今日から九州新幹線鹿児島ルートの新八代-新鳥栖間で試運転が開始された。なにしろ熊本市エリアで新幹線が走るのを見れるのは初めてなので、熊本駅でのセレモニーが終った後、走り出す時間帯を狙って見に行った。ポイントは事前に調べておいた太郎迫。10時半頃、現地に着くと既に20~30人ほどのギャラリーが。その後、次第に人が増え始め、新幹線が通った11時半頃には100人ほどになっていた。新幹線はと言えば、超低速運転。なんだかなぁ~。新幹線を見送った後、玉名に行く用事があったので、ついでに新玉名駅にまわってみたが新幹線はまだ着いていなかった。
僕らの子供の頃までは、熊本の代表的な観光地だった水前寺公園がすっかり寂れ、入場者数はピーク時の約6分の1にまで落ち込んでいるそうだ。この危機的な状況に、県や熊本市、地元商店会などが連携して集客対策に取り組む。と、今朝の熊日紙が書いている。この記事を見て思わず「今ごろかい!」とツッコミたくなった。かつての集客要素だった動物園は去り、夏目漱石が「湧くからに 流るるからに 春の水」と詠んだ、湧水量もめっきり減った。もう随分前から水前寺の魅力が無くなった、と多くの市民が感じていた。2、3年前、久しぶりに公園内に入ったが、とても入園料400円の価値があるとは思えなかった。たとえば細川家の菩提寺でガラシャ夫人のお墓がある立田自然公園の200円と比べても高い。僕らが子供の頃は出入り自由(無料)だったわけだから、よけい高く感じる。来年3月の九州新幹線鹿児島ルートの全線開業を控えていることが、今回の取り組みのきっかけのようだが、そんなことがなくても観光地は“点”ではなく、“線”で振興して行くべきだ。熊本市にはせっかく、熊本城を始め、田原坂、立田自然公園、水前寺公園さらには、夏目漱石、小泉八雲、横井小楠らのゆかりの場所など数々の観光資源に恵まれているのだから。

すっかり寂しくなった水前寺公園

昭和33年まで水前寺にあった動物園(戦前の風景)

すっかり寂しくなった水前寺公園

昭和33年まで水前寺にあった動物園(戦前の風景)
「必死剣 鳥刺し」がヒット、「太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-」が製作中と、今、最も勢いのある感じの平山秀幸監督。今年の4、5月に福岡だけの先行上映が行なわれた「信さん 炭鉱町のセレナーデ」がやっと11月27日から全国公開されることになった。大牟田の特別上映会を観に行ったが、会場を埋めた観客の皆さんは何らかの形で炭鉱と関わってきたのだろう。画面の中の懐かしい風景に感動の声しきりだったのが印象的だった。ノスタルジーとせつない恋の物語、今年屈指の感動作だ。エキストラ出演したシーンもバッチリ。僕にとって一生忘れられない映画となった。


■黄昏のビギン
♪水原弘オリジナルバージョン
♪ちあきなおみカバーバージョン
今日、ちょっとした用事で植木町から天水町へ初めて山越えをした。山道に入ってしばらく走った時、道路右側に鳥居らしきものが見えた。そしてそこを車が通りすぎようとした瞬間、何かただならぬ空気を感じた。思わず「アッ!」と声が出て、あわてて左側の駐車場らしき広場の入口に車を停めた。助手席の家内が驚いて何ごとかと尋ねる。僕はかまわず、まるで何かに吸い寄せられるかのように鳥居の前に立った。「菱形八幡宮」と書かれていた。鳥居の脇には「猿田彦大神」と彫られた石碑が建っている。「猿田彦!?あの天孫降臨伝説の道案内をした猿田彦か?」こんなところに猿田彦を祀った神社があるなんて聴いたことがないなぁと思いながら階段を登り、小さなほこらで参拝を済ませた。人っ子一人いない。が、数本の杉の巨木が屹立した境内は、いかにも霊験あらたかな雰囲気が漂う。家に帰ってからネットで調べてみた。やっぱり、宮崎の高天原や山都町の弊立神宮など一連の天孫降臨伝説の地の一つらしい。いや、近場にもまだ知らない穴場があるもんだなぁ。


