徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ハッピースポット!? ~ 美里町・二俣橋 ~

2010-11-30 20:50:04 | 熊本
 先日、テレビ熊本の「若っ人ランド」で紹介されていた美里町の二俣橋へ行ってみようと、母と家内を連れて出かけた。なんでも晴れた日であれば、午前11時半頃から12時頃までの間に太陽の光と石橋のアーチが織り成す綺麗なハートマークが浮かび上がるらしい。(右写真:観光サイト参照)写真マニアの間では随分前から絶好の撮影ポイントになっていたそうだ。二俣橋と言えば、昨年、映画「半次郎」のロケがあった時、くまもとフィルムコミッションからエキストラやボランティアスタッフの募集があった。僕は熊本地方裁判所のボランティアスタッフを選んだので、二俣橋には行きそこなった。だから今日が初めてだ。あいにく今日は朝は晴れていたものの、時間が経つにつれて曇り空になり、二俣橋に着いた11時過ぎには時々薄日が漏れる程度だったので、残念ながら、くっきりとしたハートマークは拝めなかった。地元の方によれば快晴だった昨日はエライ賑わいだったらしい。これから人気スポットの一つになるかもしれない。


陽が差すのを30分待ったが、残念ながら今日はくっきりとした形は見えず。

世界遺産への道 ~ 万田坑 ~

2010-11-29 17:40:41 | 熊本
 一昨日、荒尾市の万田坑跡がロケ地の一つとなった「信さん・炭鉱町のセレナーデ」を観たばかりだが、今朝の熊日新聞に世界遺産登録を目指す万田坑の現状と課題についての記事が載っていた。それによれば、一部に「修復後の万田坑は世界遺産にふさわしくない」との声があるそうだ。「朽ち果ててもそのままを残すべきだ」という専門家の意見だそうだ。これを読んで僕は「やっぱりな・・・」と思った。一昨年の10月、「信さん」のロケの時、まもなく修復が開始されるという話を聴いて、「それは世界遺産として大丈夫なんだろうか?」と素朴な疑問がわいたことを思い出した。記事によれば万田坑は期待以上の観光振興に寄与しているらしい。だから安全確保の意味からも修復はやむをえなかったのだろう。ただ、修復後の万田坑の姿には正直違和感を感じている。万田坑は「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つとして登録を目指しており、リストから外される恐れはなさそうだ、というのが救いではあるが。


修復前の万田坑(2008.10.17 映画「信さん」のロケ時に撮影)


修復後の最近の万田坑


海達公子が描いた万田坑の風景(昭和元年~2年頃と思われる)

龍馬の時代と「坂の上の雲」の時代

2010-11-28 20:53:38 | テレビ
 今日の夕方は、BS-hiで「龍馬伝」の最終回と「坂の上の雲・第二部」の一回目を続けて見る。考えてみれば、この二つの物語の時代はあまり離れていないことに気付き驚く。龍馬が近江屋で暗殺されたのが1867年、秋山好古が騎兵戦術を学ぶためフランスに渡ったのが1887年。この間20年。平成の世になってもう22年経っていることを考えると、ごくごく短い期間に物凄い変動があったことをあらためて認識させられる。歴史的な評価は別として、そんな時代に、西欧の列強に肩を並べようとした日本人の大胆さと無謀さには驚かされる。今の日本人とは根本的に何かが違うのだろう。

悲しい二つのセレナーデ ~ 信さん・炭鉱町のセレナーデ ~

2010-11-27 19:33:38 | 映画
 今日から「信さん・炭鉱町のセレナーデ」がついに全国公開となった。母を連れて朝一番の上映を観に行く。4月に大牟田で行なわれた特別上映で一度観ているので、今日はちょっと違った視点から観てやろうと思った。この物語は守(池松壮亮)の目線で、信さん(石田卓也)と彼にまつわる人々の想い出が、消え行く炭鉱町の想い出とともに語られていく。大きな幹は、信さんの、20歳も年上の守の母・美智代(小雪)に対する純真な恋の物語だが、もう一つ、信さんの妹・美代(金澤美穂)の信さんに対する愛の物語でもある。信さんと美代は実の兄妹ではない。しかし、幼い頃から実の妹のように可愛がり、事故で死んだ父親に代わって、身を粉にして働き、高校進学させてくれた信さんへの想いは、いつの間にか兄妹の情から恋に変わっている。そして、信さんが恋する美智代に対する嫉妬の想いも強い。ある日、美代から「好きな人がいる」と打ち明けられた守は、実は美代が自分のことを好いてくれていると勘違いする。そして炭鉱爆発事故が起こり、信さんは命を落とす。信さんの遺体の手をそっと握ろうとした美智代を、美代は必死の形相で突き飛ばす。美智代と守は初めて美代の想いを知る。
 何度観ても泣ける映画だ。  






