侍従の君、師走のついたちに、梅の花開け果てぬを折りて、
「年のうちに下紐解くる花見れば思ほゆるかなわが恋ふる人
まづこそ思ほゆれ」などて見せたてまつりたまへど、見ぬやうにて、ものものたまはず。
(うつほ物語~新編日本古典文学全集)
十二月朔日、まだ夜をこめて大極殿に参りぬ。西の陣に車寄せて、筵道しきてゐるベきところとてしつらひたるに、参りぬ。ほのぼのと明け離るるほどに、瓦屋どもの棟、霞みわたりてあるを見るに、昔内へ参りしに過ぎざまに見えしほどなど、思ひ出でられて、つくづくとながむるに、北の門より、長櫃に、ちはや着たるものども、蘇芳のこき、打たるくはうこくの出し衣入れて、持てつづきたる、べちにおもしろく見ゆベきことならねど、所がらにや、めでたし。(略)
日高くなるほどに、「行幸なりぬ」とてののしりあひたり。殿ばら、里人など、玉の冠し、あるは、錦のうちかけ、近衛府など、甲とかやいふもの、着たりしこそ、見もならはず、唐上のかたかきたる障子の昼の御座に立ちたる見る心地こそ、あはれに。
(略)御前の、いとうつくしげにしたてられて、御母屋のうちにゐさせたまひたりけるを、見まゐらするも、胸つぶれてぞおぼゆる。おほかた目も見えず、はぢがましさのみよに心憂くおぼゆれば、はかばかしく見えさせたまはず。ことはてぬれば、もとのところにすべり入りぬ。(略)
(讃岐典侍日記~新編日本古典文学全集)
同十二月七日、元服の事あり。寝殿の西の端より、あふきの御方と一つになる。南面(みなみおもて)一間、簾(すだれ)上(あ)ぐ。二間は公卿座す。園の中納言(基成卿)・三条中納言(実継卿)・別当(資明)。装束直衣。(略)
北面(おもて)の一間、着袴の間とす。簾を上げて西東(にしひむがし)に高灯台を立つ。これにて袴着あり。水干、裏濃き蘇芳(唐織物、萌葱、文(もん)鶴菱、松襷)の衵、紅梅の浮織物の二小袖、白織物の肌小袖(文、水干に同じ)、院の御直衣御指貫に改む。装束師重任。大納言殿結ばせ給。御前の物、銀器(ぎんき)。陪膳(はいぜん)(知雄)、役送(やくそう)の諸大夫(光衡・永衡・量衡)、又吉書を見給。(略)
事終りて、二棟にて狩衣に改めらる(狩衣白青、指貫濃き紫、平絹(へいけん)、腹白(はらじろ)あり。濃き下の袴、裏濃き蘇芳の衵二両、綾なり。単(ひとへ)、綾萌葱、杉の衵の扇、畳紙薄様)。装束の後(のち)、着袴の間にて又御前の物あり。此度(たび)は様器(やうき)也。打敷(うちしき)、古くはよき織物と見え侍れども、略儀、浮綾(うきあや)を用ゐる。伏組(ふせくみ)、同じく白きをもてす。陪膳・訳送、先(さき)のに同じ。事果てぬれば、公卿殿上人、御酒(みき)をすゝむ。内〃の儀也。 その夜、雪いみじう降り積りぬるに、朝いと疾(と)く、別当、昨夜(よべ)の儀よろづいと由ゝしう、昔に恥ぢざる由(よし)など、様ざまに賀侍て、
栄ふべき行末かけて白雪のふりぬる家にあとぞ重なる
返事に添へ侍ける、
白雪のふりぬるあとも又更に花と見ゆべき末も頼もし
まことや、将軍より馬・太刀奉らる。先例にも叶へれば、更にめでたくぞ侍。
(竹むきが記~新日本古典文学大系)
(天長五年)十二月壬子(一日) 雪が降った。天皇は紫宸殿に出御して、視告朔(こうさく)の儀を行った。儀式が終わると侍臣と宴を催した。左右近衛が東国の歌を奏し、身分に応じて綿を下賜した。
(日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
(延久三年)十二月六日。於中殿有詩宴。(題梅竹雪中鮮。)
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)
(嘉禄元年十二月)五日。暁、雪地に積む四寸許り。朝猶紛々たり。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
(安貞元年十二月)九日。天快晴。沍寒殊に甚し。霜無し。今日、宜秋門院北政所御忌の日なり。老病遠路、参ずる能はず。硯の水・炉辺の楾(はんぞう)、皆氷る。寒風骨に入り、寝所を出づ能はず。北山昨今八講と云々。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)