疲れて、ベッドにごろんとなって『方丈記』を少しだけ読んでいた。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。
・・・
朝に死に、夕べに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。又知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主とすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといえども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つ事なし。
という出だしが妙に好きで、だいたい最初の部分だけぼんやり読んで本を置く。
なぜだかわからないけど、特に真剣に将来のことを考えていたわけではないけど、
「やっぱり高校の先生になろうかな」
と思った。なんというか、
「素敵な高校の先生を目指して将来を考えるのって、悪くないかな」
と思ったのだ。方丈記を手にする前に、来週末に行くスウェーデンのガイドブックを見ながら、その歴史(2ページ)を読んだり、最近やっと親しみの出てきたデンマークやスウェーデンの王様の名前を思い巡らせながら、「ああもっと歴史の勉強しなくちゃ」と思ったことが関係しているのだろうか。意味不明な私の頭。
そのために、国家一種に挑戦して、国の下で働いてみるのも悪くないかなって。ベトナム人の彼と少し将来の話をしたことも関係しているのだろうか、どうなの、私の頭よ。
彼は、アムステルダムで学士を卒業した後、どこかで働き、将来は起業する予定、あくまで予定、と言う。ITを専攻している彼ら(ポーリッシュの彼もそんな感じの夢を言っていた)には起業がとても近しいのだろう。起業するためにITを選んでいるのかもしれない。
最近、そんな彼らや、去年このセメスターを終えた後に進路を考えていたらしい先輩や、今ちょうど悩んでいるらしい先輩、今も働いている友人たちのことが、自然と頭に住み着いている感じがする。だから、想像を超えた思考回路を経てこんなことふと思うのだろう。
国家一種に挑戦してなんだかの職を得て、働いて、結婚して、旅行して、ゆっくり高校の先生を目指したり出来ないかしら。
「高校の先生」という職業が私にとって身近で魅力的だなと思うのは、もちろん自分の(自分にとって素敵な)高校生活の経験がある。それにプラスして、こっちで、日本に居るときよりは多様な教育制度経験者たち(友人たち)の話を聞いたりする中で、教育というものの重要性、というよりはその影響力の恐ろしさを前よりも感じるようになったことが関係していると思う。日本で考えていたより、将来の選択は自由に満ちている。恐ろしいほどたくさんの選択肢があるらしい。だから教育って大切なんだと思う(説明するのが難しくなってきたのでこの辺で簡単にまとめてしまいました。)
「起業することは考えないの?」
と彼は言った。
「起業とかって、やっぱりある程度自分だけ、自分の利益を第一に考えないとやっていけない厳しい世界だと思う。あんまり得意じゃないと思うんだよね私。」
と答えた。
別にかっこいいことを言いたいわけではなくて、自分のバランス感覚に自信がないだけだ。舵取りの価値観を、自分の不安定な効用関数ではなくて、もう少ししっかりしたところに置きたいと思うだけだ。
おそらく、またふっと無責任に気が変わっていくのだろうと思う。まだまだ許されるよね、心変わり。
昨日観た、「ビフォア・サンセット」(「ビフォア・サンライズ」の9年後バージョン)の女性がとっても魅力的で、そのセリフたちが輝いていた。この2つは最近のお勧め。何はともあれ、今日から冬。お風呂とこたつのない冬なんて、考えただけでも心寂しいものがある。あぁ少しは賢くならなくては。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。
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朝に死に、夕べに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。又知らず、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主とすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといえども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つ事なし。
という出だしが妙に好きで、だいたい最初の部分だけぼんやり読んで本を置く。
なぜだかわからないけど、特に真剣に将来のことを考えていたわけではないけど、
「やっぱり高校の先生になろうかな」
と思った。なんというか、
「素敵な高校の先生を目指して将来を考えるのって、悪くないかな」
と思ったのだ。方丈記を手にする前に、来週末に行くスウェーデンのガイドブックを見ながら、その歴史(2ページ)を読んだり、最近やっと親しみの出てきたデンマークやスウェーデンの王様の名前を思い巡らせながら、「ああもっと歴史の勉強しなくちゃ」と思ったことが関係しているのだろうか。意味不明な私の頭。
そのために、国家一種に挑戦して、国の下で働いてみるのも悪くないかなって。ベトナム人の彼と少し将来の話をしたことも関係しているのだろうか、どうなの、私の頭よ。
彼は、アムステルダムで学士を卒業した後、どこかで働き、将来は起業する予定、あくまで予定、と言う。ITを専攻している彼ら(ポーリッシュの彼もそんな感じの夢を言っていた)には起業がとても近しいのだろう。起業するためにITを選んでいるのかもしれない。
最近、そんな彼らや、去年このセメスターを終えた後に進路を考えていたらしい先輩や、今ちょうど悩んでいるらしい先輩、今も働いている友人たちのことが、自然と頭に住み着いている感じがする。だから、想像を超えた思考回路を経てこんなことふと思うのだろう。
国家一種に挑戦してなんだかの職を得て、働いて、結婚して、旅行して、ゆっくり高校の先生を目指したり出来ないかしら。
「高校の先生」という職業が私にとって身近で魅力的だなと思うのは、もちろん自分の(自分にとって素敵な)高校生活の経験がある。それにプラスして、こっちで、日本に居るときよりは多様な教育制度経験者たち(友人たち)の話を聞いたりする中で、教育というものの重要性、というよりはその影響力の恐ろしさを前よりも感じるようになったことが関係していると思う。日本で考えていたより、将来の選択は自由に満ちている。恐ろしいほどたくさんの選択肢があるらしい。だから教育って大切なんだと思う(説明するのが難しくなってきたのでこの辺で簡単にまとめてしまいました。)
「起業することは考えないの?」
と彼は言った。
「起業とかって、やっぱりある程度自分だけ、自分の利益を第一に考えないとやっていけない厳しい世界だと思う。あんまり得意じゃないと思うんだよね私。」
と答えた。
別にかっこいいことを言いたいわけではなくて、自分のバランス感覚に自信がないだけだ。舵取りの価値観を、自分の不安定な効用関数ではなくて、もう少ししっかりしたところに置きたいと思うだけだ。
おそらく、またふっと無責任に気が変わっていくのだろうと思う。まだまだ許されるよね、心変わり。
昨日観た、「ビフォア・サンセット」(「ビフォア・サンライズ」の9年後バージョン)の女性がとっても魅力的で、そのセリフたちが輝いていた。この2つは最近のお勧め。何はともあれ、今日から冬。お風呂とこたつのない冬なんて、考えただけでも心寂しいものがある。あぁ少しは賢くならなくては。