7年前の熊本地震で甚大な被害を受けた南阿蘇鉄道が全線復旧し、15日、運転が再開された。南阿蘇村復興への重要なマイルストーンとなるだろう。
思えば南阿蘇村は今から55年前、僕が社会人としての第一歩を踏み出した懐かしい村。トラックディーラーに就職した僕が最初に担当したテリトリーが南阿蘇村(当時は長陽村、白水村、久木野村に分かれていた)だった。熊本地震で崩落した阿蘇大橋も当時はまだ架かっておらず、立野から渓谷へ下って戸下温泉を通り、戸下の七曲がりを連日登ったものだ。高森へと続く道はまだ舗装もされていなかった。多くの人々との出会いもあり、濃密な思い出が残っている。
中松駅の近くの建設業のオヤジは古いユーザーだったが有名な頑固者。初対面の時から挨拶をしても会釈も返さず、度々訪問したが、ほとんど会話らしい会話はなかった。僕が担当地区が替わり、転任挨拶に行った時、このオヤジがひと言「ご苦労だったな」と言った。涙が出るほど嬉しかった。
当時の南阿蘇はまだ自家用車はそれほど普及していなかった。小中学生は遠い距離を徒歩で通学していたが、道路が乾くと通る車で土埃がもうもうと上がるし、雨が降ればぬかるんだ道を歩かなければならなかった。当時の小中学生の間で流行っていたのが、通りかかった車に手をあげて乗せてもらう、つまりヒッチハイクである。僕も何度も彼らを乗せて運んだ。今なら絶対ありえない光景だ。
その他にも忘れられない思い出がいろいろあり、南阿蘇村がテレビのニュースに出ると、遠い昔のことを懐かしく思い出す。
全線復旧した南阿蘇鉄道
南阿蘇鉄道名所 第一白川橋梁
♪ 阿蘇の恋歌
今や阿蘇を象徴する歌となった「阿蘇の恋歌」。この歌が生れたのは戦後間もない頃。作ったのは作詞、作曲ともに熊本の人ではない。昭和23年に阿蘇を旅した福井県の作詞家・松本芳朗さんが詩を作り、後にレコード化のため、青森県出身の作曲家・陸奥明さんが曲をつけた。
2012年5月12日 熊本城本丸御殿 春の宴 ~阿蘇をどり~
振付:中村花誠
立方:こわらべ(あかね・ゆりあ)
地方:藤本喜代則と喜代則社中/中村花誠と花と誠の会
♪ 阿蘇くぎの花盛り音頭
これはまぎれもない南阿蘇の唄。「火の国旅情」で知られる作詞:中沢昭二、作曲:岩代浩一のコンビによって作られた歌である。熊本人の僕でさえちょっと声に出すのを憚るくらい、阿蘇の方言まるだしのユーモラスな歌詞だ。
2012年5月12日 熊本城本丸御殿 春の宴 ~阿蘇をどり~
振付:中村花誠
立方:こわらべ(あかね・ゆりあ・みわ)
地方:藤本喜代則と喜代則社中/中村花誠と花と誠の会