徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

漱石の小天旅行

2016-10-31 21:04:19 | 文芸
 夏目漱石の小説「草枕」のベースとなったのは小天温泉への旅行だが、実は漱石は三度、小天温泉を訪れている。小説では主に、二度目の明治30年(1897)の暮れから31年の正月にかけての旅をもとに描かれているといわれる。
 最後の三度目は、同じく明治31年の初夏、夏みかんが実る頃で、この時は早朝から日帰りで、いつも一緒の山川信次郎を含む5人連れ。小天湯の浦で昼食をとり、前田案山子の本宅を訪れた後、前田卓(那美さんのモデル)の案内で岩戸観音がある霊厳洞や鼓ヶ滝を見物し、鎌研坂を通って熊本に帰ったという。この三度の小天旅行の体験が小説に織り交ぜてあるのかもしれない。


岩戸の里は今日も夏みかん栽培が盛んに行われている。


岩戸観音像が安置されている雲巌禅寺の奥の院「霊巌洞」。平安時代の閨秀歌人檜垣が日参し、また宮本武蔵が「五輪書」を著した場所としても知られる。


歌枕として古くから知られた鼓ヶ滝



行きも帰りもこの鎌研坂を通った。

忠臣蔵の恋 ~四十八人目の忠臣~ 

2016-10-30 20:17:12 | 
 吉俣良の音楽に魅かれて見始めたNHK総合の土曜時代劇「忠臣蔵の恋 ~四十八人目の忠臣~」。今まで何度となく映画やドラマで見た話なのについ引きずり込まれてしまう。原作は諸田玲子の「四十八人目の忠臣」だそうだが、この小説は読んでいない。
 ヒロインの武井咲演じるきよという女性は実在の女性だが、彼女が恋する礒貝十郎左衛門福士誠治が演じる)がとても魅力的な人物。江戸で生まれ、幼い頃から眉目秀麗、14歳の時、浅野内匠頭の児小姓になったという。文武両道に秀でていた上、をよくし、の名手でもあったという。松の廊下事件の後、内匠頭が切腹する際、遺書を託したのは、十郎左衛門と彼が兄と慕う片岡源五右衛門の二人。早くから討ち入りを主張し、大石内蔵助を始めとする家臣団と対立することもあったという。
 そして、見事本懐を遂げた後、大石内蔵助らとともに白金高輪の肥後熊本藩江戸下屋敷に預けられた十七士のうちの一人でもある。切腹後、所持品の中から、紫縮緬の袱紗に包まれた琴の爪が出て来たというエピソードが残っている。
 山鹿市の日輪寺には、十七士の接待役を務めた堀内伝右衛門が持ち帰った十七士の遺髪を祀る遺髪塔がある。そして十七士が切腹した2月4日には毎年、義士祭りが行われている。

▼細川家に預けられた十七士
  大石内蔵助・吉田忠左衛門・原惣右衛門・片岡源五右衛門・間瀬久大夫・小野寺十内
  間喜兵衛・礒貝十郎左衛門・堀部弥兵衛・近松勘六・富森助右衛門・潮田又之丞
  早水藤左衛門・赤埴源蔵・奥田孫太夫・矢田五郎右衛門・大石瀬左衛門

※熊本藩と赤穂義士のかかわりについては下記の「ふるさと寺子屋」をご覧ください。
 「 忠臣蔵と肥後


御前茶の道 椎持往還をゆく

2016-10-29 21:26:12 | 熊本
 今年も、毎秋恒例、山鹿市菊鹿町の佐とう製茶「製茶まつり」へ。昨年は母の具合が悪かったので僕が一人で行ったのだが、今年は二年ぶりに母と家内を乗せ、三人連れで出かけた。母にとっては随分久しぶりの遠出となった。現地では妹夫婦と姪とその娘4人と偶然一緒になった。
 いつものように、かつて肥後細川藩のお殿様の御前茶が運ばれた椎持往還(しいもちおうかん、県道37)を通って、深まる秋の風景を楽しみながらのドライブとなった。



