Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ニッショク・ポンショク

2009年07月23日 | 家・わたくしごと
 昨日、「日食」という文字を何度かブログに書き込んでいるうち突然、「これ、日本食堂の略字みたい」と思って一人で笑ってしまった。日本食堂を今の若い人たちは知らないだろうけれど、国鉄=日本食堂と結びつくようなそんな国民的食堂だった。
 私が最後に通った日本食堂は、上野駅公園口の2階にあった日本食堂である。ここはレストランで上野公園に遊びに来た家族連れでいつも込み合っていた。レストランの基本メニュー、ナポリタン、カレー、ハンバーグ、カツ丼、パフェなどなど特別なメニューはなかったが、なんとなく時代から取り残されたようなレトロな雰囲気が好きだった。
 東京芸大でバリ・ガムランの練習を終えたあとなどはここで一息、というパターンが多かったが、よく考えてみると「今日もニッショクでいい?」とは言わず、「今日もポンショクで飯食う?」なんて話していたことをふと思い出した。そうなのだ!「ニッショクではなくポンショク」だったのである。この場合のポンはニッポンの「ポン」。そんなことを考えているうちに「昨日のポンショクは感動したなあ」なんて今日、大学で言ってみようかしら、と馬鹿なことを考えているPである。

不思議な木漏れ日

2009年07月22日 | 那覇、沖縄
 三日月になった木漏れ日がきらきらと地面を泳いでいる。なんだかもったいなくて踏むことはできないよ。太陽を遮ることもできないよ。できるだけ地面をゆらゆら泳いでいて欲しいもの。
 学生たちはそんな木漏れ日を囲んで、まるで池の金魚を眺めるように、コンクリートの地面を静かに見つめている。不思議な光景。ここはいつも君達がなにげなく踏みつけていく「道」なのに。
 でもね。そんな三日月の木漏れ日ばかりではなくて、その三日月と三日月の間の不思議な影だって素敵。だから、あと30分だけでも、ここを誰も通ることの出来ない「道」にすればいいのにって本当は心の中で思っていたんだよ。

遮光板に思う

2009年07月22日 | 那覇、沖縄
 かみさんが日食観察用に買ってくれた遮光板は、大学で本当に役に立ったのだった。何気なく私が中庭に出て遮光板で太陽を除くと、続々と私の周りに学生が集まり、たぶんのべ100回以上、4,50人の学生がこの遮光板から日食をみて「すごい!」と歓声をあげた。
 嬉しいな。こんなたくさんの人が僕を通して、喜んでくれるなんて。僕はきっとこのたった一時のために存在するだけで、日食が終わればその存在は忘れられ、箱のすみにしまわれて二度と太陽の光を見ることがないか、それともどこかの上にホコリだらけになるまで置かれ、大掃除のときにポイってごみ袋に捨てられちゃう運命なのだもの。そんなことわかっているんだよ。でもね。君一人がこれであの太陽を見るのではなくて、大勢の人たちがぼくを通して太陽を見つめてくれたことを僕は忘れない。ありがとう・・・。
 彼はこう言い終わると、わずかに微笑んで、その後はもう何もしゃべることはなかった。それはもういいよという合図に聞こえ、私は反射的に遮光版を箱に収めた。ありがとうって言うのは、ぼくの台詞だよ。きっと次にあの太陽が日本ですっかりカラ・ラウに食べられるときは、もう僕はこの世にいるかどうかわからないのだからね。

三日月のような・・・

2009年07月22日 | 那覇、沖縄
 ブログ検索で「日食」なんていれたらものすごい数なのだろうが、例にもれず私のブログも今日は旬の話題「日食」である。日食は書いて字の通り、日=陽が何者かに一時食べられてしまうわけだが、私の研究地域のバリでは悪霊のカラ・ラウが、一時、太陽を大きな口に入れてしまうと考えられている。コバルビアス『バリ島』(平凡社)には、そんな太陽を救うためにバリの人々は太鼓、ドラム缶、銅鑼などを叩くと記されている(305頁)。
 しかし実際にこれを体験するとそんな記述が実に生々しく自身に迫ってくるのだ。徐々に太陽は欠けてくるのだが、10時半頃、狂っていたように鳴いていたクマゼミの声がぱったり止んでしまう。そして真昼にもかかわらず少しずつ暗くなり、急に冷たい風が肌を通り過ぎていく。こんなことは、科学的な知識がなければ超自然的存在の仕業だと考えるしか解決できないだろう。
 かみさんが探してきてくれた遮光板を通して、「だめもと」で写真を撮影してみた。それがこの写真。まだ三日月まではいっていない時間だが、この後、太陽は徐々に三日月の姿へと変貌していく。私はそんな光景を見ながら、背筋に寒気が走るような感覚を覚えた。それは感動とも恐怖ともいえない不思議な非日常的な感覚で、いろいろ考えてみたところで言葉にならないのだ。というよりも、言葉にすることがすでに意味をなさないようなレベルの感覚なんだろう。

タヌキはどこへいった?

