昨日行なわれた総選挙。勝った方も負けた方も、「予想外の結果だ」と一様に驚いてみせる。しかし、いくつかの事前調査では、今回の結果をかなり正確に予測していた。各候補者たちは事前調査の予測をどの程度信じていたのだろうか。統計的な調査というのは、対象者の分布状況やどういう検定方法を使うかなどを考えながら、信頼性のおけるサンプリングを行なう。けっして適当にアンケートを取っているのではない。従って、よほどの急激な状況変化がない限り、極めて正確に予測できる。国会議員を務めようかという人なら、そこら辺の知識は当然あるはずだし、もし、今回の結果に本当に驚いたというなら不勉強も甚だしい。おそらく当選した人は、てれ隠しに「予想外だ」と言っているのだろうし、落選した人は、言い訳に「予想外だ」と言っているのだろう。
今朝起きたのは6時半だった。選挙の投票所が開くのが7時なので、最初の投票箱の内部確認とやらを一度見てやろうと思い、開く10分ほど前に行った。既に2人が先に並んでいた。7時になると同時に先頭に並んでいた方が、選挙立会人と一緒に投票箱の内部を確認する光景を見ることができた。
投票所となった京陵中学校から帰る時、学校の前を通る県道沿いに設置された夏目漱石の句碑をじっくり眺めてみた。この道は、明治29年4月、第五高等学校の英語教師として赴任した夏目漱石が、人力車に乗って通った道で、道沿いにはそれを記念する句碑や記念碑などが建てられている。
「すみれ程の 小さき人に 生れた志」(漱石 明治30年)
正岡子規に送った40句の中の一つとされるこの句は、文献などによれば「すみれ程な・・・」となっているが、この句碑ではどう見ても「すみれ程の・・・」としか読めない。僕の気のせいだろうか。それはさておき、漱石ほどの大文豪が、小さくひっそりと生きたいという願望があったなんて意外だ。
投票所となった京陵中学校から帰る時、学校の前を通る県道沿いに設置された夏目漱石の句碑をじっくり眺めてみた。この道は、明治29年4月、第五高等学校の英語教師として赴任した夏目漱石が、人力車に乗って通った道で、道沿いにはそれを記念する句碑や記念碑などが建てられている。
「すみれ程の 小さき人に 生れた志」(漱石 明治30年)
正岡子規に送った40句の中の一つとされるこの句は、文献などによれば「すみれ程な・・・」となっているが、この句碑ではどう見ても「すみれ程の・・・」としか読めない。僕の気のせいだろうか。それはさておき、漱石ほどの大文豪が、小さくひっそりと生きたいという願望があったなんて意外だ。
今日は、くまもとフィルム・コミッション主催の映画「BALLAD 名もなき恋のうた」の、ボランティア・スタッフ&エキストラ出演者向け謝恩試写会に行った。上映後には山崎貴監督のトークショーも行なわれた。昨年11月の熊本ロケ時、シナリオは通読していたが、どういう風に映像化されているのか楽しみだった。原作となった「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」も見ているが、かりに見てなくても、これはこれでエンタテイメントとしてよく出来ており、十分楽しめる。山崎監督の「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズとも共通しているのは“人がいとおしくなる”映画という点だ。細かいところでは「どうなの?」と言いたいところもあるが、僕が何より好感を持ったのは、合戦のシーンでのVFXを極力抑制している点だ。最近の活劇映画にありがちな、大げさな爆発や、ワイヤーアクションやスローモーションなどを使っていない。これが「当時の合戦はさもありなん」と思わせるリアリティを感じさせるのだ。公開前なのであまり詳しくは言えないが、ともかく親子連れで見てほしい映画だ。草なぎクンもガッキーも良かった。中でも筒井道隆の、現代人らしい冷めた感じがおかしく、Good!。
(追記)
・400年という時間を超えた親子の交流は、ちょっと「漂流教室」を思い出した。
・クライマックスの槍を使った1対1の対決は「隠し砦の三悪人(オリジナル版)」のリスペクトかな。
・スタイリッシュに描くと言っても、時代劇はやはり守るべきところは守らないとね。