咲き乱れるコスモスを眺め


たわわに実る柿の実を眺めながら


椎持往還を進む


今年も美しい茶畑が広がる




2015年1月2日 熊本城本丸御殿「新春の邦楽」
  唄:小佐井あろう
三味線:本條秀美社中
囃 子:中村花誠と花と誠の会
振 付:中村花誠
立 方:花童(くるみ・あやの・あかね・ゆりあ)

阿蘇神社再生プロジェクト

2016-10-28 18:13:41 | 熊本
 熊本地震の本震が襲った翌日、4月17日の朝、熊日新聞で衝撃的な写真を目にしました。重要文化財である阿蘇神社の楼門が無残に倒壊している写真です。
 阿蘇神社は熊本城とともに、熊本の歴史文化を象徴する建造物であり、世界に誇る大阿蘇のシンボルでもあります。

 下の動画を再生するたび
  0.1円が阿蘇神社に寄付されます。
 ご協力をどうぞよろしくお願いいたします。



八丈島追想

2016-10-27 15:56:42 | 音楽芸能
 30年ほど前になるが、まだ東京勤務の頃、一度だけ八丈島に行ったことがある。会社の水泳部仲間とダイビングをするのが目的だった。一泊二日のタイトな日程の中、目いっぱい潜ろうと日中はほとんど海の中だった。おかげで美しい海と、出逢った多くの魚たちの思い出は残ったが、島の観光ができなかったことがいまだに残念だ。


 関ヶ原で敗れた戦国武将・宇喜田秀家が流されて以来、江戸時代は流刑の島として知られた八丈島だが、その昔、八丈島は「女護ヶ島」ともいって、美しい女性ばかりが住み、男性が足を踏み入れると二度と島を出られないという伝説も残っている。
 本條秀太郎さんの「俚奏楽 島めぐり」にも歌い込まれている八丈島の代表的民謡に「八丈ショメ節」という唄がある。盆踊りや宴会などで即興で歌われた唄で、何百という歌詞があるというが、その中で「めならべ」という島言葉が使われている。「女童」あるいは「美並」とも書いて若い娘のことだそうだが、森田曠平が描く下の絵のような光景だったのだろうか。


森田曠平 「八丈のめならべ達」




〽 イヤー 沖で見たときゃ 鬼島と見たが 来て見りゃ八丈は 情け島 ショメーショメ
〽 イヤー 胸にあるほど 打ち明けられず 書いてまた消す 磯だより ショメーショメ
〽 イヤー 筆を柱に 硯を船に 書いた文をば 帆に巻き上げて 実と誠の 荷物に積んで
      愛の八丈へ そよそよと ショメーショメ


 2014年10月25日 熊本城本丸御殿「秋夜の宴」
【立方】花童くるみ・花童文乃
【地方】唄と三味線:本條秀美と本條秀美社中  鳴物:中村花誠と花と誠の会

半年後の復旧状況

2016-10-26 14:50:56 | 熊本
 熊本地震本震から半年余。一昨日、久しぶりに雲一つない快晴の下、わが家近辺のいくつかのポイントの復旧状況を歩いて見て回った。

▼往生院

倒壊した山門は撤去されたがいつか再建されるのだろうか。倒れた墓石はほとんど手つかずのまま。


▼百体目の放牛石仏(往生院内)

倒れた石仏も元の位置へ戻された


▼岩立天満宮

倒壊した一の鳥居、二の鳥居とも撤去され、わずかに狛犬だけが神社の面影を残す。


▼鳴岩の湧水

本震発生後、赤水に変わったという湧水も3ヶ月ほどで元の透明な水に戻ったという。(地元の人談)


▼成道寺川


成道寺の水源が赤く濁ったため、川もしばらくは赤い水が流れていたそうだが、今では元の清流に戻っている。

「熊本民謡 キンキラキン」と肥後武士

2016-10-25 14:10:54 | 音楽芸能
 このブログへのアクセス解析で、時々見かける検索キーワードに「熊本民謡キンキラキン」がある。この唄に関する記事を何度かアップしているのでそれが検索にヒットするのだろう。

 「熊本民謡キンキラキン」というのは江戸時代中期、肥後細川藩六代藩主・細川重賢公の時に行われた「宝暦の改革」の厳しい倹約令を風刺する唄である。「キンキラキン」とは錦綺羅、絹綺羅、綺羅錦など絹織物の華美な衣装のことで、贅沢の象徴として槍玉にあげられたが、そのうち贅沢なことはすべて「キンキラキン」と言い囃した。

