2~3週間前、何気なくのぞいた熊日新聞のWEBサイトで、「この店のこのパンが好き」という募集が目にとまった。すぐに「みるく」という店のメロンパンを思い出し、投稿した。このパンに病みつきになったのは、2年ほど前、知人のIさんに薦められて、物は試しと買いに行ってみてからだ。以来、時々思い出しては買いに行く。行く時はだいたい事前に電話をしてみる。メロンパンの焼き上がり時間を確認するためだ。3日ほど前、久しぶりにメロンパンを買いに行った。その時、熊日に投稿したことをお店の方に言った。すると「実は先日、熊日から取材に来られて、31日の朝刊に載せますということです。」と。そして「どなたが投稿されたのか気になっていました。」とのことだった。まさか、こんなに急展開しているとは思ってもいなかったし、今日の熊日の記事がこんなに大きいとも思わなかった。
昨夜BS-2で放送された「没後10年 黒澤明特集 脚本家・橋本忍が語る黒澤明~“七人の侍”誕生の軌跡~」は、今、脚本を勉強している自分にとっても学ぶことの多い番組だった。橋本忍さん(90歳)は「羅生門」「生きる」「七人の侍」など黒澤明監督の作品のうち8本のシナリオを共同執筆した人で、今や数少ない黒澤監督および黒澤作品の生き証人である。「ある侍の一日」の企画に始まり、「日本剣豪列伝」を経て「七人の侍」の企画にいたるプロセスの話や、小国英雄さんを含めた3人での共同執筆の進め方の話、微に入り細を穿った黒澤監督の人物設定の話、撮影が延びに延びて会社から資金をストップされた時の対応の話などをとおして、黒澤監督がモットーとした「悪魔のように細心に!天使のように大胆に!」の意味が徐々に明らかになっていった。偶然か、その前日、昨年11月にハイビジョンで放送された「100年インタビュー 山田洋次監督」の再放送を見たが、その中で、晩年の黒澤監督と親しかった山田監督が、ある時黒澤監督の自宅を訪問したら、小津安二郎の「東京物語」のビデオを一人で一生懸命見ていたというエピソードが紹介された。全く作風の異なる小津作品も研究していたのだろう。
橋本さんは、山田監督とも「砂の器」や「霧の旗」などで一緒に仕事をしているのでひょっとしたら、山田監督の「たそがれ清兵衛」は、黒澤監督や橋本さんが実現できなかったリアリスティックな「ある侍の一日」の話にインスパイアされたのではないかと勝手に推測した。
昨夜の会場には映画づくりを目指している学生数十名が参加していたが、橋本さんへの質問が、ジェームズ・リプトンのアクターズ・スタジオ・インタビューに出てくるアメリカの学生より質問のレベルが低いように感じられた。最後に橋本さんが脚本づくりの秘訣として「とりあえず書き上げるまでは、自分の中にある批判力を消しなさい!」というアドバイスは、今行き詰っている自分にとって光明が見えた気がした。
(付記)
米映画制作会社ザ・ワインスタイン・カンパニーが『七人の侍』をリメイクすると発表しているがどうなることやら。
ちなみに、スティーブン・スピルバーグ監督が映画づくりの原点に戻る時、必ず見るのは次の4本だそうだ。
・七人の侍(黒澤明、1953)
・捜索者(ジョン・フォード、1956)
・アラビアのロレンス(デヴィッド・リーン、1962)
・素晴らしき哉、人生!(フランク・キャプラ、1946)
七人の侍(1953)
橋本さんは、山田監督とも「砂の器」や「霧の旗」などで一緒に仕事をしているのでひょっとしたら、山田監督の「たそがれ清兵衛」は、黒澤監督や橋本さんが実現できなかったリアリスティックな「ある侍の一日」の話にインスパイアされたのではないかと勝手に推測した。
昨夜の会場には映画づくりを目指している学生数十名が参加していたが、橋本さんへの質問が、ジェームズ・リプトンのアクターズ・スタジオ・インタビューに出てくるアメリカの学生より質問のレベルが低いように感じられた。最後に橋本さんが脚本づくりの秘訣として「とりあえず書き上げるまでは、自分の中にある批判力を消しなさい!」というアドバイスは、今行き詰っている自分にとって光明が見えた気がした。
