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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 冬 十二月 内侍所の御神楽

2016年12月13日 | 日本古典文学-冬

文治六年女御入内の屏風に、十二月内侍所御神楽所 皇太后宮大夫俊成
ことはりや天の岩戸もあけぬらん雲ゐの庭のあさくらのこゑ
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

十五日、内侍所御(み)神樂、雪宮中(みやのうち)におびたゞしく降りたるに、和琴に、冷泉侍從よりなり、本(もと)拍子、二條中將すけかた、末(すゑの)拍子、綾小路少將信有、篳篥、山本中將かね行、笛、伯新少將やすなか。月は更け行くまゝに冴えたるに、日數へて降り積みたる雪に、かつ降りそふ景色、池の中島、松の梢、木々の梢かゞやきたるも、庭火のかげに、束帶のきが上に降りかゝる雪は、うちはらふも折から殊にすみ、神さびたる景色かぎりなし。雪おびたゞしく、所作の人堪ゆべくもなければ、はしをとりて、中門の下にてあり。
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)

となりに、庭火の笛音(おと)するにも、としどし内侍所の御神楽に、維盛の少将、泰通の中将などのおもしろかりし音(ね)どもまづ思ひいでらる。
きくからにいとゞ昔のこひしくて庭火の笛のねにぞなくなる
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

後山本左大臣参議に侍ける比、内侍所御神楽の夜はしめて物申て、又いつかはと申けれは、此たひの御神楽に琴の音をしるへにとたのめけるに、まいりてかくとはしられすなから、物にかきて石の帯にむすひつけ侍ける 平親清女妹
かひなしや庭火の影にみし人のわすれぬ事のしるへはかりは 
(新続古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

(建久元年十二月)五日。院に参ず。基宗・隆雅・顕兼朝臣等と談話。内侍所御神楽、此の両人所作(基、拍子。隆、和琴)。本拍子顕家・笛公頼・篳篥資能と云々。公佐拍子懇望すと雖も、許さずと云々。
九日。己丑。天晴る。束帯を著け、駄に乗りて参ず。内侍所御神楽なり。暫くありて、殿下・大将殿参ぜしめ給ふ。人長(ひとのをさ)遅参する間、深更に及ぶ。宰相中将為綱、直衣を著して参ぜらる。閑所に於て、暫く談話す。子の時に及びて事初めむ。女房等簾中に入る。親眤の公卿少々なり。忠季此の中にあり。出でおはします無きに依るなり。次で殿上人著座。頭中将・隆信朝臣・成定朝臣・顕兼朝臣・予・家綱・親長・能資等著座す。召し人、次第に著座す。顕家本、基宗末、隆雅琴、公頼笛、忠行篳篥、定忠無能。召し人、著座して了んぬ。隆信・成定・勧盃。人長、此の間に著座す。度々催さる。次で顕兼・予、勧盃。其の儀、恒の如し。末座の勧盃、座末を経。殿上召し人の後ろより著座し、之を徹す。履を脱がず尻を曳く。暫く座に還りて座し、程無く起ち了んぬ。閑所に睡眠するの間、早歌を聞く。又指し出でて、禄を取るの後、退出す。韓神勧盃、家綱・親長と云々。今夕、御神楽尋常の由。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(承元元年十二月)十四日。天晴る。内侍所神楽と云々。国通・隆仲(拍子)、経通(笛)、篳(忠行)、和琴(隆雅卿子大夫昇殿)。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

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古典の季節表現 冬 十二月

2015年12月30日 | 日本古典文学-冬

十二月
心せはしき此(この)大晦日 やのさいそくに掛(かけ)とりが 弓のちやうちん 手に持(もち)て ぐるりぐるりとまはりくる あとにつゞいて やくはらい おやくはらいと 掛取(かけとり)と 行(ゆき)ちがふたる 大晦日 おやくはらいは よけれども はやくはらいに こまります
(とっちりとん「十二ヶ月」~岩波文庫「江戸端唄集」)

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古典の季節表現 冬 十二月下旬

2015年12月28日 | 日本古典文学-冬

ありつるながらなほ見出だし給へるに、雪さへ降る。(略)鵲(かささぎ)もまことに寒げに首(くび)引き入れて、洲崎(すざき)はここにも見えねばにや、波寄せかくる岩の上にぞゐたる。暮れ果ててむかひの山の峰には、星の光すさまじげに輝きながら、雪はなほ降る。風吹き迷ひ、松風木(こ)深く響きて、この軒(のき)へ吹き下(お)ろす。山颪(やまおろし)のはしたなきに、雪も散り来て屏(びやう)に当たる。
 師走の二十日あまりなれば月もなし。(略)
(恋路ゆかしき大将~「中世王朝物語全集8」笠間書院)

