ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

『原発を止めた町―三重・芦浜原発三十七年の闘い』(2001)

2011-05-13 12:23:12 | Book

大震災発生後、一番最初に読んだ本。家の本棚に置いてあったが、
ちゃんと読んでいなかった。1人で地域紙を主宰し、記事を書き、発行し続けた
著者による記録だ。

原発を受け入れようという土壌はどのようにして出来てくるのか。
どうして止めるに至ったのか。
手に取るように分かる好著だった。
芦浜原発は、旧南島町(7000人ほど)と、旧紀勢町(4000人ほど)に
またがる芦浜地区に計画された。
紀勢町では、町も漁協も一貫して推進派が強かった。
南島町では、全国的にも珍しく行政側(町役場、町長)が反対派だった。
議会も両方いたが、反対派が多数。主要漁協の古和浦漁協が、当初反対派で、
のちに推進派団体となっていく。

なぜ、古和浦漁協で原発受け入れの土壌ができたのか。
簡略的に言えば、

漁業不振
(設備投資の大きい養殖業が広がり、不振による打撃も大きくなった)
 ↓
漁協の財政悪化(信用金庫部分)
電力会社による預金の運用によってどうにかまかなうように
 ↓
電力マネーへの期待増

という流れだ。

まず、中電と三重県が芦浜原発計画を発表する。これが1963年。
上に見たように、南島町では当時、反対派の方が多い。
中曽根(のち首相)さんが団長の、衆院科学技術特別委員会委員視察団が
視察に来た際、漁師らが阻止し、90人が逮捕されたほど活発な反対だった。

これを受け、原発計画は「休止」期間に入る。
が、その後、真珠大不況(1968年)、はまち養殖が流行るも、70年代には
全国的に生産過剰状態、採算の悪化、加えて南勢のハマチに対する
根拠のよくわからないバッシング(東京キー局の番組に、「三重のハマチは
薬漬けだ、とたたかれたらしい。どこでもやっていることなのに?)で価格暴落。
漁協の組合員の構成が、漁に出る「船主」から「養殖業経営者」になっていく。
漁協という銀行の運営主体の、大口債務者ということだ。
信用事業(銀行業)の財務悪化から、1990年度から、
この土地の漁協でも中電の預金を受け入れるようになる。

本によると、91年度、ここらへんのいくつかの漁協、農協などへの中電の預金額は
合計19億7500万円。
最大では24億7500万円にまでなったこともあるという。

なぜ原発計画を止められたのか。
ひとつは、直接的に一番効いたのは、原発立地の前の海洋調査で、通常は漁業権を持つ
人たち(漁協)の同意のみ必要であるところ(「通常」については要確認)、
南島町長の同意を得るまで実施しない、という旨の覚書を町と中電が交わしていたこと。(1994年、海洋調査の受け入れを決める漁協総会が、反対派のデモで
開けなかったことを受けて協議し、決めたもの)

ふたつめには、南島町議会が住民投票条例を設けており、上の覚書締結後に、
賛成決定ラインを2分の1から3分の2に引き上げる条例改正をしたこと。
これで、「町長の同意」はかなりハードルが上がった。

・・・ドラマチックなものではない。小さな(結果的には大きかったが)手続き上の
取り決めが、賛成派に押し切られないための歯止めになった。
芦浜の場合は。

書き始めると、細かいところまでブログに書いてしまう。
本当は、それから考えたことを主体にした方がよいのだろうけど、
「細かいところが大事」と思ってしまう。
仕事をして、芽生えたものだが・・・これが良いのか悪いのか、物事を矮小化して
見てしまっている気もする。一般化、抽象化するのが下手になっていくような。

今住んでいる石川県には、能登半島に志賀原発がある。珠洲原発も計画されたが、
なくなった。どこも事情は異なるには違いないが、
「原発が立地するとはどういうことか」の雰囲気は分かった。
「なぜ賛成」「なぜ反対」という主張は、きっとこの本の前著「芦浜はいま」に
あるのだろう。
電力会社の「工作員」が、どういう動きをし、預金なんかでどうアプローチするのか。
国の、通産省の電源対策室室長だって、しっかりこっそりやってきては酒を注ぐ。
1970年代、80年代を知っている人には常識かもしれないが、
1983年生まれの私には、肌感覚としての「原発立地」は強い印象だった。

ちなみに---------------
(この著者の方を個人的には全く存じ上げませんが)
著者は、1975年から2001年まで、1人で原発を追いかける新聞を作り続けた、らしい。
本を見れば、「こういう仕事は世の中に必要だな」と思う。尊敬する。

ただ、一方で紀伊長島町議を6期務め、議長まで上り詰めて(?)いる。
2001年以降は県紙に席を置き、なお町議を勤めていたとも聞きました。
議員というものは得票率最大化を考えて行動する人間という固定概念があるので、
その人間が出したり書いたりする「新聞」は意見広告にならないとも限らないし、
立場として客観的事実を書いていると判断しにくい。
個人的には、そういう立場で書いたものを有料で「新聞」と名をつけているのは
違和感があります。

でも、発行し続けたということは読者がいたということなのでしょうし、
新聞社が雇っていたということは(たぶんそこが一番違和感のあるところ)
需給が一致したというかなんというか。
いろんな役割の新聞がある。新聞と言おうが言うまいが、
そのものに役割があれば良いのだと思います。