12月13日(金)
疲れていれば、ぐっすり寝られる。怪しげなこの宿で快眠、そそくさと支度をして、8時過ぎに宿を出た。今夜どうしようか決めないまま、荷物はロッカーの中。
少し寒いが、明るい青空に気持ちが踊る。まだ静かな街の中を、メイン通りである新世界通り、クラコウ郊外通りを抜けて、旧市街へと向かう。ひとりポツポツと歩きながら、何がしたいんだろうな私、と少しセンチメンタルになる。この場所に、何を期待して、何にがっかりするのだろう。CONFOTABLE なときには感じない疑問。好奇心が低下している兆候?少し寒いからだろうか。同時に、他の友人たちは一人旅のとき、何を考えながら(おそらくこんな風に)道をふらついているのだろう、と思ったりもした。
誰か有名な新聞写真家の作品が、大きく引き伸ばされてクラコウ郊外通りに面したところに並べてあった。戦後、馬を使って街を整備しようと試みる市民たち。水道管の漏洩に水が垂れ流しになっている街。寒いから、背筋を伸ばしながら見た。そういえばポーランドの情報は全てモノクロの印象がある。私が何も知らないからかもしれない。
旧市街まで来ると少し疲れた。でもまだ9時過ぎ。戦争で全て破壊されたのち、この旧市街は全ての市民の力で忠実に再建されたという。朝の光に映える旧市街広場は、とても平和な空気。温かくなってきたので気持ちも晴れてきた。昔街を囲んでいたという城壁、要塞に登ってみて深呼吸。ショパンのマズルカを聴きながら。
10時のオープン時間を待っていたのはワルシャワ歴史博物館である。旧市街広場に面した一角の建物は、外から見ると普通のアパート風なのだが、どこをどう利用したのか中身はものすごい量の展示だった。
そんなにお客さんが多くないことと、館内が小さな小分け部屋のつながりという構造になっていたことが重なって、見える範囲には学芸員(?展示品を見張っている人)しかいない。そして小分けになった部屋ひとつひとつに学芸員が居るので、なんだかプレッシャーである。
1階から順に、古いワルシャワから現代のワルシャワへと展示が移っていく。2階だか3階だかに上がっていくまでは、西洋とは少し違うテイストの文化を持った、それでもやっぱりヨーロッパの印象。とても充実していて良い博物館なのだが、私には「彼らの職場としての博物館」という面白さがあった。紅茶を横に置きながら、ある人は厳しい目で、ある人はリラックスして、部屋に入ってくる私を見る。
戦前、戦後の展示になった頃にはもう疲れていた。朝も早かったことだし。。それでも、大きく引き伸ばされた、戦後すぐのワルシャワの写真には身震いがした。窓と天井のない、もうそれは家々ではなくて生き残った壁の連なり、といった風景だった。ソ連、ドイツ、ポーランド人、ユダヤ人(20世紀初頭ユダヤ人の割合は30%に達していたという)、さまざまなプレーヤーがポーランド、ワルシャワの地に居た。(ので少しややこしく、英語の説明では分からない部分も多かった。。)
そして戦後には人口構成はがらっと代わったらしい。今ではポーランド人口の97%がポーランド人だという。
http://www.poland.or.jp/poland/column001.html
楽しみにしていたお昼の時間、ポーランドの料理が食べたくて、少し歩いてみる。バルバカンを抜けたところに「Bar」の看板を発見。ポーランド流の食堂らしい。入ってみると、まさしく。ポーランド語のみの表示。こっそりガイドブックの料理名を参考にしながら、ピエロギを頼む。ポーランド流の餃子、という解説だが、、小麦粉のお団子に、バターと砂糖が乗っている。うん?具はないのか!?食べてみるも、想像できる味、すなわち(日本人)好みではない。それだけ食べるのは厳しくなって、スープ(ジューレック)を頼む。お、おいしい!おそらく日本人には親しめる、体のあったまるジャガイモのスープである。二つで200円ほど。食べたら体があったまって眠くなった。
ぼぉっとコピーしたガイドブックを見ていると、同じテーブルに一人の男性が座る。何気なく話し始める。とてもきれいな英語、推定32歳。ここの近くで働いていて、お昼を食べに来ているという。今は時間がないが、いつでも連絡してくれ、案内するよ、と言ってくれた。携帯の番号を交換して分かれる。人と話す、というのは健康的な活動だ。
そこから近い、キュリー夫人博物館に行く予定だったが、歴史博物館の後だったことと、彼がおすすめしてくれたこともあって、「ワルシャワ蜂起ミュージアム」に行くことにする。
「クラコウにも行くんだ、いやあそこはワルシャワよりずいぶん素敵な街だと思うよ。すべてオリジナルだから。ワルシャワは古く見えても再建された街だからね。
ワルシャワなら、WARSAW UPRISING MUSIUMをお勧めするよ、YOU KNOW, IT'S IMPORTANT.」
新しいからか、ガイドブックには載っていなかったその場所に向かう。まだトラムの地図を手に入れてなかったから、少してこずった。
