徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

センタープラザ閉店の日

2015-03-31 17:23:31 | 熊本
 熊本市中央区の桜町地区再開発事業に伴い、交通センター地下の「センタープラザ」がいよいよ今日閉店する。1969年のオープン以来46年の歴史の幕を閉じる。



センタープラザ閉店の日を迎えた交通センター。


売り尽くしセールで各店舗とも賑わっていた。


熊本放送(RKK)のラジオ番組「大田黒浩一のとんでるワイド」の公開放送。


RKKミミーキャスターのレポートも泉の観音の前から。


メッセージボードには閉店を惜しむ人々の声がギッシリ。


名残りを惜しんで蜂楽饅頭を買う人で長蛇の列が。

▼想い出の日々


1967年、熊本県庁が解体され、交通センターの建築工事が始まる。


1969年2月熊本交通センター完成


完成間もない頃の交通センター屋上からの風景。花畑公園方面


1979年頃の泉の広場の様子

新曲「細川」

2015-03-30 22:48:30 | 音楽芸能
 昨日、水前寺まつり能楽殿ステージイベントでお披露目された新曲「細川」は玉名を拠点に活動しているシンガーソングライター川原一紗(かわはらかずさ)さんの作。
 川原一紗さんは熊本県玉名市生まれで今も在住。自作の曲をピアノ弾き語りで演奏する。日本全国で活躍中。「歌による調和とコミュニケーション」をテーマとして、平和、地球、自然、故郷、和、繋がりをコンセプトにライブ活動を行っている。
 僕も元玉名市民なので川原さんのことは以前から知っていて、ライブも何度か見たことがある。透明感のある声が魅力。
 今回の「細川」は中村花誠先生のオファーがあって作られたのだろうが、七百年の歴史を有する細川家讃歌にも彼女の世界観は変わらない。従来からの中村花誠ファンにはとまどいもあるかもしれないが、五七調を基本とした力強い詩の展開は現代版「今様(いまよう)」とでも呼ぶべきか。

♪源の流れを受けて七百年
 栄えし未来を築くため
 歴史を創った武士(もののふ)ら
 時には大きな涙を流し
 時には野山を駆け巡った 幾年月日よ
 あゝ細川は とこしえに
 あゝ細川は とこしえに


本妙寺 桜灯籠(はなどうろう) と 能楽

2015-03-28 22:24:17 | イベント
 夕飯後、本妙寺の桜灯籠を見に行く。お目当ては役者寺こと妙心院での能楽見物。肥後金春流十三代中村勝さんと金春流中村会の皆さんによる仕舞や連吟を楽しむ。今夜の演目は「高砂」「熊野」「田村」「八島」「羽衣」など。


加藤清正の肥後入国に伴った金春流武家能役者中村靭負以来の能役者ゆかりの寺、妙心院。


肥後金春流十三代中村勝さんによる仕舞「高砂」。


妙心院の向かい側は枝垂桜が有名な東光院。


今年も見事な枝垂桜が満開で多くの見物客がシャッターを切っていた。


各塔頭では様々なイベントが行なわれていた。

肥後にわかミュージカル!!!

2015-03-27 21:08:26 | 音楽芸能
 今年の「くまもとをどり」はなんと、グリム童話「白雪姫」をもとに仕立てた「肥後にわかミュージカル」。肥後にわか役者のばってん城次キンキラ一太イサオらの皆さんに舞踊団花童がからんで楽しい舞台となった。
 もともと舞踊団花童は歌舞伎舞踊を本旨としている。プロの役者さんたちを相手に堂々とした芝居を繰り広げ、彼女たちのポテンシャルの高さを証明した。










花見の場所ば とっとっと!

