今朝の熊日新聞にこの写真が掲載された。写真と紹介文だけでは見た人のほとんどが状況や時代背景は全く分からないだろう。この年の9月には満州事変が起こっていて、重大な時局を迎えつつある中、熊本で歴史に残る陸軍特別大演習が天皇陛下を迎えて行なわれた。尚絅高女で行われた奉迎式典には県下の女学校から選抜された女学生が集められた。軍靴の響きが徐々に高くなってきた暗い時代のはじまりであった。
「評伝 海達公子」(規工川祐輔著 熊日出版)の記述を読みながらこの写真を眺めていると時代の空気のようなものが読み取れる。
昭和6年11月18日、(中略)昭和天皇を熊本に迎えての御親閲式が熊本市であった。その際、特別に募集された女学生は御親閲式奉迎歌を高唱し、マスゲームを演じた。3年生の公子は奉唱隊に参加した。その時の感激を「御親閲記念錦水会雑誌」14号(昭和7年3月)に、生徒を代表して作文を書いている。その前半の部分を紹介しておこう。
み姿を拝みまつりて
三ノ三 海達公子
前へ進めの旗は振り卸されました。私達は愈々陛下の御前まで行くのです。何万といふ女学生や処女会員から成る奉唱部隊が、玉座を中心として三方から進んで行くのです。止れの信号旗が振られる迄はただ無念無想でありました。
緑濃き金峰山と、深く深く何処までも澄み渡つた秋の大空を背景に、純白の玉座に立たせ給ふ陛下の御姿をただただなつかしいやうな有難いやうな気持でじつと打仰いで最敬礼を致しました。静かに頭を上げると此の天地の間には何一つ音もなく神々しさが日の光と一緒に充ち溢れてゐました。軍楽隊が、「あゝこゝに」の奉唱歌を奏し初めました。私達も奏楽に合せ緊張して奉唱致します。一所懸命です。唯頭に刻みこまれたのは、陛下の御姿が静かにましまして何とも申上げられない程神々しかつたこと、歌の響が殷々として大空をわたつたことでありました。鳴呼我等生けるかひありと歌ひ上げた時には思はず眼がしらが熱くなつて涙が頬を伝ひました。歌ひ終つても暫くの間は、万感胸に満ちて、感激にをののいてゐました。あれだけの群集であるのにしはぶき一つ聞えません。陛下にはまた挙手の御答礼を遊ばされます。(以下略)
■御親閲奉迎歌
あゝこゝに すめらみことのみくるまを 迎へまつれり
みくるまを迎へまつれりみ光に 阿蘇の高嶺も
有明の海もかがよふ
あゝ今し すめらみことの御姿を 拝みまつる御姿を
拝みやつるみ惠の いかなる幸か かしこさに涙こぼるる
をゝわれら 生けるかひありおほけなき 今日のほまれを
おほけなき今のほまれを萬世に語りつぎつゝ
ことほかむひとつ心に