先週と今週の「にっぽんの芸能」(NHK-Eテレ)は日本舞踊をオーケストラの生演奏で踊るという趣向。2週にわたって5つの演目が演じられたが、僕が最も興味深かったのは、1週目の「いざやかぶかん」。ジョージ・ガーシュインのオペラ「ポギーとベス」の中から組曲「キャットフィッシュ・ロウ」に乗せて、出雲阿国の阿国歌舞伎に始まり、遊女歌舞伎、若衆歌舞伎、野郎歌舞伎へと移り変わる歌舞伎の歴史を表現した。阿国と名古屋山三の二役を演じたのは宝塚男役トップスターの轟悠(熊本県人吉市出身)。その男前ぶりはさすがに光っていた。オーケストラには何の違和感もなかった。宝塚の舞台に似ているし、昔はレヴュー的な時代劇映画もよくあった。
そしてもう一つ、僕にはとても懐かしい「ポギーとベス」の音楽の数々。中学生の頃、オットー・プレミンジャー監督、シドニー・ポワチエ、ドロシー・ダンドリッジ、サミー・デイビス・JRらが出演した思い出の映画。今では原版が封印されて見ることは出来ない。

そしてもう一つ、僕にはとても懐かしい「ポギーとベス」の音楽の数々。中学生の頃、オットー・プレミンジャー監督、シドニー・ポワチエ、ドロシー・ダンドリッジ、サミー・デイビス・JRらが出演した思い出の映画。今では原版が封印されて見ることは出来ない。


Facebookでお友達になっていただいている錦織淳二さんが、最近、京都を旅行され、こんな心境を綴っておられた。
――京都をぶらぶらしていると、聞こえてくるのは殆ど中国語&韓国語・・・浴衣を着ている方も中国人&韓国人で、マナーも何もない無法地帯と化している・・・私の知り合いの中国・韓国人は日本人よりキチンとしているのに・・・マナーさえ守ってくれれば何処の国の人でも歓迎だが・・・すごく残念・・・ここは本当に京都?――
「秋のくまもとお城まつり」などでこのところ熊本城に行くことが多いが、程度の差こそあれ、僕も同じようなことを感じていた。熊本城も最近では中国、韓国、東南アジア、欧米など外国からの観光客が日本人観光客を完全に圧倒している。数の上ではどうなのかわからないが、飛び交っている言葉はほとんど外国語。数年前までは、大人しく観光する日本人に合わせるようなところが見受けられたが、多勢となった今では傍若無人な連中も散見される。
国は「観光立国」、県は「観光立県」などと言っているが、お金さえ落としてもらえば、どんなに荒らされてもいいってわけではないはず。4年後にはラグビーワールドカップ、5年後には東京オリンピックもやって来る。問題が大きくなる前に、そろそろ何か対策を考えておくべきでは。
――京都をぶらぶらしていると、聞こえてくるのは殆ど中国語&韓国語・・・浴衣を着ている方も中国人&韓国人で、マナーも何もない無法地帯と化している・・・私の知り合いの中国・韓国人は日本人よりキチンとしているのに・・・マナーさえ守ってくれれば何処の国の人でも歓迎だが・・・すごく残念・・・ここは本当に京都?――
「秋のくまもとお城まつり」などでこのところ熊本城に行くことが多いが、程度の差こそあれ、僕も同じようなことを感じていた。熊本城も最近では中国、韓国、東南アジア、欧米など外国からの観光客が日本人観光客を完全に圧倒している。数の上ではどうなのかわからないが、飛び交っている言葉はほとんど外国語。数年前までは、大人しく観光する日本人に合わせるようなところが見受けられたが、多勢となった今では傍若無人な連中も散見される。
国は「観光立国」、県は「観光立県」などと言っているが、お金さえ落としてもらえば、どんなに荒らされてもいいってわけではないはず。4年後にはラグビーワールドカップ、5年後には東京オリンピックもやって来る。問題が大きくなる前に、そろそろ何か対策を考えておくべきでは。


下の映像は、玉名女子高吹奏楽部が昨年6月、米国アイオワ州のクラリンダ市で行われた「2014グレン・ミラーフェスティバル」に参加した時の映像である。クラリンダ市は「スウィングジャズのレジェンド」グレン・ミラーの生誕地で、毎年6月にグレン・ミラーフェスティバルが開催され、世界各国のバンドが参加している。1990年6月、玉名女子高が初参加。以来、クラリンダ市と玉名市の交流が始まり、1996年4月には姉妹都市を締結した。玉名女子高はこのフェスティバルに度々参加し、喝采を博してきた。
グレン・ミラーといえば、僕らの年代には映画「グレン・ミラー物語(1954)」が懐かしい。グレン・ミラーと聞くと、ご本人よりも映画に主演したジェームズ・スチュワートの顔を思い起こすほどだ。今夜はスウィングジャズに耳を傾けるとするか。