2015-03-26 19:29:21 | イベント


 今週末は天候も良さそうだし桜も見頃で花見のピークになるだろう。たしか社会人になったばかりの年、水前寺公園内で会社のお花見に行ったのが僕の花見初体験。何だか知らないが、酔っぱらった先輩社員同士がケンカをおっぱじめた思い出がある。
 数年後、東京に勤務するようになってからは、部内の花見は上野のお山と決まっていて、若手社員が午前中から場所取りに行くというのがおきまりだった。今どきそんなことしたらパワハラと言われそうだが。もう何十年も前のことだが、その頃から上野の山には「片付け屋」というのが待ち構えていて、後片付けは彼らに一切任せていた。そのかわりシート以外、残り物は酒類も食べ物もすべて置いていくのがルールだった。
 東京と熊本では花見の様子もだいぶ違うが、熊本弁で花見の場所取り風景を唄った「とっとっと」は僕の大好きな1曲である。 

♪知っとるかい 知っとるかい
 熊本弁ば 知っとるかい
 ここなら花見のちょうどよか
 ムシロば早よう敷かなんたい
 一杯飲んで待っとこばい
 とっとっと とっとっと
 ホラ とっとっと



『とっとっと』(1998年)
作詞:佐藤幸一 作曲:今藤珠美 作調:中村寿誠

熊本城 今日の桜だより

2015-03-25 16:43:41 | 熊本
 今日は快晴ながらも風が冷たかったが、熊本城内はちょっと気の早い花見客がゴザを並べて宴を繰り広げていた。概ね二分から五分咲きといったところか。桜の花を背景とした結婚式の先撮りなどの撮影風景を多く見かけた。二の丸広場では明後日の「春のまつりオープニング & くまもとをどり」に向けて会場の設営が着々と進められていた。週末は桜も見頃となり、一帯は華やかで賑やかな雰囲気に包まれるだろう。








「漱石記念年」に期待する

2015-03-23 23:10:43 | 文芸
 昨日の話の続きです。
 先般、全国の漱石顕彰会などで組織する「夏目漱石記念年実行委員会」が熊本市で開かれ、「夏目漱石記念年」の全国のオープニング式典が2016年5月14、15日、熊本市で開催されることが決った。その後、全国の漱石ゆかりの地で様々なイベントが実施されることになる。
 この機会に僕がぜひ実現をと願っているのが、2002年に野上記念法政大学能楽研究所が発表した新作能「草枕」。この能は夏目漱石の新体詩「鬼哭寺の一夜」の物語を、小説「草枕」の世界の中で展開するという、何とも不思議な能だという。現在、熊日新聞で再び連載されている「草枕」を毎日楽しみながら、新作能「草枕」を見てみたいという願望が益々募ってきた。
 願わくば初演の時の野村萬斎のワキで見られるならこんな嬉しいことはない。

※右の絵は山本丘人『草枕絵巻』より「水の上のオフェリア」(原題「美しき屍」) 1926年

【新作能・草枕あらすじ】
 旅の詩人が肥後の山里を訪ねる。菜の花が咲き、雲雀が鳴くのどかな春の山路をどんどん登って行く。「山路を登りながらこう考えた。智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ とかくに人の世は住みにくい。住みにくき世から住みにくき煩いを引き抜き ありがたき世界をまのあたりに写す それが詩それが画・・・」などと思いめぐらせながら歩を進める。峠の茶屋も越え、七曲りも過ぎ、今宵の宿、那古井温泉も近くなった頃、俄かに雨が降り出す。やがて古い伽藍が見えてくる。さては峠の茶屋の姥が話していた長良乙女ゆかりの寺であろうと、ここで一夜を明かすことにした。すると仮寝の枕辺に女の霊が現れる。女の霊は詩人の問いに答えて、自分は長良乙女の霊だと告げる。二人の男に思いを寄せられ、どちらとも決めかねたあげく、鏡池に入水した身の上を語り、水底の舞を舞う。そして思いの丈を謡に託し、春の暁の中に姿を消す。

