今日、加藤神社に参拝した後、宇土櫓をしばらく眺めた。すると先月、「津々堂のたわごと日録」さんが紹介されていた川瀬巴水作の「熊本城宇土櫓」の絵を思い出した。この絵が描かれたのは昭和23年だが、昭和25、26年頃、幼稚園の通園でここを通っていた僕の想い出のイメージに合致する。老朽化した櫨方門の向こうに、当時は熊本城の代名詞だった宇土櫓が凛と聳えていた。熊本国体が行われた昭和35年頃、櫨方門は撤去され、昭和37年に加藤神社がここに遷座した。川瀬巴水がこの風景を描いてから70年。周囲の風景は激変したが、宇土櫓は地震で傷付きながらも今日も凛と立っている。
※川瀬巴水:大正・昭和期の浮世絵師
※川瀬巴水:大正・昭和期の浮世絵師
昨夜も「いだてん」放送後、多くの皆様にこのブログの「熊本自転車節」関連記事にアクセスいただきありがとうございます。何しろ8年前の、ミニDV時代の映像が不鮮明で申しわけなく、鮮明化に手を尽くしましたが、既にオリジナルテープも無くなっているため、下の映像程度の改善が精一杯のようです。ご容赦ください。
さて、昨夜の「いだてん」第8回では、ストックホルム五輪へ向け出発する金栗四三の壮行会において、四三本人が「熊本自転車節」を調子っぱずれのままフルコーラス放歌するという場面がありました。最初は違和感がありましたが、聞いているうちに、五輪参加を支援してくれた家族や仲間、そして嫁いでいくスヤさんへの四三のアリアなのだと気が付き、胸にグッと来るものがありました。

これまでの「熊本自転車節」関連記事のURLを下記しておきます。
◇あいたかばってんあわれんたい ~「熊本自転車節」異聞~(2019.1.30)
◇「自転車節」余話(2019.1.22)
◇熊本自転車節(2019.1.13)
◇「伊豆の踊子」 と 「ハイカラ節」(2013.7.1)
◇ザ・わらべ ~ 熊本自転車節 ~(2011.4.30)
さて、昨夜の「いだてん」第8回では、ストックホルム五輪へ向け出発する金栗四三の壮行会において、四三本人が「熊本自転車節」を調子っぱずれのままフルコーラス放歌するという場面がありました。最初は違和感がありましたが、聞いているうちに、五輪参加を支援してくれた家族や仲間、そして嫁いでいくスヤさんへの四三のアリアなのだと気が付き、胸にグッと来るものがありました。

これまでの「熊本自転車節」関連記事のURLを下記しておきます。
◇あいたかばってんあわれんたい ~「熊本自転車節」異聞~(2019.1.30)
◇「自転車節」余話(2019.1.22)
◇熊本自転車節(2019.1.13)
◇「伊豆の踊子」 と 「ハイカラ節」(2013.7.1)
◇ザ・わらべ ~ 熊本自転車節 ~(2011.4.30)
2011.4.30 熊本城本丸御殿 春の宴
振付:中村花誠
立方:少女舞踊団ザ・わらべ
地方:(唄)藤本喜代則
(三味線)藤本喜代則社中
(囃子方)中村花誠社中
振付:中村花誠
立方:少女舞踊団ザ・わらべ
地方:(唄)藤本喜代則
(三味線)藤本喜代則社中
(囃子方)中村花誠社中

昨夜のまさに深夜、BSプレミアムで「深夜食堂」の映画版を放送した。かつて放送されたテレビシリーズはほとんど見たが、映画版は見ていなかった。テレビ版は、ちょうど10年前くらいに何の予備知識もなく見始め、その面白さにハマり込んでしまった思い出がある。映画版も松岡錠司監督で主演の小林薫を始めお馴染みのメンバーで、映画だからと特別なことはあえてやらないところが嬉しい。
新宿ゴールデン街界隈の一角にある小さな深夜営業の食堂「めしや」に出入りする名もない人々の人間模様を、店主の目を通して描いたヒューマンドラマだ。この界隈には東京在勤の頃、何度か飲みに行ったこともあり、懐かしさを覚える。
この作品の中では、多部未華子がゲスト出演した「とろろご飯」のエピソードが一番心に残った。
新宿ゴールデン街界隈の一角にある小さな深夜営業の食堂「めしや」に出入りする名もない人々の人間模様を、店主の目を通して描いたヒューマンドラマだ。この界隈には東京在勤の頃、何度か飲みに行ったこともあり、懐かしさを覚える。
この作品の中では、多部未華子がゲスト出演した「とろろご飯」のエピソードが一番心に残った。

