monoろぐ

古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

大手拓次「薔薇の散策」

2019年08月02日 | 読書日記

薔薇の散策


こゑはこゑをよんで、とほくをつなぎ、香芬のまぶたに羽ばたく過去を塗り、青く吹雪する想ひの麗貌を象(かたど)る。
舟はしきりにも噴水(ふんすゐ)して、ゆれて、空(そら)に微笑をうゑる。みえざる月の胎児よ。時のうつろひのおもてに 鏡を供へよう。


地上のかげをふかめて、昏昏とねむる薔薇の唇。


白熱の俎上にをどる薔薇、薔薇、薔薇。


しろくなよなよとひらく あけがた色の勤行(ごんぎやう)の薔薇の花。


刺(とげ)をかさね、刺(とげ)をかさね、いよいよに にほひをそだてる薔薇の花。


翅(つばさ)のおとを聴かんとして 水鏡(みづかがみ)する 喪心(さうしん)のあゆみゆく薔薇。


ひひらぎの葉(は)のねむるやうに ゆめをおひかける 霧色(きりいろ)の薔薇の花。


いらくさの影(かげ)にかこまれ 茫茫とした色をぬけでる 真珠色の薔薇の花。


黙祷の禁忌のなかにさきいでる 形(かたち)なき蒼白の 法体(ほつたい)の薔薇の花。


欝金色の月に釣られる 盲目(まうもく)の ただよへる薔薇。

10
ひそまりしづむ木立(こだち)に 鐘をこもらせる うすゆきいろの薔薇の花。

11
すぎさりし月光にみなぎる 雨(あめ)の薔薇の花。

12
吐息をひらかせる ゆふぐれの 喘(あへ)ぎの薔薇の花。

13
ひねもすを嗟嘆する 南(みなみ)の色の薔薇の花。

14
火のなかにたはむれる 真昼(まひる)の靴(くつ)をはいた 黒耀石(こくえうせき)の薔薇の花。

15
くもり日(び)の顔(かほ)に映(うつ)る 大空の窓(まど)の薔薇の花。

16
掌(て)はみづにかくれ 微風(そよかぜ)の夢をゆめみる 未生(みしやう)の薔薇の花。

17
鵞毛(がもう)のやうにゆききする 風(かぜ)にさそはれて朝化粧(あさげしやう)する薔薇の花。

18
みどりのなかに 生(お)ひいでた 手も足も風にあふれる薔薇の花。

19
眼(め)にみえぬ ゆふぐれのなみだをためて ひとつひとつにつづりあはせた 紅玉色(こうぎよくいろ)の薔薇の花。

20
現(うつつ)なるにほひのなかに 現(うつつ)ならぬ思ひをやどす 一輪のしづまりかへる薔薇の花。

21
眼(め)と眼(め)のなかに 空色(そらいろ)の時(とき)をはこぶ ゆれてゐる 紅(あか)と黄金(こがね)の薔薇の花。

22
朝な朝な ふしぎなねむりをつくる わすられた耳朶色(みみたぶいろ)のばらのはな。

23
かなしみをつみかさねて みうごきもできない 影と影とのむらがる 瞳色(ひとみいろ)のばらのはな。

24
ゆたゆたに にほひをたたへ 青春を羽ばたく 風のうへのばらのはな。

25
陽(ひ)の色(いろ)のふかまるなかに 突風(とつぷう)のもえたつなかに なほあはあはと手をひらく 薄月色(うすづきいろ)の薔薇の花。

26
またたきのうちに 香(か)をこめて みちにちらばふ むなしい大輪のばらのはな。

27
はだらの雪のやうに 傷心の夢に刻(きざ)まれた 類のない美貌のばらのはな。

28
悔恨の虹におびえて ゆふべの星をのがれようとする 時をわすれた 内気な内気な ばらのはな。

29
魚(うを)のやうにねむりつづける 瀲灔(れんえん)としたみづのなかの かげろふ色のばらの花。

30
白鳥(はくてう)をよんでたはむれ 夜の霧にながされる 盲目(めしひ)のばらのはな。

31
あをうみの 底にひそめる薔薇(ばら)の花 とげとげとしてやはらかく 香気(にほひ)の鐘(かね)をうちならす薔薇の花。

32
けはひにさへも 心ときめき しぐれする ゆふぐれの 風にもまれるばらのはな。

33
あをぞらのなかに 黄金色(こがねいろ)の布(ぬの)もて めかくしをされた薔薇の花。

34
微笑の砦(とりで)もて 心を奥へ奥へと包んだ 薄倖のばらのはな。

35
欝積する笛のねに 去(さ)りがての思慕をつのらせる 青磁色のばらのはな。

36
さかしらに みづからをほこりしはかなさに くづほれ 無明の涙に さめざめとよみがへる薔薇の花。

(『《限定版》大手拓次全集 第二巻』(白鳳社、昭和45年)より)

