洗心 senshin

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一年前の記事。「自然神の御許に。」

2024-11-03 22:49:08 | つぶやき

自然神の御許に。

自然から齎されるものは無上の愛である。その愛が物質化した姿が果である。花や受粉が愛の動態であれば 結果として果実が実る。そしてそれがクラインコピーとして末永く受け継が......

自然から齎されるものは無上の愛である。その愛が物質化した姿が果である。花や受粉が愛の動態であれば 結果として果実が実る。そしてそれがクラインコピーとして末永く受け継がれていくのである。
 
無上の愛は無償の愛でもある。人が創造原初から純粋に受け継ぐ愛はクライン環の起動周波数が高次精度であるほど 無償の愛として根源神の慈恵を顕わす。出来得れば正当なる惑星水準の愛を自身のクライン環により発動させたいものである。
 
永らく地球人は表層平面価値に囚われ 自然神の無償無上の愛に反して不自然極まりない生き様を平面コピーして来てしまった。そろそろ この自然クライン生命体として最大の誤謬を払拭して自然神の御許に還りたいものである。

… … … … …

まさに 自然クライン生命体こそが『人』なのである。

(追加感想)
この深さが判れば大したものである。地球人も劇場型の人生を卒業し 宇宙自然のエーテル層に還り本来の『人』に還ることこそがすべてなのである。



二年前の記事。「優先。」

2024-11-03 21:07:07 | つぶやき

一年前の記事。「優先。」

 優先。現在の教科書的概念で捉える宇宙があってもなくてもまた 地球が球体であろうと平盤状であろうと『人』のクライン環としての超立体構造は変わらないのであるとい......

現在の教科書的概念で捉える宇宙があってもなくても
また 地球が球体であろうと平盤状であろうと『人』のクライン環としての
超立体構造は変わらないのであるという意味のことを書いた。
 
これについて忘備録を補足しておきたい。
要は人という観察者が(当事者でもある)この「まるごと宇宙」の中で
『今』現在時存在していることがすべてであり 五感観察内容により物理表層が
変容するということはない。
 
その意味において既成観による宇宙の仕組みがどうであろうと 厳然として
『今』を支える自然素粒子による多岐・多次の量子ネットワークは
それ以前に原初から存在している。
『人』の潜顕両意識の存在以前に宇宙の雛型が存在していると考えるのが
真の存在考察者の姿勢であるだろう。
 
その次元領域の前提(思考モデル)だけは意識層を跨いで
5次元上のヴァーチャルを駆使するために確保したいと考えている。
 
つらつら述べたが フラットアース説を否定するものではない。
そのような形態はあり得るだろう。
ただし それらを証明するならば南極の果てまで飛行物体を飛ばして
確認すればいいだけだし、天蓋の証明をするなら天蓋の境界まで
飛行物体を接近させればいいだけの話である。
いずれも現在の科学技術力で十分に達成できるだろう。
 
それより何より あらゆる存在物及び存在形態が自然量子による
クライン環の次元連鎖で構成されていることを『人』が
生きる姿のままに創出発現して輝くことの方が優先されるべきであろう。
 
… … … … … 

(一年前の感想) 
地球人は表層脳感知次元に囚われ過ぎなのである。
自然(宇宙)と変わらない…変わるとすれば相似形態であることくらいで その周波数層システムは自然も惑星人も同じなのである。
 
まさに 
『自然量子によるクライン環の次元連鎖で構成されている』
ということなのである。

(本年の感想)
そう。捉われすぎである。もっと平易に生き抜くべきなのである。