徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

せつほんかいな

2021-06-30 13:46:17 | 音楽芸能
 﨑秀五郎さんの端唄3曲目は「せつほんかいな」。
 唄の中で囃子詞(はやしことば)として何度も登場する不思議な言葉ですが、この唄の前身を知れば「あゝそういうことか!」と納得します。
 この唄のもとになったのは阿波徳島の俗謡「節季候(せきぞろ)」。
 この唄が端唄になっていく経緯について、下に添付したNHKラジオ番組「民謡をたずねて」の中で次のように説明されています。

――毎年暮れの12月になると「節季で候(せっきでそうろう)めでたいな めでたいな」と囃しながら、家々を回って歩く「門付芸人(かどづけげいにん)」がいました。かつては全国各地で見られたこの芸人たちも、明治の半ば以降姿を消してしまったといいます。その門付芸の名残が徳島の色街に残されています。今晩の「民謡をたずねて」は俗曲調の座敷唄に姿を変えた「せきぞろ」から聞いていただきます。唄:お鯉、お囃子:コセイ会の皆さんです。――

唄っているお鯉さんとは2008年に101歳で亡くなった徳島の伝説的な芸妓です。

 芭蕉に次の句があります。

  節季候の来れば風雅も師走哉 (せきぞろのくればふうがもしはすかな)

 この俳句から芭蕉がいた江戸中期には既に「せきぞろ」を唄う門付芸人たちがいたということになります。
 
「せきぞろ」が門付芸人たちによって江戸へ伝わり、さらに花柳界で洗練されて「せつほんかいな」へと変わっていったと考えられます。「せつ」というのは「せっき」が変化したものでしょうし、「ほんかいな」というのは端唄でよく使われる「しょんがいな」と同じような一節を締める囃子詞と考えられます。





よみがえる新日本紀行「石だたみの街で~長崎~」

2021-06-29 19:30:20 | テレビ
 今日の午後、NHK総合で「よみがえる新日本紀行」が放送された。この番組についてNHKのサイトには次のような説明がある。

――昭和38年から57年にかけて、日本各地の風土や人々の営みを描いた「新日本紀行」。最新のデジタル技術で鮮やかによみがえる。番組の舞台を再び訪ねたミニ紀行も合わせて放送。半世紀の変化を紹介する。――

 今日放送されたのは昭和54年(1979)に放送された「石だたみの街で~長崎~」。長崎にもしばらく行っていないが、40年前の町や人の様子と現在の様子を見比べながら、自分自身のこの40年の人生と重ね、感慨深いものがあった。


眼鏡橋の石だたみ


オランダ坂と活水学院の女子学生たち


40年前、新人バスガイドとして観光客を大浦天主堂へ案内するいつ子さん


現在は写真スタジオで働くいつ子さん


40年前も今も、長崎名物からすみの名店・小野原本店の6代目ご夫妻


もみじの橋

2021-06-28 19:36:21 | 音楽芸能
 崎秀五郎さんのサイトの「動画 DE お稽古」というページで秀五郎さんの三味線と端唄を聞くのが毎日の楽しみとなっている。どの曲もいいが、中でも好きな曲が先日ブログに載せた「奴さん」と、この「もみじの橋」。
 東京本社に勤務していたころ、前を通る八重洲通はその昔、「紅葉川」と呼ばれた運河だったらしく、「紅葉橋」もあったらしい。しかし、この「もみじの橋」は現実にある橋の名ではなく、古今和歌集に詠まれた下の歌をモチーフとした架空の橋を唄った端唄だそうだ。

  天の川 紅葉を橋に わたせばや たなばたつめの 秋をしも待つ(古今・秋上)

古語辞典によれば
 「天の川に紅葉の葉が散ったのを水に浮かべて、橋のように渡すからなのだろうか、おり姫は恋人の訪れるという秋をひとしお待っていることよ。」というような意味だという。

 気がつけばやがて「たなばた」。今年の七月七日ははたして、織女は恋人との逢瀬を果たすことができるだろうか。



   ▼舞妓さんが舞う「もみじの橋」

2019.10.9 Tsuruya サテライトスタジオ 祇園東の舞妓 叶久さん

夏越の祓する人は・・・

2021-06-27 20:32:55 | 日本文化
 昨年は各神社ともコロナ感染拡大に神経を使い、限定的な夏越の大祓になったが、今年は従来のやり方に戻りそうだ。
 ここ藤崎宮段山御旅所では昨年中止された夏越の大祓が、例年どおり藤崎宮本宮に先立つこと三日、かつての門前町「新町大祓」として今日行われた。
 もともと疫病退散を目的として始まったといわれる夏越の大祓なので、今年こそ終息の始まりとなることを願っている。