(付記)
米映画制作会社ザ・ワインスタイン・カンパニーが『七人の侍』をリメイクすると発表しているがどうなることやら。
ちなみに、スティーブン・スピルバーグ監督が映画づくりの原点に戻る時、必ず見るのは次の4本だそうだ。
・七人の侍(黒澤明、1953)
・捜索者(ジョン・フォード、1956)
・アラビアのロレンス(デヴィッド・リーン、1962)
・素晴らしき哉、人生!(フランク・キャプラ、1946)
七人の侍(1953)
今日、車を運転していたらなつかしいメロディが耳に飛び込んできた。思わず歌詞が口をついて出た。
♫ We'll sing in the sunshine
We'll laugh every day
We'll sing in the sunshine
Then I'll be on my way
ほとんど憶えている。
ニュージーランド出身のカナダ人歌手、ゲイル・ガーネットが歌って1964年の大ヒットとなった曲で、その年のグラミー賞で最優秀フォークソングに選ばれた。大学に入って上京した年だった。水泳部の合宿所ぐらしで、新入生にとっては結構辛い日々の連続だったが、気分的に落ち込んだ時、いつもこの歌を口ずさんでいたような気がする。何10年ぶりかでこの曲を聴いたが、結構憶えているもんだなぁ。
♫ We'll sing in the sunshine
We'll laugh every day
We'll sing in the sunshine
Then I'll be on my way
ほとんど憶えている。
ニュージーランド出身のカナダ人歌手、ゲイル・ガーネットが歌って1964年の大ヒットとなった曲で、その年のグラミー賞で最優秀フォークソングに選ばれた。大学に入って上京した年だった。水泳部の合宿所ぐらしで、新入生にとっては結構辛い日々の連続だったが、気分的に落ち込んだ時、いつもこの歌を口ずさんでいたような気がする。何10年ぶりかでこの曲を聴いたが、結構憶えているもんだなぁ。
「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズでおなじみ山崎貴監督の最新作映画の撮影が開始される。詳細はまだ公表されていないが戦国時代を舞台にした時代劇だ。今日、くまもとフィルムコミッションから届いたボランティアスタッフ募集のメールで知った。何かのインタビューで山崎監督が「次は時代劇を撮りたい。」と言っていたのは知っていたが。「三丁目の夕日」の中で、鈴木オートが茶川に「次はチャンバラを書け!」というシーンがあるが、あれは山崎監督の本音だったんだな。熊本での撮影期間は10月~12月の3ヶ月間で阿蘇を中心にロケが行なわれるそうだ。山崎監督といえばVFXが得意で、「三丁目の夕日」でもうまくVFXを駆使しているが、正直、時代劇にはあまりVFXを多用してほしくない。黒澤明の映画も研究しているそうだから、そこら辺は十分承知の上だろうと期待している。
昨夜の午前2時過ぎ(正確には今日未明)になってやっと北京オリンピックの水球が見られた。男子決勝1試合のみしかも録画である。見逃してなるものかと眠気をこらえて頑張った。古豪ハンガリー対新勢力の旗手アメリカである。最近では世界選手権などの試合がYoutubeにアップされているので見る機会も増えたが、テレビで王者ハンガリーの試合を見るのは2001年福岡で開催された世界水泳選手権以来だ。生で見たのは1964年の東京オリンピック、1980年のハンガリー代表日本遠征の二度きりだ。ハンガリーのオリンピック3連覇がかかっていたが、アメリカとは格の違いを見せつけた。昔とはだいぶルールも変わったが、ハンガリーのプレーは基本的には何も変わっていなかった。キザな言い方をすると「ドナウ川の悠久の流れ」を思わせるものがあった。13名の登録プレーヤーのうち、8名は30歳を越えているという。ベテランが多いのは昔からそうだった。東京オリンピックの時もオリンピック出場3回目、2回目という選手ばかりだった記憶がある。大学を卒業すると現役を続けるのが難しい日本とは大違いだ。