十二月廿五日、宮の御仏名にめしあれば、その夜ばかりと思てまいりぬ。しろききぬどもに、こきかいねりをみなきて、四十余人ばかりいでゐたり。しるべしいでし人のかげにかくれて、あるが中にうちほのめいて、あか月にはまかづ。ゆきうちちりつゝ、いみじくはげしくさえこほるあかつきがたの月の、ほのかにこきかいねりのそでにうつれるも、げにぬるゝかほなり。みちすがら、
 年はくれ夜はあけがたの月かげのそでにうつれるほどぞはかなき
(更級日記~バージニア大学HPより)

 さて仏名果てぬれば公卿、殿上人、御上臥とて局(つぼね)の番に泊り給ふ。頭の中将は折節、内侍が局の番にて、夜の御衾召し寄せて内侍が局に泊り給ふ。侍従、姫君、御簾を隔てて中将殿と枕合せに寝給ふ。有明の月影やうやう山の端に傾きて、夜もすがら降る白雪、更け行まゝに冴えまさり、心澄みて面白かりければ、中将腰より横笛(やうでう)取り出し、盤渉調に音取りして、朗詠をぞし給へる。
  暁、梁王の苑に入れば、雪群山に満つ。夜、庾公が楼に登れば、月千里に明らかなり
とニ三遍し給ひて、優しく恨み声なる嘯(せう)をぞ遊ばしける。雲の上まで澄み上り面白くぞ覚ゆる。
 御門夜もすがら聞こしめして、ほのぼのと明けければ、清涼殿の組入の小廂のもとに御門立たせ給ひて「さねあきら」と召さるれば、御簾の際をも起き別れ清涼殿へ参らるゝ。姫君の御心の内の悲しさは譬へん方ぞなかりけり。さらぬだにも冬の夜の曙の空ははかなきに、夜もすがら雪降り積もりて皆白妙に見ゆるに、(略)
(しぐれ~岩波・新日本古典文学大系55 室町物語集 下)

よの人は、すさましき物にいいふるしたるしはすの月も、みる人からにすみわたりて、雪すこしふりたるそらのけしきのさへわたりたるは、いいしらす心ほそけなるに、さよ千鳥さへつまよひわたるに、(略)この宮におはしたれは、みかとなとしたふむる人もなきにやと、見わたし給ふに、ときわかぬみ山きも物こくらく物ふりたるにたつねよるにや、ものあらしもほかよりは物あはれけにふきまよひて、雪かきくらしふりつもるにはのおもは、人めも草もかれはてて、おなし宮この中ともみへす、心ほそさもあまるに、(略)
けんしの宮の御かたにも、つねよりもとくおきたるけわひして、ふりつもりたるゆき見るなるへし。そなたの、わたとのよりみ給へは、わかきさふらひとも、五六人はかりしてゆきまろはしするをみるとて、とのいすかたなるわらはへなとのいてたるあまたねくたれのかたちともいるれともなくとりとりにおかしけにて、ふままくをしき物かなといへは、みすのうちなる人人もこほれいてて、おなしくは、ふしの山にこそつくらめといゑは、こしのしら山こそあむめれといふめり。御まへにはおきさせ給てやとゆかしけれは、すみのまのしやうしのほそめなるより、やおらみ給へは、もやのきはなる御丁とももみなおしやられて、そのはしらのつらにけうそくにをしかかりてみいたさせ給へり。
(狭衣物語~諸本集成第二巻伝為家筆本)

さて、冬枯のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀の草に紅葉の散りとゞまりて、霜いと白うおける朝、遣水より烟のたつこそをかしけれ。年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへる比ぞ、又なくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の、寒けく澄める廿日あまりの空こそ、心ぼそきものなれ。御佛名、荷前の使たつなどぞ、あはれにやんごとなき。公事ども繁く、春のいそぎにとり重ねて、もよほし行はるゝさまぞいみじきや。追儺より四方拜につゞくこそ面白けれ。つごもりの夜、いたう暗きに、松どもともして、夜半すぐるまで人の門たゝき走りありきて、何事にかあらん、ことごとしくのゝしりて、足をそらにまどふが、曉がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名殘も心細けれ。なき人のくる夜とて魂まつるわざは、此の比都にはなきを、あづまのかたにはなほする事にてありしこそ、あはれなりしか。
(徒然草~バージニア大学HPより)