この前、年が明けたと思っていたら、毎年恒例の春のお城まつりがもうすぐそこまで迫っていました。まつりの期間中には桜の花も咲きますし、華やかで賑やかな季節の始まりです。

◇戦国パーク 武士の魂2019~全国の武将がおもてなし~
日時:2019年3月9日(土)・10日(日)10時~17時
場所:熊本城二の丸芝生広場
出演:熊本城おもてなし武将隊を含め全国より14武将隊
◇熊本うたとおどり
日時:2019年3月16日(土)・17日(日)11時~15時
場所:熊本城二の丸ステージ
出演:舞踊団花童(はなわらべ)&はつ喜
◇熊本城クイズウォーク
日時:2019年3月17日(日)11時~16時 ※受付9時半~
場所:熊本城二の丸芝生広場および周辺
料金:無料 ※要事前申込み
定員:3000人(先着順)
申込み:3月10日までに住所、氏名、年齢、参加人数をはがきかFAX(096-381-6039)
または電子メール(osiro2019@awa.bbiq.jp)で
〒862-0954 熊本市中央区神水1-26-5 熊本城クイズウォーク事務局
(ジャンクプランニング内 096-381-6001)
◇居合斬り演武
日時:2019年3月16日(土)・17日(日)/13時半~15時
場所:熊本城二の丸芝生広場
出演:游神館剣士
◇春の熊本城太鼓響演会
日時:2019年3月23日(土)・24日(日)10時~15時
場所:熊本城二の丸ステージ
◇石垣特別説明会
日時:2019年3月23日(土)・24日(日)10時~16時
場所:熊本城二の丸広場北側
◇ちびっ子忍者体験道場
日時:2019年3月23日(土)・24日(日)10時~17時
場所:熊本城二の丸広場
◇熊本城茶会
日時:2019年3月24日(日)10時~
場所:熊本城二の丸芝生広場
料金:無料
定員:300人(先着順)
◇<熊本地震復興応援>九州がっ祭2018/第12回火の国YOSAKOIまつり
日時:2019年3月30日(土)10時~19時、31日(日)午前9時~20時00分
場所:熊本城二の丸芝生広場、熊本中心市街地8か所
◇食のイベント
日時:2019年3月の土・日・祝日 10時~イベント終了まで
場所:熊本城二の丸芝生広場

