ほっぷ すてっぷ

精神保健福祉士、元新聞記者。福祉仕事と育児で「兼業」中。名古屋在住の転勤族。

ひとめぼれ

2006-10-06 20:50:28 | Public
◎昨日・今日の新出単語

buy in bulk : まとめて(割引価格で)買う
golden paraxhute : 天下り
in a shortage of : ~が不足して =they are short of
go all the way back : (原因を探して)来た道を戻る
go all the way back to find the reason why this conclusion is wrong.
committee : 委員会
love at first sight : 一目ぼれ
infatuation : のぼせあがり ≒ obsession : 妄想

・・・

今日、ルームメイトと「一目ぼれは存在すると思うか」について話が盛り上がった。昨日の夕飯のとき、私がドイツ旅行の中で41歳の男の人にプロポーズされた、という話をしたことがきっかけだ。(会って3時間、手をつないだり、全く色っぽい話もしなかったのに・・・けっこう格好良い人だった。)

彼女は、一目でわかることなんてなんにもないのにそんなの絶対信じない!という意見。私は「人のルックス、話すトーン、挨拶に選ぶ言葉、なんかでわかることはたくさんあるから、ある人にとってはそれが恋に落ちるには十分な情報量なんじゃない?」と言ってみた。「私は”ある人”ではないけど」と念を押して。「話をしたり何年も付き合ったところで全てを知ることが出来るわけじゃないし」。

「そんなのloveじゃない!」


・・・一度やってみたい、一目ぼれ。「この人好印象!」から始まる片思い、とうレベル以上は未経験。


・・・

人が何かを判断するときどれだけの情報量を必要とするかというのは、もちろんその人の性格にも大きく依存するが、「その人がどれだけ情報を手に入れることが出来るか」にもよるのではないか、とふと思った。つまり、

手に入れた情報量/手に入れられそうな情報量

が一定レベルになれば、それ以上の情報を欲しなくなって、判断を下す、ということを言いたいのです。分母の「手に入れられそうな情報量」は状況、その人の情報収集能力、費やすことの出来るコスト(時間など)によって変わってくる。


・・・
いや、違うな。実際はもっとシンプルな気がしてきた。

手に入れた情報量/その人の満足する情報量

かな。なんだ、変数は「楽観的か慎重な人か」という性格だけじゃないか、つまらないなぁ。


アムステルダムで知り合った男の子は私のことを好きらしく、ほぼ毎日電話してくる。話すのは楽しいし、会うのに時間がとられるわけでもないからわずらわしくないしで、メールもしたりしている。でも彼が「I miss u」とメールの最後に付け加えるたびに、「なんで!?」と少し不思議に思う。「miss」っていうのは、今まであったものが亡くなったときに恋しく思う、という意味ではないのかしら。

まあいいや、I am not serious. 勉強に戻ります。





ぼおっとする時間

2006-10-06 04:11:52 | Public
6時半に起きたかったけど、7時半に起きた。携帯を目覚まし時計代わりに使ってはいるが、ほんとうにこの携帯がアラームとして機能しているかは不明。いつも自分で起きちゃうから。

午前中は、急に追加された授業に行った。今週三回目のこの授業。今週の先生はすごくアグレッシブで、大教室ながらエキサイティングな講義。

午後、Language Exchangeとして2回目、Martinと会う。1時間は英語、1時間日本語。コーヒーがおいしかった。


・・・

最近ぼおっとする時間が少ないな、とふと思った。わたくしにとって「ぼおっとする」というのは「疲れていつの間にか何もしない時間を過ごしている」というニュアンスなのだが、デンマークに来てからそんな時間がない気がする。なぜ?