能楽に関する文献で、一番参考にしているのが「野上豊一郎」の著書。能楽研究の開拓者と称され、「シテ一人主義」という所説でも知られている。大分県臼杵の出身で、東京帝国大学時代に夏目漱石に師事し、能好きだった漱石の影響もあったようだが、能楽にのめり込むきっかけとなったのが、明治41年に靖国神社の能楽堂で行われた能を、高浜虚子の勧めで鑑賞したことだという。その時、肥後の能役者で、明治の

もともと英文学者だった野上は英国文学の翻訳もやっていて、大正15年には、ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」の翻訳もやっている。数年前に公開された映画「プライドと偏見」の原作だ。この作品は、当時、日本ではあまり評価されなかったが、夏目漱石は高く評価して自らの手本にしていたという。野上がそれを翻訳したのは、やはり師と仰ぐ漱石の影響なのだろうか。野上は東京帝大を卒業した翌年には法政大学の講師となっているが、後年、法政大学総長まで勤め、今日の「野上記念法政大学能楽研究所」の基礎を築いた。
▼能「葵上(あおいのうえ)」
左大臣の息女で光源氏の妻・葵上が最近物の怪に悩まされているので、帝の臣下(ワキツレ)が照日の巫女(ツレ)に霊を呼び寄せさせると、六条御息所の生霊(シテ)が現れ、恨み言を述べる。御息所は葵上を責め打つと、葵上を連れ去ってしまおうという声を残して消えてしまう。物の怪の正体が分かったので、横川の小聖(ワキ)がこれを祈祷していると、やがて鬼の姿になった御息所の生霊が現れ、小聖と戦うが、ついに敗れて成仏する。(源氏物語を題材としている)
▼櫻間伴馬(さくらま ばんま)
シテ方金春流能楽師。1911年以降は櫻間左陣を名乗る。維新後低迷を続ける能楽界にあって、熊本出身の一地方役者ながら、その卓抜した技で観客の喝采を博した。能楽復興の立役者として、初世梅若実、16世宝生九郎とともに「明治の三名人」の一角に数えられる。子に櫻間弓川。
※2013年12月12日に投稿した記事を再編集したものです。
昨日、KKTの番組「テレビタミン」の中だったと思うが、フィギュアスケートの羽生結弦と狂言師の野村萬斎の対談をやっていて、これがとても面白かった。羽生結弦は今シーズンから野村萬斎が主演した映画「陰陽師」の音楽を使ったプログラム「SEIMEI」に挑戦しているので、ぜひとも野村本人に会って話を聞きたかったらしい。さっそく、安倍晴明のおなじみの「天地人」を表す決めポーズについてアドバイスを受けていた。また、メリハリの付け方や意表を突く予備動作など演技のレベルアップに示唆に富むアドバイスが多かったようだ。
そんな中で、野村が実際にやって見せた「三番叟」における三連続ジャンプは、「反閇(へんばい)」と呼ばれる、悪霊を踏みつける陰陽道の作法の一つ。「SEIMEI」の振付は外国の人らしいが、身体表現と精神性を重ね合わせた演技を追及して、今までのフィギュアスケートにはない新しい和の世界を切り開いてほしいものだ。
そんな中で、野村が実際にやって見せた「三番叟」における三連続ジャンプは、「反閇(へんばい)」と呼ばれる、悪霊を踏みつける陰陽道の作法の一つ。「SEIMEI」の振付は外国の人らしいが、身体表現と精神性を重ね合わせた演技を追及して、今までのフィギュアスケートにはない新しい和の世界を切り開いてほしいものだ。

モーリン・オハラさん(米女優)が亡くなったというニュースが流れていた。オハラさんはジョン・フォード監督の作品に数多く出演し、中でもフォード監督がアカデミー監督賞を受賞した「わが谷は緑なりき (1941)」と「静かなる男 (1952)」に出演した女優として生涯忘れることのできない女優さんだ。特に20代になったばかりの頃の「わが谷は緑なりき」での、匂い立つような美しさ、また、母国アイルランドを舞台にした「静かなる男」での生き生きとしたアイルランド娘ぶりが忘れられない。ジョン・ウェインとの共演が多く、西部劇の出演も多いのだが、意外にも西部劇の神様ともいわれたジョン・フォード監督の西部劇に出演したのは「リオ・グランデの砦(1950)」1本のみである。享年94。合掌