「隠し砦の三悪人(リメイク版)」で平民が姫様を「ゆき!」なんて呼ぶところで「ありえね~」といっぺんに興ざめした。この映画はきちんと節度を保っていてGood!。
・タイムスリップのシーンがえらくあっさりだったので「え!?」と思った。
しかし、考えてみればタイムスリップというのは時間移動であって、空間移動ではないから。
・原作のイメージに、もっと近い森と湖のロケ地は他にもあったと思われるが。
・せっかく山崎監督が来られたので、もっとふさわしい司会者を選んでほしかった。
司会者が熱弁すればするほど、客はドン引きで、時おりまじえるボケやジョークもダダすべり。途中で退席しようかと思ったくらいだ。
(追記)
・400年という時間を超えた親子の交流は、ちょっと「漂流教室」を思い出した。
・クライマックスの槍を使った1対1の対決は「隠し砦の三悪人(オリジナル版)」のリスペクトかな。
・スタイリッシュに描くと言っても、時代劇はやはり守るべきところは守らないとね。
「隠し砦の三悪人(リメイク版)」で平民が姫様を「ゆき!」なんて呼ぶところで「ありえね~」といっぺんに興ざめした。この映画はきちんと節度を保っていてGood!。
・タイムスリップのシーンがえらくあっさりだったので「え!?」と思った。
しかし、考えてみればタイムスリップというのは時間移動であって、空間移動ではないから。
・原作のイメージに、もっと近い森と湖のロケ地は他にもあったと思われるが。
・せっかく山崎監督が来られたので、もっとふさわしい司会者を選んでほしかった。
司会者が熱弁すればするほど、客はドン引きで、時おりまじえるボケやジョークもダダすべり。途中で退席しようかと思ったくらいだ。
今日は映画「男はつらいよ」の第一作が公開されて、ちょうど40年目の日だそうだ。松竹では1年前から、40周年記念プロジェクトをいろいろやっているし、熊本松竹では今も、シリーズの特別上映をやっており、既に何本かは見に行ったので今さらと言う気がしないでもない。1969年の8月27日といえば、僕は最初に就職した会社を辞めて、まだ転職先も見つからない、つまり寅さんと同じ“フーテン”の身だったので、その頃の時代の空気感みたいなものをよく憶えている。僕はもともとテレビシリーズの「男はつらいよ」ファンだったので、映画化が決まった時、キャストが変わることに少々不満があった。例えば、さくらは何で長山藍子じゃいけないの、博は何で井川比佐志じゃいけないの、おばちゃんは何で杉山とく子じゃダメなの・・・てな具合だった。だからしばらくは映画「男はつらいよ」を無視した。その後、映画がシリーズ化され、評判が高まるにつれ、とうとう無視できなくなり、結局、映画館やビデオなども合わせ全48作を見ることになってしまった。今では戦後昭和の映像資料的な価値が高まっているようだ。
朝夕はめっきり涼しくなった。夜は薄い毛布1枚では寒いくらいだ。そんな気候のせいもあってか、久しぶりにウォーキングをやる気になり、夕食後、家内と一緒に1時間ほど付近を歩いた。上熊本から藤崎台球場の方に登った。藤崎台の西側から、金峰山を望むと綺麗な夕焼け空が広がっていた。思わず桑田佳祐の「明日晴れるかな」が口をついて出た。もう一度、暑さがぶり返すという予報だが、来月の藤崎宮例大祭の頃は、かつてのような随兵寒合(ずいびょうがんや)が復活するだろうか。
日本映画の歴史的名作の多くでカメラマンを務めた宮川一夫さんが亡くなって10年。NHK衛星映画劇場では今週、四夜にわたって彼の特集を組んでいる。
今回放映される作品は下記の3作品だが、これ以外で特に印象に残る作品は、「羅生門」、「近松物語」、「用心棒」、「東京オリンピック」、「はなれ瞽女おりん」などだ。特にモノクロ映画での陰影感やライティングの巧みさは忘れられない。
■8月24日(月)「映画カメラマン 宮川一夫 ~没後10年 世界がみとめた映像の技~」
■8月25日(火)「雨月物語」(1953年)溝口健二監督
■8月26日(水)「浮草」(1959年)小津安二郎監督
■8月27日(木)「瀬戸内少年野球団」(1984年)篠田正浩監督
「羅生門」(1950年)黒澤明監督
「雨月物語」(1953年)溝口健二監督