2009年07月21日 | 
 先週の金曜日、休みをとって二年ぶりに奥湯沢の貝掛温泉を訪れた。山の中の一軒宿。お湯は37度の低温ながら、1時間も入っていると体がポカポカしていくる温泉で、「ぬるいお湯派」の私が大のお気に入りの温泉である。
 2年前に訪れたときの感想を私はこのブログに記しているのだが、なぜかその時、印象に残ったのはユニークな格好をしたタヌキの剥製(2007年7月2日のブログに写真あり)。今回はこのタヌキとの再会も楽しみであった。剥製は、温泉(お風呂)に行く階段の途中にあったために、必ず見ることができるはずなのである。「さあ、タヌキでも見に行きましょうか」というK氏の言葉に促され、浴衣を片手に階段方向に向かう。以前とまったく変わっていない旅館の風情を楽しみながら、タヌキとの再会を心待ちにして胸が高鳴る・・・。「ナイ?タヌキガ ナイ?」口に出す前に数度、心の目で確認してそれを反芻する。「確かここにありましたよね。」と私が言うと「あっ、ないですね」とK氏も驚きの表情。あるはずの場所にタヌキがなくなっていたのである!
 タヌキの代わりに金属性の梵鐘の置物などが並べられ、この部分は以前とすっかり趣が変わっている。以前は雑多に剥製や人形が並べられたコーナーが妙に小奇麗な空間になってしまっているのだ。しかし考えてもみれば旅館なのだから、置物や調度品が季節などによって並べ変えられるのは当然の成り行きなのだが、それでも期待を裏切られ、タヌキと再会できないことを悟った瞬間は、すべての思考がネガティヴに働き、突然、仕事のことを思い出したり、上演するワヤンの筋書きで決まっていない部分を心配したり、悲しいかな真っ暗な深海に一人乗りの潜水艦で取り残されたような気分に陥ってしまった。そして「どこへいったの?貝掛のタヌキは・・・」と《花はどこへいった》の旋律を付けて心で悲しく歌ったのだった。

ありがとう

2009年07月20日 | 家・わたくしごと
 小玉川の公演が無事終わり、本日、東京の実家に戻りました。明日、早くに沖縄に戻ります。まずは「ありがとう」。コーディネートしてくださった小玉川のたくさんの方々、東京の方々、そしてメンバーの皆、たくさんの友達、そしてこの公演で友達になれた方々に。公演は一人ではできないもの。だからたくさんの「皆」に感謝。
 ワヤンの公演はあいにく雨で外ではできなかったけれど、そのおかげで休校になった集落の小中学校の体育館は、久し振りの賑やかな音楽や観客の笑い声できっと喜んでくれたのだと思います。「寂しかった体育館が、きっとあなたたちをたちを呼んで雨を降らしたのよ。」と言ってくれた小国の人々の優しさには感動すら覚えました。でも、しばらくは昨日の記憶を思い出して、溜息なんかしないで過ごせるよね。体育館さん?
 公演が終わって、民宿の広間に集まったスタッフと出演者たちが和気あいあいと夜中まで楽しそうに時間を過ごしている姿を見て、ワヤンの学んできて本当によかったと思いました。まだまだ勉強しなくてはいけないけれど、それでもワヤンの上演がこんな素敵な空間を作り出してくれたのですから。そうそう、「私」でなくて「ワヤン」のおかげ。スタソーマ王に感謝しないと・・・。

祝!「ヒラミ8」復活発売

2009年07月16日 | 家・わたくしごと
 インドネシアのワルンで出てくる「エス・ジュルック」、あるいは「ジュルック・パナス」ファンの皆様へ朗報。あの伝説のシロップ(わが家限定)、JAが作る「ヒラミ8」が数年間のブランクを経て、再発売されたのだ。数年間はヒラミレモン(シークヮーサー)の生産が間に合わずに生産が中止していたという。
 このシロップはヒラミレモンの濃縮果汁に甘いシロップを加えたもので、水あるいはお湯で希釈するとインドネシアで飲む「はじめから甘いジュルック系の飲料」と瓜二つの味がする。はっきり言って、絶対インドネシアに「戻り」たくなるお手軽な一品。
 このシロップ「ヒラミ8」であるが、沖縄の観光ガイドに手ごろなお土産として紹介されているのを見たことがない。しかし私はこれこそ500円以内で購入できて、長く楽しめる絶品「沖縄のお土産」だと思うのだ。沖縄でお土産に困ったときはお探しあれ。確実に発見できるのはJAのA-COOPである。
 


