徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

はやしことば「トコセ」

2022-02-11 20:36:51 | 音楽芸能
 東海風流チャンネル(水野詩都子さん・﨑秀五郎さん)にアップされた新曲は

   岐阜県民謡「トコセ」

 信濃で唄われていた「御嶽山」が「伊那節」となり、
 岐阜県の中津川へと伝えられ、
 「トコセキナヨドンドン」という囃子ことばを付けられ
 唄われるようになったそうです。



 ところでこの唄の題名にもなっている囃子ことばの「トコセ」ですが、日本の代表的民謡「伊勢音頭」の囃子でおなじみ「彌長久(いやとこしえ)」の「長久(とこしえ)」から来ているものと思われます。

彌長久(いやとこしえ)
 世怡彌成(よいやな)
  安樂樂(あらら)
   是者伊勢(これはいせ)
    善所伊勢(よいとこいせ)

 江戸時代の数次にわたる「お伊勢参りブーム」によって、日本全国に伝播し、全国の民謡の囃子はほとんど「彌長久(いやとこしえ)」の歌に起源するともいわれています。実はこれは、二千年以上も昔から歌われる伊勢の皇大神宮(内宮)御鎮座の歌を囃子にしたものなのだそうです。
 囃子ことばに歴史あり、といったところでしょうか。


熊本の花街(1)

2022-02-10 17:55:11 | 歴史
 わが町、京町の歴史を調べているがなかでも気になるのが、明治時代初期、遊郭の街となった歴史。様々な資料の一つとしてとても参考になるのが、郷土史家・鈴木喬先生(2010年没)が「市史編さんだより」の中に書かれた「熊本の花街」シリーズ。
 熊本市市制施行百周年記念事業の一つとして昭和63年から平成14年まで15年をかけた「新熊本市史」の編纂で、鈴木先生は民俗・文化財分野の編さん委員の一人であった。「市史編さんだより」とは編さんの経過を記録し、広く市民に進行状況を知らせるために発行されていたもの。
 不定期ではあるが、今回から鈴木先生の記事を数回に分けて掲載したい。




くまもと花とみどりの博覧会

2022-02-09 18:13:23 | イベント
 国内最大級の花と緑の祭典「全国都市緑化フェア」が、下記のとおり熊本で開催されます。
  • 名  称:第38回全国都市緑化くまもとフェア
  • 愛  称:くまもと花とみどりの博覧会 ~THE GREEN VISION 未来への伝言~
  • 提  唱:国土交通省
  • 主  催:熊本市、公益財団法人都市緑化機構
  • 事業主体:第38回全国都市緑化くまもとフェア実行委員会
  • 開催期間:令和4年3月19日(土)~5月22日(日)(計65日間)
 今回は、次の3つの会場でさまざまなイベントが行われることになっています。
  街なかエリア:熊本城公園及び花畑広場一帯
  水辺エリア :水前寺江津湖公園一帯
  まち山エリア:立田山

 多くの皆さんが花や緑に触れ、コロナ禍で疲弊した心身を癒していただくことを願っています。


街なかエリア:熊本城公園及び花畑広場一帯


水辺エリア:水前寺江津湖公園一帯


まち山エリア:立田山

能舞台のはなし。

2022-02-07 21:45:41 | 伝統芸能
 熊本の能楽関係者の悲願は公立の能楽堂建設だと聞く。おそらく福岡市の大濠公園能楽堂のような施設を想定されているのだと思う。神事能が盛んな歴史を有する熊本の常設能舞台はすべて神社の所有。しかも客席は野天。2018年の水前寺成趣園能楽殿での出水神社薪能では途中から豪雨に見舞われ、僕も散々な目に遭った。たしかに屋根付きの能楽堂があれば天候の心配もないしとも思う。
 能を観るようになって12年が過ぎた。これまで屋外、屋内問わず多くの能舞台を見てきた。昨年3月、水前寺成趣園能楽殿で行われた「翁プロジェクト」公演を見た。吹き渡る早春の風に木々の葉がそよぎ山桜の花びらが散る。遠くに鳥のさえずりも聞こえる中、朗々と謡い上げる声と小気味よい四拍子の響き。それらが混然一体となって初めて能という芸能は成立するのではないかと、能の原点ともいわれる「翁」を見ながらそう思った。たまには雨に見舞われることもあるかもしれないが、それも含めて能なのではないかという気がする。


水前寺成趣園能楽殿


かつて水前寺成趣園に存在した土壇の能舞台


土壇の能舞台で行われていた薪能

信長が舞った曲舞

2022-02-06 21:49:57 | 伝統芸能
 昨年1年間のYouTubeマイチャンネル動画再生回数が一番多かったのは「幸若舞 敦盛」(41,758回)という意外な結果になった。その要因はあらためて分析してみたいが、最近、織田信長が舞った「敦盛」についてのお問い合わせが散見される。以前、一度このブログで回答したことがあるが、再編集して掲載した。

 幸若舞とは室町時代前期、越前の桃井直詮(幼名幸若丸)によって始められたという曲舞(くせまい)の一種。いくつかの流派が生まれましたが、明治維新後、そのほとんどが途絶えました。唯一、筑後の大江村に伝わった「大頭流幸若舞」が辛うじて今日まで残っています。
 織田信長が舞った「敦盛」は越前幸若舞と思われますが、今日伝わる大頭流幸若舞と同じなのかどうかは不明です。信長が「敦盛」を舞ったことが文献に見えるのは信長の近習だった太田牛一が、信長没後20数年経ってから著した「信長公記」のみといえます。
 「信長公記」の首巻に二ヶ所記述が見えますが、それは概ね次のような内容です。

 尾張の天澤という天台宗の高僧が所用で関東へ下る途中、甲斐國で武田信玄に会った。信玄は、信長の人となりをたずねたが、その中で、信長の数寄(風流の嗜み)をたずねた。天澤は「舞と小歌を好まれる」と答えた。信玄が「幸若大夫を呼んでいるのか」とたずねると天澤は「清洲の町人友閑という者を呼んでおられる」さらに「信長公は敦盛の一番しか舞われない。人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり、と謡いながら舞っておられる」と答える。

 もう一ヶ所は、永禄3年(1560)5月19日早朝、信長は鷲津砦・丸根砦が囲まれたとの臣下の注進を聞くと、「敦盛」を舞い始めた。「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」と謡い舞った後、「法螺を吹け」「具足をもて」と命令。具足をすばやく身に着け、立ちながら食事をすると、兜を被って出陣された。この時付き随ったのは小姓衆五騎であった。

 信長と幸若舞に関する記述は上記のものしかないと思われます。映画やドラマにおいて、信長が「敦盛」を舞うシーンは能舞のように振付けられることが多いので能舞と思われている方も多いようです。なお、能の演目にも「敦盛」がありますが、「人間五十年 下天の内をくらぶれば・・・」という詞章はありません。


加藤清正と立花宗茂

2022-02-05 20:23:02 | 歴史
 今日、テレビ朝日系九州ブロックで放送された「石原良純のすごいぜ!熊本城 第2弾」は大小天守の復旧なった熊本城のみならず、同じ九州の柳川城および佐賀城も合わせて紹介された。中でも熊本城を築いた加藤清正と柳川城主・立花宗茂との信頼関係による熊本と柳川の深い縁などが紹介された。
 わが家の住所は京町2丁目だが、かつては柳川丁と呼ばれ、さらに江戸時代に遡ると柳川小路と呼ばれた地区。関ヶ原の戦で西軍に与し、敗れて改易となった柳川藩・立花宗茂の家臣団を加藤清正が預かり、この地区に住まわせたのでそう呼ばれた。このエピソードはメディアで語られることはほとんどない。今回の放送はそれが紹介されたことだけでも価値があったと思う。 


立花宗茂公に扮した石原良純さんとぎん千代姫に扮した中上真亜子さん


加藤清正公が柳川衆を住まわせた柳川小路(熊本市中央区京町本丁)


立花宗茂公正室「ぎん千代姫」の墓碑・通称ぼたもちさん(玉名郡長洲町腹赤)

初午大祭の愉しみ

2022-02-04 18:02:46 | イベント
 今年の初午の日は2月10日(木)。毎年2月上旬は熊本城稲荷神社の初午大祭が愉しみだ。なかでも福迎え御神幸行列や奉納舞台が愉しみなのだが、昨年、今年と新型コロナウイルスの影響で中止になった。残念である。
 しかたないので、過年度の懐かしい映像や写真で振り返った。10日には密を避けて参拝だけには行こうと思う。 


福迎え御神幸行列が熊本城稲荷神社を出発


上通を御神幸行列が進む。踊りながら進む舞踊団花童


厩橋で「熊本城稲荷神社音頭」を踊る舞踊団花童

厄除け虎くぐり

2022-02-03 17:06:18 | 
 加藤神社の節分祭では、加藤清正の虎退治伝説にちなみ、参拝者が「厄除け虎くぐり」をして無病息災を祈願した。
 現在熊本は新型コロナウイルス感染症の「まん延防止等重点措置」が発令中。自分自身の努力では今以上やれることもないので最後は「神頼み」とばかりに虎の口をくぐる。その後、本殿に参拝し、福豆をもらって帰った。これでコロナウイルス退散となれば嬉しいのだが。


大人にはかなり窮屈な虎の口だが子供たちは楽しそう。

    昨年5月22日 加藤神社創建150年を祝し行われた「和魂祭」における
    東儀秀樹・典親親子による舞と雅楽

コロナ退散を祈って

2022-02-02 21:08:47 | 
 熊本県の新型コロナ新規感染者は今日も1000人を超え、衰える兆しは一向に見えない。いったいいつまでこんな状態が続くのだろう。出来る範囲で最大限の予防対策はしているつもりだが、なんとなくそこらじゅうにウィルスが忍び寄っているような気がしてならない。明日は節分祭。加藤神社の「厄除け虎くぐり」に行くつもりだが、時間帯を見計らって、密は絶対避けなければ。節分を期に感染が下火に向かうことを祈るばかりだ。


加藤神社から大小天守の遠望に梅の花が彩を添える

    昨年5月22日 加藤神社創建150年を祝し行われた「和魂祭」における
    野村萬斎・裕基親子による狂言「末廣かり」

漱石と門人たち

2022-02-01 19:05:37 | 文芸
 夏目漱石内坪井旧居の前をよく通るのだが、今、熊本地震被害の復旧工事中で休館している。2022年度中には公開再開予定という。

 フォローさせていただいているブログ「どうぶつ番外物語」さんの昨日の記事に文学作品に因んだ川柳が十首掲げられていた。その中に次の一首があった。

  「夏目筆子は ポジティブな 松岡譲に傾いて(松岡は譲られたのではなく久米正雄から奪った)

 夏目筆子とは漱石の長女で、門人の久米正雄と松岡譲との間の三角関係のことを川柳にしたもの。
 この話の顛末は久米正雄の私小説ともいえる「破船」の題材となっている。ただ、これはあくまでも久米の視点で書かれたもので、松岡側からは異論があり、いまだに論争があるようだ。また同じく門人だった芥川龍之介や菊池寛や山本有三らも絡んで複雑な様相を呈したという。だが、一番のキーマンは漱石の鏡子夫人だったようだ。

 内坪井旧居の復旧工事が始まって以来、庭園にも入れないが、以前は「筆子」産湯の井戸を眺めながら、そんなことを考えたりしたものだ。