紅白もこんな時代があった

2010-11-26 22:14:46 | テレビ
 今年のNHK紅白歌合戦の出場者が発表されたが、ここ数年、首を傾げたくなるような人選が段々ひどくなっているようだ。お蔭で最近は年越し蕎麦を食べる時、ちらっと眺めるくらいで、真剣に見ることはほとんどないのでどうでもいいのだが。
 下の映像は1963年、僕が高校3年生の時の紅白歌合戦の模様。司会は宮田輝アナウンサーと江利チエミさん。倍賞千恵子さんも吉永小百合さんも素直な歌い方で、あの頃の紅白は楽しかったなぁ。




三島由紀夫事件から40年

2010-11-25 21:18:30 | その他
 今日でちょうど三島由紀夫事件から40年経った。あの日のことを今でも鮮明に憶えている。横浜工場で新入社員研修期間中だった。研修といっても実務をやりながらのOJTだったので、事件のことが気になって、何度も厚生会館のテレビを見に行ったものだ。最初はみんな笑っていた。僕自身もそうだったが、「なんと時代錯誤な・・・」という感じだった。しかし、割腹自決という結末に、テレビを見ていたみんなの表情が凍りついた。リアルタイムで報じられるテレビニュースを見ながらも、どこか遠い世界の出来事のような気がしていた。しかし、数年後、実は意外に近いところで起こった事件であることに気がついた。三島がこの事件を起こした動機のひとつに、明治9年、熊本で起こった神風連の乱に共感したことがあげられている。三島事件の翌年、僕は「神風連実記」の著者・荒木精之先生とお会いする機会があった。その時以来、僕は荒木先生のお書きになったものをよく読むようになり、事件の5年前、三島由紀夫が「豊饒の海」の第二部「奔馬」の執筆に当って、荒木先生に会って取材をしたことも知った。その時、三島が神風連の思想に大いに共感した様子だったという記述も何かで読んだ。僕の住んでいる町には神風連の乱の痕跡をとどめる碑などが沢山ある。三島事件とはいったい何だったのか、もう一度考えてみたい。

晩秋の奥琵琶湖

2010-11-24 23:41:57 | その他
 知人のKご夫妻が滋賀・三重の旅をされたので、奥琵琶湖はぜひとお勧めし、写真を撮ってきていただいた。奥琵琶湖パークウェイのつづら尾崎展望台から、長浜方面を望んだ一枚だが、この季節の風景も風情があっていいものだ。写真を眺めながらつい「琵琶湖周航の歌」を口ずさんでいた。


♪倍賞千恵子さんの歌う「琵琶湖周航の歌


大俵まつり & 春高バレー

2010-11-23 17:42:36 | 熊本
 所用で玉名へ出かけたついでに、ちょうど開催されていた「玉名大俵まつり」を覗いてみる。会場の玉名市民広場ではメーンイベント「俵ころがしレース」の真っ最中。約800kg、直径3メートル近い大俵を1チーム14人の男女が引っ張って走る様は壮観。その昔、高瀬町(現玉名市)は菊池川流域で獲れた米の積出港として栄えた。高瀬から大阪の堂島へ運ばれた米は「高瀬米」と呼ばれ、江戸時代は米相場を決めるブランド米だったそうだ。蔵から石畳の坂を俵を転がしながら船積みした故事にちなんで平成9年から始まったのがこの「玉名大俵まつり」だ。



 玉名からの帰途、県立体育館で行なわれている春高バレーの熊本県代表決定戦を覗いてみる。この大会は例年、春休みに全国大会が行なわれていたが、今年からリニューアルされ、サッカーやラグビーなどと同じように正月に全国大会が行なわれることになったらしい。従って3年生も出場できるようになったので、よりレベルの高い大会になることが期待されているそうだ。とにかく会場の熱気が凄い。こんな環境でプレーできる選手たちは幸せだ。


天空の一本道  ~ 秘境・チベット開山大運搬 ~

2010-11-22 16:41:18 | テレビ
 昨夜のNHKスペシャル「天空の一本道 ~秘境・チベット開山大運搬~」にはいろいろ考えさせられた。
 中国最後の秘境といわれるヤルツァンポ大峡谷。そこは、車も入れず徒歩で行くしかない。そんな秘境の最奥部にチベット系少数民族の人々が暮らす村がある。夏、標高4650mの峠の雪が解けると、村人総出で食料や医薬品などの生活必需品や家電製品などを、町から何日もかけて人馬で運ぶ。目もくらむヤルツアンポ大峡谷の断崖はこれまで数え切れないほどの人馬が命を落とした。番組はこの「開山大運搬」に密着したドキュメンタリー。
 こんなすさまじい光景は見たことがない。10年ほど前に「山の郵便配達」という中国映画があったが、そんなもんじゃない。ホントにいつ谷底に落ちてもおかしくない道なのだ。妻のために30kgもある洗濯機を背負い、必死で登る男。あまりの辛さに歩くことを拒否する馬。人が生きていくということはどういうことなのか。文明は彼らに幸せをもたらしたのだろうか。見ながらいろんなことが頭の中を駆け巡った。命を賭して物資を運ぶ彼らを待っているのは、はたして「シャングリラ」なのだろうか。いつの間にか、随分昔の映画「失はれた地平線」を思い出していた。