ゆきつもるのはらにうつむあしかきのひとよのほとのはるそまちかき
(夫木抄~日文研HPより)

雪のふるをみてよめる 紀貫之
春ちかくなりゆくまゝにおほそらははなをかねてそ雪はふりける
(金葉和歌集(初度本にありて底本になき歌)~国文学研究資料館HPより)

 十二月つごもりがたに、身の憂きを嘆きて
雪だにも花と咲くべきみにもあらでなにをたよりと春を待つらん
(貫之集~「貫之集全釈」風間書房)

かたをかのまつきるしつかをののおとにとしくれはつるかきりをそしる 
やまさとのとしのくれこそあはれなれひとのたてたるかとのまつかは
(宗良親王千首~日文研HPより)

禪師の君久しく痢病をわづらひたまひて今は頼み少し と聞き驚きまゐらせて、しはすの二十日あまり五日の日鹽ねり坂を凌ぎてまうでしを、いといたう喜び給ひて此の雪にはいかでとのたまひしかば「さす竹の君を思ふと海士のつむ鹽ねり坂の雪ふみて來つ」御返し
心なきものにもあるか白雪は君が來る日に降るべきものか
(良寛歌集~バージニア大学HPより)

 今年は深鎩(ふかそぎ)あるべきを、永福門院に聞ゆべうやなど思ふ程に、年の内に御覧ずべき由(よし)侍れば、わざともさるべきにて、十二月廿八日に北山におはします。二位殿、具し聞え給。女房もあまた参る。紅梅の二衵(唐織物、青き単)、三小袖(白に唐織物)。(略)
(竹むきが記~新日本古典文学大系)

 その年の暮に、御方違の御幸(かう)あり。女院の御方へ内〃成らせ給ふ儀なれど、設けの事どもは本所の沙汰也。主(あるじ)も参り給。萌葱の水干(唐織物)。次の日、南庭の方御覧侍に、無量光院の垂氷(たるひ)、玉を連ねたる心地して、いと珍かなればにや、取らせさせ給て。硯の蓋召して、氷襲の薄様を敷きて出だす。寝殿の西の間、御簾上げられて御酒(みき)あり。透(すき)渡殿通りなる松の大枝、雪に折れにしかば、切口なるを、「などかくはなりぬるにか」とのたまはすれば、取りあへずありし様を申給へるを、「亭主いみじく答へ聞えたる」と、いみじう興ぜさせ給ふさまも、をかしう聞ゆ。(略)
(竹むきが記~新日本古典文学大系)

(長和五年十二月)二十一日、辛卯。
夜に入って、内裏に参った。勧学院の衆の歩みがあった。饗禄(きょうろく)を下賜したことは、常と同じであった。これは摂政の慶賀のためである。日を定めなかったので、今に延期していた。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

二十三日 己巳。晴 重胤相州ニ参ジ、御気色ヲ蒙ル事、愁歎休シ難キノ由ヲ申ス。相州仰セラレテ云ク、是非ハ始終ノ事ナル哉。凡ソ此ノ如ノ殃ニ逢フハ、官仕ノ習ヒナリ。但シ詠歌ヲ献ゼハ、定メテ快然タランカト〈云云〉。仍テ当座ニ於テ筆ヲ染メ、一首ヲ詠ゼシメラル、相州之ヲ感ジ、相ヒ伴ツテ御所ニ参リ給フ、重胤ハ、門外ニ徘徊ス。時ニ将軍家、折節南面ニ出御シタマフ。相州、彼ノ歌ヲ御前ニ披キ置カレ、重胤愁緒ノ余リニ、乃チ述懐ノ事ノ体、不便ノ由、之ヲ申サル。将軍家、御詠吟両三反ニ及ンデ、即チ御前ニ召シ片土ノ冬ノ気、枯野ノ眺望、鷹狩、雪後朝等ノ事、尋ネ仰セラル。数剋ノ後、相州退出シ給フ、重胤庭上ニ送リ奉リ、手ヲ合セ賢慮ニ依テ、免許ヲ預カリ、忽チ沈淪ノ恨ミヲ散ズ、子葉孫枝、永ク門下ニ候ズベキノ由、之ヲ申スト〈云云〉。 
(吾妻鏡【建永二年十二月二十三日】条~国文学研究資料館HPより)

