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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 冬 十二月上旬

2019年12月06日 | 日本古典文学-冬

侍従の君、師走のついたちに、梅の花開け果てぬを折りて、 
  「年のうちに下紐解くる花見れば思ほゆるかなわが恋ふる人
まづこそ思ほゆれ」などて見せたてまつりたまへど、見ぬやうにて、ものものたまはず。
(うつほ物語~新編日本古典文学全集)

 十二月朔日、まだ夜をこめて大極殿に参りぬ。西の陣に車寄せて、筵道しきてゐるベきところとてしつらひたるに、参りぬ。ほのぼのと明け離るるほどに、瓦屋どもの棟、霞みわたりてあるを見るに、昔内へ参りしに過ぎざまに見えしほどなど、思ひ出でられて、つくづくとながむるに、北の門より、長櫃に、ちはや着たるものども、蘇芳のこき、打たるくはうこくの出し衣入れて、持てつづきたる、べちにおもしろく見ゆベきことならねど、所がらにや、めでたし。(略)
 日高くなるほどに、「行幸なりぬ」とてののしりあひたり。殿ばら、里人など、玉の冠し、あるは、錦のうちかけ、近衛府など、甲とかやいふもの、着たりしこそ、見もならはず、唐上のかたかきたる障子の昼の御座に立ちたる見る心地こそ、あはれに。
 (略)御前の、いとうつくしげにしたてられて、御母屋のうちにゐさせたまひたりけるを、見まゐらするも、胸つぶれてぞおぼゆる。おほかた目も見えず、はぢがましさのみよに心憂くおぼゆれば、はかばかしく見えさせたまはず。ことはてぬれば、もとのところにすべり入りぬ。(略)
(讃岐典侍日記~新編日本古典文学全集)

 同十二月七日、元服の事あり。寝殿の西の端より、あふきの御方と一つになる。南面(みなみおもて)一間、簾(すだれ)上(あ)ぐ。二間は公卿座す。園の中納言(基成卿)・三条中納言(実継卿)・別当(資明)。装束直衣。(略)
 北面(おもて)の一間、着袴の間とす。簾を上げて西東(にしひむがし)に高灯台を立つ。これにて袴着あり。水干、裏濃き蘇芳(唐織物、萌葱、文(もん)鶴菱、松襷)の衵、紅梅の浮織物の二小袖、白織物の肌小袖(文、水干に同じ)、院の御直衣御指貫に改む。装束師重任。大納言殿結ばせ給。御前の物、銀器(ぎんき)。陪膳(はいぜん)(知雄)、役送(やくそう)の諸大夫(光衡・永衡・量衡)、又吉書を見給。(略)
 事終りて、二棟にて狩衣に改めらる(狩衣白青、指貫濃き紫、平絹(へいけん)、腹白(はらじろ)あり。濃き下の袴、裏濃き蘇芳の衵二両、綾なり。単(ひとへ)、綾萌葱、杉の衵の扇、畳紙薄様)。装束の後(のち)、着袴の間にて又御前の物あり。此度(たび)は様器(やうき)也。打敷(うちしき)、古くはよき織物と見え侍れども、略儀、浮綾(うきあや)を用ゐる。伏組(ふせくみ)、同じく白きをもてす。陪膳・訳送、先(さき)のに同じ。事果てぬれば、公卿殿上人、御酒(みき)をすゝむ。内〃の儀也。  その夜、雪いみじう降り積りぬるに、朝いと疾(と)く、別当、昨夜(よべ)の儀よろづいと由ゝしう、昔に恥ぢざる由(よし)など、様ざまに賀侍て、
  栄ふべき行末かけて白雪のふりぬる家にあとぞ重なる
返事に添へ侍ける、
  白雪のふりぬるあとも又更に花と見ゆべき末も頼もし
 まことや、将軍より馬・太刀奉らる。先例にも叶へれば、更にめでたくぞ侍。
(竹むきが記~新日本古典文学大系)

(天長五年)十二月壬子(一日) 雪が降った。天皇は紫宸殿に出御して、視告朔(こうさく)の儀を行った。儀式が終わると侍臣と宴を催した。左右近衛が東国の歌を奏し、身分に応じて綿を下賜した。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(延久三年)十二月六日。於中殿有詩宴。(題梅竹雪中鮮。)
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)

(嘉禄元年十二月)五日。暁、雪地に積む四寸許り。朝猶紛々たり。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(安貞元年十二月)九日。天快晴。沍寒殊に甚し。霜無し。今日、宜秋門院北政所御忌の日なり。老病遠路、参ずる能はず。硯の水・炉辺の楾(はんぞう)、皆氷る。寒風骨に入り、寝所を出づ能はず。北山昨今八講と云々。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)


