今朝の読売新聞に表記の本が紹介されていた。
新型コロナウイルスの終息が見えない昨今、この考え方が注目されているとのこと。
2012年に本ブログで紹介した記事を再掲載。
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米国の家族療法家(心理学の専門家)による書物。
「死別」に限らない「喪失」の存在に注目し、「喪失をした証」(*死の場合は葬儀が存在し、それがある種の喪失の証となる)がない場合の喪失へのアプローチについて臨床経験を踏まえて報告している。
引用
・曖昧な喪失には、二つの基本的な種類がある。第一のタイプは、死んでいるか、生きているかどうか不明確であるために、人々が家族成員によって、身体的には不在であるが、心理的には存在していると認知される場合である(例:離婚家族、養子関係の家族)。第二のタイプは、人が身体的に存在しているが、心理的に不在であると認知される場合である(例:アルツハイマー病、アディクション、慢性精神病等)。
・医師は、しばしば、未解決の深い悲しみの徴候を伴う患者に、抗うつ剤を処方する。しかし、薬物療法は、確かに大きの場合有益であるが、曖昧な喪失とともに生きなければならない家族成員を助けるのに十分ではないかもしれない。
学生時代の恩師が東日本大震災後に、支援に向かったソーシャルワーカーにスーパービジョンを行った際、本書の理論を用いたという。
津波等で家族の行方が分からない状態で過ごしている方たちは、まさに「あいまいな喪失」の只中であろう。
どこで/なにで気持ちのギアチェンジをしたらよいのか、死別とはまた違った形での喪失へのケアが必要なんだと気付かされた。
老いや慢性疾患による生活上の不都合も、あいまいな喪失に含まれるであろう。
そうとらえると、喪失に関する知識やケアの技術は、どの領域の援助者にも必要不可欠である。
頭の片隅に…だけでもいいので、「喪失は死別に限らない」と是非知っておいて欲しいと思う。
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