ひとつは、疲れないから。正確には、疲れてもすぐ寝る場所があるから(部屋で過ごす時間が多い)。ひとつは、通学のために1時間も電車に乗る、ということがないから。自転車での通学時間は音楽が友達だ。そしてひとつは、いつでも友人が近くに居るから。人と過ごしている時間が長い。



「ぼおっとするって大事なんだよ」

と言ってたのは誰だっけ、と思って、あぁそれは兜森だった、と思い出した。彼はいつ電話しても、「何してたの?」と聞くと「いや、ぼおっとしてた」と答える。

ぼおっと、意図しないままに思考が漂う時間って、実は大事なのかな、と彼じゃないけど思ったりする。非生産的で、そのあと落ち込んだりするのだけど、でも必要な時間。あの忌々しい通学電車も、ときには考えをめぐらすのに有意義な時間?


そのためには精神的、肉体的に疲れるほど何かに頑張っていなくちゃいけない、ような気がする。なんだかそれが足りないような気がするのです。でも、、、やっぱり疲れたくないし(笑)。

なぜこの環境で、疲れることが少ないかというのは、勉強が半強制的(授業に沿った勉強)だからかなと思う。これだけやりなさい、と言われるとそれ以上やらない、、というのはわたくしだけではないはず。そういう環境は久しぶりなんじゃないかと思う。誰にも具体的に指示されないと、やってもやっても足りない気がするのに、指示されると簡単に満足点に到達してしまうから、人間って単純なものだ。


こんな話も含めて、今まで(おおよそゼミに入ってから)の環境と、ここでのお気楽ヨーロッパ大学生の環境は、だいぶ違うな、と思うことが多々ある。それは日本とデンマークの違い、というわけではなくて、勉強の目的とか、研究してるとかしてないとか、という違いから来ているように思う。

Anyway、THの発音のときに舌を前歯から出してからひっこめる、というのが今日出来た課題。

単純か複雑か

2006-10-05 06:42:42 | Public
午前、朝一でやったプレゼンはまあまあ。プレゼン中はそんなにナーバスにならなかった。午後、中央駅に行ってストックホルム行きの夜行列車のチケットを買う。11月に、ストックホルムからエストニア、モスクワ、サンクトペテルブルグ、ヘルシンキを回る学生ツアーに友人たちと参加する予定で、ストックホルムまでの手配だけは自分でしなければならなかったからだ。イタリア人のキュートな男の子と一緒だったから楽しいサイクリングデートだった。その後はもういっこの授業に出て、スーパーでパンと紅茶を買って帰宅。

最近、「外人より日本人の(ボーイフレンドの)方が全然いいよ。外人は単純だもん。」というゆう友人の言葉を思い出す。私の場合、表現力の拙さをテンションで補っているがゆえに(?)明るく単純っぽい男の子(シリアスなことを気にしない感じの子)の方が仲良くなりやすいこともあってか、「確かに」と思うことが多々ある。男の子に限らず、たぶん全て日本語でコミュニケーションしてたら友達にならないかもって子と仲良くなっちゃうのは(テンション付き合い、とでも呼ぼうか)良いのか悪いのかわからないけど、ここでの友人付き合いの特徴かもしれない。

それで、シリアスな話もできる友達は、同じくらい英語が上手くない女の子だったりする。コミュニケーションツール、そのレベルって、思いのほかいろんなものを規定しているのかもしれない。

複雑な人間にはなりたくないけど、複雑なものを考えられるようにはならなくちゃいけないな、と思うのだけど、どんどん単純な人間になってるような気がする。


他流試合

2006-10-04 03:14:46 | Public
明日、英語の授業でプレゼンをしなくてはいけない。so nervous。

ここでの生活は、総じて「他流試合」だ、と思う。相手の土俵でどれだけもちこたえられるか。気づくのが少し遅かった。明日のプレゼンにこの意気込みを表すことができるだろうか。


二木先生は、修行時代のキーワードとして5つ、
1.継続は力
2.寺子屋教育(少人数勉強会)
3.良い指導者に付く
4.他流試合の必要性
5.この世は業績

を並べている。
(『私の研究の視点と方法』
  http://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/20060301-niki-lecture.html)

