ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

『現代日本の思想』

2019-05-22 05:47:49 | Book
思想について、ほとんど知識がないし、興味もあまりなかった。1956年出版の、鶴見俊輔・久野収によるこの岩波新書を手に取ったのは、実家にあったから(しかも私が買って読んだ形式がある!記憶にはないのだが)、というのと、生活綴り方の運動が思想の歴史に結び付けられている章が興味深かったからだ。綴り方運動は、細切れ的に聞いたり触れたり、「山びこ学校」を読んだりと、断片的に興味を持ってきたので。

明治以降の思想の流れを、歯切れよく、時に断定的に紹介している。私の解釈と感想を一言ずつ書いていこう。

・日本の観念論ー白樺派
白樺派は、1910年ごろから10年ちょっとの間のグループ。武者小路実篤、有島武郎、志賀直哉など。どんな理念か、というより、理念主導で現実をつくろうとした。自給自足の「新しき村」など。でも現実への理解が足りず、現実を動かすことはできなかった。代わりに、美しい文章を残した。

・日本の唯物論ー日本共産党の思想
共産党は、それ以前の雑多な思想領域の運動家たちが集まって大正時代に創設された。その後、その雑多性を否定して、純度の高い思想を目指した福本和夫が率いた。一貫して、大衆から距離があった。
「天皇の理念は、日本の大衆の意識の中にふかく植えつけられていた。それと同じくらい深く、日本共産党は日本の知識人の意識の中に入っている。この2つの事情は、欧米人には理解しにくい特殊なものである」
一方で、権力に対して緊張感を持って批判し続けたのは、日本においては「リベラル」ではなく共産主義であったと評価もしている。この本でも、「リベラル」という思想を紹介する章はない。
それにしても、共産党の検証能力のなさを批判した部分などに、現在の共産党はどう答えるのだろう。

・日本のプラグマティズムー生活綴り方運動
生活綴り方は、生活改善に重きを置いた日記のような、感想文のようなものだと思っていたけれど、思想的にも意義づけられるのだと知って喜んでいる自分がいた。このブログのように、自分自身に問いかけながら書くことは意味がある、と言ってもらえたような気がしたから。「自由」「春」などと観念的なあやふやなテーマを与えたり、文章制限をしたりするのはよくない、というのは共感できた。海外では、読み方において「現実の何をどう動かすという意味なのか」問いかけながら読むのがプラグマティズムだ、というような紹介も興味深かった。生活に即して考えて文章を書き、共有して感想を言い合い、生活に生かす。教師たちを主体に自然に広まったこの動きを、理想的な思想運動と捉えて解説しているところに著者たちへの好感が持てた。

・日本の超国家主義ー昭和維新の思想
超国家主義の前段階として、明治維新で伊藤博文らが整えた思想体系の説明になるほどと思った。天皇に政治的権力と精神的権威を持たせ、教育勅語を記し、「天皇の国民、天皇の日本」とした。一方で、天皇を絶対的主体として国民は抗えないのであれば、いつかは反政府、反天皇の動きが出る。政治的失敗は天皇のせいだとなってしまう。だから、天皇に政治を促す「翼賛する、補弼する」主体として国民・官僚組織を位置づけた。官僚には一応、誰だってなるチャンスがある。
大衆にとっては神、エリートにとってはシンボルという、両面を備えた天皇。
エリートへの反発が、実務面でも天皇を神としたがる超国家主義をもたらした。天皇は革命のシンボルとなっていった。ここらへんの思想の捉え方をめぐる動きは、読んでいてスリルがあった。もう一度読んだ方がいいと自分では思う。

こんな感じで、初めて思想の本をまともに読んだと思う。天皇制などについて夫と話をすることがないわけではなかったが、印象論で言っていることが多かった。その背景にある思想は何なのか。興味を持てるようになったと思う。

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