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大手拓次「みづいろの風よ」

2019年05月03日 | 読書日記

  みづいろの風よ

かぜよ、
松林(しやうりん)をぬけてくる 五月の風よ、
うすみどりの風よ、
そよかぜよ、そよかぜよ、ねむりの風よ、
わたしの髪を なよなよとする風よ、
わたしの手を わたしの足を
そして夢におぼれるわたしの心を
みづいろの ひかりのなかに 覚(さ)まさせる風よ、
かなしみとさびしさを
ひとつひとつに消してゆく風よ、
やはらかい うまれたばかりの銀色の風よ、
かぜよ、かぜよ、
かろくうづまく さやさやとした海辺の風よ、
風はおまへの手のやうに しろく つめたく
薔薇の花びらのかげのやうに ふくよかに
ゆれてゐる ゆれてゐる、
わたしの あはいまどろみのうへに。

(大手拓次「藍色の蟇」~青空文庫より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「法句経」より

2019年01月31日 | 読書日記

 友松圓諦訳「法句経」(講談社学術文庫)より

 一六〇
おのれこそ
おのれのよるべ
おのれを措(お)きて
誰によるべぞ
よくととのえし
おのれにこそ
まことえがたき
よるべをぞ獲ん

 二九二
まこと なすべきを
なおざりにし
なすべからざるをなし
伎(たわむれ)におぼれ
しかも なすところ
放逸(なおざり)なるもの
かかるひとびとに
悪習(まよい)は増長(いやまさ)る

 同じ部分を、中村元訳「ブッダの真理のことば感興のことば」(岩波文庫)から採ってみました。

一六〇 自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。

二九二 なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをなす、遊びたわむれ放逸なる者どもには、汚(けが)れが増す。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柴田流星「残されたる江戸」

2018年08月26日 | 読書日記

残されたる江戸 柴田流星

 十五夜と二十六夜
 秋の月見は八月の十五夜、今も都は芋芒を野にもとむるに及ばず、横丁の八百屋におさんを走らすれば、穂芒の多少は好み次第、里芋も衣かつぎ芋も、栗も、枝豆も、走りを賞する人々が客なる商売物、何一つ揃わぬことなく、月見団子の餅の粉まで、乾物屋へ廻らずともなので、宵には万の供物もととのい、二階座敷に打ちつどうての月待ち、武蔵野の月は昔に瓦屋の唐草を出て唐草に入るまで、さ霧の立ちこむる巷に灯影淡く、折々は人を休むる雲の光りを奪うとも、一楼の明月に雨はじめて晴ればれと、且つ語り且つ喰うて枝豆をつくし、栗を殻ばかりにして、衣かつぎ芋の蛻(ぬけがら)、遠慮のかたまり二つ三つと共に器に山を築く。
「オヤ、ま随分だわねえ。もう皆んなよ」と娘まず驚けば、「そんなに喰べて、お嫁にでもいってたら離縁ものだよ」なぞと母親もまだ何かに手を出しそう。
「僕なんかお嫁に行くんじゃなし、大丈夫だァ」と男の児の手はなお残りの団子に及ぶ。蓋し江戸ッ児には花にも月にも団子なるべきかな。
 二十六夜の月待ちは、鬼ひしぐ弁慶も稚児姿の若ければ恋におちて、上使の席に苦しい思いの種子を蒔く、若木の蕾は誘う風さえあれば何時でも綻びるものよ、須磨寺の夜は知らずもあれ、この夜芝浦、愛宕山、九段上、駿河台、上野は桜ヶ岡、待乳山、洲崎なんど、いずれ月見には恰好の場所に宵より待ちあかして、更くるに遅い長夜も早や二時を過ぎ、三々五々たる人影いよいよ群をなして、かかる砌(みぎり)にも思う人は出来るものぞとか、月いでて後の帰るさに、宵までは見ず知らずの男と女とが、肩をつらねて語りつつ行くもおかし。さても都人は気楽なとムザとは嗤いたもうな、江戸ッ児はザックバランでもそうした出来心の恋にはおちず、前々に月待ちのこの夜落いる箇処の約束はしても、今までに見も知りもせぬ男おんなのいたずら事、大方は都へかりそめに来ている人々の鎮守の祭りに振舞うと一斑で、かかるは吾儕の苦々しくおもうところだ。
 何がさて、今の若き人々の飯ごとなる恋というもの、江戸ッ児にはただ危っかしくてあぶなっかしくてよそごとながらいろいろ思うとは、頭の禿げた江戸の残党が口癖のようにいうこと。それもこれも畢竟は苦労が足らぬからのことで、かくての取締り故に様々な御法度が出来て、江戸趣味を滅ぼしゆかんこと、何ぼうの憾みか知れないことだ。
 然り今の有様では二十六夜待ちの禁止も、あるいはまた出まいものでもなし。恋というもの、するならばするで、せめてそれらしい恋をしては下さるまいか、つまらぬことで江戸趣味をなくしたくないものだて!
(青空文庫より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若山牧水「木枯紀行」

