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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 冬の恋

2015年12月19日 | 日本古典文学-冬

春宮より御つかひまいりぬときき給へれは、れいの心やましうて、いそきまいりてみ給へは、はは宮もこの御かたにて、御ふみこらんす。御つかひ宮のすけなるへし。女房の袖くちともよのつねなれて、いつつ物いいなとすめり。御ふみにはこほりかさねのうすやうにて、ゆきいたくつもりて、しこみこほりたるくれたけのゑたにつけさせ給へり。(略)
 たのめつついく夜へぬらんたけのはにふるしらゆきのきえかへるまて
御すすりの水いたうこほりけりとみえて、すみかれしたるいとあてにおかしけなり、(略)
(狭衣物語~諸本集成第二巻伝為家筆本)

十二月、つとめての歌とて、男のよませし
うちはへて涙にしきし片敷きの袖の氷ぞけふはとけたる
(和泉式部集~岩波文庫)

雪のいたう降りたる暁に、人の出で行く跡あるに、つとめていひやる
留めたる心はなくていつしかと雪の上なる跡を見しかな
(和泉式部続集~岩波文庫)

男の、雪の降る日出でけるを、隠るるまで見送りてよめる うき波の藤中納言女
頼め置くほどをいつともしら雪の待たで消(け)ぬべき今日の暮れかな
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

女四のみこの常盤にまかれりけるに、はるばると見えわたれる池の面(おもて)に降り入る雪は、やがて氷に閉ぢ重なるも思ひよそへられければ 水無瀬川の新中納言
水の面にかつ氷りゆく白雪のいつまでとけぬ物を思はん
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

初冬恋と云事を 権中納言俊忠
たまさかにあふことのはもかれぬれは冬こそ恋の恨なりけれ
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

永仁五年閏十月後宇多院歌合に、冬恋 六条内大臣
水茎の岡の草ねのかり枕霜こそむすへ妹とねぬよは
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

こぬよのみとこにかさねてからころもしもさえあかすひとりねのそて
(西行・聞書集~日文研HPより)

女のもとより雪ふり侍ける日かへりてつかはしける 藤原道信朝臣
かへるさのみちやはかはるかはらねととくるにまとふ今朝の淡雪
明ぬれはくるゝものとはしりなから猶うらめしきあさほらけかな
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

内侍のかみに通ひ初めてのころ、心ならず夜がれして朝に 玉鬘の右大臣
心さへ空に乱れし雪もよにひとり冴えつる片敷きの袖
(物語二百番歌合~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

ひとり寝て恋ひあかしつる今宵しもいとど降りつむ雪のわびしさ
(天慶二年二月二十八日貫之歌合~日文研HPより)

女を親の取り込めて侍りけるに、忍びてまかりながら歎き明かして 笹分けし朝の関白
いかにせむ片敷きわぶる冬の夜の解くる間もなき袖のつららを
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

冬恋 藤原基綱
袖こほる霜夜の床のさむしろに思ひ絶てもあかす比哉
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

かたしきのそてのこほりもむすほほれとけてねぬよのゆめそみしかき
(正治二年初度百首~日文研HPより)

冬の夜の恋をよめる 藤原国房
思ひ侘かへす衣のたもとよりちるやなみたのこほりなるらん
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

冬恋 定家朝臣
床の霜枕の氷きえわひぬむすひもをかぬ人のちきりに
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

冬恋といへる事を 藤原成通朝臣
水のうへにふる白雪のあともなく消やしなまし人のつらさに
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

女の行方知らずなりて侍りける古里に、雪の降る日、ひぐらしながめて帰るとてよめる かはほりの少将
尋ぬべき方もなくてぞ帰りぬる雪ふるさとに跡も見えねば
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

忍びたる男の、しはすばかりに、こと女に定まるべしと聞きて遣はしける 露の宿りの修理大夫女
ひま漏りしことだに絶えて忘れ水氷閉ぢめむほどぞ悲しき
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

大将心変れるさまに侍りければ、ほかに移ろひ給ふに、懸樋(かけひ)の水の氷り閉ぢたりければ 葎の宿の女院
住みわびて宿の主(あるじ)もあくがれぬ懸樋の水も絶えざらめやは
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

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古典の季節表現 冬 十二月中旬

2015年12月13日 | 日本古典文学-冬

(延暦十七年十二月)乙丑(十四日) 大雪が降った。諸司で雪掃(はら)いを行い、身分に応じて綿を下賜した。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

 十二月十八日於大監物三形王之宅宴歌三首
み雪降る冬は今日のみ鴬の鳴かむ春へは明日にしあるらし
 右一首主人三形王
うち靡く春を近みかぬばたまの今夜の月夜霞みたるらむ
 右一首大蔵大輔甘南備伊香真人
あらたまの年行き返り春立たばまづ我が宿に鴬は鳴け
 右一首右中辨大伴宿祢家持
(万葉集~バージニア大学HPより)

いよのくにより十二月の十日ころに、舟にのりていそきまかりのほりけるに 式部大輔資業
いそきつゝ舟出そしつるとしの内に花のみやこの春にあふへく
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

同十二月十日法皇は五條内裏を出させ給ひて、大膳大夫成忠が宿所、六條西洞院へ御幸なる。同十三日歳末の御修法在けり。其次に叙位除目行はれて、木曾がはからひに、人々の官ども、思樣に成おきけり。平家は西國に、兵衞佐は東國に、木曾は都に張行ふ。
(平家物語~バージニア大学HPより)

(嘉禄元年十二月)十五日。夜より大風。朝、雪庭に積む。巳の時許りに陽景出づ。門の外の雪を見んと欲す。大風堪へ難し。猶予するの間、雪又消ゆ。未の時許りに浄照房来談。夜に入りて雪猶紛々たり。若し積まば、暁更に門を出づべき由、僮僕を召す。
十六日。夜半より月明に雪止む。地面猶斑(まだら)に雪積む。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

十日 己丑 将軍家、馬場殿ニ出御シタマヒ、遠笠懸ヲ覧タマフ。相州、左親衛、参候セシメ給フ
 射手 
 陸奥掃部助    北條六郎 
 城九郎      佐渡五郎左衛門尉 
 遠江次郎左衛門尉 信濃四郎左衛門尉 
 下野七郎     武田五郎 
 武藏四郎     小笠原與一
十六日 甲午 評定ノ後、御所ニ於テ、御酒宴有リ。左親衛以下数輩参候ス。是レ去ヌル十日御笠懸ノ御勝負ノ会ナリ。
(吾妻鏡【宝治元年十二月十日】【宝治元年十二月十六日】条~国文学研究資料館HPより)

十九日 己未。雪降ル地ニ積ムコト七寸 将軍家、鷹場ヲ覧タマハン為ニ、山ノ内ノ庄ニ出デシメ給フ。夜ニ入テ還御シタマフノ処ニ、知康御共ニ候ズ、而シテ亀谷ノ辺ニ於テ乗馬驚騒*沛留スルノ間(*沛艾スル)、忽チ以テ旧キ井ニ落チ入ル。然レドモ而命ヲ存フ。之ニ依テ御所ニ入御シタマフノ後、小袖二十領ヲ知康ニ賜ハル。
(吾妻鏡【建仁二年十二月十九日】条~国文学研究資料館HPより)

十九日 乙巳 雪降ル。将軍家、山家ノ景趣ヲ御覧ゼンガ為ニ、民部大夫行光ガ宅ニ入御シタマフ。此ノ次ヲ以テ、行光、杯酒ヲ献ズ。山城ノ判官行村等、群参シ、和歌管絃等ノ御遊宴有ツテ、夜ニ入テ還御シタマフ。行光、竜蹄ヲ進ズ〈黒。〉*(*ト云云)。
(吾妻鏡【建保元年十二月十九日】条~国文学研究資料館HPより)