古典の季節表現 冬 十二月二十日頃

2017年12月21日 | 日本古典文学-冬

十二月廿日比に雪のいたくふりたりしにつとめてもくのさきのかみ俊頼の君前の兵衛佐顕仲かもとにおなし歌をやりて侍し
雪ふれはふまゝく惜き庭の面をたつねぬ人そ嬉しかりける
俊頼のきみかへし
我心雪けの空にかよへともしらさりけりなあとしなけれは
あきなかのきみ
人はいさふまゝくおしき雪なれと尋てとふは嬉しき物を
(六条修理大夫集~群書類従)

御佛名のあした、地獄繪の御屏風とりわたして、宮に御覽ぜさせ奉りたまふ。いみじうゆゆしき事かぎりなし。「これ見よかし」と仰せらるれど、「更に見侍らじ」とて、ゆゆしさにうへやに隱れふしぬ。雨いたく降りて徒然なりとて、殿上人うへの御局に召して御あそびあり。道方の少納言琵琶いとめでたし。濟政の君筝の琴、行成笛、經房の中將笙の笛など、いとおもしろうひとわたり遊びて、琵琶ひきやみたるほどに、大納言殿の、「琵琶の聲はやめて物語すること遲し」といふ事を誦じ給ひしに、隱れふしたりしも起き出でて、「罪はおそろしけれど、なほ物のめでたきはえ止むまじ」とて笑はる。御聲などの勝れたるにはあらねど、折のことさらに作りいでたるやうなりしなり。
(枕草子~バージニア大学HPより)

 御四十九日までは、女御、御息所たち、みな、院に集ひたまへりつるを、過ぎぬれば、散り散りにまかでたまふ。師走の二十日なれば、おほかたの世の中とぢむる空のけしきにつけても、まして晴るる世なき、中宮の御心のうちなり。大后の御心も知りたまへれば、心にまかせたまへらむ世の、はしたなく住み憂からむを思すよりも、馴れきこえたまへる年ごろの御ありさまを、思ひ出できこえたまはぬ時の間なきに、かくてもおはしますまじう、みな他々へと出でたまふほどに、悲しきこと限りなし。
  宮は、三条の宮に渡りたまふ。御迎へに兵部卿宮参りたまへり。雪うち散り、風はげしうて、院の内、やうやう人目かれゆきて、しめやかなるに、大将殿、こなたに参りたまひて、古き御物語聞こえたまふ。御前の五葉の雪にしをれて、下葉枯れたるを見たまひて、親王、
  「蔭ひろみ頼みし松や枯れにけむ下葉散りゆく年の暮かな」
  何ばかりのことにもあらぬに、折から、ものあはれにて、大将の御袖、いたう濡れぬ。池の隙なう氷れるに、
  「さえわたる池の鏡のさやけきに見なれし影を見ぬぞ悲しき」
  と、思すままに、あまり若々しうぞあるや。王命婦、
  「年暮れて岩井の水もこほりとぢ見し人影のあせもゆくかな」
(源氏物語・賢木~バージニア大学HPより)

めづらしく、日たくるまで朝寝(あさい)し、昼つ方、大殿、内裏(うち)などに参り給はんとて、引きつくろひつつ、まかり申しに入りおはしたれば、女房は、白き御衣どもに、蘇芳の小袿着て、単衣の袖口長やかに、口覆ひつつ、所々むら消えたる庭の雪、池の汀は凍り閉ぢて、立ちゐる水鳥どもの気色を、見出し給へる御有様、いとうつくしげに、あくまで愛敬づき、をかしうぞ見え給ふ。
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)


古典の季節表現 冬 十一月中子日 大原野祭

2017年11月23日 | 日本古典文学-冬

大原野の祭にまいりて、周防内侍につかはしける 藤原伊家
千世迄も心してふけ紅葉はを神もをしほの山をろしの風
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)
大原野祭にまいりてよみ侍ける 周防内侍
木からしも心してふけしめのうちはちらぬ木すゑそ大原の山
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

《貞觀元年十一月十三日甲子》○十三日甲子。大原野神祭如常。
(日本三代實録~「増補 六国史 9」朝日新聞社、昭和15年)

(延長二年十一月)十八日、壬子、大原野祭、奉幣馬如例、
(貞信公記~東京大学史料編纂所・古記録フルテキストデータベースより)

長保元年十一月二十一日。
暁方、元■(りっしんべん+豈)朝臣の宅に移った。大原野社に奉幣を行なった〈薬助も、同じく赴いた。〉。大原野祭が行なわれた。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