「静かなる男 (1952)」でのモーリン・オハラさん

「静かなる男 (1952)」でのモーリン・オハラさん
天草市牛深など全国各地で歌い継がれるハイヤ系民謡の一つ「田助ハイヤ節」は華やかな港町を思い起こさせる民俗芸能として、長崎県指定無形民俗文化財になっています。
平戸島の北部に位置する田助港は、古くから潮待ち・風待ちの港としてよく知られる良港でした。天明8年(1788)に江戸の絵師、司馬江漢が当地を訪ね、寛政2年(1790)に刊行した「西遊旅譚」には、たくさんの船や船宿などが描かれており、当時の華やいだ港町の雰囲気まで伝わってきます。

潮待ち・風待ちのために船宿に泊まることとなった船乗りたちが、太鼓や三味線を使い、いろいろな地で聞き覚えた音曲を、即興的に演奏し歌ったのが、「田助ハイヤ節」の始まりといわれています。
平戸島の北部に位置する田助港は、古くから潮待ち・風待ちの港としてよく知られる良港でした。天明8年(1788)に江戸の絵師、司馬江漢が当地を訪ね、寛政2年(1790)に刊行した「西遊旅譚」には、たくさんの船や船宿などが描かれており、当時の華やいだ港町の雰囲気まで伝わってきます。

潮待ち・風待ちのために船宿に泊まることとなった船乗りたちが、太鼓や三味線を使い、いろいろな地で聞き覚えた音曲を、即興的に演奏し歌ったのが、「田助ハイヤ節」の始まりといわれています。
「広報ひらど」より
来月、二つの楽しみな講演会が行われる。
■まず一つ目は、11月15日(日)にホテル熊本テルサで行われる“SOSEKI”トークス2015「漱石」講演会。来年の夏目漱石没後100年、来熊120年という「漱石記念年」のプレイベントとして行われるもの。作家の高橋源一郎さんが「21世紀の漱石」と題して講演する。高橋さんは昨年、BS朝日の番組「にほん風景物語」で実際に「草枕の道」を歩いており、その体験も踏まえた話が聞けそうだ。事前申し込みが必要。

■二つ目は、11月26日(木)に熊本市国際交流会館で行われる「熊本城顕彰会設立88周年記念」講演会。こちらは、熊本県文化協会会長の吉丸良治さんが「肥後五十四万石の魅力」、また熊本市文化財専門相談員の富田紘一さんが「熊本城炎上の謎を探る」と題する講演など、熊本城に関する興味深い演題が並ぶ。事前申し込み不要。
■まず一つ目は、11月15日(日)にホテル熊本テルサで行われる“SOSEKI”トークス2015「漱石」講演会。来年の夏目漱石没後100年、来熊120年という「漱石記念年」のプレイベントとして行われるもの。作家の高橋源一郎さんが「21世紀の漱石」と題して講演する。高橋さんは昨年、BS朝日の番組「にほん風景物語」で実際に「草枕の道」を歩いており、その体験も踏まえた話が聞けそうだ。事前申し込みが必要。

■二つ目は、11月26日(木)に熊本市国際交流会館で行われる「熊本城顕彰会設立88周年記念」講演会。こちらは、熊本県文化協会会長の吉丸良治さんが「肥後五十四万石の魅力」、また熊本市文化財専門相談員の富田紘一さんが「熊本城炎上の謎を探る」と題する講演など、熊本城に関する興味深い演題が並ぶ。事前申し込み不要。


熊本学園大学で行なわれた行定監督のトークショーを見に行ってから、あっと言う間に8年過ぎた。行定監督が映画作家を志すきっかけとなった50年代、60年代の日本映画および小津安二郎や成瀬巳喜男ら当時の監督に対するリスペクト、それを踏まえて常に「温故知新」の心構えで映画づくりを進めていきたいという言葉に感銘を受けた。また、「世界の中心で、愛をさけぶ」が代表作と言われることへの抵抗感、まだ達成感はあまり感じられないことなど、当時の監督の心境もよく憶えている。以後、監督は一作一作、よりレベルの高いものを追究して映画づくりに取り組んでおられると思うのだが、いまだ「セカチュー代表作」説は覆せていないと思う。もっといろんな題材に取り組んでほしいと願っている。

