徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ブラタモリ ~桃太郎伝説~

2019-11-30 21:06:57 | 日本文化
 今夜のブラタモリは「岡山・桃太郎編」。「“岡山といえば桃太郎”なのはナゼ?」をテーマに岡山に残る桃太郎伝説の痕跡の数々を訪ねるという内容。岡山出身の歴史学者・磯田道史さんのちょっと熱苦しい案内もあり、岡山がナゼ桃太郎の町になったのかを探る。桃太郎のモデルとなった吉備津彦命は実は第七代孝霊天皇の子。楯築遺跡に祀られる鬼に擬せられた古代吉備の強大な勢力を征伐するためにやってきた吉備津彦命。そのお供をした家来たちが犬、猿、キジに擬せられる。鬼ヶ島こと鬼ノ城を支えた石の秘密。そして今では桃太郎とともに鬼も神として崇められ岡山の人々を見守っているというネバーエンディングスト-リー。





ポンポコニャ余話

2019-11-28 19:07:39 | 熊本
 熊本民謡「ポンポコニャ」は普段、1番から4番までの歌詞しか唄われない。しかし、郷土史家の鈴木喬先生(2010年没)の書かれた研究論文「熊本民謡ポンポコニャーと熊本名所地名考」によれば、実は5番、6番の歌詞があるという。なかでも5番の歌詞はちょっと不思議な歌詞だ。

【5番の歌詞】
〽あのや白坂さんな 漆畑の地蔵さん
  オヤ ポンポコニャー
   おこせば はりかく虫がせく
    虫がせくなら 垢をまるめて呑ましゃんせ

 白坂さんというのは、漆畑という地区にあった石地蔵のことらしい。漆畑は、今の旧細川刑部邸と熊本博物館の間の道を西の方へ下ると、階段の砂薬師坂につながる。その砂薬師坂の左側に広場があり、現在、熊本地震で崩落した熊本城の石垣や栗石などの置場となっている辺りを昔、漆畑と呼んでいたそうだ。「肥後国志」には、この漆畑と呼ばれた所にヒ素を含む有毒の石があり、野鳥がこれに触れると死ぬという言い伝えがあったことが記されている。その有毒の石体というのが白坂さんではないかというのである。鈴木先生は、おそらく栃木県那須野原の殺生石の話から思いついた言い伝えではないかと推測している。白坂さんは傾いていたのか、起こそうとすると怒って腹痛を起こさせるという伝承があったという。もし腹痛がおきたら垢でもまるめて呑んどけば、と何ともいいかげんなオチにツッコみたくなる。白坂の語源も「城の坂」などいくつか考えられるがよくわからないらしい。
 4番までの歌詞とは明らかに詩想が異なるので、おそらくあとから付け加えられたものと思われる。

(熊本地震前)


かつて漆畑と呼ばれたエリア


今日の独白(毒吐く)

2019-11-27 20:15:28 | ニュース
 いずれも今日放送された「夕方LIVEゲツキン!」(RKK)の話題から

▼ミス・クマモト最終選考会
 今日、熊本森都心プラザで行われた「ミス・クマモト最終選考会」の模様を伝えていた。事前にウェブ投票なども行われていて、ファイナリスト9名の写真やプロフィールは見ていたが、今の時代、こういう女性たちが熊本を代表するミスというのだろうか。たしかに皆さんスタイルはいいが、正直魅力を感じる人はいなかった。これまでの数ヶ月間、ファイナリストたちはいろいろな訓練を受けたらしいが、今日選ばれる一人はこれからもせいぜい自分を磨いて「ミス・クマモト」として恥ずかしくない活動をやってもらいたい。




▼全日本マーチングコンテスト
 この前の日曜、大坂城ホールで行われた「第32回全日本マーチングコンテスト」において、玉名女子高等学校は今年も「全日本吹奏楽コンクール」と合わせてW金賞を受賞した。
 今日の「ゲツキン」では、熊本からもう1校参加した熊本工業高校吹奏楽部に密着取材していた。伝統の熊工吹奏楽部もここしばらく金賞から遠ざかっている。今年こそはと決意して臨んだこの大会、持てる力は発揮できたものの金賞には届かなかった。悔し涙にくれる生徒たちの姿を見ながら、ブリヂストン時代、吹奏楽部のコーチを務めていた僕の先輩が言っていた言葉を思い出した。「マーチングも基本は音楽なんだよな。いくらパフォーマンスが完璧でも音楽性を評価してもらえなければね」