戦国の世を生き抜いたモンスター

2010-11-21 19:37:00 | 熊本
 先月始まった時から行こうと思いつつ、先延ばしにしていた「細川幽斎展」に今日やっと行った。細川幽斎(藤孝)公は肥後細川藩の初代であることや文武両道に秀でた人だったことぐらいは知っていたが、今日、ゆかりの品々や文書などを見ながら、あらためて凄い人だったんだなぁと実感した。何しろ、室町幕府の足利義輝・義昭両将軍に仕えた後、織田信長、豊臣秀吉に重用され、徳川家康が徳川幕府を開いた時には、武家の在り方をレクチャーし、さらには、「古今和歌集」を後世に伝承する古今伝授の役割を担った文化人として天皇家からも大事にされたという人物だ。美術館を出た後眺めた熊本城内の銀杏の木々が、ことさら輝いて見えた。細川家の菩提寺だった泰勝寺跡にある四つ御廟をお参りする時、悲運の最期を遂げた息子嫁のガラシャ夫人(親友だった明智光秀の娘)のお墓をつい念入りにお参りするが、今度行く時は藤孝公のお墓もしっかりお参りして来よう。


紅葉と平原綾香

2010-11-20 22:59:40 | 音楽芸能
 今日は母と家内を連れて午後から菊池方面へ紅葉を見に行った。綺麗な紅葉も良かったが、ドライブ中にラジオで聴いた平原綾香のライブがまた素晴らしかった。最近、彼女が取り組んでいるクラシック名曲のカバーなど8曲を歌ったが、どんな曲も彼女にかかったら見事なバラードになってしまうようだ。また、サックス奏者でもある彼女ならではのスキャットも絶品だ。昨年2月の熊本でのコンサートに行ったが、一度小さなホールでのライブを聴いてみたいものだ。

1. 明日
2. Greensleeves
3. Ave Maria! ~シューベルト~ シューベルト / アヴェ・マリア
4. CARMEN ~Je t'aime!~ ビゼー / カルメンより「ハバネラ」
5. アランフェス協奏曲~Spain ロドリーゴ / アランフェス協奏曲 第2楽章
6. JOYFUL, JOYFUL ベートーヴェン / 交響曲第9番「合唱」
7. Christmas List'
8. Jupiter



鴎外の恋人 ~ 百二十年後の真実 ~

2010-11-19 22:24:02 | テレビ
 今夜のハイビジョン特集は、文豪・森鴎外の処女作「舞姫」が世に出て今年で120年目に当たることを記念して、この物語に登場する踊子エリスのモデルとなった女性の実像に迫るという内容だった。この小説は、鴎外がドイツ留学時代の体験を基にした私小説的な作品と言われている。しかし、鴎外は生涯ドイツ時代の恋人について明らかにすることはなかったので、今日まで謎とされてきた。今も残されるエリスから贈られたというモノグラムに秘められた謎を解き明かしていくくだりは、ミステリー小説のような面白さがあった。ナビゲーターは、モデルでありエッセイストの華恵さん。僕はたまたま、今調べている熊本の古地図が1650年頃のもので、森鴎外のもう一つの代表作「阿部一族」の題材となった阿部弥一右衛門の殉死事件が起きた1641年とほぼ同年代であることから、地図の中に阿部家の屋敷がないか調べていたので、今日、鴎外が取り上げられたことに奇妙な偶然を感じた。




楽しい古地図めぐり

2010-11-18 20:12:55 | 熊本
 NHKの「ブラタモリ」を見るようになってから、古地図めぐりをするのが楽しみになった。まぁ実際には「ブラタモリ」のルーツとも言えるテレ朝の「タモリ倶楽部」で江戸時代の古地図を片手に街歩きをする企画が面白かったからなのだが。まずは知っているようで知らないわが家の周辺のことを調べてみようと最近回り始めた。タモリのおかげで古地図と現在の地形の照らし合わせ方がなんとなくわかってきて実に面白い。じっくり時間をかけて範囲を広げて行きたい。



 

1.与倉知実旧居跡
 明治9年の神風連の乱で襲撃を受けた陸軍第13連隊長・与倉知実(よくらともざね)中佐の旧居があった場所。与倉は危うく難を逃れたものの、この事件が発端となった西南戦争で戦死した。
2.柳川小路
 加藤清正が、関ヶ原の戦い(1600)で西軍について敗れた柳川立花藩の家臣たちを住まわせていたところからこの名がついた。