◇戦国パーク 武士の魂2019~全国の武将がおもてなし~
日時:2019年3月9日(土)・10日(日)10時~17時
場所:熊本城二の丸芝生広場
出演:熊本城おもてなし武将隊を含め全国より14武将隊
◇熊本うたとおどり
日時:2019年3月16日(土)・17日(日)11時~15時
場所:熊本城二の丸ステージ
出演:舞踊団花童(はなわらべ)&はつ喜
◇熊本城クイズウォーク
日時:2019年3月17日(日)11時~16時 ※受付9時半~
場所:熊本城二の丸芝生広場および周辺
料金:無料 ※要事前申込み
定員:3000人(先着順)
申込み:3月10日までに住所、氏名、年齢、参加人数をはがきかFAX(096-381-6039)
または電子メール(osiro2019@awa.bbiq.jp)で
〒862-0954 熊本市中央区神水1-26-5 熊本城クイズウォーク事務局
(ジャンクプランニング内 096-381-6001)
◇居合斬り演武
日時:2019年3月16日(土)・17日(日)/13時半~15時
場所:熊本城二の丸芝生広場
出演:游神館剣士
◇春の熊本城太鼓響演会
日時:2019年3月23日(土)・24日(日)10時~15時
場所:熊本城二の丸ステージ
◇石垣特別説明会
日時:2019年3月23日(土)・24日(日)10時~16時
場所:熊本城二の丸広場北側
◇ちびっ子忍者体験道場
日時:2019年3月23日(土)・24日(日)10時~17時
場所:熊本城二の丸広場
◇熊本城茶会
日時:2019年3月24日(日)10時~
場所:熊本城二の丸芝生広場
料金:無料
定員:300人(先着順)
◇<熊本地震復興応援>九州がっ祭2018/第12回火の国YOSAKOIまつり
日時:2019年3月30日(土)10時~19時、31日(日)午前9時~20時00分
場所:熊本城二の丸芝生広場、熊本中心市街地8か所
◇食のイベント
日時:2019年3月の土・日・祝日 10時~イベント終了まで
場所:熊本城二の丸芝生広場
今日は天皇陛下御在位三十年記念の記帳をするために熊本市役所へ歩いて出かけた。まず旧細川刑部邸に寄って公開中の梅園を眺め、二の丸広場から城彩苑を抜け市役所へ向かう。1階ロビーで記帳を済ませた後、14階の展望ロビーへ上がり、新聞やテレビで話題となっていた飯田丸の復旧工事の様子を眺める。土台の石積みを解体中の飯田丸の石垣で、内側から清正時代の別の石垣が現れたというニュースだ。最も古い大天守の石垣とほぼ同じ頃、築造されたものとみられている。出来て15年後くらいに拡張工事が行われたため、外側の石垣の中に埋められていたという。眺めていると風雨にさらされた期間が短かかったためか、新しく積まれた石垣のように見える。400年の時の流れが短く感じられてしばらく見入ってしまった。


〽何たら愚痴だへ、牡丹は持たねど越後の獅子は、おのが姿を花と見て、庭に咲いたり咲かせたり、そこのおけさにいなこと言はれ、寐まり寐まらず待明かす、御座れ話しませうぞ、こん小松の蔭で、松の葉のよにこん細やかに、弾いて唄ふや獅子の曲
という一節に替え歌が作られた。上方では毎年11月恒例の「顔見世狂言」の大序から五段目の幕までの一日がかりの舞台の様子を描いた「五段返し」となり、江戸では浅草寺参詣の賑わいを描いた「浅草詣り」となった。
下の「長唄 越後獅子」と「浅草詣り」を聴き比べると実に味わい深い。
※右は山川秀峰筆「越後獅子」
▼第54回 熊本県邦楽協会演奏会における「長唄 越後獅子」
▼「越後獅子」の替え歌「浅草詣り」
先日放送された「いだてん」第7回では、かつて米の集積地および積出し港として栄えた高瀬町(現在の玉名市中心部)の船着場の風景が再現され、もう今では見ることのできない風景がとても興味深かった。
江戸時代から明治初期まで港町として栄えた高瀬町。菊池川流域で獲れた米は、藩政時代は年貢として平田舟で高瀬に集められた。いったん高瀬御蔵に収められた後、再び船着場から積み出され、菊池川河口で大きな五百石船に積み替えられ大坂へ運ばれた。「高瀬米」とよばれた上質な肥後米は、全国の基準米としてその年の米相場を左右したといわれる。高瀬港は、熊本藩で最大の蔵米積出し港で、取り扱われた米は25万俵にも達した年もあったという。しかし、江戸中期以降、河川の堆積などのため、高瀬は港としての機能を徐々に失い、3キロ下流の大浜がその役割を担うようになった。

高瀬船着場の俵ころがし

米俵は岸壁からはしけ船に乗せ、沖で待つ五百石船に積み替えられ大坂へ運ばれる。

菊池川流域で獲れた米が平田舟で御蔵へと運ばれる。

米を積んだ平田舟に便乗して春野スヤと金栗実次が高瀬船着場へやって来る場面。
▼高瀬船着場の俵積出し風景を唄った「肥後の俵積出し唄」
江戸時代から明治初期まで港町として栄えた高瀬町。菊池川流域で獲れた米は、藩政時代は年貢として平田舟で高瀬に集められた。いったん高瀬御蔵に収められた後、再び船着場から積み出され、菊池川河口で大きな五百石船に積み替えられ大坂へ運ばれた。「高瀬米」とよばれた上質な肥後米は、全国の基準米としてその年の米相場を左右したといわれる。高瀬港は、熊本藩で最大の蔵米積出し港で、取り扱われた米は25万俵にも達した年もあったという。しかし、江戸中期以降、河川の堆積などのため、高瀬は港としての機能を徐々に失い、3キロ下流の大浜がその役割を担うようになった。