彼はこれまでテレビドラマを中心に多くの作品があるが、中でも僕が特に好きなものをあげると
・こころ(NHK朝ドラ)
・Dr.コトー診療所(フジテレビ)
・天使(映画)
・篤姫 (NHK大河ドラマ)
・風のガーデン(フジテレビ)
などである。


発行所:株式会社トライ
熊本市植木町味取373-1
096-273-2580
http://www.try-p.net
try@try-p.net

その「用心棒日月抄」だが、これまで度々テレビドラマ化されている。中でも僕は、随分前にNHKで連続ドラマ化された「腕におぼえあり」シリーズが大好きだった。村上弘明演じる青江又八郎の飄々とした味や、渡辺徹、風吹ジュン、坂上二郎、黒木瞳、清水美砂、北林谷栄、あき竹城、小田茜らの脇役陣も、とても好ましい印象が残っている。そういえば、シリーズ中には香取クンや中居クンらのSMAPメンバーも出ていた記憶がある。映画版がどんなキャスティングになるかも含め、実現を期待したい。


先日放送された「文章の書き方」などはむしろビジネスマンこそ見るべきだと思った。会社勤めの時代にもいろんな本を読んだり、いろんな先生の話を聴いたりしたものだが、「テストの花道」で紹介された方法ほど、わかりやすく、すぐ実践に使える方法には出会ったことがない。そのポイントは
1/書き抜き
テーマについて感じたことを書き出す。
2/な・た・も・だ
書き出したことについて「な・た・も・だ」を書いてみる。
な:なぜならば(そう思った理由は?)
た:たとえば(具体的にはどういうこと?)
も:もしも(設定を変えてみる。いろんな視点から考える。)
だ:だから(結論へ導く。)
3/作文から論文へ
・「です・ます」調を「である・だ」調に変える。
・複数の根拠をあげるetc.
僕が好きな日本映画を10本選ぶとしたら、下記の4本はどうしても外せない。実はこの4本には共通点がある。いずれも脚本を書いたのが水木洋子さんだ。水木さんは7年前に亡くなったが、今年は生誕100年(8月25日誕生日)に当るそうだ。今日では男性を凌ぐ勢いの女性脚本家の、いわば草分けとなった人だ。脚本そのものを読んだわけではないので、技術的なことは正直よくわからない。しかし、この4本の中でも最も好きな「浮雲」などは、林芙美子のあの大作を約2時間にまとめ、なおかつ“はしょった”感を抱かせないのは並大抵の手腕ではない。ちなみに水木さんは1968年のNHK大河ドラマ「竜馬がゆく」の脚本も手がけており、大河ドラマでも女性脚本家の草分けである。
・おかあさん(成瀬巳喜男監督)
・ひめゆりの塔(今井正監督)
・浮雲(成瀬巳喜男監督)
・おとうと(市川崑監督)

「浮雲」の一場面
・おかあさん(成瀬巳喜男監督)
・ひめゆりの塔(今井正監督)
・浮雲(成瀬巳喜男監督)
・おとうと(市川崑監督)