失われゆく風情

2019-11-26 19:01:21 | 世相
 ブログ「津々堂のたわごと日録」さんの今日の記事に健軍神社前の「西南の役‐熊本隊出陣の場所」の植栽が全くなくなり、風情がなくなった様子が紹介されていた。
 今日、上熊本方面へ歩いて行った帰り、久しぶりに上熊本から京町台へ登る釈将寺坂を通った時、風景がすっかり変わってしまったことに気付いた。

▼今日の釈将寺坂の様子


     ▼以前の釈将寺坂の様子

 かつて季節の花々が植えられていた斜面がコンクリートで固められていたのだ。おそらく地震対策だと思われるのでやむをえないとは思うが、この坂を登る時、いつも癒してくれた花々が見られなくなったのは寂しい。
 この釈将寺坂は、その昔、坂の上に釈将寺というお寺があったことから付けられた名前。釈将寺は江戸時代前期の談林派俳諧の祖、西山宗因が幼い頃修業したお寺で、俳人連歌師への道を歩き始めた由緒のあるお寺だった。

古社の秋祭り

2019-11-25 19:20:26 | イベント
 太宰府天満宮の最古の分霊社と伝えられる梅林天満宮(熊本県玉名市津留)の秋季大祭が今日行われた。菊池川沿いに広がる田園の一角に鎮座まします鄙びた古社のハレの日。神楽、巫女舞、流鏑馬と見どころも多く、なかなか魅力的な祭りで毎年この日が楽しみである。


太宰府天満宮から派遣の巫女舞


熊本県指定重要無形民俗文化財の流鏑馬の奉納

邦楽新鋭展 vol.5

2019-11-24 19:26:15 | 音楽芸能
 「くまもと全国邦楽コンクール」の歴代最優秀賞受賞者による演奏会「邦楽新鋭展 Vol.5」が今日、熊本県立劇場で行われた。前回の「Vol.4」から4年ぶりの開催。会場も県立劇場に変わり、趣向を凝らした演出もあって演奏会としてスケールアップした。
 個人的には、午前中、リハーサルの合間に本條秀五郎さんと佐藤亜美さんを訪ね、ご挨拶できたことが嬉しかった。プログラムの中でも、もちろんこのお二人の演奏に注目。本條秀五郎さんの江戸端唄「綱は上意」をナマで聴くのは6月のコンクール以来二度目。先般放送された「にっぽんの芸能」(Eテレ)での演奏も聴いたが、やはりナマの迫力は違う。他の出演者の曲に比べると非常に短いが、僕の周囲のお客さんたちも江戸端唄の粋の世界に引き込まれていたようだ。佐藤亜美さんの演奏をナマで聴くのは8年前のコンクールの時、そして4年前の「Vol.4」の時以来の三度目。今回は二十五弦筝で伊福部昭作曲の「琵琶行」という大曲。二十五弦筝の音色がナルシソ・イエペスのギターに聴こえたり、アントン・カラスのチターに聴こえたり、ペルシャの伝統楽器に聴こえたり、不思議な音楽世界にいざなわれた気がした。実に奥深い演奏だった。
 元NHKアナの葛西聖司さんのいつもながらの饒舌(過ぎる?)な司会で進行し、特別出演の藤原道山さんも予定になかった「空」の演奏をするなどで盛り上がり、ラストの出演者全員での「オリンピック讃歌」でフィナーレという充実した演奏会だった。



<p.s.>
 帰宅後、某局の夕方のローカルニュースを見ていたら、さっそくこの演奏会が紹介されていた。しかし、観客の映像は僕らと同じ、年配者の集団ばかり。たしかに年配の観客が多いのはそのとおりなのだが、実際には若い人も大勢いたし外国人も多かった。邦楽の発展のためにはそんな映像もほしかった。

旧細川刑部邸の紅葉

2019-11-23 19:22:34 | 熊本
 旧細川刑部邸の庭園が今日から開放され、絶好の紅葉狩り日和とあって来場者も多かった。紅葉も見ごろと言っていいだろう。市の広報などでは盛んに夜間のライトアップをPRしているが、秋の紅葉も春の桜も太陽のもとで観るものだと思っている。夜間ライトアップのもとで観た紅葉を別の日の昼に観たらガッカリ、なんてことがあった。ネオンきらめく夜の飲み屋街を、昼見た時の幻滅感みたいなものだ。以来、ライトアップされて美しいという景色は信用しないことにしている。