  水無月の夏越の祓する人は千年の命延ぶといふなり(拾遺和歌集 詠人知らず)

  西山に 向けて茅の輪を くぐりけり(拙句)







今日の日に思うこと

2021-06-26 21:54:35 | 
 わずか4日間の入院だったが、下剤服用などの影響が残っているように思われ、ボチボチ散歩でもして体力回復をと、城内の加藤神社まで散歩をした。予想以上に体力が落ちていることを実感。
 熊本城では28日(月)から天守閣の内部公開を再開するという。熊本市独自の医療非常事態宣言が27日をもって終了することによる措置だそうだ。変異株の感染拡大が危惧されている折、大丈夫だろうか。感染予防対策には万全を期してもらいたい。
 ところで、今日6月26日は、われわれ世代は忘れることのできない「昭和28年 6.26大水害」から68年の日。熊本地震やコロナ騒動ですっかり影が薄くなってしまった感があるが、けっして風化させてはならない。多くの犠牲者への追悼とともに洪水への備えを忘れてはならないと思う。近くでは寺原辺りはもともと湿地帯で昔は住宅は避けていたところにも今では民家が建て込んでいる。


6.26大水害直後の「通町筋電停」付近の様子(前方に鶴屋百貨店や新世界映画館が見える)

今年こそ夏越の祓を!

2021-06-25 17:45:31 | 日本文化
 検査入院で三泊四日を病院で過ごした。検査を受ける以外はほとんど部屋で茫っと外を眺めている時間が多かった。街を行き交う人々や電車の往来、乗客の乗り降りなどを眺めていると、自然と、人生ってなんだろう?という問いが湧き上がる。答えは出るべくもないが、自分自身を俯瞰して見たようなそんな貴重な経験だったと思う。
 さて、娑婆に戻ってみると相も変わらず「コロナ、コロナ」。今月末は夏越の大祓の時季。去年中止となった藤崎宮段山御旅所の大祓も今年はやるそうなので、今年こそコロナの災厄を祓ってもらいたいものだ。


夕方の新町


段山御旅所の夏越の大祓

カイシャ・ダ・マルメラーダ

2021-06-22 10:32:52 | 歴史
 今朝の熊日新聞に、熊本県宇土市走潟地区の住民団体「走潟マルメロ会」が、江戸幕府に献上していた菓子「かせいた」の復刻第3弾として「時献上(ときけんじょう)」と名付けた菓子を開発したという記事が載っていた。「かせいた」は、洋なしに似た中央アジア原産のマルメロの実を、砂糖と一緒に煮詰めて作ったもの。細川家は曲げわっぱに入れて、茶菓子として献上していたという。マルメロというのはポルトガル語のマルメレイロの樹の果実の意味で、「かせいた」の語源も「Caixa da Marmelada(カイシャ・ダ・マルメラーダ):マルメロジャムの箱の意」からきているそうだ。
 江戸時代から戦前まで、走潟村(現宇土市走潟町)の緑川(現浜戸川)河岸段丘地に多く栽培され、「かせいた」の原材料として使われていたが、戦後、マルメロはブドウなどに転換され、「かせいた」の生産は途絶えていた。走潟町では久しく途絶えていたマルメロの栽培を、平成25年、町興しの一環として復活させ、走潟町の宝にしようと「走潟マルメロ会」を立ち上げていた。まだまだ改善の余地はあるが、復刻まであと一歩とのこと。
 なお、「時献上」とは江戸時代、四季それぞれに諸侯が自領の産物などを幕府に献上したことをいうそうだ。


「レディ マーマレード」Patti LaBelleのオリジナルバージョン

なつかしい1枚の写真 (2)

2021-06-21 22:51:51 | 映画
 13年前、僕は当時、登録していた「くまもとフィルムコミッション」の募集に応じ、平山秀幸監督の映画「信さん・炭鉱町のセレナーデ」万田坑ロケにエキストラとして参加した。「くまもとフィルムコミッション」の登録メンバーとしてロケに関わったのは結局3本だったが、エキストラ出演したのはこの「信さん」だけだった。ロケは、物語の舞台である架空の衣島炭鉱で坑内爆発事故が起きるというクライマックスシーンの一部で、早朝から夕暮までまる一日を要した。朝7時の集合だったが、参加者した40名のエキストラの衣装合わせやメーキャップが終ったのはもう10時近かった。炭鉱夫、鉱山職員、警察官、消防団員などの役があったが、僕は消防団員の役をもらった。指示どおりに動くだけかと思っていたら、何とほとんどの役にセリフが当てられた。女性の参加者は炭住の奥さんたちの役だったが、皆さん、演技の上手さにはビックリした。エキストラ経験の豊富な方もおられたようだ。概して男性よりも女性の方が度胸があると思う。1シーンも最低5~6テイクはやるし、さらにカメラアングルを変えて同じシーンを数テイクやる、それに加えて同じシーンの音録りをやるので大変だ。待ち時間がまた長いので結局終了したのは午後6時を回っていた。疲れたがとても貴重な体験になった。
 この写真は制作会社のスタッフの方に撮っていただいたもので、参加したエキストラ40名全員が揃って写っている。生涯二度とないであろういでたちのとても貴重な写真である。
 このロケの7年後の2015年、三池炭鉱万田坑は「明治日本の産業革命遺産」の構成要素の一つとして「世界遺産」に登録された。ロケ当時は訪れる人もなかったが、今では荒尾市の観光スポットの一つとして整備されている。