 この唄の歌詞(下記参照)を読んでみると、前半は肥後武士の身拵えの特徴を唄っていて、それがはたして贅沢なのかと問いかけている。例えば、1番では「肥後武士の刀の鞘に付けた下げ緒(下の写真の鞘に巻いた黒い紐)は長い。これはいざという時、たすき掛けに使うから。それも贅沢だというのだろうか」と唄っている。さらに2番では「(肥後武士の)子供をいじめるならいじめてみよ。彼らが腰に差した朱鞘の刀は本物だ。それも贅沢だというのだろうか」と続く。


朱鞘の大小

 この歌詞をあらためて読みながら、あるエピソードを思い出した。
 明治・大正時代に活躍した山川健次郎という教育者がいる。会津藩の白虎隊出身で大河ドラマ「八重の桜」にも登場した。東京帝大、京都帝大、九州帝大の総長を歴任した凄い人だが、この山川健次郎が、明治40年1月、熊本の済々黌創立25周年を参観し、次のような講話をした記録が残っている。

「私は会津の生まれで、幼時、藩校日進館で教育を受けた。この藩校は肥後の古屋昔陽先生によって建てられ、私たちは肥後的教育を受けた。江戸で他藩の武士は大道せましと闊歩していたが、肥後藩士は道の片わきを通り、子供に至るまで決して不遜の風なく、よく礼儀を重んじていた。また他藩の子弟は幼時、多くは木剣を帯びていたが、肥後の子供はきちんと朱鞘の大小を帯びていた…」 等と肥後武士の美風を称賛しているのである。




唄:福島竹峰  踊り:福島竹峰社中ほか


踊り:舞踊団花童

玉名女子高校吹奏楽部 3年連続金賞!

2016-10-24 18:46:07 | 音楽芸能
 昨日、名古屋国際会議場で行われた「2016年度全日本吹奏楽コンクール全国大会」において、九州地区代表として出場した熊本の玉名女子高校(指揮者:米田真一氏)が見事3年連続金賞を受賞しました。おめでとうございます!
 ◇課題曲「マーチ・スカイブルー・ドリーム」 ◇自由曲「シネマ・シメリック」

 また、11月22日、大阪城ホールで行われる「第28回全日本マーチングコンテスト」に、全日本吹奏楽との3年連続ダブル金賞を目指して出場します。




▼今年は熊本地震のため、熊本県高校総文祭パレードが中止となったので、昨年度のパレードの様子をご覧ください。

「熊本地震と熊本城」特別講演会

2016-10-23 20:33:51 | イベント
 今日は熊本市と熊本城顕彰会が共催する「熊本地震と熊本城」特別講演会を市民会館へ聞きに行った。次の三つの講演が行なわれた。

 ◇石垣に見る築城と城下町造り・・・富田紘一氏(熊本市文化財専門相談員)
 ◇熊本地震による熊本城の被害状況・・・鶴嶋俊彦氏(熊本城調査研究センター文化財保護主幹)
 ◇今後の熊本城の復旧について・・・網田龍生氏(熊本城調査研究センター副所長)

 熊本城復旧の基本的な考え方は
 1 復興シンボルである天守閣の早期復旧を目指す
 2 文化的価値を損なわない丁寧な復旧を進める
 3 復旧過程の段階的公開を行い、観光資源としての早期再生を図る
 4 耐震化など安全対策に向けて最新技術も取り入れた復旧手法の検討を行う
 5 「100年先の礎づくり」として未来の復元整備へ繋がる復旧を目指す
 の5つだという。

 いずれの話を聞いても、熊本城が地震前の状態に復旧するまで気の遠くなるような時間がかかるだろうということ。富田紘一さんによれば「加藤清正による熊本城の築城は、通説では慶長6年(1601)~12年(1607)といわれている。しかし、関ヶ原前の慶長4年(1599)には建て始めていたのではないかと思われる史料もあり、実際にはよくわかっていない。」という。しかし、10年程度では築城していることになる。ほとんど人力の時代、10年で出来上がった熊本城が、文明の発達した今日、地震被災から復旧するのに20年も30年もかかるというのがどうも理解できない。文明は発達したけれど、人間の能力は低下しているのではないだろうか、そんな気持を抱きながら会場を後にした。