高瀬船着場の俵ころがし

米俵は岸壁からはしけ船に乗せ、沖で待つ五百石船に積み替えられ大坂へ運ばれる。

菊池川流域で獲れた米が平田舟で御蔵へと運ばれる。

米を積んだ平田舟に便乗して春野スヤと金栗実次が高瀬船着場へやって来る場面。
▼高瀬船着場の俵積出し風景を唄った「肥後の俵積出し唄」

2012年から始まった熊本城マラソンは今年8回目を迎え、全国から集った14,500名が早春の城下町を駆け抜けた。

フルマラソンで2連覇を達成した古川大晃さん(熊本大)。インタビュアーは中原理菜アナ(TKU)

フルマラソン女子の部優勝は岩村聖華さん(氷川町)

今年も晴天に恵まれ、沿道から盛んな声援がランナーたちを励ましていた。

ひと際大きな声で選手たちに活を入れる有森裕子さん(五輪マラソン2大会メダリスト)

フルマラソンで2連覇を達成した古川大晃さん(熊本大)。インタビュアーは中原理菜アナ(TKU)

フルマラソン女子の部優勝は岩村聖華さん(氷川町)

今年も晴天に恵まれ、沿道から盛んな声援がランナーたちを励ましていた。

ひと際大きな声で選手たちに活を入れる有森裕子さん(五輪マラソン2大会メダリスト)
梅の名所として知られる熊本市西区西松尾町の小田部さん宅のしだれ梅が満開を迎えたとローカルニュースが報じていたので、5年ぶりに見に行った。ちょうど小田部さんが作業をしておられたのでご挨拶すると、「満開をちょっと過ぎた」とおっしゃっていた。それでも相変わらず見事なものだ。梅の花の色と香りを楽しんでいると、つい「梅は咲いたか」の歌詞が口をついて出た。






今日は母の97回目の誕生日。近場のファミリーで集まって祝った。ボケもせず、元気でいてくれるのでとても助かっている。1日でも長く元気でいてほしいと願うばかりだ。
母が生まれた大正11年(1922)は、いったいどんな時代だったのだろう。その頃のことを知る人はもうほとんどいないわけで、文献などを読んで知るしかないが、翌12年には関東大震災があったり、世界的な不況があったり、不安定な政治があったりして、大変な時代だったようだ。間もなく昭和の御代になると、徐々に軍靴の音高くなり暗い時代に入って行った。そして日中、日米の戦争の時代。悲惨な敗戦と戦後の混乱。戦後生まれの僕らには想像もつかないような人生だったに違いない。1日でも長く、穏やかな日々を過ごしてもらいたいものだ。

