『社会福祉学』Vol.49-2 2008.8
患者・家族、そして専門職へのインタビュー調査を通じて、各々の「認識のズレ」を体系的にまとめている。
どちらか一方に対してのインタビュー調査から、援助の在り方を問う論文は割と多いが、両者に対して、「あの時はどうであったか?」的なインタビューを行う調査はとても少ない。核心に迫る結果も出ているため、大変興味深く、学ぶことが多い。
ALSと確定診断がついたときに、医療者は「今後こうなります。いずれ必要になりますから、こういうものを知っておいたほうがい。」と様々なサービスについて情報提供をすることがある。
もちろんすぐには受け入れられず、月単位でもしくは年単位で、その時々に応じたサービスを利用するよう働きかける。身体的状況に応じて、より生活がしやすくなるように、情報提供をし、効果的にサービスを利用させる…それが「患者支援」であると思っていることが多いであろう。実際、私もそう思い、働きかけていた。
そして、何度説明をしてもサービスを利用せず、その結果生活をする上で、何らかの支障を来してしまった場合、「やっぱり…だからサービスを使ったほうがいいって説明したのに」と思い、そうなってしまった患者・家族を「理解力がない人たち」と援助者間で「レッテル」を貼ってしまったこともある。
本論文を読んで、こういった自分(そして自分たち)の考え方をものすごく恥じた。「理解力がない」のではなく、まさしく「認識のズレ」が根本にあったのではないかと考えさせられた。
進行性の疾患であるがゆえに、援助者は「身体状況」を重視し、先に先にと援助の手を差し伸べる。疾患とのバランスを考えるのは非常に難しいが、もし「本当にあの患者と家族は、病気を理解しているのか?」と疑問に感じた時、援助者自身の説明能力を振り返るのも一つだが、それよりも、患者・家族がいる「位置」をきちんと把握することが、より大切であろう。
「患者に寄り添って援助する」ことを、今一度、考え直したい。
患者・家族、そして専門職へのインタビュー調査を通じて、各々の「認識のズレ」を体系的にまとめている。
どちらか一方に対してのインタビュー調査から、援助の在り方を問う論文は割と多いが、両者に対して、「あの時はどうであったか?」的なインタビューを行う調査はとても少ない。核心に迫る結果も出ているため、大変興味深く、学ぶことが多い。
ALSと確定診断がついたときに、医療者は「今後こうなります。いずれ必要になりますから、こういうものを知っておいたほうがい。」と様々なサービスについて情報提供をすることがある。
もちろんすぐには受け入れられず、月単位でもしくは年単位で、その時々に応じたサービスを利用するよう働きかける。身体的状況に応じて、より生活がしやすくなるように、情報提供をし、効果的にサービスを利用させる…それが「患者支援」であると思っていることが多いであろう。実際、私もそう思い、働きかけていた。
そして、何度説明をしてもサービスを利用せず、その結果生活をする上で、何らかの支障を来してしまった場合、「やっぱり…だからサービスを使ったほうがいいって説明したのに」と思い、そうなってしまった患者・家族を「理解力がない人たち」と援助者間で「レッテル」を貼ってしまったこともある。
本論文を読んで、こういった自分(そして自分たち)の考え方をものすごく恥じた。「理解力がない」のではなく、まさしく「認識のズレ」が根本にあったのではないかと考えさせられた。
進行性の疾患であるがゆえに、援助者は「身体状況」を重視し、先に先にと援助の手を差し伸べる。疾患とのバランスを考えるのは非常に難しいが、もし「本当にあの患者と家族は、病気を理解しているのか?」と疑問に感じた時、援助者自身の説明能力を振り返るのも一つだが、それよりも、患者・家族がいる「位置」をきちんと把握することが、より大切であろう。
「患者に寄り添って援助する」ことを、今一度、考え直したい。