ここにきて、私は他流試合の機会をもったわけです。相手の言葉で表さなくちゃいけないって、だいぶ向こうにアドバンテージがある。

考えてみれば、ここまでだいぶ長い間、他流試合がなかった。知っている面子の中で勉強し、遊んできた。一つのチャンスを生かせなくても、他の面で嫌というほど知り合っている仲の人間ばかりだったから、やはりどう考えても聴衆は私に好意的だったと思う。

他流試合。今、社会人の友人たちが毎日やっていることだ。きっと。ぬくぬく伸び伸びやってきたこれまでのことを改めて実感している。

表現力と思考力

2006-10-03 15:20:42 | Public
表現力は思考力を規定する、と思う。
ゆえに自分がすごいシンプルな人間になってるような気がしてくることがある。

思ったことを、そのままtranslateできないから、よりシンプルな単語を探すのだけ
ど、そうして出てきた言葉は、真に自分の気持ちを表しているわけではない。
nearly equal。それで全て満足してしまう世界。私は幸せ者?

考えろ、考えろ。うーん、難しい。
音楽、スポーツ、おいしい食事。これ3大ノンバーバルコミュニケーション(小林定
義)。
にげちゃうんだよなぁ、そして太るわけです。

考えるスパン

2006-10-02 03:52:58 | Public
風邪を引いた。日本ではまったく風邪を引かなかったのに・・・。旅行でさぼったぶんを取り返すべく、この週末にはぎっしり勉強の予定を入れてみたのに全く機能しなかった。あぁ恐ろしや。。

何もしたくない気分の中で、いくつか心配事が頭に浮かんだ。1つは10月後半にあるテスト。1つはそのテストの前に行こうとしている1週間の旅行。今日から10月だ。

何もしない、というか寝てばかりの2日間だった。普段、わたくしはあまり長い時間(8時間以上)寝られない体質のようなのだが、この2日とも、日中に3、4時間の昼寝をした。それでも足りない、と体が言っている。すこし微熱気味。

こんな生活の中で、何もしなくてもなんだか快適に楽しく毎日が過ぎていくことを知ってしまった。これは恐るべきことだ。自分自身を怠惰に感じながらも、まいっか、で次の日がやってくる。。。日本ではこんな感覚なかった気がする。何が違う?

すなわち、何をするにも1セメスターは短すぎる、という思いが頭の中にあるから、努力継続型の活動をする意欲がなかなか出てこないのだ。その代わり、せつな的な楽しみには大変意欲的だったりする(笑)毎晩コモンルームでサッカーゲーム(手動で、棒に幾つか人形が付いてるやつ)に熱中するのがそれだ。全て、「1セメスターだけだし」と思えば悩みにもならなければ悔しかったり悲しかったりもしない。深刻にならない。交換留学生たちが総じて明るく軽やかに見えるのは、そういう感覚があるのかもしれない。


「物事を考えるスパン」で、人の性格、生き方って相当変わってくると思う。

ビジネススクールを選ぶ学生たちは、多分にリアリスティックで実行的、短いスパンで考えるのが好きな・得意な人たちだと日々感じる。この点理系の人間、というより私の周りの理系を選んだ人間とはだいぶ違う。私の周りのゼミ生もそうだ。それに加えて、交換留学生はもっと違う。全てが切り離されたこの5ヶ月という中途半端な時間で、強制的にせつな的思考の中に導かれているかのように思える。よく食べ、よく遊び、旅をして、、帰っていく。わたくしもまぎれもなくその中に居る。

何が言いたいかというと、全てを深刻に考えられなくなっているような気がするという、ぼんやりとした不安が心地よさの中にあって、残りの日数を思うたびにどうしたものかなぁと思うわけです。


同じプログラムの交換留学から帰ってきた先輩が、帰ってきて早々、「コツコツやるしかないな、と思った」とふっとそれだけもらした言葉を思い出す。なんだか少し分かった気がした。
継続は力なり。というか、継続しなくちゃ力にならないわけで。
・・・継続するのは苦手、でも何か継続してないと不安、というのが私という人間のようです。

そういうわけで今日決めました。一日一ブログ継続宣言。どうぞよろしくお願いします。