【大正11年(1922)生まれの著名人】
▼国内
水木しげる(漫画家)、山下清(画家)、小野田寛郎(旧日本軍軍人)、三浦綾子(作家)、千石規子(女優)、久慈あさみ(女優)、コロムビア・トップ(漫才師/政治家)、瀬戸内寂聴(作家)、丹波哲郎(俳優)、内田健三(政治評論家)、中内功(ダイエー創業者)、石井好子(シャンソン歌手)、宇野宗佑(元首相)、鳩山安子(鳩山兄弟の母)、砂押邦信(野球監督)、別所毅彦(野球選手)、重光武雄(ロッテ創業者)、月丘夢路(女優)、豊田正子(作家)、加藤治子(女優)、宮城千賀子(女優)、北出清五郎(NHKアナウンサー)、大下弘(野球選手)、小鶴誠(野球選手)、岡部冬彦(漫画家)、ドナルド・キーン(文化学者)、野村泰治(NHKアナウンサー)、楠本憲吉(俳人)
▼海外
エルマー・バーンスタイン(作曲家)、クリストファー・リー(俳優)、エリノア・パーカー(女優)、ピエール・カルダン(デザイナー)、ブレイク・エドワーズ(映画監督)、ジェーソン・ロバーズ(俳優)、イボンヌ・デカルロ(女優)、エミール・ザトペック(長距離走者)、アーサー・ペン(映画監督)、ジェラール・フィリップ(俳優)、ジョージ・ロイ・ヒル(映画監督)、エヴァ・ガードナー(女優)、ペギー・リー(歌手)、ジュディ・ガーランド(女優)
母が生まれた大正11年(1922)は、いったいどんな時代だったのだろう。その頃のことを知る人はもうほとんどいないわけで、文献などを読んで知るしかないが、翌12年には関東大震災があったり、世界的な不況があったり、不安定な政治があったりして、大変な時代だったようだ。間もなく昭和の御代になると、徐々に軍靴の音高くなり暗い時代に入って行った。そして日中、日米の戦争の時代。悲惨な敗戦と戦後の混乱。戦後生まれの僕らには想像もつかないような人生だったに違いない。1日でも長く、穏やかな日々を過ごしてもらいたいものだ。

【大正11年(1922)生まれの著名人】
▼国内
水木しげる(漫画家)、山下清(画家)、小野田寛郎(旧日本軍軍人)、三浦綾子(作家)、千石規子(女優)、久慈あさみ(女優)、コロムビア・トップ(漫才師/政治家)、瀬戸内寂聴(作家)、丹波哲郎(俳優)、内田健三(政治評論家)、中内功(ダイエー創業者)、石井好子(シャンソン歌手)、宇野宗佑(元首相)、鳩山安子(鳩山兄弟の母)、砂押邦信(野球監督)、別所毅彦(野球選手)、重光武雄(ロッテ創業者)、月丘夢路(女優)、豊田正子(作家)、加藤治子(女優)、宮城千賀子(女優)、北出清五郎(NHKアナウンサー)、大下弘(野球選手)、小鶴誠(野球選手)、岡部冬彦(漫画家)、ドナルド・キーン(文化学者)、野村泰治(NHKアナウンサー)、楠本憲吉(俳人)
▼海外
エルマー・バーンスタイン(作曲家)、クリストファー・リー(俳優)、エリノア・パーカー(女優)、ピエール・カルダン(デザイナー)、ブレイク・エドワーズ(映画監督)、ジェーソン・ロバーズ(俳優)、イボンヌ・デカルロ(女優)、エミール・ザトペック(長距離走者)、アーサー・ペン(映画監督)、ジェラール・フィリップ(俳優)、ジョージ・ロイ・ヒル(映画監督)、エヴァ・ガードナー(女優)、ペギー・リー(歌手)、ジュディ・ガーランド(女優)
昨日は熊本市の歴史文書資料室で熊本の古謡を調べた。目的の第一は、下記の「飽田山」という古謡のもととなった謡曲「檜垣」の詞章全文。謡曲「檜垣」といっても、有名な世阿弥の「檜垣」ではなく、寂心さんの大クスで知られる鹿子木寂心(親員)が作ったという謡曲。資料室の所員さんにも手伝っていただいて探したが、結局見つからなかった。
その他、先般ブログにアップした「天ヶ庄の子守歌」と同じく、天ヶ庄で歌われていたという古謡が、檜垣と関連性があると聞いていたのでその点も調べた。それが下の「あの山に」と「山寺に」の二曲。「新熊本市史」の「民俗・文化財」編に紹介されており、明治から昭和にかけて活躍した熊本出身の文学者・狩野直喜博士によると「庵の燈の光り」の部分は庵主である歌人檜垣のことであるという。
なお、この「あの山に」と「山寺に」は「エントコ節」として今日も歌われている。適当な音源がなく添付できなかったのが残念だ。
(注)飽田山は金峰山のこと

