Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

不思議な木漏れ日

2009年07月22日 | 那覇、沖縄
 三日月になった木漏れ日がきらきらと地面を泳いでいる。なんだかもったいなくて踏むことはできないよ。太陽を遮ることもできないよ。できるだけ地面をゆらゆら泳いでいて欲しいもの。
 学生たちはそんな木漏れ日を囲んで、まるで池の金魚を眺めるように、コンクリートの地面を静かに見つめている。不思議な光景。ここはいつも君達がなにげなく踏みつけていく「道」なのに。
 でもね。そんな三日月の木漏れ日ばかりではなくて、その三日月と三日月の間の不思議な影だって素敵。だから、あと30分だけでも、ここを誰も通ることの出来ない「道」にすればいいのにって本当は心の中で思っていたんだよ。

遮光板に思う

2009年07月22日 | 那覇、沖縄
 かみさんが日食観察用に買ってくれた遮光板は、大学で本当に役に立ったのだった。何気なく私が中庭に出て遮光板で太陽を除くと、続々と私の周りに学生が集まり、たぶんのべ100回以上、4,50人の学生がこの遮光板から日食をみて「すごい!」と歓声をあげた。
 嬉しいな。こんなたくさんの人が僕を通して、喜んでくれるなんて。僕はきっとこのたった一時のために存在するだけで、日食が終わればその存在は忘れられ、箱のすみにしまわれて二度と太陽の光を見ることがないか、それともどこかの上にホコリだらけになるまで置かれ、大掃除のときにポイってごみ袋に捨てられちゃう運命なのだもの。そんなことわかっているんだよ。でもね。君一人がこれであの太陽を見るのではなくて、大勢の人たちがぼくを通して太陽を見つめてくれたことを僕は忘れない。ありがとう・・・。
 彼はこう言い終わると、わずかに微笑んで、その後はもう何もしゃべることはなかった。それはもういいよという合図に聞こえ、私は反射的に遮光版を箱に収めた。ありがとうって言うのは、ぼくの台詞だよ。きっと次にあの太陽が日本ですっかりカラ・ラウに食べられるときは、もう僕はこの世にいるかどうかわからないのだからね。

三日月のような・・・

2009年07月22日 | 那覇、沖縄
 ブログ検索で「日食」なんていれたらものすごい数なのだろうが、例にもれず私のブログも今日は旬の話題「日食」である。日食は書いて字の通り、日=陽が何者かに一時食べられてしまうわけだが、私の研究地域のバリでは悪霊のカラ・ラウが、一時、太陽を大きな口に入れてしまうと考えられている。コバルビアス『バリ島』(平凡社)には、そんな太陽を救うためにバリの人々は太鼓、ドラム缶、銅鑼などを叩くと記されている(305頁)。
 しかし実際にこれを体験するとそんな記述が実に生々しく自身に迫ってくるのだ。徐々に太陽は欠けてくるのだが、10時半頃、狂っていたように鳴いていたクマゼミの声がぱったり止んでしまう。そして真昼にもかかわらず少しずつ暗くなり、急に冷たい風が肌を通り過ぎていく。こんなことは、科学的な知識がなければ超自然的存在の仕業だと考えるしか解決できないだろう。
 かみさんが探してきてくれた遮光板を通して、「だめもと」で写真を撮影してみた。それがこの写真。まだ三日月まではいっていない時間だが、この後、太陽は徐々に三日月の姿へと変貌していく。私はそんな光景を見ながら、背筋に寒気が走るような感覚を覚えた。それは感動とも恐怖ともいえない不思議な非日常的な感覚で、いろいろ考えてみたところで言葉にならないのだ。というよりも、言葉にすることがすでに意味をなさないようなレベルの感覚なんだろう。