洗心 senshin

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一年前の記事。「『自然クライン環』続。」

2024-02-11 20:01:07 | つぶやき

『自然クライン環』続

『自然クライン環』に関してもう少し備忘記録を残しておくとしよう。 このメモはそもそも言葉で思惟思考しておらず 寧ろそれを忌避し『自然量子ネットワーク』ゾーンに直接......

『自然クライン環』に関してもう少し備忘記録を残しておくとしよう。
 
このメモはそもそも言葉で思惟思考しておらず 寧ろそれを忌避し『自然量子ネットワーク』ゾーンに直接介入を試みるものである。それゆえここに羅列する言葉は言葉であって言葉ではない。
 
しかし 言葉にせねばヒントを物理的に遺せぬから 面倒ながら表層脳言語をそれなりに組み換えて 後々その瞬間のイメージが起草されるように腐心している。こんなことを言ったら身も蓋も無いのであるが なんなら言葉は要らない。
 
イケない。独白ループに嵌ってしまった。『自然クライン環』の量子波更新でリフレッシュして新しい局面を創ろう。それこそが私が『自然クライン環』を推奨する由縁でもある。
 
ついでのオマケだが 『自然クライン環』とは個々『人』ひとりひとりの霊質基幹を形成する超存在である。個々人が之を自覚すればこの世の沙汰もあの世の沙汰も融通無碍に成し得るだけのポテンシャルを原初から保有しているのである。
 
頼るべきは 表層意識のヒーローでもなく偶像神でももちろんなく 個々内心に燦然と輝くあなただけの『自然クライン環』なのである。

… … … … … 

随分と氣負った表現をしている。
しかし その氣持ちも分らぬでもない。まさに永い『魂』の経験上そうであるとしか言えないのである。

頼るべきは 表層意識のヒーローでもなく偶像神でももちろんなく 個々内心に燦然と輝くあなただけの『自然クライン環』なのである。

妙味を得ること必定。

2024-02-11 14:12:32 | つぶやき
『自然クライン環』という眞實領域があるものと認識して生きるだけで その人生は生体三位 特に『魂』に於いて特出する潜在周波数情報の享受に満たされるものとなるだろう。ただし その恩恵に浴する周波数ゾーンに至るには当事者本人が己の創造原初根源に霊質波共鳴を致し 己を自然創造主の眼から超客観して常時 顕在意識系を手綱捌きする必要がある。

私もその第一義がある故 この備忘録を以て常に顕在意識に問いかけ あわよくば顕潜統合意識を樹立し この地球を自然神霊波の幸(さきは)う惑星になるための一助になればと霊質波共振を日夜更新しているのである。ともすれば 顕在意識は糸の切れた凧のように物欲の乱気流に揉まれ易いものである。顕潜統合意識が働けば 凧の挙動は神霊線の捌きにより妙味を得ること必定である。

一年前の記事。「『自然クライン環』。」

2024-02-10 19:07:45 | つぶやき

『自然クライン環』。

『自然クライン環』というのは私が勝手に造語したものだが その実体を精査していくと可成りなポテンシャルで生命基幹に関与しているものであろうことが観えて来る。 三......

『自然クライン環』というのは私が勝手に造語したものだが その実体を精査していくと可成りなポテンシャルで生命基幹に関与しているものであろうことが観えて来る。
 
三次元肉体の細胞精製の基幹はDNAとされている。あらゆる体内細胞が生成され消滅し時には再生され『人』は五体五感に輝きを灯すのである。メドベッドが理論上可能であろうと思われるのは量子次元でDNA修復させ本来の生命細胞のポテンシャルを引き上げればそれで事足りるからである。造作もないことである。
 
ただし 現実に一般人に供与されるまでは眉唾物と考えておくのが正解であろう。そんなことにナケナシのエネルギーを使い果たして時間詐欺の自作自演をしてしまうよりは(そう今は誰も得をしていない)まだ私の提唱する『自然クライン環』を
自分自身で精査されることをお勧めしたい。ていうか、それが『人』の生かされている目的なのである。
 
『自然クライン環』はDNAのさらに大元である。大自然より次元間派生したサムシング。素粒子界(量子次元)の能動的凝縮意念とでも表現するかな。とにかく 表層脳にスケッチすると大きく間違う。「神」を追い求めて無間地獄に堕ちたようにまたその二の舞になるやもしれぬ。常に身の程を弁えることだ。
『答え』は簡単。自分自身が自然神が望むが如く『自然クライン環』を輝かせればそれでよい。

… … … … … 

一年前は このように表現するのが精一杯だった。一年が過ぎ 表現を更に押し上げる表層概念環境が整って来ている。自然神は何処までも真摯に生きる『魂』を見捨てることは無いのだ。天の氣は転じた。いや 氣が転じたのではなく強烈な『氣』により 表層の劣悪環境が剥がれているのだ。その眞實現象を『魂』で観通(透)せる地球人は幸いである。


實は「人間」もまたそうなのである。

2024-02-10 10:54:29 | つぶやき
「人間」は 大船に乗り凪の航海に馴染むと その空間が尽きないものと錯覚してしまう。ありとあらゆる娯楽を盛り込んだならば その船上空間はまさにパラダイスであろう。

しかし 眞實はどこまで隠し通しても 宇宙から観れば大海に浮かぶ芥子粒の如き箱舟である。如何にメンテナンスを施しても やがては乗り替えねばならぬ時が来る。あらゆる乗り物がそうであり 實は「人間」もまたそうなのである。

一年前の記事。「『無』の鏡に映す時代。」

2024-02-09 19:22:51 | つぶやき

『無』の鏡に映す時代。

何をメモに走り書きをしたかと言えば 『神』についてである。何度もこれまで触れて来ているから できればスルーして面倒なことを避けたかった思惟思考対象である。 『......

何をメモに走り書きをしたかと言えば 『神』についてである。
何度もこれまで触れて来ているから できればスルーして面倒なことを避けたかった思惟思考対象である。
 
『神』も「神」も「悪魔」も 大真面目に考えることが危険な思惟行動であることが経験上分かっているからである。考えるならば精神健全な状況において『無』の境地で試みるべきだろう。
 
「人間」は神を哲学してはならない。ひとたび踏み込めば有象無象の霊どもがゴミにたかるハエの如く集まってくる。「神」を考える前に『人』としてまっとうであるかを自分自身の『無』の鏡に映す時代が始まっている。

… … … … … 

『神』も「神」も「悪魔」も避けて通ることは出来ないが そうであればこそ『人』の原点に還り 更に『創造原初』に還り確りと『自然クライン環』に統合意識を巡り渡らせて眞實を詳らかにすることである。表層記憶脳で大真面目に取り組む姿勢には落とし穴があることを知らねばならぬ。