「浮雲」の一場面
10年前に亡くなった父は自分の歩んだ道を書き残している。たまにそれを引っ張り出して読むのだが、中にはとても興味深い記述がある。下の文は昭和11年頃、天草の上村尋常高等小学校に勤務していた時の思い出の一部であるが、山崎朋子の「サンダカン八番娼館」を思い出す。
========================================
翌朝のことである。出勤すると早速学校長に呼ばれた。そして曰く「昨夜は全く冷汗三斗、父兄とまともに顔を合わすのが辛かった・・・」。小生には皆目その意味が判らぬので問い質したところ、それは小生が小面憎く「人身売買」を非難した昨夜の話にあるように受け取られた。そこで「あの場であの様なことは言ってよくないのですか。どうも失礼しました」と謝ると、校長は相好を崩し、「君の発言には心の底で深く感謝し、大変嬉しく思っている。だがね、あの会の席に部落の有志然として座っていた面々の中にも、人身売買の張本人が何名かいた。同じ学校に永く勤め、それらの人と懇ろになると、教育者としてその非を咎める勇気もなくなってくる。まして面と向かっていてはね。本当に不甲斐ないと思う・・・」と述懐された。そして最後に「君達の宿にも時々人買族が泊まるらしい」と付け加えられた。天草と言えば江戸時代から「からゆきさん」で特に女の出稼ぎの多い所とは聴いていたが、昭和の御世になって、しかも熊本に最も近いこの地で白昼然として非人道的な蛮行が続けられていることに異常な驚きと痛憤を覚えたのだった。それからというもの、宿泊者に人買と思しき人が現れると、宿の使用人になりすまし、立山君と交互に宿帳つけをお願いに出たものである。その住所は大連、奉天、上海など中国の各地から香港、シンガポール、インドネシアなど東南アジア各地に亘っていた。彼らは必ず煌びやかに着飾った女を同伴していた。それは妻であったり、第◯号夫人であったり、妾であったりするが、その多くが出稼ぎ娘からの登用者であり、こんな豊かで幸せな生活ができるぞという見せかけであり、乙女達に憧れを抱かせるための携行品と言ってもよかった。もちろん娘を売る主な原因は生活苦であり、泣く泣く家の犠牲になった者が多いが、中には何十人か何百人に一人の玉の輿を夢見て買われていく軽薄な娘もいたろう。また、さほど生活に困ってもいないのに、新しい漁船の購入代金800円を娘を売って償ったと広言する破廉恥親父に出会ったこともある。
映画「サンダカン八番娼館 望郷」(1974年 熊井啓監督作品)

田中絹代と高橋洋子
========================================
翌朝のことである。出勤すると早速学校長に呼ばれた。そして曰く「昨夜は全く冷汗三斗、父兄とまともに顔を合わすのが辛かった・・・」。小生には皆目その意味が判らぬので問い質したところ、それは小生が小面憎く「人身売買」を非難した昨夜の話にあるように受け取られた。そこで「あの場であの様なことは言ってよくないのですか。どうも失礼しました」と謝ると、校長は相好を崩し、「君の発言には心の底で深く感謝し、大変嬉しく思っている。だがね、あの会の席に部落の有志然として座っていた面々の中にも、人身売買の張本人が何名かいた。同じ学校に永く勤め、それらの人と懇ろになると、教育者としてその非を咎める勇気もなくなってくる。まして面と向かっていてはね。本当に不甲斐ないと思う・・・」と述懐された。そして最後に「君達の宿にも時々人買族が泊まるらしい」と付け加えられた。天草と言えば江戸時代から「からゆきさん」で特に女の出稼ぎの多い所とは聴いていたが、昭和の御世になって、しかも熊本に最も近いこの地で白昼然として非人道的な蛮行が続けられていることに異常な驚きと痛憤を覚えたのだった。それからというもの、宿泊者に人買と思しき人が現れると、宿の使用人になりすまし、立山君と交互に宿帳つけをお願いに出たものである。その住所は大連、奉天、上海など中国の各地から香港、シンガポール、インドネシアなど東南アジア各地に亘っていた。彼らは必ず煌びやかに着飾った女を同伴していた。それは妻であったり、第◯号夫人であったり、妾であったりするが、その多くが出稼ぎ娘からの登用者であり、こんな豊かで幸せな生活ができるぞという見せかけであり、乙女達に憧れを抱かせるための携行品と言ってもよかった。もちろん娘を売る主な原因は生活苦であり、泣く泣く家の犠牲になった者が多いが、中には何十人か何百人に一人の玉の輿を夢見て買われていく軽薄な娘もいたろう。また、さほど生活に困ってもいないのに、新しい漁船の購入代金800円を娘を売って償ったと広言する破廉恥親父に出会ったこともある。
映画「サンダカン八番娼館 望郷」(1974年 熊井啓監督作品)


田中絹代と高橋洋子

いまだに連日の猛暑が続く。しかし、夕立があがった空を見上げると、明らかに真夏のそれとは違う。この時季になるときまって聴きたくなるのが「晩夏」。ユーミンが荒井由実の時代、1976年にリリースした名曲だ。2005年には平原綾香がカバーしている。カバー盤をリリースする時、ユーミンのラジオ番組「Sweet Discovery」にゲスト出演した平原綾香に、「なんでこの歌をカバーする気になったの?」とユーミンが不思議がっていたのが印象に残っているが、とにかく詩が素晴らしい。
