-春

たちかへりかすみのころもまたさむしきさらきちかきはるのひかすに
(新撰和歌六帖~日文研HPより)

 正月二十三日、子の日なるに、左大将殿の北の方、若菜参りたまふ。(略)
 南の御殿の西の放出に御座よそふ。屏風、壁代よりはじめ、新しく払ひしつらはれたり。うるはしく倚子などは立てず、御地敷四十枚、御茵、脇息など、すべてその御具ども、いときよらにせさせたまへり。
 螺鈿の御厨子二具に、御衣筥四つ据ゑて、夏冬の御装束。香壷、薬の筥、御硯、ゆする坏、掻上の筥などやうのもの、うちうちきよらを尽くしたまへり。御插頭の台には、沈、紫檀を作り、めづらしきあやめを尽くし、同じき金をも、色使ひなしたる、心ばへあり、今めかしく。(略)
 人々参りなどしたまひて、御座に出でたまふとて、尚侍の君に御対面あり。(略)
 「若葉さす野辺の小松を引き連れてもとの岩根を祈る今日かな」
  と、せめておとなび聞こえたまふ。沈の折敷四つして、御若菜さまばかり参れり。御土器取りたまひて、
  「小松原末の齢に引かれてや野辺の若菜も年を摘むべき」
  など聞こえ交はしたまひて、上達部あまた南の廂に着きたまふ。(略)御土器くだり、若菜の御羹参る。御前には、沈の懸盤四つ、御坏どもなつかしく、今めきたるほどにせられたり。
 朱雀院の御薬のこと、なほたひらぎ果てたまはぬにより、楽人などは召さず。御笛など、太政大臣の、その方は整へたまひて、
  「世の中に、この御賀よりまためづらしくきよら尽くすべきことあらじ」
  とのたまひて、すぐれたる音の限りを、かねてより思しまうけたりければ、忍びやかに御遊びあり。
  とりどりにたてまつる中に、和琴は、かの大臣の第一に秘したまひける御琴なり。さるものの上手の、心をとどめて弾き馴らしたまへる音、いと並びなきを、異人は掻きたてにくくしたまへば、衛門督の固く否ぶるを責めたまへば、げにいとおもしろく、をさをさ劣るまじく弾く。
  「何ごとも、上手の嗣といひながら、かくしもえ継がぬわざぞかし」と、心にくくあはれに人々思す。調べに従ひて、跡ある手ども、定まれる唐土の伝へどもは、なかなか尋ね知るべき方あらはなるを、心にまかせて、ただ掻き合はせたるすが掻きに、よろづの物の音調へられたるは、妙におもしろく、あやしきまで響く。
  父大臣は、琴の緒もいと緩に張りて、いたう下して調べ、響き多く合はせてぞ掻き鳴らしたまふ。これは、いとわららかに昇る音の、なつかしく愛敬づきたるを、「いとかうしもは聞こえざりしを」と、親王たちも驚きたまふ。
  琴は、兵部卿宮弾きたまふ。この御琴は、宜陽殿の御物にて、代々に第一の名ありし御琴を、故院の末つ方、一品宮の好みたまふことにて、賜はりたまへりけるを、この折のきよらを尽くしたまはむとするため、大臣の申し賜はりたまへる御伝へ伝へを思すに、いとあはれに、昔のことも恋しく思し出でらる。
  親王も、酔ひ泣きえとどめたまはず。御けしきとりたまひて、琴は御前に譲りきこえさせたまふ。もののあはれにえ過ぐしたまはで、めづらしきもの一つばかり弾きたまふに、ことことしからねど、限りなくおもしろき夜の御遊びなり。
  唱歌の人々御階に召して、すぐれたる声の限り出だして、返り声になる。夜の更け行くままに、物の調べども、なつかしく変はりて、「青柳」遊びたまふほど、げに、ねぐらの鴬おどろきぬべく、いみじくおもしろし。私事のさまにしなしたまひて、禄など、いと警策にまうけられたりけり。
(源氏物語・若菜上~バージニア大学HPより)