邸前の大銀杏


海外からのお客様も

歴史秘話ヒストリア ~世阿弥~

2019-11-22 15:29:57 | ファミリー
 20日(水)に放送された「歴史秘話ヒストリア」(NHK-G)は能を大成した「世阿弥」を取り上げた。歴史情報番組に実際の能楽師の「能」でリアルに再現するという目新しさはあったものの、5年前にEテレで放送された「100分de名著-風姿花伝」に比べると食い足りなさが残った。
 実子元雅の死の真相、六代将軍義教による世阿弥の迫害と佐渡島への流刑の真相などに迫るのかと期待したが、秘話と呼べるほどの内容は無かった。世阿弥の残した「風姿花伝」や「花鏡」などの伝書は能にとどまらず、今日、多くの人に人生訓として読まれている。その実例として某通信販売の社長が出て来て話をしていたが、同局の他番組「知恵泉」に登場する経済人などと同じような違和感を感じた。
 それはともかく、足利義満と世阿弥のBL的関係や、近江猿楽の犬王との関係など、世阿弥に関する興味は尽きることがない。


特別舞台「茶の舞」

2019-11-21 18:54:41 | イベント
 11月30日からいよいよ「2019女子ハンドボール世界選手権大会」が熊本で始まりますが、先月のラグビーワールドカップに続き、今回も大会期間中に国内外からのお客様をおもてなしする特別舞台「茶の舞」が桜の馬場城彩苑で行われます。

 ◆日 時:12月7日(土)午後3:45~5:30
 ◆会 場:わくわく座2階
 ◆内 容:舞踊団花童の少女たちによる「茶道&日本舞踊」の特別舞台
 ◆鑑賞券:1,500円、お抹茶券500円
 ◆問合せ:熊本城ミュージアムわくわく座 ℡096-288-5600


ラグビーワールドカップ時の「茶の舞」から

檜垣嫗(ひがきのおうな)の歌

2019-11-20 21:47:25 | 文芸
 今夜の「歴史秘話ヒストリア」(NHK-G)は「世阿弥」を取り上げるようだ。番組の感想はまた後日ということにして、「世阿弥」と聞けば、熊本人にとっては何と言っても「高砂」と「檜垣」。脇能として見る機会が多い「高砂」に対し、「檜垣」を見る機会はほとんどない。いつか見ることが出来ることを祈りながら、今夜は檜垣嫗が詠んだと伝えられる秋の歌を二つ。

 秋風の こころやつらき 花薄 吹きくる方を まづそむくらむ
 (秋風の心は冷たいのか、ススキの穂が、秋風の吹いてくる方に、最初に背をむけるだろう)



 鹿の音は いくらばかりの 紅ぞ ふりいづるごとに やまの染むらむ
 (鹿の鳴く声は、いくらばかりかの紅色をふりだして、野山が赤く染まっていくのだろう)


長谷検校記念くまもと全国邦楽コンクール最優秀賞受賞者演奏会

2019-11-19 21:17:49 | 音楽芸能
 今年25回目を迎えた「くまもと全国邦楽コンクール」を記念して、歴代の最優秀賞受賞者による演奏会「邦楽新鋭展 Vol.5」が熊本県立劇場(2019年11月24日)で開催されます。
 また、2020年は、このコンクールにその名を冠する熊本出身の地歌三弦の名人、長谷幸輝検校の没後100年にあたることを記念して東京・紀尾井小ホール(2020年2月23日)において、同じく歴代の最優秀賞受賞者による演奏会「長谷幸輝検校没後百年記念演奏会」が開催されます。このため、これまでの歴代の最優秀賞受賞者たちは熊本と東京の二手に分かれて出演することになります。
 東京出演者の中にも再見したい演奏家が何人かおられますが、東京まで見に行くのは難しそうなので残念です。





長谷幸輝検校のお墓(小峰墓地)

吹奏楽のすそ野

2019-11-18 21:11:07 | 音楽芸能
 昨日、護国神社で行われた「熊本城下町 菓子祭り」を見に行った。ステージでは様々なプログラムが組まれていたが、その中に一新小学校吹奏楽部や尚絅中学校・高等学校吹奏楽部なども出演していた。演奏を聴きながら、最近、YouTubeで視聴した全日本吹奏楽コンクール高校の部の金賞受賞校の演奏を思い出し、あらためて日本の吹奏楽のレベルの高さとそれを支えるすそ野の広さを再認識した。


