今まで、ジャーナリストとか、新聞記者が書いてきた物は
読まないようにしてきたところがある。
「新聞に本当のことが書いてあるなんて思っちゃいけない」という
教育の効果なのか何なのかわからないけど、なんだか嘘くさい気がしていた。
この本を読んで、ジャーナリストの本として定評のある文章を
積極的に読んでみたい、損はしないはず、と思った。
この本の中身はとっても簡単だし、平易なんだけど、純粋に
筑紫哲也という人に興味を持った。
内容としては、彼がどこかの雑誌で連載しようとしていた
「若き友人たちへ」という書簡体の文章と、早稲田と立命館とかで
やっていた講義。
憲法について考えよう、では、平等権について定める日本の憲法14条
を取り上げ、「憲法改正の前にすべきことがある」と言う。
1.すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2.華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3.栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
憲法改正というけれど、現存の憲法をしっかり使っているのだろうか、
14条は男女の平等も意味するけど、これはGHQの女性スタッフが
いろんな意味を込めて付け加えた物だけど、使いこなせているだろうか、と。
アメリカの有名なカナダ国籍のテレビ記者で、2,3年前に亡くなった人を取り上げた番組で、
彼が常に、アメリカ合衆国憲法の全文を書いた小冊子をポケットに入れていたと
紹介していたのを思い出した。
権力からの被害を養護し、権利として訴える手段なのだから、
私のような仕事の人は特に、十分に知っていなくちゃいけないんだよなあと痛感。
そのほか、「判官贔屓」という言葉から、日本人の気質や現状に触れる
展開はうまいなとおもった。
この言葉が生まれたストーリー(歌舞伎かな)は、
日本人が好む情けの美学を描いている。
その現象として、今までは「2番手でもうちょっとで勝てそうな人」を
応援する風習が強い。だから、ヒーローと祭り上げる人は、
ストーリーとしては悲劇で終わることが多い、というようなこと。
それが、小泉旋風に見られるように、「勝てる勝てる、間違いない」と
言われる(メディアが書く)人に実際の人気も流れるようになってきた
ということを言ったり。
なるほどな。「そういうのを、心配性のジャーナリズムが釘をささなくちゃいけない」と。
今、初めて本田靖晴の本を読んでいる。そんなこともあって、
新聞記者やジャーナリストの仕事を、しっかり見てみようという気になっています。
最後に。本の中で線を引いたりして読んだ部分。
長いけど、覚え書きに。
火事が起きても「火事なんて、人類始まって以来起きているんだ。
また起きたところで珍しくもない」などという人は学者になればいい。
ジャーナリストになりたければ、火事と聞いたらパアーっと駆け出す、
他のどんな能力よりもこれが一番、これなくしては仕事になりません。
そうすると、「お前、好奇心だけでいいのか」という話になる。
(中略)ジャーナリストというのは野次馬の代表であり、野次馬のプロだと
よく言われます。
(中略)「出火原因は何か、死者はいないか、どういう特徴のある火災だったか」
などを取材して分析できる。それがプロという意味です。
つまり、物事が起きた時、それをどう見たらいいのかについての経験と知識、
それを調べるフットワークのある人をプロというんです。
そしてそのエンジンになっているのが好奇心です。
そこからもう一つ大事なのは、「これは何だろう」という探求心です。
探してずっと先まで求めていく。
これが学ぶということの意味でなくてはなりません。
・・・いろんな知識を貯えていきながら、どうやったらそれを知へ転化できるか。
はっきりした方法はないんですが、
知識を蓄積してそれについて考えてみると言うことを繰り返している間に、
ぽんっと何かがわかった瞬間、「体得」です。
(中略)ある時ふっと、ああ、自分はここまで来ていたんだ、と気づく。
まあ、気づくはずだと思ってなきゃやってられないですね、こんなことは。
私はそう信じています。
読まないようにしてきたところがある。
「新聞に本当のことが書いてあるなんて思っちゃいけない」という
教育の効果なのか何なのかわからないけど、なんだか嘘くさい気がしていた。
この本を読んで、ジャーナリストの本として定評のある文章を
積極的に読んでみたい、損はしないはず、と思った。
この本の中身はとっても簡単だし、平易なんだけど、純粋に
筑紫哲也という人に興味を持った。
内容としては、彼がどこかの雑誌で連載しようとしていた
「若き友人たちへ」という書簡体の文章と、早稲田と立命館とかで
やっていた講義。
憲法について考えよう、では、平等権について定める日本の憲法14条
を取り上げ、「憲法改正の前にすべきことがある」と言う。
1.すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2.華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3.栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
憲法改正というけれど、現存の憲法をしっかり使っているのだろうか、
14条は男女の平等も意味するけど、これはGHQの女性スタッフが
いろんな意味を込めて付け加えた物だけど、使いこなせているだろうか、と。
アメリカの有名なカナダ国籍のテレビ記者で、2,3年前に亡くなった人を取り上げた番組で、
彼が常に、アメリカ合衆国憲法の全文を書いた小冊子をポケットに入れていたと
紹介していたのを思い出した。
権力からの被害を養護し、権利として訴える手段なのだから、
私のような仕事の人は特に、十分に知っていなくちゃいけないんだよなあと痛感。
そのほか、「判官贔屓」という言葉から、日本人の気質や現状に触れる
展開はうまいなとおもった。
この言葉が生まれたストーリー(歌舞伎かな)は、
日本人が好む情けの美学を描いている。
その現象として、今までは「2番手でもうちょっとで勝てそうな人」を
応援する風習が強い。だから、ヒーローと祭り上げる人は、
ストーリーとしては悲劇で終わることが多い、というようなこと。
それが、小泉旋風に見られるように、「勝てる勝てる、間違いない」と
言われる(メディアが書く)人に実際の人気も流れるようになってきた
ということを言ったり。
なるほどな。「そういうのを、心配性のジャーナリズムが釘をささなくちゃいけない」と。
今、初めて本田靖晴の本を読んでいる。そんなこともあって、
新聞記者やジャーナリストの仕事を、しっかり見てみようという気になっています。
最後に。本の中で線を引いたりして読んだ部分。
長いけど、覚え書きに。
火事が起きても「火事なんて、人類始まって以来起きているんだ。
また起きたところで珍しくもない」などという人は学者になればいい。
ジャーナリストになりたければ、火事と聞いたらパアーっと駆け出す、
他のどんな能力よりもこれが一番、これなくしては仕事になりません。
そうすると、「お前、好奇心だけでいいのか」という話になる。
(中略)ジャーナリストというのは野次馬の代表であり、野次馬のプロだと
よく言われます。
(中略)「出火原因は何か、死者はいないか、どういう特徴のある火災だったか」
などを取材して分析できる。それがプロという意味です。
つまり、物事が起きた時、それをどう見たらいいのかについての経験と知識、
それを調べるフットワークのある人をプロというんです。
そしてそのエンジンになっているのが好奇心です。
そこからもう一つ大事なのは、「これは何だろう」という探求心です。
探してずっと先まで求めていく。
これが学ぶということの意味でなくてはなりません。
・・・いろんな知識を貯えていきながら、どうやったらそれを知へ転化できるか。
はっきりした方法はないんですが、
知識を蓄積してそれについて考えてみると言うことを繰り返している間に、
ぽんっと何かがわかった瞬間、「体得」です。
(中略)ある時ふっと、ああ、自分はここまで来ていたんだ、と気づく。
まあ、気づくはずだと思ってなきゃやってられないですね、こんなことは。
私はそう信じています。