岩戸山の麓。正面の棚田の奥が檜垣の山下庵跡


山下庵跡に佇む野仏

山下庵傍の檜垣の泉
その他、先般ブログにアップした「天ヶ庄の子守歌」と同じく、天ヶ庄で歌われていたという古謡が、檜垣と関連性があると聞いていたのでその点も調べた。それが下の「あの山に」と「山寺に」の二曲。「新熊本市史」の「民俗・文化財」編に紹介されており、明治から昭和にかけて活躍した熊本出身の文学者・狩野直喜博士によると「庵の燈の光り」の部分は庵主である歌人檜垣のことであるという。
なお、この「あの山に」と「山寺に」は「エントコ節」として今日も歌われている。適当な音源がなく添付できなかったのが残念だ。
(注)飽田山は金峰山のこと

岩戸山の麓。正面の棚田の奥が檜垣の山下庵跡


山下庵跡に佇む野仏

山下庵傍の檜垣の泉
1912年(明治45年)スウェーデンのストックホルムで行われた第5回オリンピックに金栗四三が日本人として初めてオリンピックに出場して以来、2016年の第31回リオデジャネイロ・オリンピックまで、熊本県関係のオリンピアンは111名を数える。





久しぶりに多流派合同の能楽公演が下記のとおり行われます。
初心者にもわかりやすい説明が付きますので、能になじみのない方も気軽に参加できる催しです。
初心者にもわかりやすい説明が付きますので、能になじみのない方も気軽に参加できる催しです。

大河ドラマ「いだてん」のもう一人の主役が阿部サダヲ演じる田畑政治さん。ドラマの後半で1964年の東京オリンピック招致に奔走する姿が描かれることだろう。
田畑さんにまつわる秘話を、ローマと東京の2大会に出場した藤本重信さんにお聞きした。
国家プロジェクトとして膨大な国家予算を費やした東京五輪が終わり、次のメキシコ五輪は一転、緊縮ムードとなった。派遣選手は東京五輪の半減。上位入賞が望めない種目は派遣が見送られた。水球も東京大会で予選リーグで敗退していたため、いったんは派遣種目から外された。しかし、かつて日本水泳連盟会長を務めていた田畑さんは当時、日本体育協会の理事に過ぎなかったが、隠然たる力を発揮、「アジア大会で優勝した日本がオリンピックに出場しないのは、他のアジア諸国に対して失礼にあたる」と主張、水球のメキシコ五輪出場が逆転決定した。しかし、11名の選手エントリー枠に対し、2名減らして9名でエントリー。コーチ1名も水連の随行員ということで出場することになった。その結果、日本チームは予選リーグで3勝をあげ、記念すべき五輪初の勝利を記録した。僕も含め、水球関係者にとって恩人の一人でもある。

メキシコ五輪出場の熊本県関係者
左から競泳の大沢、水球の米原、坂本、桑山、競泳の合志、藤井、カヌーの吉野、ボクシングの永松、カヌーの白取の皆さん
田畑さんにまつわる秘話を、ローマと東京の2大会に出場した藤本重信さんにお聞きした。
国家プロジェクトとして膨大な国家予算を費やした東京五輪が終わり、次のメキシコ五輪は一転、緊縮ムードとなった。派遣選手は東京五輪の半減。上位入賞が望めない種目は派遣が見送られた。水球も東京大会で予選リーグで敗退していたため、いったんは派遣種目から外された。しかし、かつて日本水泳連盟会長を務めていた田畑さんは当時、日本体育協会の理事に過ぎなかったが、隠然たる力を発揮、「アジア大会で優勝した日本がオリンピックに出場しないのは、他のアジア諸国に対して失礼にあたる」と主張、水球のメキシコ五輪出場が逆転決定した。しかし、11名の選手エントリー枠に対し、2名減らして9名でエントリー。コーチ1名も水連の随行員ということで出場することになった。その結果、日本チームは予選リーグで3勝をあげ、記念すべき五輪初の勝利を記録した。僕も含め、水球関係者にとって恩人の一人でもある。

メキシコ五輪出場の熊本県関係者
左から競泳の大沢、水球の米原、坂本、桑山、競泳の合志、藤井、カヌーの吉野、ボクシングの永松、カヌーの白取の皆さん