芝刈り

2009年07月15日 | 家・わたくしごと
 祖父の家にはかつて芝生が緑の広がっていた。さほど広いわけではなかったが、それでも相撲をとる程度の遊びには十分の広さだった記憶がある。子どもの時分は、よく祖父と芝刈り機で芝を剪定した。前に押すと芝を刈れるような刃がつけられているもので、やはり子どもが誤って手でも入れないようにと祖父といっしょに作業したのだろう。それでもそれはとても楽しかった思い出だ。
 今でも庭の広さはほとんど当時のままだが、花壇の部分が徐々に拡張し、芝の部分は歩ける部分のほんのわずかな箇所に狭まってしまった。それでも芝は根を張る植物なので毎年、しぶとく生え続けるために芝刈りをしないと汚らしい庭になってしまうのだ。それを見かねてか、あるいは偶然出会ったのかはわからぬが、父が数年前、古道具屋で古い芝刈り機を買ってきたらしい。昔、祖父と使ったものはとっくに壊れて今はなくなっていたのだ。
 昨日、私はその芝刈り機を使って数十年ぶりに庭の芝刈りを手伝ったのであった。カタカタというスクリューのような大きな刃が回って芝を刈る音が気持ちよく響く。この音だ!子どもの自分もこんな音を耳にしながら作業したっけ。でも、なんだかものすごく前に押すのがたいへん。これは芝が長いからなのか、それとも刃が切れないのだろうか?もう数分やっただけで「コツがいるんだよ」と言う父にバトンタッチ。結局、親父の手伝いは中途半端のまま終了。
 さて芝刈りの話をワヤンの練習に来たメンバーたちにしたところ、「桃太郎」の話を持ち出した方がいたが、ちなみに桃太郎に出てくる「山にしば刈りにいくおじいさん」の「しば」は、「芝」ではなく「柴」である。こちらの柴は、燃やすための小枝などのこと。「考えてもみーや、山に「芝」刈りにいってどないするんや!」なーんてね。ちなみに言われたときは私も知らなかったので、ちょっと勉強した成果の披露(自慢)である。


悪役好き

2009年07月14日 | 家・わたくしごと
 ワヤンの練習が終わるや否や、何人かのメンバーが善側のヒーローであるスタソーマの写真を撮らせて欲しいといってきた。もちろん何の問題もないので、スクリーンにスタソマの人形を立てると携帯で撮影。それで撮影会はあっという間に終了?
 「あの・・・悪役のプルサダも格好いいんだけど」とそのあとプルサダの人形を立てた。一人を除き、ほとんど興味を示さない。やっぱり皆ヒーローが好きなんだなあ。怪獣よりウルトラマンか。ぼくはね、どっちかというとそんな悪役の方に常に思い入れがあるんだけどな。「根っからの悪」でその悪行がたたって正義の味方に殺されちゃうという勧善懲悪の話は、ワヤンの演目にたくさんあるけれど、ぼくはそうした話よりも「わけあり」の憎めない悪役の方が好き。たとえば、本当は「いい奴」なんだけど、結果的に悪役になって戦っちゃうみたいな人物。
 プルサダもはじめからそんなに悪い王ではなかったんだよ。料理人がその日に調理する肉を盗まれたことから、仕方なく人間の肉を食べさせちゃって、たまたま王がそれに味をしめちゃっただけなんだから・・・。善から悪への転換なんてほんの紙一重なんだ。人間なんて本当は弱い動物。でも最後はちゃんと過ちを認めるでしょう?自らの過ちに気づいて「ごめんなさい」って心から言える人は根っからの悪人じゃないんだ。だから、あえて私の写真はプルサダ・・・。


マドラーから攪拌棒へ

2009年07月13日 | 家・わたくしごと
 実家でジントニックを作る。毎晩、父は晩酌するがその種類はビールはもちろんのこと日本酒、焼酎、ウィスキー、ワイン、カクテルなど実に幅が広い。家にはそれ相当の種類の酒類がストックされていて、常に無くなりそうになると補充するために少なくても家にある種類の酒は切れることがないらしい。実に父の性格を反映している。
 さて、グラスに氷とジンを入れてトニックウォーターを注いだあと、当然、ジンが均等になるよう軽く混ぜるのだが、その時、父が驚くべき単語を口にしたのである。それが「攪拌棒でよくかき回して」。混ぜる=攪拌させるための棒のことで、もちろんきわめて正しい日本語である。ようするにジンを攪拌するわけだし。
 「攪拌棒」とグーグルに入れて検索すると、これは理科実験や医学系の道具として掲載されている。すべてのホームページを見たわけではないが、「攪拌棒」を記した頁は、いわゆる「マドラー」と混同されて用いられてはいない。つまり同じ攪拌棒であっても、「攪拌棒」は学術的な世界の道具であり、「マドラー」は酒の世界の用語なのである。考えてみれば父は確かに理系の人間だ。しかし私は「攪拌棒」という三字の漢字からなる言葉の響きがひじょうに気に入ってしまった。今ではカクテルだって、ゆずや梅などの和風テイストのものが次々に出ているわけで、そう考えてみればもはやカクテルは舶来の洒落た飲み物ではない。そう考えてみれば、思い切ってマドラーから攪拌棒へ名称を変更し、おもいきり和風テイストでいこうじゃないか!