 

3.春木坂
肥後藩の奉行、春木主税の屋敷があり、京町台から坪井方面に行くのに不便だったので、屋敷の敷地を割いて作った道。
4.専念寺
 今なお残る浄土宗のお寺

 

5.中坂
 豊後街道の一部。坪井で観音坂と合流するが、参勤交代は観音坂と中坂を併用したものと思われる。1864年、この中坂か観音坂のいずれかを勝海舟と坂本龍馬が通っている。
6.旧坪井川
 京町台の下に沿って流れていたが、堀として活用するため分流された。昭和初期に改修され東側の堀が現坪井川となり、西側の旧坪井川も現存しているが一部が暗渠になっている。

 

7.観音坂
 豊後街道の一部。坪井で中坂と合流するが、参勤交代は観音坂と中坂を併用したものと思われる。1864年、この観音坂か中坂のいずれかを勝海舟と坂本龍馬が通っている。
8.京町拘置所
 現在、熊本刑務所京町拘置支所が建っている場所

 

9.熊本地方裁判所
 現在、熊本地方裁判所が建っている場所 
10.仏厳寺
 今なお残る浄土真宗本願寺派のお寺

「第2回 午前十時の映画祭」開催決定!!

2010-11-17 19:34:02 | 映画
 「午前十時の映画祭」が来年も開催されることになったそうだ。今年上映された50本は、もちろん良い映画も沢山あったが、なんであれが入っていないんだろ?と納得いかない面もあった。来年上映されるラインナップを見ると、僕が「なぜ?」と思った作品がほとんど含まれている。そういう意味で今年よりも楽しみだ。最近はほとんどの作品をDVDで観ることができるようになったが、昔、映画館で観たあの映画、この映画を再び映画館の大きなスクリーンで観るのはまたひと味違った喜びがある。
【TOHOシネマズ光の森の上映順】
シェーン、大いなる西部、禁じられた遊び、友だちのうちはどこ?、汚れなき悪戯、ミツバチのささやき、卒業、真夜中のカーボーイ、タクシードライバー、夜の大捜査線、ロンゲスト・ヤード、ハスラー、エイリアン、キャリー、E.T、シザーハンズ、バック・トゥ・ザ・フューチャー、アメリカン・グラフィティ、がんばれ!ベアーズ、ヤング・ゼネレーション、道、甘い生活、レベッカ、鳥、ディーバ、M★A★S★H、ブラック・サンデー、ナバロンの要塞、サウンド・オブ・ミュージック、ザッツ・エンタテインメント、バンド・ワゴン、素晴らしき哉、人生!、シャレード、麗しのサブリナ、月の輝く夜に、さよならをもう一度、ゴッドファーザーPARTII、ディア・ハンター、風と共に去りぬ、ドクトル・ジバゴ、ひまわり、シベールの日曜日、情婦、サンセット大通り、007/危機一発(ロシアより愛をこめて)、華麗なる賭け、ダーティハリー、フレンチ・コネクション、荒野の用心棒、荒野の七人

ジェーンズ邸と夏目漱石旧居

2010-11-16 19:22:25 | 熊本
 今日は母を県庁近くまで送ったついでに、今まで中には一度も入ったことのなかった「ジェーンズ邸」を訪ねてみた。ジェーンズ(Leroy Lancing Janes)とは明治4年、廃藩置県直後の熊本県に招かれて若者の教育をしたアメリカ人である。ジェーンズが教鞭をとった熊本洋学校からは多くの人材が育った。このジェーンズ邸は、当時ジェーンズ一家が住んでいた家で、もともと、現在、熊本県立第一高校がある熊本城内にあったものが移築されたものだ。ベランダが張り出したコロニアル様式は、映画「風と共に去りぬ」や「大いなる西部」「ジャイアンツ」などを思い出す。また、明治10年の西南戦争をきっかけとして、この建物が日本赤十字社の発祥の地ともなった。なお、映画「ラストサムライ」でトム・クルーズが演じたオルグレン大尉のモデルは、旧幕府軍の軍事顧問だったフランス人のジュール・ブリュネといわれているが、アメリカ人に設定を変えるにあたって、ジェーンズを参考にしたと思われる。実はジェーンズはウェストポイント陸軍士官学校の出身で、南北戦争に北軍の将校として参戦し、大尉にまで昇進したという人物で、トム・クルーズが演じたオルグレン大尉と全く同じなのである。
 このジェーンズ邸の隣りには、夏目漱石の熊本3番目の旧居が移築されている。ジェーンズ邸のニ階から眺める漱石旧居もまた風情があった。


秋色の中のジェーンズ邸


ジェーンズ邸から眺める夏目漱石旧居