疲れていれば、ぐっすり寝られる。怪しげなこの宿で快眠、そそくさと支度をして、8時過ぎに宿を出た。今夜どうしようか決めないまま、荷物はロッカーの中。
少し寒いが、明るい青空に気持ちが踊る。まだ静かな街の中を、メイン通りである新世界通り、クラコウ郊外通りを抜けて、旧市街へと向かう。ひとりポツポツと歩きながら、何がしたいんだろうな私、と少しセンチメンタルになる。この場所に、何を期待して、何にがっかりするのだろう。CONFOTABLE なときには感じない疑問。好奇心が低下している兆候?少し寒いからだろうか。同時に、他の友人たちは一人旅のとき、何を考えながら(おそらくこんな風に)道をふらついているのだろう、と思ったりもした。
誰か有名な新聞写真家の作品が、大きく引き伸ばされてクラコウ郊外通りに面したところに並べてあった。戦後、馬を使って街を整備しようと試みる市民たち。水道管の漏洩に水が垂れ流しになっている街。寒いから、背筋を伸ばしながら見た。そういえばポーランドの情報は全てモノクロの印象がある。私が何も知らないからかもしれない。
旧市街まで来ると少し疲れた。でもまだ9時過ぎ。戦争で全て破壊されたのち、この旧市街は全ての市民の力で忠実に再建されたという。朝の光に映える旧市街広場は、とても平和な空気。温かくなってきたので気持ちも晴れてきた。昔街を囲んでいたという城壁、要塞に登ってみて深呼吸。ショパンのマズルカを聴きながら。
10時のオープン時間を待っていたのはワルシャワ歴史博物館である。旧市街広場に面した一角の建物は、外から見ると普通のアパート風なのだが、どこをどう利用したのか中身はものすごい量の展示だった。
そんなにお客さんが多くないことと、館内が小さな小分け部屋のつながりという構造になっていたことが重なって、見える範囲には学芸員(?展示品を見張っている人)しかいない。そして小分けになった部屋ひとつひとつに学芸員が居るので、なんだかプレッシャーである。
1階から順に、古いワルシャワから現代のワルシャワへと展示が移っていく。2階だか3階だかに上がっていくまでは、西洋とは少し違うテイストの文化を持った、それでもやっぱりヨーロッパの印象。とても充実していて良い博物館なのだが、私には「彼らの職場としての博物館」という面白さがあった。紅茶を横に置きながら、ある人は厳しい目で、ある人はリラックスして、部屋に入ってくる私を見る。
戦前、戦後の展示になった頃にはもう疲れていた。朝も早かったことだし。。それでも、大きく引き伸ばされた、戦後すぐのワルシャワの写真には身震いがした。窓と天井のない、もうそれは家々ではなくて生き残った壁の連なり、といった風景だった。ソ連、ドイツ、ポーランド人、ユダヤ人(20世紀初頭ユダヤ人の割合は30%に達していたという)、さまざまなプレーヤーがポーランド、ワルシャワの地に居た。(ので少しややこしく、英語の説明では分からない部分も多かった。。)
そして戦後には人口構成はがらっと代わったらしい。今ではポーランド人口の97%がポーランド人だという。
http://www.poland.or.jp/poland/column001.html
楽しみにしていたお昼の時間、ポーランドの料理が食べたくて、少し歩いてみる。バルバカンを抜けたところに「Bar」の看板を発見。ポーランド流の食堂らしい。入ってみると、まさしく。ポーランド語のみの表示。こっそりガイドブックの料理名を参考にしながら、ピエロギを頼む。ポーランド流の餃子、という解説だが、、小麦粉のお団子に、バターと砂糖が乗っている。うん?具はないのか!?食べてみるも、想像できる味、すなわち(日本人)好みではない。それだけ食べるのは厳しくなって、スープ(ジューレック)を頼む。お、おいしい!おそらく日本人には親しめる、体のあったまるジャガイモのスープである。二つで200円ほど。食べたら体があったまって眠くなった。
ぼぉっとコピーしたガイドブックを見ていると、同じテーブルに一人の男性が座る。何気なく話し始める。とてもきれいな英語、推定32歳。ここの近くで働いていて、お昼を食べに来ているという。今は時間がないが、いつでも連絡してくれ、案内するよ、と言ってくれた。携帯の番号を交換して分かれる。人と話す、というのは健康的な活動だ。
そこから近い、キュリー夫人博物館に行く予定だったが、歴史博物館の後だったことと、彼がおすすめしてくれたこともあって、「ワルシャワ蜂起ミュージアム」に行くことにする。
「クラコウにも行くんだ、いやあそこはワルシャワよりずいぶん素敵な街だと思うよ。すべてオリジナルだから。ワルシャワは古く見えても再建された街だからね。
ワルシャワなら、WARSAW UPRISING MUSIUMをお勧めするよ、YOU KNOW, IT'S IMPORTANT.」
新しいからか、ガイドブックには載っていなかったその場所に向かう。まだトラムの地図を手に入れてなかったから、少してこずった。