  同元仁元年十二月十二日ノ夜、天曇リ月暗キニ、花宮殿ニ入テ坐禅ス。ヤウヤク中夜ニ至リテ出観ノ後、峰ノ房ヲ出デテ下房ヘ帰ル時、月雲間ヨリ出デテ光雪ニ輝ク。狼ノ谷ニ吠ユルモ、月ヲ友トシテイトオソロシカラズ。下房ニ入テ後又立チ出デタレバ、月又曇リニケリ。カクシツヽ後夜ノ鐘ノ音聞ユレバ、又峰ノ房ヘノボルニ、月モ又雲ヨリ出デテ道ヲ送ル。峰ニ至リテ禅堂ニ入ラムトスル時、月又雲ヲ追ヒ来テ向ノ峰ニ隠レナムトスルヨソホヒ、人知レズ月ノ我ニトモナフカト見ユレバ、二首
雲ヲ出デテ我ニトモナフ冬ノ月風ヤ身ニシム雪ヤツメタキ
  山ノ端ニ傾クヲ見オキテ、峰ノ禅堂ニ至ル時
山ノ端ニ我モ入リナム月モ入レヨナヨナゴトニマタ友トセム
(明恵上人歌集~明治書院・和歌文学大系)

冬残月
春ちかき廿日の月の望の夜になかはは消えて氷のこれる
(草根集~日文研HPより)

 師走のもちごろ、月いとあかきに、物語しけるを、人見て、「誰ぞ。あな、すさまじ。師走の月夜ともあるかな」と言ひければ、
  春を待つ冬のかぎりと思ふにはかの月しもぞあはれなりける
返し、(略)
(篁物語~岩波・旧日本古典文学大系77)

はての月の十六日ばかりなり。しばしありて、にはかにかい曇りて雨になりぬ。倒(たふ)るゝかたならんかしと思ひ出でてながむるに、暮れゆくけしきなり。いといたく降れば障(さは)らむにもことわりなれば、昔はと許おぼゆるに、涙の浮かびてあはれにもののおぼゆれば、念じがたくて人いだし立つ。
 かなしくもおもひ絶ゆるか石上(いそのかみ)さはらぬものとならひしものを
と書きて、いまぞ行くらんと思ふほどに南面の格子も上げぬ外(と)に、人の気(け)おぼゆ。人はえ知らず、われのみぞあやしとおぼゆるに、妻戸おしあけてふとはひ入りたり。いみじき雨のさかりなれば、音もえ聞こえぬなりけり。今ぞ「御車とくさし入れよ」などのゝしるも聞こゆる。「年月の勘事(かうじ)なりとも、今日のまゐりには許されなんとぞおぼゆるかし。なほ明日はあなたふたがる、あさてよりは物忌などすべかめれば」など、いと言(こと)よし。やりつる人は違(ちが)ひぬらんと思ふに、いとめやすし。夜(よ)のまに雨やみにためれば「さらば暮に」などて、帰りぬ。
 方(かた)ふたがりたれば、むべもなく、待つに見えずなりぬ。
(蜻蛉日記~岩波文庫)

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古典の季節表現 冬 氷

2015年12月05日 | 日本古典文学-冬

題しらす 近衛院御歌
このねぬる夜のまの風やさえぬらん筧の水のけさはこほれる
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

わかいほのたけのかけひのよのほとにこほりそめてやおとつれもせぬ
(亀山殿七百首~日文研HPより)

たいしらす 宗久法師
今朝みれは竹のかけひを行水のあまるしつくそかつこほりぬる
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

一品聡子内親王仁和寺に住侍りける冬比、かけひのこほりを三のみこのもとにをくられて侍けれは、つかはしける 輔仁のみこ
山さとのかけひの水のこほれるはをと聞よりもさひしかりけり
返し 聡子内親王
山さとのさひしき宿の栖にもかけひの水のとくるをそまつ
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

