「想いと現実。」 2013-10-29
いつも「思考実験」する時は「宇宙カップ」というものを想定します。
「思考実験」なんて…言葉はどうでもいいんですけどね。
瞑想でも何でも宜しいのでしょうが、茫洋としないために
また、本源から「今の現実」に確実に繋がって、より真理側に
立脚するためにそのような(言葉による)意識の調整が必要になるわけです。
そうしないと碌でもない波長帯と繋がっちゃいますからね。
現代人はそういう世界(⇒次元)観がないのでそう言われても
何のことやら意味不明ということになるのですが、
古くからの賢人はそうしたことが良くわかって(伝承されて)
おられたように拝察しております。
悩める現代人に与えられた珠玉の解決策が『洗心』であると
位置付けているのですが、そうは申しましても言葉の理屈では
なるほどと解ってもいざ実践となると、掴みどころが無く非常に難しいものに
感じてしまわれるようですね。
それは結局のところ旧い地球学波長で『洗心』を実践しようと
してしまうからだと思うんですね。
… … … … …
この頃は 既に『洗心』という言葉を卒業しようと考えていて そのためにこの文章をアップするのを一瞬躊躇ったのだろう。それで 保留扱いになったのであろう。
しかし 『今』は『洗心』の言葉には創造原義以外の雑多な想い入れは無いので どのような言葉であってもあっさりと扱っている。常に『自然クライン環』起動生活に必要なのは言葉の表層概念ではなく創造原義なのである。