寛弘三年十一月十三日、壬子。
河原に出て、奉幣を行なった。大原野祭が行なわれた。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛弘四年十一月)十三日、丙子。
大原野祭に際しての神馬使は、常と同じであった。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長和五年十一月)二十四日、甲子。
大原野祭に奉幣を行なうために、鴨川の河原に出た。使は雅楽助(うたのすけ)(藤原)頼文であった。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(仁治元年十一月)廿三日壬子。大原野祭也。於仮殿被行之。未曾有事也。他社有其例。被准拠云々。
(百錬抄~「新訂増補 国史大系 11」)


古典の季節表現 冬 十一月初卯日 相嘗祭

2017年11月22日 | 日本古典文学-冬

 十一月にもなりぬれば、斎院の相嘗(あひむべ)の程、いとゞ見捨てがたくて、御神楽の夜にもなりぬ。例の、殿上人・上達部、参り集(つど)ひて、御前の庭火、おどろおどろしく、昼よりもさやかなり。御几帳の帷(かたびら)、菊の織物どもにて、咲ける籬と見えたるに、女房の袖口ども、紅葉襲の打ちたるどもに、同じ色の二重(ふたへ)織物の表着(うはぎ)、龍胆(りんだう)の唐衣、地は薄きに、文(もん)は、いと濃く織り浮かされたるは、ほかの色にも似ず、なべてならず清らかなり。物の音(ね)ども、掻き合せ、こなたかなたの楽の音(をと)も、ほかの遊びにも似ず、篳篥(ひちりき)の、すぐれて響き出でたるは、いとおもしろし。(略)更けゆくまゝに、雪、折々うち散りて、木枯、あらあらしう吹しきりたるに、庭火、いたくまよひて吹きかけられるゝを、払ひ侘びつゝ、煙の中よりにがみ出たる主殿寮(とのもづかさ)の顔ども、いとをかしう見やられ給ふにも、
 おぼろけに消(け)つとも消えむ思ひかは煙の下にくゆりわぶとも
など、思ひ続けられ給ふにも、「今日、明日」と、それにつけても、さしも、猶安からず思(おぼ)え給。暁になりて、事果てぬるに、さるべき上達部など、受け取りて、謡ひ遊び給へる、なまめかしうをかしきに、大将殿、「明星(あかぼし)」謡ひ給へる、扇の音(おと)まで、なべておもしろきを、「神も耳とゞめ給ふらんかし」と聞ゆるに、うちうめかるゝ声ぞ、心後(をく)れたるやうなる。あくるまで遊びて、まかで給ふに、さまざまの、女房の装束・細長・小袿など、押し出でさせ給へり。
(狭衣物語~岩波・日本古典文学大系)


古典の季節表現 冬 鷹狩

2017年11月03日 | 日本古典文学-冬

題しらす  性威法師
はし鷹の木居の下草枯しよりかくれかねてや雉子鳴らん 
(新後拾遺和歌集 ~国文学研究資料館HPより)

鷹狩を 前中納言為相 
御狩野に草をもとめてたつ鳥のしはしかくるゝ雪の下柴 
 前大納言公泰
御狩するかた山陰のおち草にかくれもあへすたつきゝすかな
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

京極関白前太政大臣、高陽院歌合に 前中納言匡房 
みかり野はかつふる雪にうつもれて鳥たちもみえす草かくれつゝ 
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

堀川院の御時、百首の歌奉りける時、鷹狩をよめる 藤原仲実朝臣 
やかたおのましろの鷹を引すへてうたのとたちをかりくらしつる 
 隆源法師 
ふる雪に行ゑも見えすはしたかのおふさの鈴の音はかりして 
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

みかりするやまちにすすのおとはしてしらふのたかはゆきにまかひぬ
(夫木抄~日文研HPより)

百首歌奉し時、おなし心(鷹狩)を 権大納言忠季 
すゝの音はよそにもしるし箸鷹のしらふに雪は降まかへとも 
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

雪のいみじう降りたるに、鷹すゑたる人あり
空に立つ鳥だにみえぬ雪もよにすずろに鷹をすゑてけるかな
(和泉式部集~岩波文庫)

御狩(みかり)する片野(かたの)の御野(みの)に雪ふれば黒斑(くろふ)の鷹も白斑(しらふ)とぞみる
(承徳元年_東塔東谷歌合~日文研HPより)

鷹狩をよめる 源氏頼 
ふる雪にとたち尋て今日いくかかたのゝみのをかりくらすらん 
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

無品親王伏見に侍し比、雪の朝にとしはに雉をつけて奉るとて、「御狩せし代々のむかしに立かへれかたのゝ鳥も君を待なり」と奏し侍し御返事に 今上御製 
みかりせし代々のためしをしるへにてかたのゝ鳥の跡をたつねん 
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

(承平三年)十二月十六日。殿上侍臣十許人狩猟于大原野放鷹。狩装極美。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)