漱石の熊本第6番目の家

2015-03-22 20:20:08 | 


 所有者が手放す意向を示している「漱石第6旧居」(熊本市中央区北千反畑町)の保存に向けて、漱石関係の団体が協力して動き始めたというニュースが先日の熊日新聞に載っていた。なので久しぶりに「漱石第6旧居」まで歩いて行ってみた。「漱石第6旧居」というのは、熊本で4年3ヵ月を過ごした漱石が最後の3か月暮らした家。ここが漱石旧居として正式に保存されることになれば、内坪井の「第5旧居(漱石記念館)」および水前寺成趣園東隣の「第3旧居」と合わせ、三ヶ所の旧居が揃うことになり、来年・再来年の「漱石記念年」に向けてとても喜ばしいことだ。
 漱石は明治33年(1900)、熊本を去ってイギリス留学するわけだが、イギリスに滞在した2年間、実は熊本の第五高等学校に籍を置いたままだった。ということはこの「第6旧居」はその間、そのままの状態だったのだろうか。鏡子夫人などご家族はここに住んでおられたのだろうか。昨年11月に行われた「漱石記念年」のプレイベント、「“SOHSEKI”トークス」では、イギリスから帰国した漱石が熊本に立ち寄ったのだろうかという話題が出ていた。特に記録は残っていないようだが、正式に五高の職を辞す挨拶に来たようだという話だった。
 この後、漱石は第一高等学校と東京帝国大学の講師となる。そして明治40年(1907)に教職を辞め、朝日新聞に入社して職業作家となるわけだが、この朝日新聞入社に際して動いたのが池辺三山、渋川玄耳といった「熊本コネクション」。熊本との縁は深いようだ。ちなみにわが家の近くには、池辺三山の生家跡や渋川玄耳の旧居跡がある。

江戸端唄を外国人に説明すると・・・

2015-03-20 22:26:27 | 音楽芸能
 YouTubeのマイチャンネルにアップしている「江戸端唄アンソロジー by ザ・わらべ」に外国の方から次のようなコメントが書き込まれていた。
What is this music called? I absolutely love it!

 「端唄」については英語版のWikipediaに説明されているが、それをそのままコピペするのも能がないし、だいいちそんなに詳しく知りたいというわけでもなさそうなので、簡単な英文を作って返信することにした。こんなもんでどうだろうか。

This music is called 'Edo Hauta'. 'Hauta' means short song. On the other hand, long song is called 'Nagauta'. 'Hauta' was popular at the red-light district in Edo(Old Tokyo) in the late Edo period. 'Hauta' is cool music for Edo people. In many cases, the motif of 'Hauta' is love affair.





「 くまもとをどり 」の告知

2015-03-19 22:10:38 | イベント
 今夜の玄宅寺における花童月例公演では、リーダーのくるみさんから、来る27日(金)に二の丸広場で行われる「くまもとをどり」の告知があった。今回はお芝居にも取り組んでいるようでなかなか目新しい演目のようだ。
 帰り道、車を運転しながらFM放送を聞いていたら、番組の中で、今聞いて来たばかりの「くまもとをどり」の話をしていた。MCがパートナーに「ザ・わらべって知ってる?」と言っていたので「え!」と聞き耳を立てると、どうやら「ザ・わらべ」と共演する人らしい。「すごい演目だよ!」と言っていたので、ますます楽しみになって来た。











海達公子 没後82年

2015-03-18 17:29:11 | 文芸
 今年も「海達公子まつり」の時期がやって来た。
 昭和8年3月26日、5000編の詩と300首の短歌を残し、16歳の短い生涯を閉じた天才少女詩人・海達公子。今年も荒尾市では彼女の命日を期して「第6回海達公子まつり」が開かれる。




■公子の恋
 先日98歳で他界された岩本澄さんは高瀬高等女学校時代の公子の親友で、公子と一緒に過ごした高女時代の思い出を手記に残しておられる。そこには、公子の生涯たった一度の恋も綴られている。公子の永遠の恋人ともいうべき教師石塚菊二郎との出逢いと別れが、傍にいたものにしかわからない臨場感をもって記されている。
 小学生の頃、北原白秋や若山牧水らから激賞された自由詩に比べ、あまり語られることのない公子の短歌を二つご紹介したい。

▼昭和6年、画図湖で石塚先生や級友たちとボート遊びに興じる公子(右端)


棹させば 水藻ながるゝ 川の面
雲雀のこゑも かすみてきこゆ
 (画図湖にて)



▼公子が大事にしていた石塚先生の出張土産の佐渡人形


師の君の 土産は嬉し 佐渡人形
だらりの帯に 長き振袖