「吉木りさのタミウタ」より

2021-06-20 20:30:40 | 音楽芸能
 今日、NHK-FMで放送された民謡番組「吉木りさのタミウタ」は、民謡の方向性が全く異なる二組のアーティストがその違いを際立たせてとても興味深かった。

 朝倉さやさんは山形県出身のシンガーソングライターで、民謡をスタイリッシュにアレンジし、しかも山形弁を駆使した歌が異彩を放っている。今日の曲は山形県民謡「真室川音頭」をアレンジした「Mr.Mamurogawa」、太田裕美のヒット曲「木綿のハンカチーフ」、それにオリジナルの「新・東京」の3曲。

 一方、東海風流プロジェクトのお二人(水野詩都子さん・崎秀五郎さん)は、東海・中部地方の埋もれてしまいそうな民謡を掘り起し、できるだけ原曲のまゝを再生し、次代に伝承して行こうというプロジェクトを展開中。今日の曲は愛知県民謡「名古屋甚句(前唄・本唄)」と岐阜県民謡「大津絵飛騨ぶし」の2曲。


幼い頃、お兄さん方がよく口ずさんでいた「真室川音頭」がこんなんなりました。



東海道五十三次の宿つづりを大津絵節に乗せて。江戸との関係が深い天領・飛騨ならでは。

オシロイバナ(白粉花)

2021-06-19 21:21:16 | 文芸
 散歩ルートの道端にオシロイバナが咲いていた。たしか去年もオシロイバナのことをブログに書いたなと思い出し、検索すると9月9日に書いていた。今年は随分時期が早いなと思いながら調べて見ると、オシロイバナは7月から9月にかけて咲くとあり、仲秋の季語にもなっている。今年は例年よりも開花が早いのだろうか。
 季語事典には次の三句が例句としてあげられていた。いずれも素敵な句だ。

  白粉の花ぬつてみる娘かな  一茶   「八番日記」
  おしろいは妹のものよ俗な花 正岡子規 「子規句集」
  道端に白粉花咲ぬ須磨の里  正岡子規 「季語別子規俳句集」

 オシロイバナを見ると、必ず思い出すのは、幼い頃母の里で過した夏の日の思い出。それとなぜか、城彩苑で見る花魁道中。多分、オシロイバナの微かな甘い香りから連想するのだろう。


今朝降った雨の水滴をまとったままのオシロイバナ


今春もコロナ禍で中止となった花魁道中。はたして秋は?

なつかしい1枚の写真

2021-06-18 18:38:51 | 
 パソコンの中のデータを整理しようと始めたのだが、なつかしい写真や資料が次々と出て来てついつい見入ってしまう。
 この写真は14年前、熊本市国際交流会館で馬頭琴のコンサートを開いた時、演奏者である中国・内モンゴル出身のリポーさんが、熊本市長を表敬訪問をした時の1枚。中央の馬頭琴を提げた人がリポーさんでその左が幸山政史熊本市長(当時)。リポーさんの右隣が主催者であるNPO法人どんぐりモンゴリ熊本支部代表の梅林強さん。幸山市長の左隣がNPO法人代表の角和保明さん。その左がコンサートで司会を務めた吉﨑真美さん。その左が梅林さんの奥様芳枝さん。右端の赤いジャンパーが表敬訪問のアポをとっていただいた市会議員(当時)の牛嶋弘さん。かくいう私が左端。
 会社員時代に何度か市民コンサートを開いた経験を活かして私が総合プロデュースのような役割を務めさせていただいたが、当時の様々な資料も出て来てなつかしかった。


