ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

藻谷浩介(2010)『デフレの正体』

2011-05-12 23:27:43 | Book
小泉政権時代、「戦後最大の好景気」(いざなぎ景気:2002-2007)と言われ、
「それでも一般市民の実感にはなっていない、なぜか」という
議論があった。リーマンショックの後は、企業業績も落ち込み、
使用者も労働者も状況が悪化した。

この本では、「好景気」というあやふやな表現の裏で
生産年齢人口が増加から減少に転じたという日本がかつて経験していない
現象が起こっており、これが現在の物価の下落傾向(デフレ?)、
日本経済の規模の縮小につながっていると指摘する。
指摘する、というか、証明する。

生産年齢(15-65歳)人口の減少
 ↓
消費人口の減少
 ↓
供給能力の過剰
 ↓
在庫積みあがりと価格競争激化
 ↓
在庫の時価の下落(物の値段が下がる)

お金を使う世代の人口が減り、また、お金をたくさん持っている高齢者は
「死ぬまでになにがあるかわからん」と財布を手放さず(もしくは配当を
受け取って潤い)、内需は急激に縮小するスパイラルに陥っている。

「人口減少したって、生産性を上げれば経済成長する」といったのは幻想で、
少ない人数をで同じものを生産できるようになったからといって、その
利益が分配されるべき、その商品の生産を担う人自体が少なくなっているなら
利益を給与として受け取って、モノを買うようには動かない。
だまされてはいけない、と。

車も家もパソコンも携帯も。市場が成熟してしまえば、追加的需要量はかなり
小さくなってしまう。今まで、消費人口の拡大に伴う市場拡大で、こういう
日用品?の類の製造業で日本経済は大きくなってきたが、その路線は難しくなる。
もう、伸びが期待できない。

そんなに驚く話ではないはずなのだけど、謎解き形式で、
「こう思っているでしょう?でも実はこうなんですよ」と
数字を出されて、何度か予想を裏切られ、なるほどーと思ってしまった。
数字を確認することの大切さを認識。そして、経済の構造をイメージしなくては。
小売販売額の推移や小売業の就業人数、店舗面積、生産年齢人口の値など、
少なくとも三重と石川の数字は確認しておこう。

そのような課題の中で、具体的な対応策がいくつか書かれている。
その1つが、女性の就労参加だ。
「女性の方が買い物が好きだし、少量だけど高価でおいしいものを選んで食べる」と。
もちろん、旦那の給料でそれをしたっていいのだけど、
素直な感覚として「自分が働いているから、ほいほいっと買い物できる」というのは
身を置き換えてみれば自明のこと。
女性の就労で、保育や中食、家事代行系サービスの需要が増大するだろう、
こういう3次産業の拡大は需要拡大にとっても大きな役割を果たすだろう、
とは思っていたけど、彼女ら自身の購買行動が大きく変わり、服にしろ外食にしろ
消費が活発になることは、そりゃそうだ、という感じだが、非常にインパクトは大きいはずだ。

やはり、話題になっている本は、早く手にとってさらっとでも読んでみなくちゃ
いけないですね。遅い遅い。

東北での4日間(考えたこと)

2011-05-12 23:26:50 | Private・雑感
いくつか、東北で考えたことを。

■ボランティアは足りているのか
足りていないと思います。
重機のステージが終わって、マンパワーのステージに
なっているところがたくさんある。岩沼はまさにそうだった。
気仙沼のボランティアセンターにも寄って少し話を聞いたが、
まだ足りないとのこと。
個人ボランティアを受け入れ、道具を貸してくれるところはある。

全壊の家は、おそらくマンパワーのステージがない。
ニーズをマッチングしてくれるセンターは、短期的に何か手伝いたいという
人にはとても有用だろう。

また、このマッチングはけっこうノウハウがいると思う。
例えば、岩沼では2時間制で、2時間の作業が終わった頃に
迎えの車が来る。
気仙沼では、9時からの受付→作業場→作用が終わったら電話/午後4時まで。
2時間という区切りはないとのこと。
おそらく、カバー範囲が広く、午前と午後に分けて、などと車を出していられない
のではないか。
どちらのボランティアセンターも、社会福祉協議会が運営していた。
社協は100%「官」というわけではないが、半分以上官的な存在。
県や市町が物資の受け皿になったり、官がボランティアをコーディネートする
というのは、「海外ではない」(NGOの友人の話)。
もしかしたら、ここまで官がやることはなかったのではないかなーと
思ったり、センターごと経験のあるNPOなどに委託してもよいのかもしれない。
社協への応援として、他地域の社協、NPOスタッフらが入っているようだったが。

■被災地を見るということ
近年では、誰も大規模な津波の被害を経験したり見たりしていない。
(海上の養殖施設などは別だが)
文章で書いても、伝わらない。
何より、個別性が伝わらない。
この図で、浸水域が1平方キロメートル以上の市町区を数えると、30ある。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4363d.html
30の自治体ごとに、地形や産業、町の中心部の被害などがぜんぜん違う。
私の住む市と隣の市の性格が全く違うように。
被害が大きすぎて、そういうことが見えなくなってしまいがちだ。
ボランティアをして、ただひとつの町だけでも、具体的に認識できれば
今後の被災地の見方も変わってくると思う。

■今後のまちづくり
外の人が、いろいろ口出しすることは、能力的に限界がある、と思った。
中の人たちが、自分たちでやるのでなければ到底出来ない。
それぐらい根底からの作業で、作業量は相当に多い。
地形、産業、人のネットワークがなければ、最後までやり切れない。
外の人を入れながら、中の人が議論して決定していく。
そんなこと、被害にあったいくつもの土地でできるのだろうか。
昨日、日経の経済教室で、復興構想会議に入っている大西隆・東大教授が
「まちづくり会社を」という提言をしていた。
これだけ多様な被災と、多様な選択肢、どこにどうやって住むかを最終的に
判断する被災住民が多い場合にはうまく機能するのではないかという
印象を持った。

ほとんどの町は、町の全てが流されたわけではない。きっとできる。

■被災地の外で
外にいる私はどうすればよいのか。
「外の話」をやるしかない、とあきらめがついた気持ちだ。
財源はどうするのか、とか、避難者の受け入れで改善できるところはないかとか。
仮設住宅の形は、現実的に最適なものなのか?とか。
(賃貸で入るところがないから仮設住宅なのか、地域の被災者とばらばらに
 なりたくないためなのか、今のところちょっとわからなくて。)

復興需要で経済は中期的にはプラスに働くという見方が大半だが、
そういう国レベルの話と、被災地の個々の自治体レベルだと話は違う。
どちらも大事にしなくちゃいけない。
人々が持つ震災のイメージが過少にならないように、少なくとも税金を通じて
つながっていて、誰もが無責任ではいられないものなのだと考えたい。