ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

東北での4日間(2日目)

2011-05-09 11:31:49 | Private・雑感
前日の作業が、少し身体に応えている気がする。
パンをかじりながら、仙台市宮城野区にある工業団地に立地する
工場で話を聞いた。

大まかな話は割愛しますが、海から2キロもない工業地帯で、
津波の警戒はほぼなかったということ。行政からの警告もない
(そりゃ県が誘致したのなら、警告と合わせて、というのは変な話だ)。
高潮対策で防潮堤対策はあり、避難訓練もあった。
川の堤防も、高潮警戒のためだったとのこと。
工業地帯の横は、「住宅地だった」。

被害にあった場所の描写は、うまくできないので逃げます。
最後にでも、津波で建物が全壊した土地について考えたことを、
まとめたいと思います。

午後は、もう一度岩沼市のボランティアセンターへ。
バスに乗り、お寺に派遣された。仕事は墓地の片付け。
海からは結構距離がある場所に思えたが、墓石が崩れていた。
通路には泥や藁、松の葉。それでも、午前中のチームがだいぶ
片付けたとのことで、仕事を引き継ぐ。
泥を満載した一輪車は重い。土やゴミは、境内の入り口のところに山に
してあり、20メートルほどのその距離が辛かったりした。

・ボランティアに来ている人たち
作業が2時間ということもあり、他の人とはあまり話さない。
「足りてますか?」「運びましょうか」などの作業上の話は別だが。
GWに入り福岡から夫婦で来て、羽田から軽トラを借りてきました、
なんて30代前半の2人。元建設作業員、という20代後半の兄ちゃん。
東京ナンバーのステップワゴンで、1週間、車中泊をしながら
送迎ボランティアをしているという60代の男性。
主婦風で、家族で来ている感じの40代女性もいた。9割が男性だったかな。
6日は一応平日ということもあってか、一緒に作業をしたのは
20~30代と、60代~が多かった気がします。

秋保温泉のホテル泊。
レストランは、浴衣姿の家族連れが多く、にぎわっているように見えた。が・・・

東北での4日間(1日目)

2011-05-09 10:37:48 | Private・雑感
久しぶりの4連休を、東北のいくつかの場所で過ごした。
ボランティアをしたり、伝手を頼って話を聞いたり。
いろいろな情報があって、被災地の外の人も中の人も、
どれが正しいのかよくわからない状況になっているが、
2011年5月5~8日(震災から55~58日後)の、
私個人から見た情報として旅日記の形で残しておきたい。
東北でお金を使うことと、できれば人に話を聞く機会を探そう、
ボランティア状況も見てみよう、という感じ。

・日程
5日 金沢→仙台、宮城県岩沼市でボランティア、仙台泊
6日 仙台市宮城野区の工場で取材、午後は岩沼市でボランティア、
   仙台郊外の秋保温泉泊
7日 秋保温泉のホテル社長にちょっと取材、宮城県気仙沼市に行き、お寺で掃除、  岩手県一関市泊
8日 気仙沼の中学校、気仙沼市ボランティアセンターで話を聞く。陸前高田市を
   通って一関→仙台。夜行バスに乗って金沢へ

・金沢と仙台
5月5日夜中、金沢から仙台へ。
金沢から東北は東京からよりおそらく遠い。
夜行バスに乗れればよいのだが、仕事がだいたい23時ごろまであるので
4日夜には乗れず。前3時47分、急行はくたかで金沢→長岡、
新幹線に乗り換え長岡→大宮、大宮→仙台。午前10時50分着。

仙台では、先に連休入りしていた夫・Kとその友人(仙台在住)と合流。
牛タン定食を食べる。
仙台駅のボランティアインフォメーションでは、宮城県内で
個人ボランティアを受け入れているのは岩沼市と気仙沼市とのこと。
仙台駅から南に20キロくらい?の沿岸、岩沼市社会福祉協議会にある
ボランティアセンターに行ってみる。
足は、最終日まで借りることになるレンタカーのフィット。
ボランティアは、午後1時まで受け付けるそう。
http://msv3151.c-bosai.jp/group.php?gid=10109

・岩沼市災害ボランティアセンター
受付で名前と住所を書く。「ボランティア保険に加入していますか?」と聞かれ、
していないと応えると、カードに名前を書いて、「これでOKです」とのこと。
加入代(670円だったかな)はセンターが負担してくれるそうだ。
その後マッチングの列に並ぶ。
9人ずつぐらいで部屋に呼ばれ、即席9人チームで輪になって座り、
「○○さんの家に行っていただきます」「泥だしや片付けのお仕事です」
とスタッフが説明。送迎ボランティアの人のステップワゴンに乗る。
一輪車やスコップなどの道具は、別のボランティアの人が軽トラで
派遣先まで運ぶ。後から考えてみれば、まあ「派遣労働者」ですね。

活動時間は2時間。思いのほか少ないと思ったが、体の疲れと、トイレに行かずに
活動できること、岩沼は被災地が他に比べれば広くないようで送迎に時間がかからないこと、ボランティアを依頼する人も精神的に負担にならないことなどを
考えると妥当な時間だと思った。

・Sさんの大きな家で掃除?
Sさんの家は、田んぼの真ん中で、2町3反を耕作していたそう。
ここ来るまで、元は田んぼらしき風景が、砂の層に覆われ、乾燥してひびわれている。
もう作付けの季節だろうに・・・。Sさんちのおばあちゃんは、
何千万円もしただろう稲の乾燥機が倒れて壊れ、沿岸部に立っていて流れてきた
松の葉やわらで埋もれてしまっているのを前に、「平成18年に買ったんだけどね、、」
など話してくれた。
家の中の泥や砂を、四角いスコップですくって一輪車に乗せる。
家の床をスコップで滑らせて、「家が傷つくけど、本当にいいのかな」と思ったり。
おそらくは。この家を改修することはない。建て替えしか難しいだろう。
じゃあなんで、どこまできれいにすればいいのだろう?
思い出の品など、必要なものはすでに除かれたように見えたが・・・。
意味合いとしては、「家の片付け」というより「解体業者の仕事の代替」に近いのだと思う。
それでも、おいそれとショベルカーでつぶす気にはなれないし、その後の方針を
決めるには時間がかかる。とりあえず、片付けよう、ということではないか。
とにかく、「マンパワーのいる仕事、人にしかできない仕事がたくさんある」
ことは確信。大量に人をさばく岩沼市はなかなかすごいな、と思った。
聞いてみれば、広島の社協がセンターのほとんどを運営しているとか。
たくさんの人手のいるセンター運営自体を、NPOとか、他の社協とかに
委託するのも、ありだと思う。
帰ってからは、長靴にシャワーを当ててくれるボランティアがいて、
一輪車やスコップなどを洗ってくれる人もいる。流れ作業でボランティア修了。

・仙台空港近くの堤防
決壊し、水が大量に流入する流れ口になった箇所がある。
不思議だったのは、堤防の海側は無傷で、堤防の上部分と、陸側の部分がほぼ
全壊していたり、陥没していたりしていたことだ。
津波が登りきったときの水圧と、引き潮や流入した後の水流がえぐりとった
形なのだろうか。
風が強く、寒い。

・名取市閖上(ゆりあげ)地区
江戸時代から続く漁港があったそうだ。大きな瓦礫はすでに取り除かれたその地域は、
遠くまで見渡せてしまった。
家の基礎を見る限り、かなり密集した住宅地が、海からすぐのところに広がっている。
川沿いの堤防は立派で、決壊のあとなどはなかった。
瓦礫撤去などがすんでいたこともあり、警察や自衛隊もいない。人もいない。

仙台駅近くのアパホテルに宿泊。