奴さん

2021-06-17 20:41:59 | 音楽芸能
 今週14日と15日のブログ記事に掲載した映像の演奏者がどちらも本條秀美さんだったので、ご本人にその旨の連絡をした。
 すぐにお礼のメールをいただいたが、その中に、今年独立された崎秀五郎さんの近況にふれておられた。秀五郎さんのサイトにしばらくアクセスしていなかったので知らなかったが、意欲的に活動を展開しておられるようだ。
 秀五郎さんのサイトには「動画 DE お稽古」というページが新たに作られており、そこで秀五郎さんの三味線と端唄を楽しむことが出来るようになっていた。また一つ楽しみが増えた。
 今日はその中でも代表的な江戸端唄「奴さん」を掲載してみた。
#崎秀五郎さんのサイト




 それとは別に、昨年4月にYouTubeにアップした「奴だこ(歌詞付)」に不具合があったので、今日修正して再アップした。この「奴だこ」は藤本流三味線初代家元・藤本琇丈さんが「奴さん」をモチーフとして作曲された江戸情緒溢れる名曲。
 たまたま、タイミングが一緒になったのでこれも合わせて掲載してみた。


熊本の風景今昔 ~御花畑邸前の大通り~

2021-06-16 20:02:49 | 歴史
 再開発が進む桜町・花畑地区だが、風景の変遷を振り返ると感慨深いものがある。

▼ここはいったいどこ?
 これが実は辛島公園から行幸橋に向かう大通りの明治後期の姿。左が熊本煙草専売局工場。右の御花畑邸の跡は陸軍の兵舎用地だろうか。前方の西南戦争で焼失した熊本城天守閣はまだない。



▼そのわずか40年前にはこんな風景が
 万延元年(1860)10月には肥後細川藩11代の韶邦(よしくに)公が初入部しており、その様子を描いた大分県鶴崎剣八幡所蔵の行列絵図の最後は御花畑邸の御門前の図。



▼5年前までこんな姿。
 バスターミナルとしての交通センターがセンタープラザとともに市民に親しまれていた。
 再開発工事に伴い、おてもやん像はJR熊本駅新幹線口へ移設された。



▼一時バスターミナルとなった。
 サクラマチクマモトが出来るまでこの大通りがバスターミナルとなった。



▼そして今現在はどうなっているか?
 再開発は最終段階に入り、大通りをオープンスペースとして整備が進められている。アスファルト舗装から石畳風に変わり、車道ではなくなることが現実となる。



▼最終的に目指す姿は?
 広場とシンボルプロムナードが一体化したスペースとしてデザインされている。今年度中に完成の予定。



▼かつて様々なイベントが行われた大通り。
 2014年3月に行われた「城下町くまもと時代絵巻2014 ~シンボルロード演舞~」

コロナ終息の始まりか・・・

2021-06-15 19:56:12 | 話題
 ブログ友やFB友などから、コロナワクチンの接種を受けたという情報が増え始めた。熊本の感染者数もやっとひとけた台に収まりつつあるようだ。
 今日、市役所から僕自身のワクチン接種予約完了のお知らせなる文書が届いた。先日、幸いかかりつけの医院での1回目の接種予約が取れ、2回目と合わせて予約が完了したという文書だった。ひと安心だが、まだまだ油断はできない。8月ごろにまたひと山来そうな予感もある。
 知人などから季節ごとのイベント再開を切望する声をよく聞く。オリンピックより生活と密接につながっている地元のイベントのほうが大事というわけだ。
 10年前、九州新幹線の開業などもあり、熊本城などで様々なイベントが盛んに行われていた頃をよく思い出す。早くあの頃のようなさざめきが戻ってほしいものだ。

 2011年10月、熊本城竹の丸広場で行われた「秋のくまもとお城まつり」の一場面


2011.10.1 くまモン生みの親・小山薫堂さんとくまモン


2011.10.2 舞踊と邦楽ステージ

「5月の動画視聴ベスト10」と 民謡「田原坂」

2021-06-14 21:34:16 | Web
 YouTubeマイチャンネルの5月度動画視聴ベスト10は次のとおりとなった。
 今回「オヤ!」と思ったのは、「正調 田原坂」が4位に入ったことだ。ちょうど10年前、本條秀美さんが師匠の本條秀太郎さんの三味線一本で唄うこの映像に魅了されて、すぐにビデオを提供いただき、YouTubeにアップした。以来、多くの視聴者の方に再生していただき、現在再生回数は20万回を超えている。
 本條秀美さんは地元植木町の文化財ともいえる民謡「田原坂」の保存会活動や全国大会の開催などを通じ、その伝承と普及に永年尽力されている。
 「田原坂」には熊本節と鹿児島節があり、ややもすれば混同して扱われがちだが、あえて「正調 田原坂」と銘打ったあたりに本條さんの矜持が感じられる。