2017年10月26日 | 読書日記

若山牧水 木枯紀行
 十月二十九日。
  宿屋の二階から見る湖にはこまかい雨が煙つてゐたが、やや遅い朝食の済む頃にはどうやら晴れた。同宿の郡内屋(土地産の郡内織を売買する男ださうで女中が郡内屋さんと呼んでゐた)と共に俄かに舟を仕立て、河口湖を渡ることにした。
  真上に仰がるべき富士は見えなかつた。たゞ真上に雲の深いだけ湖の岸の紅葉が美しかつた。岸に沿ふた村の柿の紅葉がことに眼立つた。こゝらの村は湖に沿うてゐながら井戸といふものがなく、飲料水には年中苦労してゐるのださうだ。熔岩地帯であるためだといふ。(略)
 樹海などと呼びなされてゐる森林青木が原の中に入つたのはそれから直ぐであつた。成る程好き森であつた。上州信州あたりの山奥に見る森木の欝蒼たる所はないが、明るく、而かも寂びてゐた。木に大木なく、而かもすべて相当の樹齢を持つてゐるらしかつた。これは土地が一帯に火山岩の地面で、土気(つちけ)の少いためだらうと思はれた。それでゐて岩にも、樹木の幹にも、みな青やかな苔がむしてゐた。多くは針葉樹の林であるが、中に雑木も混り、とりどりに紅葉してゐた。中でも楓が一番美しかつた。楓にも種類があり、葉の大きいのになるとわたしの掌をひろげても及ばぬのがあつた。小さいのは小さいなりに深い色に染つてゐた。多くは栂(つが)らしい木の、葉も幹も真黒く見えて茂つてゐるなかに此等の紅葉は一層鮮かに見えた。
  わたしは路をそれて森の中に入り、人目につかぬ様な所を選んで風呂敷包を開いた。空が次第に明るむにつれ、風が強くなつた。あたりはひどい落葉の音である。樅か栂のこまかい葉が落ち散るのである。雨の様な落葉の音の中に混つて頻りに山雀の啼くのが聞える。よほど大きな群らしく、相引いて次第に森を渡つてゆくらしい。と、ツイ鼻先の栂の木に来て樫鳥が啼き出した。これは二羽だ。例の鋭い声でけたゝましく啼き交はしてゐる。

 十一月九日。
  早暁、手を握つて別れる。彼は坂を降つて里の方へ、わたしは荒野の中を山の方へ、久しぶりに一人となつて踏む草鞋の下には二寸三寸高さの霜柱が音を立てつつ崩れて行つた。
  また久し振の快晴、僅か四五日のことであつたに八ヶ嶽には早やとつぷりと雪が来てゐた。野から仰ぐ遠くの空にはまだ幾つかの山々が同じく白々と聳えてゐた。踏み辿る野辺山が原の冬ざれも今日のわたしには何となく親しかつた。

野末なる山に雪見ゆ冬枯の荒野を越ゆと打ち出でて来れば
大空の深きもなかに聳えたる峰の高きに雪降りにけり
高山に白雪降れりいつかしき冬の姿を今日よりぞ見む
わが行くや見る限りなるすすき野の霜に枯れ伏し真白き野辺を
はりはりとわが踏み裂くやうちわたす枯野がなかの路の氷を
野のなかの路は氷りて行きがたし傍への芝の霜を踏みゆく
枯れて立つ野辺のすすきに結べるは氷にまがふあららけき霜
わが袖の触れつつ落つる路ばたの薄の霜は音立てにけり
草は枯れ木に残る葉の影もなき冬野が原を行くは寂しも
八ヶ嶽峰のとがりの八つに裂けてあらはに立てる八ヶ嶽の山
昨日見つ今日もひねもす見つつ行かむ枯野がはての八ヶ嶽の山
冬空の澄みぬるもとに八つに裂けて峰低くならぶ八ヶ嶽の山
見よ下にはるかに見えて流れたる千曲の川ぞ音も聞えぬ
入り行かむ千曲の川のみなかみの峰仰ぎ見ればはるけかりけり

 おもうて来た千曲川上流の渓谷はさほどでなかつたが、それを中に置いて見る四方寒山の眺望は意外によかつた。
  大深山村附近雑詠。

ゆきゆけどいまだ迫らぬこの谷の峡間はざまの紅葉時過ぎにけり
この谷の峡間を広み見えてをる四方の峰々冬寂びにけり
岩山のいただきかけてあらはなる冬のすがたぞ親しかりける
泥草鞋踏み入れて其処に酒をわかすこの国の囲炉裏なつかしきかな
とろとろと榾火(ほだび)燃えつつわが寒き草鞋の泥の乾き来るなり
居酒屋の榾火のけむり出でてゆく軒端に冬の山晴れて見ゆ

(青空文庫より。底本:「現代日本紀行文学全集 中部日本編」ほるぷ出版、1976(昭和51)年8月1日初版発行)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする