言葉で意思疎通をするというのは案外低次元な共振手段なのではないか?
各種民族の言語が存在し共通理解を得ようとするならば それぞれの言語に通じ
自分自身がマルチリンガルにならねばならない。
自分の表層記憶脳にそれだけの翻訳記憶体系を併設していくことになる。
しかしそれだけのことをやってのけたとして
果たして自然クライン環側から寄り添ってくれるだろうか?
言葉の体系というのはおそらく技術能で乗り超えられるだろう。
その証拠にかなり精度の高い翻訳ソフトが出来上がり
それほどのストレスもなく諸外国人との意思疎通が成り立つのだ。
では 言葉が無い(正確には言葉の原型を擁する)生命種間での意思疎通は
どうなっていくのか?
例えば自然諸霊間の意思疎通や自然諸生命体間の意思疎通はどうなるのだろう?
この件については次回で続きをメモしたいと思います。