五月のはじめの五日は民の家にあやめふく日にて夏の疫氣(えきき)をはらふ事は今日はこと更
賀茂(かも)のくらべ馬ふかくさの神事にて人みな袖をつらねそよめき立て行て見る事すてにはてゝかへるさのほどこそけうとけれ
わらはべどものかりそめに石うちしたるのちにはわかきおのこども印地(ゐんち)といふ事をし出してたがひにたたかひいどみて手がらにもあらぬきずをかうぶり命をすつるもをろかならずや
此日雨のふるものこりおほし
もろこし黄帝(くわうてい)の時に蚩尤(しゆう)といへる朝(てう)てきをせめほろぼせしためしより今につたはりて
家ごとにのぼりをたてかぶとをかけて天下太平のありさまをしめすをのほりなんともしとどにぬれて人もかさうちさしてゆくゆく見るも又をかし
楚(そ)の屈平原(くつへいげん)がことよりはじまりてけふは茅巻(ちまき)をいはふとかや
(佛教大学図書館デジタルコレクション「十二月あそひ」より)
早苗を 右兵衛督基氏
今は又さ月きぬらしいその神ふるのあら田にさなへとる也
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
みたやもりけふを待ちける程みえて五月といへはさなへとるなり
(建長八年九月十三日・百首歌合~日文研HPより)
さなへをよめる そねのよしたゝ
みたやもりけふはさ月に成にけりいそけや早苗おひもこそすれ
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
千五百番歌合に 野宮左大臣
足引の山した水をひきかけしすそわの田ゐに早苗とる也
(続千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
後鳥羽院に奉りける五十首歌中に 嘉陽門院越前
暮ぬとてちまちのさなへとりとりにいそくもしるき田子のもろこゑ
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)
百首歌奉りし時、おなし心(早苗)を 少将内侍
今日いくかぬれそふ袖をほしやらており立田子のさなへとるらん
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
元亨三年七月亀山殿にて人々題をさくりて七百首歌つかうまつりし時、早苗多といふ事を 前大納言為世
けふも又とるてあまたにいそけとも山田のさなへ猶そ尽せぬ
(続後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)