よをのかれてくらまのおくに侍りけるに、かけひこほりて水まうてこさりけり、はるになるまてかく侍るなりと申しけるをききてよめる
わりなしやこほるかけひの水ゆゑにおもひすててしはるのまたるる
(山家集~日文研HPより)

やまさとのかけひのみつもおとたえぬたにのをかはやいまこほるらむ
(永享百首~日文研HPより)

山河のおのか氷にせかれつつかけひの水の末そもりこぬ
(宝治百首~日文研HPより)

たにかはのいはうつおとのたえぬるはむすふつららやなみのしからみ
(明日香井集~日文研HPより)

こほり
声さへもたえにけるかな水上の滝の糸すぢとどこほりつゝ
(大弐三位集~岩波文庫「紫式部集」)

百首歌奉りし時、氷 前中納言実遠
落滝つくたくる波は岩こえてゆくせにこほる山河の水
(新後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

氷を 関白前左大臣
はやきせにめくるみなはのうきなからこほりてとまる山河の水
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

百首の歌めしける時、氷の歌とてよませ給ふける 崇徳院御製
つらゝゐてみかける影の見ゆるかなまことに今や玉川の水
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

氷をよみ侍ける 権大納言顕朝
冬くれはすさの入江のこもりぬも風さむからしつらゝゐにけり
(続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

風さえてよすればやがてこほりつゝかへる波なき志賀の唐崎
(山家和歌集~バージニア大学HPより)

正治百首歌奉りける時、氷を 源具親朝臣
霜はらふ真柴の嵐音さえて野守の鏡つらゝゐにけり
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

かものゐるいはねのいけのうすつららむらむらなれやとけみとけすみ
(頼政集~日文研HPより)

石間薄氷
冬はまた石まの水のうは氷あはに結ふをとく日かけかな
(草根集~日文研HPより)

題しらす 好忠
高瀬さす淀の汀のうすこほりしたにそ歎く常ならぬ世を
(続後撰遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

冬歌の中に 前大僧正忠源
うす氷あやうき身とは思へともふみ見て世をもわたりけるかな
(新後撰遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

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古典の季節表現 冬 十一月下旬

2015年11月30日 | 日本古典文学-冬

十一月廿八日左大臣集於兵部卿橘奈良麻呂朝臣宅宴歌一首
高山の巌に生ふる菅の根のねもころごろに降り置く白雪
 右一首左大臣作
(万葉集~バージニア大学HPより)

 しも月廿三夜ふけ行けしき松のあらしとしほのみつにこゝろすこくて
月まつとおほえす更る冬のよのしほにことふるうらの松影
(源孝範集~群書類従15)

正応二年十一月廿八日、賀茂臨時祭の還立またせ給程、上達部殿上人あまたさふらひて夜もすから御歌合なと有ける朝ほらけ、雪さへふりていとおもしろく侍けるを、おなし五年のおなし月日、臨時祭にて雪ふりて侍けれは、おほしめしいつる事ありて、御硯のふたに雪を入て、浄妙寺関白其比こもりゐて侍けるにつかはさせ給ける 伏見院御歌 
めくりあふおなし月日は思ひいつや四とせふりにし雪の明ほの 
御返し 浄妙寺関白前右大臣 
つもれともつかへしまゝのこゝろのみふりてもふりぬ雪の明ほの 
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

 宝治二年十一月二十日頃、紅葉御覧じがてら、宇治に御幸し給ふ。をかのや殿の摂政の御程なり 上達部、殿上人、思ひ思ひ色々の狩衣、菊紅葉のこきうすき、縫物、織物あやにしき、かねてより世の営みなり。二十一日の朝ぼらけに出でさせ給ふ。御烏帽子直衣、薄色の浮織物の御指貫、網代庇の御車に奉る。まづ殿上人、下臈より前行す。中将為氏、浮線綾の狩衣、右馬頭房名、基具、菊のから織物、内蔵頭隆行、顕方、白菊の狩衣、皇后宮の権の亮通世、右中弁時継、薄青のかた織物、紫の衣、前の兵衛の佐朝経、赤色の狩衣、衛門の佐親継、二藍の狩衣、成俊、ひはだ、具氏、左兵衛の佐親朝は、結び狩衣に、菊をおきものにして、紫すそごの指貫、菊を縫ひたり。上達部は、堀川の大納言具実直衣、皇后宮の大夫隆親直衣、花山院の大納言定雅、権大納言実雄、花田の織物の狩衣、から野の衣、土御門の大納言顕定 左衛門の督実藤 うすあを、衛門の督通成 かれ野の織物の狩衣、別当定嗣直衣、雑色に野剣を持たせたり。皇后宮の権の大夫師家 萌黄綾の狩衣、浮織物の指貫、紅の衣、土御門の宰相の中将雅家 香の織物の狩衣、御随身、居飼、御厩舎人まで、いかにせんと、色々を尽す。院の御車のうしろに、権大納言公相 緋紺の狩衣、紅の衣、白きひとへにて、えもいはぬ様して仕うまつり給ふ。検非違使北面などまで、思ひ思ひに、いかで珍らしき様にと好みたるは、ゆゆしき見物にぞ侍りし。衛府の上達部は、狩衣の随身に、弓、胡〓を持たせたり。人だまひ二輛、一の車に、色々の紅葉を、濃く薄く、いかなる龍田姫か、かかる色を染め出でけんと珍らかなり。二の車は、菊を出だされたるも、なべての色ならんやは。その外、院の御乳母大納言の二位殿、いとよそほしげにて、諸大夫、侍、清げなる召し具して参り給ふ。宰相の三位殿と聞ゆるは、かの若宮の御母、兵衛の内侍殿といひし、この頃は三位し給へり。今一きはめでたくゆゆしげにて、北面の下臈三人、諸大夫二人心ことにひきつくろひたる様なり。建久に後鳥羽院宇治の御幸の時、修明門院、そのころ、二条の君とて、参り給へりし例を、まねばるるとぞ聞えける。また大納言の典侍とは、藤大納言為家のむすめ、そも別にひきさがりて、いたく用意ことにて参らる。宇治川の東の岸に、御舟まうけられたれば、御車より奉り移る程、夕つかたになりぬ。御船さし、色々の狩襖にて、八人づつ、様々なり。基具の中将、院の御はかせもたる、顕朝御〓参らす。平等院の釣殿に、御船寄せておりさせ給ふ。本堂にて御誦経あり。御導師まかでて後、阿弥陀堂、御経蔵、懺法堂まで、ことごとく御覧じわたす。川の左右の岸に、篝しろくたかせて、鵜飼どもめす。院の御前よりはじめて、御台ども参る。しろがねの錦のうちしきなど、いと清らにまうけられたり。陪膳権大納言公相、役送は殿上人なり。上達部には御台四本、殿上人には二つなり。女房の中にも、色々様々の風流のくだもの、衝重など、由ある様に、なまめかしうしなして、もて続きたる、こまかにうつくし。院の上、梅壺の放出に入らせ給ふ。摂政殿、左の大臣、皆御供に候ひ給ふ。
 又の日の暮つかた、又御船にて、槙の島、梅の島、橘の小島など御覧ぜらる。御遊び始まる。船の内に楽器ども設けられたれば、吹きたてたるものの音世に知らず、所がらは、まして面白う聞ゆるに、水の底にも耳とむるものやと、そぞろ寒き程なり。かの優婆塞の宮の、「へだてて見ゆる」と宣ひけん、「をちのしら浪」も、艶なる音を添へたるは、万折からにや。
(増鏡~和田英松「校註 増鏡 改訂版」)

