「閃き。」 2013-11-17
吾々が「i」に呑み込まれていると表現したが、
そこは本源側からの観測眼を持ってもらうことが
必要である。
3次元での「蛇に呑み込まれる蛙」などの図を
想像してもらっては4次元時空以上の進化スパイラルの
招待券は貰えないかもしれない。
「呑み込まれる」とは周波数層の「宇宙カップ」に
振動波的に透過包括されているということである。
物理脳の地球人が取り違えやすいのは高次元(異次元)の
「対象」を何でもかんでも既成概念観のフィルターに落し込み、
更にはペーパー上、すなわち2次元平面の記憶パターンに
集約し記憶体系として合成化することで統合理解を
得ようとする既成概念化が正しい方向性だと勘違い
していることである。
あらゆる人知の情報を記憶平面に蓄積出来たとしても
どれだけ束になっても宇宙の創造原理は何一つ動かせない。
人間がやるべきことは記憶脳の猿真似ではないのである。
生きた宇宙「i」と親しく交流した人間にしか出来ない
創造性を以て宇宙「i」に貢献することなのである。
よく言うではないか、「今」がすべてであると。
「今」とは「i」に繋がる当事者自身の動作意識(意志と意識)の
すべてである。
であるから、「i」に根源包括された自分と自分と一体同体の
周波数層のクラインカップ(それぞれメビウスで繋がる)を
自然そのままの見えない世界の姿(目視像表象だけではない)を
常に立体メビウスの連なりとして洞察し続けていなければならない。
他人は別物と考え、犬も猫も畜生と考え、草木や水の恩恵など
埒外として己の物欲価値にわき目も振らぬのが地球学「我良し」思考である。
地球の自然は美しいが、それを自分の平面価値観を貪る為にしか認めず
存在価値を「狭く、固く、暗く」限定する。
地球は丸く(球体)自己完結し大気圏外に無限に発振交流している。
… … … … …
何故に この記事を「下書き」にしたかは謎である。説教めいた匂いがあったので それを嫌ってまたの機会にと考えたのだろう。言い回しは兎も角 深イメージは今でも参考になるので表に出してもよいかと思う次第である。