大将殿には、二十七日出で来たる乙子になむ、嵯峨の院に御賀参らむとしたまひける。ありの限りの君だち、男も女も集ひて仕まつりたまふ。すべてよろづのもの、かねてより設けて、いといみじく、になくして参りたまふ。いとめづらしく清らなるさまにし整へたまひて、子、孫引き続きて、糸毛六つ、檳榔毛十四、うなゐ車五つ、下仕へ車五つしてなむ参りたまひける。御前、四位二十人、五位四十人、六位は数知らず。御供、婿の君だちみなおはします。例の遊び人たち数を尽くして、舞の子ども、君だち、いとになく装束きて、いとをかしげなり。御供定めて、糸毛のには宮、若御子たち六所、二のには女御の君、また次々の君だち、みな組みまぜて、あまねく奉る。副車には御方々の御達、四人づつ乗るべし。大人四十人、童二十人、下仕へ十人、いとになく装束きてぞありける。大人二十人は赤色に蘇坊襲、今二十人は赤色に葡萄染襲、綾の摺り裳、うなゐはおしなべて青色に蘇坊襲、綾の上の袴、綾掻練、色はさらにもいはず、下仕へは例の村摺り、檜皮色、桜襲、おしなべて賜ふ。(略)
(うつほ物語~新編日本古典文学全集)

かくて、后の宮の御賀、正月廿七日に出来る乙子になむ仕うまつり給ひける。(略)
かくて、廿六日参り給ふ。車廿、糸毛十、黄金造りの檳榔毛十、髫髪車(うなゐぐるま)二、下仕の車二。御前、天の下の人残らず、四位、五位百人、六位数知らず。御装ひ、大宮、女御、今宮などは、赤色に葡萄染の襲の織物、唐の御衣、綾の裳、あて宮は十五、同じ赤色の織物、五重襲、表(うへ)の御衣、白き綾の表の袴、御供の人、青丹に柳襲のひら衣、あをみずりの裳、上下わかず着たり。童同じごと、下仕、平絹の三重襲着たり。(略)
(宇津保物語・菊の宴~岩波・日本古典文学大系)

正月の晦日なれば、公私のどやかなるころほひに、薫物合はせたまふ。
(源氏物語・梅枝~バージニア大学HPより)

嘉保三年正月卅日、殿上人船岡にて花を見けるに、斎院選子より柳の枝をたまはせけり。人びとこれをみければ、「いとのしたには」とかゝれたりけり。他人その心をしらざりけるに、雅通たまたま古歌の一句をさとりて、返事をたてまつりけるにこそ人びとの色なほりにけれ。紙のなかりければ、直衣を破りて書侍りける、
 ちりぬべき花をのみこそ尋ねつれ思もよらず青柳の糸
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

比は睦月廿日餘の事なれば、比良の高峯、志賀の山、昔ながらの雪も消え、谷々の氷打解て、水は折節増りたり。白浪おびたゞしう漲り落ち、瀬枕大きに瀧鳴て、逆卷く水も疾かりけり。
(平家物語~バージニア大学HPより)

同じ二月十七日に、又、新院富の小路殿にて舞御覧。其の朝、大宮院先づ忍びて渡らせ給ふ。一院の御幸は、日たけてなる。冷泉殿より只はひ渡る程なれば、楽人・舞人、今日の装束にて、上達部など皆歩み続く。庇の御車にて、御随身十二人、花を折り錦を立ち重ねて、声々、御さき花やかに追ひ罵りて、近く候ひつる、二無く面白し。新院は、御烏帽子直衣・御袴際にて、中門にて待ち聞こえさせ給ひつる程、いと艶にめでたし。御車中門に寄せて、関白殿、御佩刀取りて、御匣殿に伝へ給ふ。二重織物の萌黄の御几帳のかたびらを出だされて、色々の平文の衣共、物の具は無くて押し出ださる。今日は正親町の院も御堂の隅の間より御覧ぜらる。
大臣・上達部、有りしに変はらず。猶参り加はる人は多けれど、洩れたるは無し。実冬、今日は、花田うら山吹の狩衣、二重うち萌黄など、思ひ思ひ心々に、前には皆引きかへて、様々尽くしたり。基俊の少将、此の度は、桜萌黄の五重の狩衣・紅の匂の五衣、打衣は〔やりつき、〕山吹の匂、浮織物の三重のひとへ・紫の綾の指貫、中に勝れてけうらに見え給へり。此の度は、多く緑苔の衣を着たり。万歳楽を吹きて楽人・舞人参る。池の汀に桙を立つ。春鴬囀・古鳥蘇・後参・輪台・青海波・落蹲など有り。日暮らし面白く罵りて、帰らせ給ふ程に、赤地の錦の袋に御琵琶入れて奉らせ給ふ。刑部卿の君、御簾の中より出ださる。右大将取りて、院の御前に気色ばみ給ふ。胡飲酒の舞は、実俊の中将とかねては聞こえしを、父大臣の事にとどまりにしかば、近衛殿の前の関白殿の御子三位中将と聞こゆる、未だ童にて舞ひ給ふ。別して、此の試楽より先なりしにや、内々白河殿にて試み有りしに、父の殿も御簾の内にて見給ふ。若君いと美しう舞ひ給へば、院めでさせ給ひて、舞の師忠茂、禄賜はりなどしけり。
(増鏡~和田英松「校註 増鏡 改訂版」)

(延暦十三年正月)己亥(二十五日) 天皇が栗前野で狩猟した。
庚子(二十六日) 天皇が瑞野で狩猟した。本日、大雪が降った。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(承和二年正月)甲戌(二十八日) 天皇が芹川野に行幸(みゆき)し、猟をした。日暮れて宮へ戻った。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(承元元年正月)廿一日。天晴る。午の時許りに、院に参ず。未の時、神泉に出でおはしますの後退出す。大納言殿に参じて見参。昏に退出す。(略)明後日、八幡御幸。殿上人十二人と云々。明日、年始御会あるべし。歌人、左金吾・有家・下官・家隆・雅経・具親・家長・清範・季能。題、春の松に齢を契る。之を聞き、弥ゝ憐旧の思ひを増す。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(承元元年正月)廿六日。辰後に天晴る。夜。雪降る。草樹僅かに白し。朝、雨間々降り、即ち消ゆ。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(承元元年正月)廿九日。天晴る。雪霏々。午の時許りに参上す。俄にして出でおはしますの後、退下す。明日、勝負の笠懸、殿上人忠信朝臣・有雅朝臣・頼平朝臣・忠清朝臣・範茂・清親・信能・輔平。此の外、通光卿・保家卿・仲隆・仲俊等加へらると云々。西面十一人、御所の御方となすべし。公卿、念人となすと云々。八幡別当祐清、不食所労増す。仍て申し申し請ひ、弟幸清に譲り、子を以て、又権別当に補す。(略)
卅日。天晴れ、雪飛ぶ。酉の時、雨雪。巳の時許りに参上す。申始許りに出でおはします。暫く御小弓。遅参の人々を召すの後、十番笠懸け。左方十人、先づ射る。次で、右方十人の射手。末座の矢、中る。仍て左負くる事、頗る興無し。仰せて云ふ、此の次又ねたみを射るべしと。即ち又、会を始め、之を結ばる。各々射る。一番左衛門督、二番左方、西北面の童部等。右忠信・有雅・頼平・忠清・信能・範茂・清親・仲隆。大相国・定輔卿・尊長僧都等五六人、小山の上に於て見物、念人と云々。雅縁・実教卿以下の殿上人、東の土庇に於て之を見る。夕に退下す。冷然たるに依り、帰参せず。今日博陸、御表と云々。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(建暦二年正月)廿一日。辰の時に雨降る。終日濛々たり。天明に華洛を出で、孤舟に棹す。雨脚滂沱たり。漸く黄昏に及びて、神崎の小屋に着く。
 沙堤雨の裏(うち)行人少なし 纔(わづか)に漁舟を伴ひて宿を問ひて来たる 月黒く雲陰りて徐(おもむ)ろに夜ならんと欲す 猶江水を望みて独り徘徊す
 はるさめのあすさへふらばいかがせんそでほしわぶるけふのふな人
廿二日。夜、雨休む。暁に風寒し。未明、月に乗じて路に赴く。
 月斜に霞深くして春尚浅し 山雲初めて曙色徐(おもむ)ろに分(わか)る 野村の雨後何(いづく)ぞ望を遮(さへぎ)る 只早梅の風底に薫る有り
昆陽池を過ぎ、武庫山に入る。
 新雨初めて晴れ池水満つ 恩波風緩かにして豊年を楽しむ 遠松我を迎ふる親故の如し 群鳥人を驚かし争ひて後先す
 暁涙を伴ひて来たる江館の月 春望相似たり洞庭の天 頭を廻らし遥かに顧みる青厳の路 漸く帝都を隔つ山復(また)川
武庫河大いに溢れ、人通ずるを得ず。遥かに下流を尋ね、蒙を衝きて田を渉(わた)るの間、時刻推移す。水を済(わた)る者、膺(むね)に騰(すが)る波を撤す。況んや亦厳路崔嵬、険阻を踰(をか)して越え、荊棘を除剪し、山を披きて路を通ず。申の刻に及び、湯泉の孤舘に着す。即時に浴を始む。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄元年正月)廿一日。壬午。天顔陰る。陽景見ゆ。申後、雨漸く密なり。女房、七観音に参る。巽の地の白梅開く(去年、二月中旬に開く)。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄元年正月)廿七日。(略)近日、白梅・単紅梅盛んに開く。路頭芬々たり。
廿八日。(略)仁和寺南の辺りの墻根に、単紅梅、昨日之を見る。法眼に語り、今日取り寄せて南庭に栽う。早速く開くに依るなり。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禎元年正月)廿六日、庚申、今夜、御方違の為に、周防前司親実の大倉の家に入御、此所に於て庚申の御会有り、二首の和歌を講ぜらる、題は竹間の鶯、松に寄する祝、岩山侍従、河内前司光行入道、大夫判官基綱、式部大夫入道光西、東六郎行胤等懐紙を進ずと云々、
(吾妻鏡~岩波文庫)

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古典の季節表現 春 一月二十一日頃 内宴

2018年01月21日 | 日本古典文学-春

(承和元年正月)辛未(二十日) 天皇が仁寿殿で内宴を催し、内教坊が歌舞を奏した。天皇の寵を受けている近習が観覧し、詞を解する五位以上の者二、三人と内記らを特別に喚(よ)び、ともに「早春の花と月」の題で詩を賦させた。本日の夕刻、勅により正六位上大戸首清上に外従五位下を授けた。清上は横笛を能(よ)くし、それにより今回の叙位となった。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(承和十一年)春正月庚子(十七日) 天皇が仁寿殿で内宴を催した。公卿と文学に心得のある者五、六人が陪侍した。ともに「初春の詞」の題で詩を賦した。特別に勅により三品基貞親王を宴に参加させ、日暮れて差をなして禄を賜った。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(承和十五年)春正月壬午(二十一日) 天皇が仁寿殿に出御して、恒例の内宴を催した。咲いていた殿前の紅梅を詩題に入れ、宴が終了すると、差をなして禄を賜った。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

 早春内宴、聴宮妓奏柳花怨曲、応製。
(略)
舞(ま)ひは破(は)にして 緑なる朶(えだ)を飄(ひるがへ)すに同じくとも、
歓(よろこ)びは酣(たけなは)にして 銀(しろがね)の釵(かみざし)を落(おと)すことを覚(おぼ)えず
(略)
(菅家文草~岩波「日本古典文学大系72」)

 賦新煙催柳色、応製。
何(いづ)れの処の新煙(しんえん)ぞ 柳色(りうしょく)の粧(よそほ)ひ
春来(きた)りて数日 青陽(せいやう)に映(は)ゆ
(略)
花なくして舞妓(ぶぎ) 怨(うら)みを含(ふふ)まむことを欲(ほ)りす
枝有りて行人(かうじん)折りて 腸(はらわた)を断(た)つ
翠黛(すいたい) 眉を開きて 纔(わづか)に画(えが)き出(いだ)す
金糸 繭を結びて 繰り将(おく)らず
(略)
(菅家文草~岩波「日本古典文学大系72」)

昌泰元年正月廿日庚寅。内宴。題云。草樹暗迎春。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

 早春内宴、侍清涼殿同賦草樹暗迎春、応製。
東郊(とうかう) 豈(あに)敢へて煙嵐(えんらん)を占(し)むや
陽気 暗(ほのか)に侵(をか)して草木(さうもく)に覃(およ)ぶ
千里懐(おも)ひを遣(や)る 鎖(き)え尽くる雪
四山(しざん)眼(まなこ)を廻(めぐら)す 染め初(そ)むる藍(あゐ)
剪刀(せんたう) 萱(かや)出でて 礪(といし)に由(よし)なし
絲縷(しる) 柳垂りて 蚕(かひこ)を待たず
臣は迎へて楽しぶ処 春毎(はるごと)に酣(たけなは)なり
(菅家文草~岩波「日本古典文学大系72」)

(略)予(われ)昔内宴に侍りて草木共に春に逢ふといふことを賦せし詩に曰く、「庭気色(きそく)を増して晴沙(せいさ)緑なり、林容輝く(ようき)を変じて宿雪(しゅくせつ)紅なり」といへり。(略)
(本朝文粋~岩波・新日本古典文学大系)

(延喜三年正月)廿二日甲子。内宴仁寿殿。以残雪宮梅為題。
(延喜四年正月)廿日。内宴。題云、花伴玉楼人。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

(延喜十二年正月)廿一日庚子。内宴。題云。雪尽草芽生。〈萌を以て韻と為す。〉於仁寿殿被行之。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

河畔(かはん)の青袍(せいほう)愛(め)づべしといへども 小臣(せうしん)の衣の上には太(はなは)だ心なし
   (正月の叙位に漏れし年の内宴。雪尽きて草の牙(め)生ふ 菅淳茂)
 この句に依りて叙位せらる。(臨時。)
(江談抄~岩波「新日本古典文学大系32」)

(長元七年正月)廿二日癸未。於仁寿殿内宴。詩宴。題云。春至鶯花。木工寮於綾綺殿前立舞台。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

(平治元年正月)廿一日。内宴。妓女奏舞曲。如陽台之窈窕。我朝勝事在此事。信西入道奉勅。令練習其曲。
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)

  保元三年正月内宴最高の事幷びに次年内宴に主上玄象を弾じ給ふ事
 内宴は弘仁年中にはじまりたりけるが、長元より後たえておこなはれず。保元三年正月廿一日におこしおこなはるべきよし、さたありけるほどに、その日は雨ふりて、廿二日におこなはれけり。次第のことゞも、ふるきあとを尋ねておこなはれけり。法性寺殿関白にておはしましけるをはじめて、人びとおほくまゐらひたりけるに、前太政大臣は、かならず詩をたてまつるべき人にておはしけり、太政大臣は管絃の座に必候べき人にておはしけるに、座敷うちなかりければ、いかゞあるべきとかねたさたありけるに、太政大臣、大臣につくべきよし、すゝみ申されけれども、殿下ゆるし給はざりけり。つひに前太政大臣、まづまゐりて詩をたてまつる。披講はてゝいで給て後、太政大臣かはりて座につき給けり。ありがたかるべき事なり。御遊の所作人、太政大臣、左大臣拍子、内大臣笛、按察使重通琵琶、左京大夫季朝朝臣・上総介重家朝臣笙、宮内卿資賢朝臣和琴、前備後守季兼篳篥、主上御付歌あり。ありがたきためしなるべし。呂、安名尊・鳥破・蓆田・賀殿急・美作、律、伊勢海・万歳楽・青柳・五常楽・更衣、これらをぞ奏せられける。(略)
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

内宴には、平中納言殿の御息所なり。かたちも清げなり。ある中に下ラフにて、賄ひたまふ。
(うつほ物語~新編日本古典文学全集)

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