NHKドラマ「ハードナッツ! ~数学girlの恋する事件簿~」より橋本愛と高良健吾

行定監督が目標とする一人 成瀬巳喜男監督の「浮雲」より高峰秀子

2014年菊池国際交流映画祭で行定監督、高良健吾、舞踊団花童

「対岸の彼女」というのは角田光代が2004年の下半期に直木賞をとった小説。角田光代は、2008年に本屋大賞をとった「八日目の蝉」など多くの文学賞を受賞しているが、僕が一番好きな作品がこの「対岸の彼女」。
この「対岸の彼女」を2006年にTVムービー化したのが平山秀幸監督。僕は2008年に平山監督の映画「信さん 炭坑町のセレナーデ」の万田坑ロケにエキストラで参加し、撮影合間には監督とお話しすることもできた。ちょうどその頃から、「しゃべれども しゃべれども(2007年)」「やじきた道中 てれすこ(2007年)」「信さん・炭坑町のセレナーデ(2010年)」「必死剣 鳥刺し(2010年)」「太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-(2011年)」などの監督作品が立て続けに公開された。来年は久しぶりに「エヴェレスト 神々の山嶺」の公開が予定されており楽しみだ。
さて、話を戻すと「対岸の彼女」で主演したのが多部未華子。その妹役だったのが波瑠。不良っぽい少女役で、多部未華子演じる姉から「目つきの悪いブス」呼ばわりされていたと思う。
話題が、現在の朝ドラヒロインから、2009年の朝ドラヒロインの多部未華子につながったところで「お後がよろしいようで」。
※写真は「対岸の彼女」に出演した時の波瑠
笹木美きえさんから教えていただいた「越後獅子」の5分40秒辺りから始まる 「浅草詣り」の元唄となった部分です。
何たら愚痴だへ、
牡丹は持たねど越後の獅子は、
おのが姿を花と見て、
庭に咲いたり咲かせたり、
そこのおけさにいなこと言はれ、
寐まり寐まらず待明かす、
御座れ話しませうぞ、こん小松の蔭で、
松の葉のよにこん細やかに、
弾いて唄ふや獅子の曲
牡丹は持たねど越後の獅子は、
おのが姿を花と見て、
庭に咲いたり咲かせたり、
そこのおけさにいなこと言はれ、
寐まり寐まらず待明かす、
御座れ話しませうぞ、こん小松の蔭で、
松の葉のよにこん細やかに、
弾いて唄ふや獅子の曲

ところで、僕が江戸端唄に関する知識を仕入れるのは、もっぱら笹木美きえさんが運営されるサイト「江戸端唄・俗曲の試聴と紹介」からである。このサイトを利用させていただくようになったのは4年ほど前からのことだが、実は今年になって笹木さんとFacebookで友達になっていただいた。すると、なんと出身大学と学部が僕と同じであることがわかった。もちろん僕よりずっとお若い年代なのだが。たまにサイト上でおたずねさせていただくのだが、いつも丁寧なご回答をいただいていてとてもありがたい。
この「浅草詣り」の歌詞も笹木さんのサイトで調べさせていただいた。それによると、この唄が作られた時代背景もあって、今日では不適切な言葉も含まれているので、歌詞を変えて唄う人もいるのだそうだ。この唄を初めて聞いた時、どっかで聞いたような気がするなと思ったのだが、元唄は長唄の「越後獅子」だそうである。
熊本県立美術館の「細川コレクション永青文庫展示室」で行われている「南蛮文化と細川家」展を観に行った。これまで見た細川コレクション展でも、細川忠興の南蛮趣味ぶりを示す展示物はいろいろあったが、今回、南蛮趣味を示す歴史資料や美術品等の文化財をまとめて観ていると、忠興の、西欧文化への関心を超えた強いあこがれのようなものを感じた。これから見て、キリシタンではなかったとされる忠興もキリスト教文化に強いシンパシーを感じていたことは間違いないだろう。しかし、名門細川家の家名を守るためにはそれは口が裂けても言えなかったに違いない。それはキリシタン大名の蒲生氏郷や高山右近らとの親交があったことや、小倉時代には、数ヶ所の礼拝堂を黙認していたこと、また毎年、七月十六日のガラシヤ祭には、胸に十字架をかけて参列していたと伝えられることなどから推察できる。忠興の跡を継いだ忠利は、幼い頃、母ガラシャによって洗礼を受けたとも伝えられ、中津時代にはキリスト教伝道所を保護していた記録が残る。また、今回の展示物の中には、母ガラシャの慰霊祭を行うに当たって、忠興から「禅寺で行うよう」と指示されたにもかかわらず、自分はキリスト教のしきたりに則ってやりたいという意思を認めた、極めて興味深い書状もあった。




圓蔵師匠の噺はマクラがやたらと長いが、だいたいこんなような噺だ。
品川の女郎お染は人気も陰り、物日に必要な金を用立ててくれる客もいない。女郎たちから馬鹿にされるので死のうと思うが、一人で死ぬのも癪なので誰かを道連れにすることを思いつく。なじみの客の中から、少々とんまな貸本屋の金蔵を道連れにすることにする。さて顛末は、というおなじみのお話し。
話を聞きながら、この「品川心中」をエピソードの一つとして取り込んだ川島雄三監督の傑作映画「幕末太陽傳」のことを思い出した。女郎お染を演じたのが昭和の名女優・左幸子。そして貸本屋金蔵(映画では金造)を演じたのが、俳優、演出家、語り芸など多彩な才能で活躍した小沢昭一。映画のシーンを思い浮かべながら圓蔵師匠の噺を聴いていたら二重に楽しめた気がした。
