ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

東北での4日間(4日目)

2011-05-10 12:46:20 | Private・雑感
一関の朝。この日、岩手では各紙一面トップ、昨日には地元紙が
号外を出していた「平泉」。中尊寺金色堂へ。
1124年。奥州藤原氏が、それまでに起こった大きな紛争での死者を
弔う意味で建てたそうだ。堂々と世界遺産に値する素晴らしい建築物だと
思ったし、広い境内一帯がとても平和的で、うれしかった。

・気仙沼の避難所、中学校

一関に戻り、災害支援NGOで働くYさんと合流。
彼女たちが支援している場所のひとつ、気仙沼市内の中学校に行く。
避難所と、学校と。共存の難しさなどを聞く。
なんというか、「どうするべきだ」「どうした方がいい」といったことは、
外の人ではわからないというか、言えない部分が多い。
中にいる人たち同士でなければ。
五百人もいる避難者たちや、自身らも被災しているはずの先生たちや生徒たち。
そこから、改善や前に進むための動きが出てくるしかない。
「こうしましょうよ」、とうまく持っていくには、やっぱり、ほかの地元の人の
力がいるのではないかな。
私のような「外の人」は、被災者がそういう気力が出てくるように、
周りからじわじわと(?)何か助けになれることをするしかない。
これを無力感というのかもしれないけど、仕方がない。

・陸前高田

陸前高田を通って一関に帰り、そこから夜行バスに乗るべく仙台へ。
陸前高田は、川に沿って津波が奥へ奥へ、入り込んだのだろう。
市内中心部の川を渡るのにだいぶ上流まで車を走らせ、
そのどこもが津波の被害にあっていた。
ここにはまだ、警察のチームがところどころにいて、おそらく捜索活動をしている。
広くて、途方もない。
気仙沼から十五分ほどで来られるが、ここは気仙沼に比べれば
海沿いから高台までの距離が遠い。
「だから避難が遅れて、死者が増えてしまった」という新聞の記述を
読んだ気がするが、どうやったらもっと、きちんと伝えられるのだろう。
新聞では無理なのかもしれない。それなら、新聞の得意分野をもっと
追求しなくちゃいけない。

これを書いている途中、NHKのお昼のニュースで、陸前高田での小学校の
始業式が映された。あの瓦礫の町を、スクールバスで通うのだそうだ。
それ自体が私にとっては苦しいことに見えたが、体育館に並ぶ子供たちを見て
少なくとも、これだけの子供は生きていて、学校に来られる状態なのだと
思うと非常に安心する。
被災後の、車が通れる程度には瓦礫が片付けられた後が、初めての「陸前高田の景色」
という私にとっては、やっぱり生気を感じられなかったから。

無事仙台でバスに乗り、山形経由で金沢に帰りました。
目的のひとつであった「東北でお金を使う」だけは、結構達成できました。
ちゃんとビジネスホテルOR観光ホテルに泊まったし。

つらつらとした文章にお付き合いありがとうございます。
続いて、「考えたこと」編を書くつもりです。

東北での4日間(3日目)

2011-05-10 12:01:52 | Private・雑感
朝7時ごろ。朝食前に、秋保温泉の近くにある秋保大滝を見に行こうと
思ったら、警察の車がホテル前に難題も並び、荷詰めをしている。
静岡県警だった。朝食後、彼ら復興作業の人たちの話を、ホテルの人に聞くことになる。

・客足状況
秋保温泉は、仙台市中心部から車で40分ほど。仙台の奥座敷といった位置づけで、
伝統ある温泉地。客室が150室以上ある宿泊したホテルのほかにも、
大型ホテル、旅館が数軒目に付き、寂れていない温泉地の印象だ。
客の半分は、復興需要。警察や電力、ガス、などのスタッフ。
警察は、夜部隊をかなり多く出している様子、とのこと。
遺体や半壊・全壊した家屋からの窃盗がかなりあり、警邏しているのでは。
朝方、10時ごろに帰ってくるのだという。
素泊まりや、夜食も弁当といった感じなので、あまり儲けにはならないが・・・
何十連泊もする彼らをベースに、他の半分の客室を観光客で埋めていく感じとのこと。
「お疲れ需要」というのもあるらしい。
避難所生活の疲れを1泊2日で癒したい、という・・・
宮城県内の避難者は9日現在、まだ3万4792人いる。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4362.html
避難所にいる理由は、いろんなものがあるのだろう。
GW直前になり、仙台など近場からの予約が急に入るようになった。
いつもは東京など遠くから来てくれるが、今年は少ない。

・料理やサービス、今後のこと
手に入らないもの、というのはなくなってきたが、
以前まで設けていた「アワビコース」などの料理のバリエーションは
今はできていない。みな「本日のお任せコース」といった感じ。
それでも、私にとっては大満足な、多すぎる料理だったが。

「とにかく、元に戻したい」。
料理のコースもそうだし、いくつか、天井や壁にひびが入っていて、
その修理もしたい。だけど余震がまだあるかもしれないので、3ヶ月くらいは
我慢して一気に直すつもり、という。
GW、「がんばろう云々」で攻めに出よう、という話も市や県、秋保温泉内でも
あったらしいが、「まだ、見つかっていない人がたくさんいる。その中ではとても・・・」
ということで、ささやかに「復興支援プランあります」程度にしたらしい。
「七夕(祭り)では攻めに出たい」。
外からわいわいと地域経済に貢献しようとするのは良いだろうが、
中からの発信は、そのころまで時間がかかるみたいだ。
観光は経済効果がすぐに出る分野で、東北経済における
大きな収入源だという。ご検討中の方は是非東北に遊びに行きましょう。

午後からは、インターネットのボランティアプラットホームで見つけて、
連絡していた気仙沼のお寺へ。
仙台→一関を東北道で。一関ICから気仙沼へ。

・はじめての気仙沼
気仙沼という漁業の町に来られてよかったと思う。
「被災地といっても、土地の成り立ちが全く異なる」
ことを思い知らされる。宮城県南部は、平たい田園地帯。
気仙沼は山あり谷あり、田んぼなし(おそらく)。
土地利用が違えば、考えなくてはいけないこと、津波の後をどう描くか、ということ
は中身が大きく違ってくる。

海がほこりの舞う瓦礫地の奥に見渡せる、少し高台のお寺。
数年前に新しく建てたこともあり、柱と+アルファだけは残った。
周りは、大きな瓦礫が撤去され、土色で広々と見渡せてしまう。
生き残った檀家は少なく、この土地に戻ってくることもないだろう。
だけど、戻ってくる場所、亡くなった人の話をする場所が必要だから、
といって片付けてお寺の機能を回復させようとしている。

さえぎるものがなくなってしまい、風が強くて強くて。
いろいろと話をしてくれた和尚だが、こうやって、被災の状況や
これからの自分の役割、やるべきことをしっかりと話してくれる人は、
本当に強い人だったり、多くの人の支えがある人だったり、と
いった人たちであることを忘れてはいけないと思う。

ボランティアプラットフォームは
http://b.volunteer-platform.org/vtn/

津波が来る前の気仙沼を見てみたかった。

岩手県の一関の戻る。ビジネスホテルには、テレビ局などメディア関係者や
ボランティアの人たちがたくさん泊まっている様子だった。