今年三位入道はこゝのそぢよはひになんみち侍此道にかばかりたくみなる人のいまにより残れる事きし方行末ありがたかめるをこぞの比までは御会のたびにつよづよしげにてまいられしが今年となりてはすこしのみじろぎまなばずとてかきたえまいられずそれにつけても此よのめいぼくをきはめはてさせんとおぼしめしてかの光孝天皇の御時はなの山の僧正仁壽殿にめして賀をたまはれるを例として和歌所にして賀を給べき仰を下さる霜月の廿日あまり三日とさだめられてまづ屏風の歌とてめされ侍り
(略)
(源家永日記~続続群書類従15)

建仁三年、和歌所にて、釈阿に九十賀給はせける時よませ給ける 後鳥羽院御製
百年の近つく杖の代ゝの跡にこえてもみゆる老の坂かな
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
建仁三年、和歌所にて釈阿に九十賀給はせける時、銀の杖の竹の葉にかき付へき歌めされけるに 大蔵卿有家
百とせのちかつく坂につき初て今行末もかゝれとそ思ふ
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
和歌所にて、皇太后宮大夫俊成に九十賀給はせける時 後京極摂政前太政大臣
百年に十とせをよはぬ苔の袖けふの心やつゝみかねぬる
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)
建仁三年十一月、和歌所にて九十賀給はりける時つかうまつりける 皇太后宮大夫俊成
百とせにちかつく人そおほからん万代ふへき君か御代には
 正三位経家
和歌のうらによる年なみをかそへしる御代そうれしき老らくのため
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
建仁三年十一月、和歌所にて尺阿九十賀たまはせける時よみ侍ける 前中納言定家
君にけふ十とせの数をゆつり置て九かへりの万代やへん
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

 同(おなじき)三年十一月卅日、院にて舎利講をおこなはれけり。人びとまゐりて後、信西をもて平調・盤渉調の間、さだめ申べきよし仰られければ、内府は、この道にふかゝらずとて、さだめ申されず。左大将雅定・中御門大納言宗輔ぞ平調よろしかるべしと申されける。侍従中納言成通は、盤渉調たるべきよし申されけるとかや。平調たるべきよし、勅定ありけり。内大臣・左大将笙、侍従中納言・左衛門督笛、季行朝臣篳篥、事はてゝ読経ありけり。大納言伊通卿朗詠せられけり。右衛門督公教・季兼朝臣今様をうたふ。次壱(壹)越調・又盤渉調曲などもありけり。左大将、多近方に命じて、国風(くにぶり)をうたはせられけり。さても今度曼歳楽三反ありけるに、その第三反に、雅楽大夫清延、猶半帖を用(もちゐ)たりける、人あやしみとしけり。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

(延暦十一年十一月)乙亥(二十四日) 雪が降った。勤務についている近衛府の官人以下の者に、身分に応じて物を下賜した。
丙子(二十五日) 大雪となり、輿(こし)を担ぐことを任とする駕輿丁(かよちょう)以上の者に、身分に応じて綿を下賜した。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(天長二年十一月)丙申(二十八日) 嵯峨太上天皇の四十の御齢(おとし)を祝賀した。祝宴は、太陽が西に傾くと、燭(しょく)を点(とも)して続行した。雅楽寮(うたりょう)が音楽を奏し、中納言正三位良岑朝臣安世が冷然院正殿の南階(みなみのきざはし)から降りて舞い、群臣もまた連れだって舞った。日暮れになると雪が降りだし、そのなかを妓女が舞器(ぶき)をもって舞った。夜になって終わり、身分に応じて禄を下賜した。詔りがあり、解由を得ていない四、五位の者たちにも禄を賜わった。また参議以上の者には冷然院の御被(みふすま)を賜わった。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長和元年十一月)廿五日戊午。(略)左大臣第詩宴。題云。依酔忘天寒。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

(寛元元年十一月)二十七日、丁丑。
内裏に参った。(略)また天皇の召しが有って御前に参った。作文を行なった。題は、「雪は是れ遠山(えんざん)の花」であった。右衛門督・中宮権大夫・勘解由長官・左大弁(藤原忠輔)・右大弁が伺候した。丑剋に作文会が終わった。すぐに退出した。内御所所(うちのごしょどころ)でも、作文会があった。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