 熊本城築城前、白川は大蛇行しており、近津(熊本市西区)辺りの石切場から切り出した石材を、海から白川を遡上して水上運搬し、今の熊本城竹の丸辺りで荷揚げ、茶臼山へ修羅で引き上げたのではないかという。(富田氏談)


超入門!落語 THE MOVIE

2016-10-22 21:17:54 | テレビ
 ブラタモリの吉原ロケの時にタモリが仕入れてきた話をもとにした笑福亭鶴瓶の新作落語「山名屋浦里」が話題になり、さらにそれをもとに新作歌舞伎「廓噺山名屋浦里」が公演されるなど、最近、落語が新しい目で注目されていることもあってか、先日から落語番組「超入門!落語 THE MOVIE」がNHK総合で始まった。
 落語家の流暢な語りに、役者たちの「アテブリ芝居」を被せて映像化し、初心者にも親しみやすい落語番組となっている。なかでも落語家の語りに役者の口の動きを合わせた「リップシンク」を駆使して、登場人物たちが話しているかのような映像が面白い。
 この番組によって江戸時代から続く伝統的な話芸に新しいファンが増えるのであれば嬉しいのだが。


第1回に放送された古典落語「お見立て」

喜多流のはなし。

2016-10-21 18:49:42 | 音楽芸能
 今年の熊本城薪能喜多流の出演なので喜多流にまつわる話を少しばかり。
 喜多流の流祖・北七大夫長能(二世以降「喜多」を名乗る)は、7歳の時に豊臣秀吉の前で「羽衣」を舞い「七つ太夫」と呼ばれたという天才。世阿弥の幼少時を思わせる。秀吉に召されて「喜多流」を興した。
 大河ドラマ「真田丸」は今ちょうど大坂の陣前夜というところに差し掛かっているが、七太夫は大坂夏の陣では真田幸村の配下として戦ったという。大坂城落城の時、豊臣秀頼とともに脱出し、薩摩へ落ち延びたという伝承がある。その後、二代将軍秀忠が七太夫の消息を訊ねたので黒田長政が奔走して、故郷筑前で遁世していた七太夫の復帰が許されたと伝えられる。
 熊本の能楽の歴史は、加藤清正が金春流・武家能役者中村靭負を伴って肥後入国したことに始まるが、肥後細川藩初代忠利の時、金春流桜間家とともに喜多流友枝家がご流儀となった。以後、細川家によって能楽が奨励され、熊本は金沢とともに全国で最も能楽が盛んな藩となった。明治維新によって大名というパトロンを失った日本の能楽は衰亡の危機に瀕したが、熊本から桜間伴馬友枝三郎という二人の名人が上京して活躍し日本の能楽界を支えた。
 今日、友枝家塩津家狩野家という熊本由来の能楽師たちが喜多流を支えている。


昨年の藤崎八旛宮例大祭・段山御旅所奉納能において、半能「敦盛」(シテ狩野祐一)の後見を務める
人間国宝・友枝昭世(左端)。存在感が凄い。

今年の熊本城薪能は・・・

2016-10-20 11:10:41 | 音楽芸能
【日時】11月4日(金)18:00~20:00
【場所】熊本城二の丸広場ステージ
【出演】喜多流
【番組】番組
    仕舞「老松」石田大雅
      「鞍馬天狗」宗村蒼辰

    狂言「梟山伏」(山伏)山内理至 (男)服部和洋 (病人)東信彰
 
    仕舞「八島」狩野祐一

    能 「羽衣」(シテ)狩野了一 (ワキ)飯冨雅介 (大鼓)白坂信行 (小鼓)飯冨章博
          (後見)橋本寛/衛藤光明
          (地謡)塩山良一/末武有二/狩野祐一/山下保昌/渡辺康喜/中村邦生/塩津哲生/大島輝久