今回放映される作品は下記の3作品だが、これ以外で特に印象に残る作品は、「羅生門」、「近松物語」、「用心棒」、「東京オリンピック」、「はなれ瞽女おりん」などだ。特にモノクロ映画での陰影感やライティングの巧みさは忘れられない。
■8月24日(月)「映画カメラマン 宮川一夫 ~没後10年 世界がみとめた映像の技~」
■8月25日(火)「雨月物語」(1953年)溝口健二監督
■8月26日(水)「浮草」(1959年)小津安二郎監督
■8月27日(木)「瀬戸内少年野球団」(1984年)篠田正浩監督
「羅生門」(1950年)黒澤明監督
「雨月物語」(1953年)溝口健二監督
柔和な顔に深く刻まれたシワ。思わず心が暖かくなる。今年1月、84歳で亡くなったムツばあちゃんの生前の表情だ。
先日、NHKで放送されたドキュメンタリー「秩父山中 花のあとさき」は、埼玉県秩父山中の急峻の地に畑を耕し、花を植え続けてきた小林ムツさんを追いかけ続けたシリーズの完結編だった。数年前、最初にこのドキュメンタリーを見た時はまだ、連れ合いの公一さんも健在だった。清冽な水を求めて、先祖が険しい山に分け入り、子々孫々までと願って労苦を厭わず築き上げた石垣の上に開かれた畑。二人はこの畑を守り続けてきた。しかし、2006年9月に公一さんに先立たれ、体力の限界も近いことを感じたムツさんは「畑が荒れ果てていくのはしのびない」と、畑に花を咲かせて山に返すことにした。まるで自分の身代わりにするように花ももの木を植えるムツさんの姿が心を打つ。ムツさんがいなくなった畑には、今年も同じように花が咲き誇っている。日本人とは?日本人の心とは?そんなことも考えさせられる素晴らしいドキュメンタリーだった。
先日、NHKで放送されたドキュメンタリー「秩父山中 花のあとさき」は、埼玉県秩父山中の急峻の地に畑を耕し、花を植え続けてきた小林ムツさんを追いかけ続けたシリーズの完結編だった。数年前、最初にこのドキュメンタリーを見た時はまだ、連れ合いの公一さんも健在だった。清冽な水を求めて、先祖が険しい山に分け入り、子々孫々までと願って労苦を厭わず築き上げた石垣の上に開かれた畑。二人はこの畑を守り続けてきた。しかし、2006年9月に公一さんに先立たれ、体力の限界も近いことを感じたムツさんは「畑が荒れ果てていくのはしのびない」と、畑に花を咲かせて山に返すことにした。まるで自分の身代わりにするように花ももの木を植えるムツさんの姿が心を打つ。ムツさんがいなくなった畑には、今年も同じように花が咲き誇っている。日本人とは?日本人の心とは?そんなことも考えさせられる素晴らしいドキュメンタリーだった。
今週から熊本でもやっと上映が始まった「ディア・ドクター」を家内と観に行った。上映終了後に西川美和監督と音楽を担当した熊本出身のナカムラさん(モアリズム)のトークショーがあり、二人の運命的な出会いの話や映画製作の裏話などが聞けた。
西川監督の前作「ゆれる」の印象が強かったので、今回の「ディア・ドクター」も期待していた。出来はけっして悪くはない。悪くはないが、何かが今ひとつ足りないような気がする。それが何なのか一生懸命考えているのだが、まだ思いつかない。トークショーの中で西川監督は、物語を作ることに興味があるので、基本的には自身のオリジナル脚本しかやらないというようなことを述べていた。しかし、今後、さらにステップアップするためには他人に脚本をまかせたり、あるいは共同脚本ということも考えた方が、独りよがりにならなくていいのではないかと、話を聴きながら、ふと思った。
西川監督の前作「ゆれる」の印象が強かったので、今回の「ディア・ドクター」も期待していた。出来はけっして悪くはない。悪くはないが、何かが今ひとつ足りないような気がする。それが何なのか一生懸命考えているのだが、まだ思いつかない。トークショーの中で西川監督は、物語を作ることに興味があるので、基本的には自身のオリジナル脚本しかやらないというようなことを述べていた。しかし、今後、さらにステップアップするためには他人に脚本をまかせたり、あるいは共同脚本ということも考えた方が、独りよがりにならなくていいのではないかと、話を聴きながら、ふと思った。