二十五日 戊辰。晴、 夜ニ入テ、将軍家、御方違トシテ、永福寺ノ内ノ僧坊ニ渡御シタマフ。*公民(*公氏)、御剣ヲ役ス。相模ノ式部大夫、結城左衛門ノ尉朝光、山城ノ判官次郎基行等、御共ニ候ズ。御騎馬。李部已下ハ、歩儀ナリ。縡密密ノ間、参会人無シ。彼ノ僧坊ニ於テ、*九枝ヲ挑ゲテ(*行村ノ許ヨリ獣形一合、桃九枝ヲ召サル。)、終夜*歌ノ御会有リ(*続歌)。
二十六日 己巳。晴 未明ニ、還御。而シテ御衣二領ヲ彼ノ僧坊ニ残シ置カレ、剰ヘ一首ノ*御詠ヲ副ヘラル(*御詠歌)。凡ソ此ノ御時、事ニ於テ御芳情ヲ尽サルト〈云云〉。
 春待チテ霞ノ袖ニカサネヨト霜ノ衣ヲ置キテコソユケ
(吾妻鏡【建保五年十二月二十五日、二十六日】条~国文学研究資料館HPより)

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古典の季節表現 冬 十二月 待春/春を待つ

2015年12月27日 | 日本古典文学-冬

このまよりかせにまかせてふるゆきをはるくるまてははなかとそみる
(貫之集~日文研HPより)

やまかけのたるひのしたにすむやとはうららにてらむはるをしそおもふ
ふるゆきになくさむへきをいととしくはなとみてしもはるそこひしき
(林葉集~日文研HPより)

依花待春といふこゝろを 内大臣
なにとなく年のくるゝはおしけれと花のゆかりに春をまつ哉
(金葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

冷泉院御時御屏風に かねもり
ひとしれす春をこそまてはらふへき人なき宿にふれる白雪
(拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

しもがれのすすきにまじるたまざさのあをばながらに春をまつかな
(193・逸名歌集-穂久邇文庫~新編国歌大観10)

そまかはのこほりによとむいかたしやいはまのゆきにはるをまつらむ
(千五百番歌合~日文研HPより)

としの暮に琴をかきならして、空も春めきぬるにやと侍けれは 選子内親王家宰相
ことのねを春のしらへと引からにかすみてみゆる空めなるらん
(新勅撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

はるちかきかきねのうめはにほへともかすみへたてぬふゆのよのつき
(壬二集~日文研HPより)

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季節表現 十二月

2015年12月25日 | 日本古典文学-冬

 大根(だいこん)の時雨(しぐれ)、干菜(ほしな)の風(かぜ)、鳶(とび)も烏(からす)も忙(せは)しき空(そら)を、行(ゆ)く雲(くも)のまゝに見(み)つゝ行(ゆ)けば、霜林(さうりん)一寺(いちじ)を抱(いだ)きて峯(みね)靜(しづか)に立(た)てるあり。鐘(かね)あれども撞(つ)かず、經(きやう)あれども僧(そう)なく、柴(しば)あれども人(ひと)を見(み)ず、師走(しはす)の市(まち)へ走(はし)りけむ。聲(こゑ)あるはひとり筧(かけひ)にして、巖(いは)を刻(きざ)み、石(いし)を削(けづ)りて、冷(つめた)き枝(えだ)の影(かげ)に光(ひか)る。誰(た)がための白(しろ)き珊瑚(さんご)ぞ。あの山(やま)越(こ)えて、谷(たに)越(こ)えて、春(はる)の來(きた)る階(きざはし)なるべし。されば水筋(みづすぢ)の緩(ゆる)むあたり、水仙(すゐせん)の葉(は)寒(さむ)く、花(はな)暖(あたゝか)に薫(かを)りしか。刈(かり)あとの粟畑(あはばたけ)に山鳥(やまどり)の姿(すがた)あらはに、引棄(ひきす)てし豆(まめ)の殼(から)さらさらと鳴(な)るを見(み)れば、一抹(いちまつ)の紅塵(こうぢん)、手鞠(てまり)に似(に)て、輕(かろ)く巷(ちまた)の上(うへ)に飛(と)べり。
(泉鏡花「月令十二態」~青空文庫より)

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