一新小学校吹奏楽部

▼第67回全日本吹奏楽コンクール高校の部 金賞団体の自由曲(2019.10.20 名古屋国際会議場)
玉名女子高等学校
東海大学菅生高等学校
埼玉栄高等学校
東海大学付属高輪台高等学校
大阪府立淀川工科高等学校
東海大学付属札幌高等学校
岡山学芸館高等学校
東京都立片倉高等学校


嗚呼! 秋夜の宴

2019-11-17 19:39:22 | イベント
 熊本市の「熊本城復旧基本計画」によれば本丸御殿の復旧は2028~2032年度というから、まだまだずっと先の話。この季節になると本丸御殿の大広間で繰り広げられていた「秋夜の宴」のことが思い出されて寂しさが募る。9月から約2ヶ月にわたり毎週末、伝統芸能を中心としたプログラムが組まれ、本丸御殿を彩った。そしてその多くでメインキャストを務めたのが少女舞踊団ザ・わらべ。毎回せっせと本丸御殿へ登った日々が懐かしい。再び本丸御殿でイベントが行われるとしても、早くても10年以上先。もう僕は見ることができないだろう。


手前から梅の間、桜の間、桐の間そして最奥部に見えるのが若松の間の障壁画


2011.11.25 少女舞踊団ザ・わらべ「奴だこ」

ハーンの見た風景

2019-11-16 17:35:36 | 文芸
 久しぶりに立田山山麓の小峰墓地に登ってみた。ラフカディオ・ハーンが愛した石仏(鼻欠け地蔵)や偉人たちの墓に参った後、墓地の北端に立って立田山をしばし眺めた。

 次の文は、ラフカディオ・ハーンの「石仏」の冒頭の一節である。

 第五高等中学校(五高)の背後にある立田山の一角は――なだらかな丘陵となっていて、小さな段々畑が連なっている――そこに村の小峯という古い墓地がある。けれど、そこはもう使われておらず、このあたりの黒髪村の人たちは今ではもっと離れた区域を墓地としている。村人の畑は、この古い墓地の区域にまでもう迫ってきているように見えた。

 おそらくハーンは、下の写真のように小峰墓地の上に立って立田山の方向を眺めたであろう。今では住宅が建て込んでいるが、当時は段々畑が連なっていたのだろう。写真の右側のアパートの向こう側に細川家の菩提寺・泰勝寺があり、その少し手前に父が生まれたわが家の本籍である黒髪村の家があった。それはハーンの目にもとらえられていたはずだ。当時この辺り一帯は数百㍍隔てて、彼処に一戸、此処に二戸と人家の点在する寂しい山里だったが、自然の眺めは四季を通じて素晴らしく、ことに春の風情はこの地を訪れる人に「柳暗花明又一村」の感懐を抱かせたのでは、と父は書き遺している。


小峰墓地から立田山を望む


ハーンが愛した石仏(鼻欠け地蔵)

今日はなんの日?

2019-11-15 19:49:45 | 日本文化
 その日最初に車に乗る時、カーナビが「今日は何の日」かを教えてくれる。今日は「着物の日」だという。その由来については何も言わないのでわからない。

 一昨年1月に放送された「歴史秘話ヒストリア ~きもの 千年のトキメキ~」(NHK総合)では、着物が今日のような姿になるまで、3回の大変革があったという。
 最初の変革は、平安時代後期から、広袖の下に着る下着だった小袖を表着に変えた時。それは戦国時代のファッションリーダー、織田信長によるといわれる。その小袖に何色もの糸を織り込んだりして華美なものに変えて行った。
 第二の変革は、江戸時代中期、第5代将軍徳川綱吉の時代、町人生活の奢侈を取り締まるため、金糸や鹿の子絞りなどが御法度となった時。そこで登場したのが友禅染。扇絵師の宮崎友禅は、着物を、より繊細で色鮮やかに大変身させた。
 そして第三の変革は、19世紀半ば、イギリスで化学染料が発明された時。明治初期、友禅染の名人・広瀬治助が、この化学染料を使い、試行錯誤を繰り返しながら、ついに新たな友禅染を生み出した。以来、安価な着物が作られるようになった。(放送直後のブログ記事を転載)

 カーナビが教える「今日は何の日」も、中にはどうでもいいような記念日もあるが、今日のようにあらためて勉強し直すきっかけになれば案外役に立つのかもしれない。


2019.6.9 全日本きもの着付選手権熊本大会より。十二単の着付風景