特にファンだったわけでもないので、連日テレビで放送される、彼女が起こした事件や彼女自身に関するニュースを、面白半分に見ている。中でも彼女の人となりについては、永年の人事担当者のくせで特に興味深い。いろんなメディアで必ず「清純派だったのりピーが・・・」なんて言われているが、そもそも芸能人は多かれ少なかれ、所属事務所やプロダクションが売るために設定したキャラを演じているわけで、実像が見えてきた時、ギャップを感じるのは不思議でもなんでもない。彼女だって“のりピー”というキャラを一生懸命演じてきたわけだ。クラブでDJをやっている彼女の“ぶっ飛んだ”映像や、某番組におけるハイテンションではしゃぐ彼女の映像が、まるで“クスリ”の影響であるかのように繰り返し流されているが、あれだって、もともと彼女にはそういう一面があったのかもしれない。また、彼女が逃亡したり、嘘の供述をしたりという面も、罪から逃れようとしたというより、普段から都合が悪いことは隠したり、嘘をついたりして体裁を保つ習性が染み付いているのではないだろうか。人間研究と言う意味でも「のりピー事件」への興味は尽きない。
朝から車で所用に出かけた。空は晴れわたっていたが、ひと頃に比べ、日差しはだいぶ弱まったように感じられる。ふっと「晩夏」という言葉が心に浮かんだ。帰り着いてから、平原綾香の「晩夏」を聴いてみる。1976年にユーミンがリリースした名曲で、平原綾香のカバーバージョンが2005年にリリースされた。何回聴いても素晴らしい詩に感動する。
ゆく夏に 名残る暑さは
夕焼けを 吸って燃え立つ 葉鶏頭
秋風の 心細さは コスモス
晩夏(ひとりの季節)
ゆく夏に 名残る暑さは
夕焼けを 吸って燃え立つ 葉鶏頭
秋風の 心細さは コスモス
晩夏(ひとりの季節)
2012年のロンドン・オリンピックの種目に7人制のラグビーが加わることが決定的となった。オリンピックへのラグビー復活は、ラグビー界やファンにとっては悲願であり、さぞや嬉しいことだろう。オリンピックの注目度は絶大だから、日本においてもラグビー人口が増えたりする効果はあるだろう。
しかしである。これは永い目で見た場合、日本にとって喜ばしいことなのだろうか。競技として見た場合、15人制よりも7人制の方が日本にとって不利であることは衆目の一致するところだ。それだけではない。7人制ラグビーがメジャーになった場合、こちらが主流になっていく可能性がある。チームスポーツの歴史を振り返ると、ハンドボールやバレーボールのように少人数化していく傾向がある。ラグビーにも同じことが起こらないとは言えない。わが水球ですら現行の7人制から6人制への変更が検討されているほどだ。
これはサッカーの世界でも同じだ。日本サッカー協会は、若年層の育成の一環として欧米で行われている8人制サッカーの導入を発表した。これだって将来、8人制サッカーが主流にはならないという保証はない。
いずれにせよ、チームスポーツの少人数化は日本にとって、世界の舞台が益々厳しいものになることは間違いないだろう。
しかしである。これは永い目で見た場合、日本にとって喜ばしいことなのだろうか。競技として見た場合、15人制よりも7人制の方が日本にとって不利であることは衆目の一致するところだ。それだけではない。7人制ラグビーがメジャーになった場合、こちらが主流になっていく可能性がある。チームスポーツの歴史を振り返ると、ハンドボールやバレーボールのように少人数化していく傾向がある。ラグビーにも同じことが起こらないとは言えない。わが水球ですら現行の7人制から6人制への変更が検討されているほどだ。
これはサッカーの世界でも同じだ。日本サッカー協会は、若年層の育成の一環として欧米で行われている8人制サッカーの導入を発表した。これだって将来、8人制サッカーが主流にはならないという保証はない。
いずれにせよ、チームスポーツの少人数化は日本にとって、世界の舞台が益々厳しいものになることは間違いないだろう。