二十一日 乙巳。雪降ル、 幕府ノ南面ニ於テ、和歌ノ御会有リ。重胤、朝盛等、祗候スト〈云云〉。
(吾妻鏡【承元四年十一月二十一日】条~国文学研究資料館HPより)

三十日。甲戌。霽。今朝初メテ雪降ル。 
(吾妻鏡【貞応元年十一月三十日】条~国文学研究資料館HPより)

二十九日 乙亥 早旦ニ、雪聊カ降ル。庭上偏ニ霜色ニ似タリ、将軍家、林頭ヲ覧タマハン為ニ、永福寺ニ渡御シ御フ。水干、御騎馬ナリ。武州、去ヌル夜ヨリ未ダ退出シ給ハズ、即チ扈従ス。式部ノ大夫、陸奥ノ五郎、加賀ノ守康俊、大夫判官基綱、左衛門尉定員、都筑ノ九郎経景、中務ノ丞胤行、波多野ノ次郎朝定已下、和歌ニ携ハルノ輩ヲ撰ビ召キテ、御共トス。寺ノ門ノ辺ニ於テ、卿ノ僧正快雅参会シ釣殿ニ入御シ、和歌ノ御会有リ。但シ雪気、雨脚ニ変ズルノ間、余興未ダ尽キズ還御。而シテ路次ニ於テ、基綱申シテ云ク、雪雨ノ為ニ全キコト無シト〈云云〉。武州、之ヲ聞カシメ給ヒ、仰セラレテ云ク
  アメノ下ニフレバゾ雪ノ色モミル
  三笠ノ山ヲタノムカゲトテ    基綱
今日六波羅ニ、成敗ノ法、十六箇条、之ヲ仰セ下サルト〈云云〉。
(吾妻鏡【貞永元年十一月二十九日】条~国文学研究資料館HPより)

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季節表現 十一月

2015年11月17日 | 日本古典文学-冬

十一月(じふいちぐわつ)
 青碧(せいへき)澄明(ちようめい)の天(てん)、雲端(うんたん)に古城(こじやう)あり、天守(てんしゆ)聳立(そばだ)てり。濠(ほり)の水(みづ)、菱(ひし)黒(くろ)く、石垣(いしがき)に蔦(つた)、紅(くれなゐ)を流(なが)す。木(こ)の葉(は)落(お)ち落(お)ちて森(もり)寂(しづか)に、風(かぜ)留(や)むで肅殺(しゆくさつ)の氣(き)の充(み)つる處(ところ)、枝(えだ)は朱槍(しゆさう)を横(よこた)へ、薄(すゝき)は白劍(はくけん)を伏(ふ)せ、徑(こみち)は漆弓(しつきう)を潛(ひそ)め、霜(しも)は鏃(やじり)を研(と)ぐ。峻峰(しゆんぽう)皆(みな)將軍(しやうぐん)、磊嚴(らいがん)盡(ことごと)く貔貅(ひきう)たり。然(しか)りとは雖(いへど)も、雁金(かりがね)の可懷(なつかしき)を射(い)ず、牡鹿(さをしか)の可哀(あはれ)を刺(さ)さず。兜(かぶと)は愛憐(あいれん)を籠(こ)め、鎧(よろひ)は情懷(じやうくわい)を抱(いだ)く。明星(みやうじやう)と、太白星(ゆふつゞ)と、すなはち其(そ)の意氣(いき)を照(て)らす時(とき)、何事(なにごと)ぞ、徒(いたづら)に銃聲(じうせい)あり。拙(つたな)き哉(かな)、驕奢(けうしや)の獵(れふ)、一鳥(いつてう)高(たか)く逸(いつ)して、谺(こだま)笑(わら)ふこと三度(みたび)。
(泉鏡花「月令十二態」~青空文庫より)

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