    附祝言

◇羽衣 解説
 駿河の国、三保の浦に住む漁夫の白龍が、松の枝に掛けてある美しい羽衣を見つけて、家の宝にしようと持ち帰ろうとします。するとそこへ一人の気高い女性が現れ、「それは天人の羽衣と言って、たやすく人間に与えるべきものではない」と話します。その様子から女性は天人に違いないと思った白龍は、それならば国の宝にしようと持ち帰ろうとします。天人は「その羽衣なくては天上に帰ることができない」と嘆き悲しみます。かわいそうに思った白龍は、衣を返す代わりに天人の舞楽を奏して、見せて欲しいと頼みます。天人は喜んで、羽衣を身にまとい、舞いを舞いながら空遠く昇っていくのでした。


▼昨年の熊本城薪能(金春流 「鵜飼」)


▼仕舞「羽衣」(喜多流 大島衣恵)

地謡「東遊の数々に。その名も月の色人は。三五夜中の空に又。満願真如の影となり。御願円満国土成就。七宝充満の宝を降らし。国土にこれを。ほどこし給ふさるほどに。時移つて。天の羽衣。浦風にたなびきたなびく。三保の松原、浮島が雲の。愛鷹山や富士の高嶺。かすかになりて。天つ御空の。霞にまぎれて。失せにけり。」

谷汲観音様はご無事で!

2016-10-19 14:23:02 | 熊本
 前回の参拝からちょうど2年ほど経つので、そろそろまた谷汲観音様をお参りに行こうかと思い、高平の浄国寺さんに電話をしてみる。ご住職が電話に出られたので、ひょっとして地震の被害を受けているのではないかとおたずねしてみると、谷汲観音様はご無事だったとのことでホッとする。ただ、本堂がかなり損壊し、修復工事があと1ヶ月ほどはかかりそうだとのことなので、年末くらいに一度お伺いしてみることにした。



何気ない風景

2016-10-18 18:31:09 | 熊本
 花園公民館図書室まで歩いて本を借りに行った。いつも車でしか行かないので、ほとんど目に留まっていなかった風景をゆっくり確かめながら歩いて行った。いつの間にか随分様子が変わったところもあって結構飽きない。これからも天候がよかったり、時間がある時は、できるだけ歩いて行くことにしよう。



明治29年4月、漱石が熊本赴任時に通った道沿いに「すみれ程の小さき人に生れたし」の句碑が立っている


漱石が人力車で通った道は「漱石記念緑道」として整備されている


江戸時代前期の俳諧の巨人、西山宗因ゆかりの釈将寺坂


漱石銅像と漱石が降り立った上熊本駅(当時は池田停車場)


熊本電鉄上熊本駅。台湾からのツアー客と思しき一団が盛んに電車と記念撮影していた


新道の建設が進行中で、井芹川沿いの井芹日枝神社の風情も損なわれてしまった


46年前、僕が転職再スタートを切った思い出の熊本製粉

東京2020文化オリンピアード

2016-10-17 16:03:33 | イベント
 よくもまぁ、次から次と問題が噴出するものだ。東京オリンピック・パラリンピック2020は呪われているんじゃないかとさえ思え正直なところ興ざめしかかっている。
 その東京オリンピック・パラリンピック2020に向け、4年間にわたる「東京2020文化オリンピアード」という日本文化の魅力を国内外に発信するプログラムのキックオフイベントが、先日、日本橋で行なわれたという。



 このキックオフイベントに筝奏者として参加されている佐藤亜美さんのブログで紹介されていたので、この情報を知ったのだが、前半のセレモニー部分は見ていてイライラするので飛ばして、後半のパフォーマンスだけを見た。

【前半】セレモニーパート(9:24~)
    パフォーマンスパート紹介(35:14~)
【後半】パフォーマンスパート(42:42~)


【パフォーマンス】
舞踊「三番叟」
 天下泰平、五穀豊穣を祈念し、日本の祝祭の場に欠かすことのできない演目
 出演者:宗家藤間流八世宗家 藤間勘十郎 ほか
装束付舞囃子「吉野天人」
 日本を代表する花である桜の名所を訪れた都人の前に天女が現れ、花を愛で、治世を言祝ぎ、
 美しい舞を見せる華やかな演目
 出演者:能楽観世流シテ方 人間国宝 梅若玄祥 ほか