次男一家が熊本で過ごす盆休みも今日が最後の日。一昨日、海水浴に行く予定が、みわの体調不良で断念したこともあって、今日こそはせっかく持ってきた(しかも、先乗り)浮き輪を使わせたいと思い、くまもとエミナースのプールへ連れて行った。おそらく多くの家庭が、今夏最後の家族揃っての行楽と思われ、しかも絶好の好天に恵まれたこともあってプールに着いた11時ごろは既にイモの子を洗う状態。流れるプールも、人と人の間をいかにすり抜けるかを競うような状態だった。真夏の日差しに照らされながら、なかなか上がろうとしない、みわやてっぺいの乗った浮き輪を押していったい何周させられただろうか。プールから上がった1時過ぎには背中がヒリヒリしだしていた。海でもプールでもヒリヒリするほど日焼けしたなんていうのはおそらく10年ぶりくらいかな。プールを出た後、ミルク牧場に回って帰った。みわやてっぺいはおそらく堪能してくれたはずだ。
昨夜、NHKで「漱石 ひきこもりの謎~100年前のロンドン留学~」というドキュメンタリーを放送していた。谷村美月ちゃんが案内役を務めていたが、それはさておき、漱石にとって2年にわたる英国留学はあまり良い思い出ではなかったようだ。その中で、イギリス人の日本人観の話が出てきた。正確な内容は記憶していないが、イギリスで教育を受けた日本人が良い日本人であるというようなイギリス人の考え方を、漱石が日記の中で辛らつに批評しているという。
さて、明日は終戦記念日。フジテレビではアメリカ映画「硫黄島からの手紙」を放送する。この映画が公開された時、アメリカだけでなく、日本でも評価が高かった。しかし、僕はどうしても引っ掛かるものがあり、この映画を評価できなかった。その理由は、上の漱石の話と同じである。クリント・イーストウッドが描く日本人は、やはりアメリカで教育を受けたり、生活をしたりしてアメリカのことをよく理解している栗林中将や西大佐が“良い日本人”であり、そうでない日本人は旧来のハリウッド映画が描いてきたような得体の知れない、不気味な民族なのである。漱石の英国留学から100年以上が過ぎた。しかし、欧米人の日本人観というのはちっとも変わっていないようだ。
さて、明日は終戦記念日。フジテレビではアメリカ映画「硫黄島からの手紙」を放送する。この映画が公開された時、アメリカだけでなく、日本でも評価が高かった。しかし、僕はどうしても引っ掛かるものがあり、この映画を評価できなかった。その理由は、上の漱石の話と同じである。クリント・イーストウッドが描く日本人は、やはりアメリカで教育を受けたり、生活をしたりしてアメリカのことをよく理解している栗林中将や西大佐が“良い日本人”であり、そうでない日本人は旧来のハリウッド映画が描いてきたような得体の知れない、不気味な民族なのである。漱石の英国留学から100年以上が過ぎた。しかし、欧米人の日本人観というのはちっとも変わっていないようだ。
今日は久留米から次男一家がやって来た。久留米からだと、どんな経路でも車で楽に来れるのでよいが、テレビでは道路の大渋滞の中継をしていた。思えば東京や栃木に住んでいた頃、盆暮に熊本まで親子5人帰るのは大変だった。飛行機を使うことが多かったが、小平に住んでいたある夏、思い立って車で帰った。その時通った中央道も混んでいた。真夜中に雨が激しく降り出し、大型トラックに前後を挟まれ、しぶきで前がよく見えず恐い思いもした。休みの数日を両親や兄弟たちと阿蘇で過ごすことにしていたので、阿蘇の旅館へ直行した。小平を出発してから約26時間かかった。とにかく疲れた。しかし、本当に大変だったのはその帰りだった。途中の行程をあまり憶えていないほど疲れた。小平の社宅へ帰り着いたとたん、家族5人、ぼろきれのようになって眠りこけたことを懐かしく想い出す。
今日は、520人の犠牲者を出した日航ジャンボ機の墜落事故から24年の日。追悼の気持を込めて、この事故で犠牲者の一人となった坂本九さんの在りし日の姿を偲ぶ。昭和36年から41年にかけてNHKで放送されたバラエティ番組「夢であいましょう」。日本のバラエティ番組の先駆けともなった番組で、僕は高校時代、一番好きだった番組だ。この中でも坂本九さんは主役的な役割で歌やコントを披露する。当時流行っていたお笑いのギャグを臆面もなく連呼するところが微笑ましい。
≪主な出演者≫
坂本九、黒柳徹子、渥美清、坂本スミ子、田辺靖雄、九重佑三子 、デューク・エイセス、フランキー堺、中嶋弘子ほか
≪スタッフ≫
作:永六輔、音楽:中村八大・八城一夫
≪主な出演者≫
坂本九、黒柳徹子、渥美清、坂本スミ子、田辺靖雄、九重佑三子 、デューク・エイセス、フランキー堺、中嶋弘子ほか
≪スタッフ≫
作:永六輔、音楽:中村八大・八城一夫