プレーぶりはというと、やはりハンドリングの良さは相変わらずだが、あまり泳ぎ回るのはお嫌いと見え、ゾーンディフェンス主体、相手にスピーディに泳ぎまわられた時、ディフェンスが意外にもろいのもまた昔と同じだった。しかし、ゲームの要所をのがさず決めるしたたかさはさすがだった。一方のアメリカ。思えば東京オリンピックの頃は日本と互角、いやむしろ日本が格上だった。この44年間についた差はあまりにも大きい。この試合に限って言えばアメリカの特徴はこれと言って見い出せなかった。むしろ、クロアチアやセルビアが出てきた方が面白かったと思う。一つだけ言えば、あの、トルソになった伝説的な名選手テリー・シュローダーがヘッドコーチを務めていたのは嬉しかった。放送に関して言えば、試合前、簡単なルール説明はあったが、ファウルに関して退水とペナルティシュートおよびフリースローの違いを説明してくれれば一般の方にももっと楽しめたのではないだろうか。
アメリカのパワープレイ
勝利を喜ぶハンガリーのマダルシュとキシュ
アメリカのヘッドコーチ/テリー・シュローダー
アメリカのパワープレイ
勝利を喜ぶハンガリーのマダルシュとキシュ
アメリカのヘッドコーチ/テリー・シュローダー
各メディアやネットなどでは“星野ジャパンたたき”が始まった。五輪で勝てない日本野球の救世主のように崇め奉っていたほんの数日前までとはえらい違いだ。まぁ、期待が大きかっただけにそれがかなわなかった時のギャップは当然大きいわけだが。正直なところ口惜しいが、負けるべくして負けたと思っている。まず、日本チームには“主体”がない。言いかえると今回の敗戦の最終責任は誰なのかはっきりしない。JOC会長でもないし、プロ野球コミッショナーでもない。ましてや星野監督でも無論ない。これがサッカーならば日本サッカー協会会長であることは明白だ。この“主体”のなさが過去の五輪の失敗から学習できない最大の理由だと思う。今回も聞こえてくる「国際試合の恐さ」「審判の問題」「箱庭野球のひ弱さ」etc.これまでも何度聞いたことか。さらに不幸なことに日本は一昨年のWBCで偶然優勝した。あれで多くの野球関係者やファンも日本は強いと勘違いし、五輪の反省を忘れてしまったのだ。残念ながら五輪でのリベンジはもうできないが、またWBCがあるからではすまされないのだ。アマチュアの檜舞台と成長機会を奪ったあげく、逆に国際的評価を下げてしまった。これからプロ野球は、アマチュアを含めた日本球界全体の普及発展に尽くすことによって、せめてもの償いをしてほしい。
来週のNHK-BS2の衛星映画劇場(夜の部)のラインナップは凄い。
・25日(月)・・・「ジャイアンツ」(1956年、ジョージ・スティーブンス監督)
・26日(火)・・・「北北西に進路を取れ」(1959年、アルフレッド・ヒッチコック監督)
・27日(水)・・・「捜索者」(1956年、ジョン・フォード監督)
いずれも、ハリウッドが最も輝いていた1950年代の名作ばかりだ。しかも監督は映画史上に燦然とその名を残す巨匠たち。3日連夜でこんな名作が自宅で見られるなんて。われわれの子ども時代には考えられない夢のようなプログラムだ。
3作のキーワードを記してみた。
【ジャイアンツ】
・エドナ・ファーバー原作の大河小説の映画化
・ジェームス・ディーンの遺作
・1956年度アカデミー賞監督賞受賞
・映画史上最高の美女、エリザベス・テイラーが最も美しかった24歳の時の作品
【捜索者】
・07全米映画協会アメリカ映画トップ100の第12位(西部劇では第1位)
・ジョン・ウェイン演じる主人公(イーサン・エドワーズ)は今日のアメリカを象徴するような男
・まさしく「これぞ西部劇!」というシーン満載
【北北西に進路を取れ】
・ヒッチコック・サスペンスの集大成
・後の多くのサスペンス映画のお手本となった
・07全米映画協会アメリカ映画トップ100には、この作品のほか「めまい」「サイコ」「裏窓」など計4本のヒッチコック作品が入っている
ジャイアンツ
捜索者
北北西に進路を取れ
・25日(月)・・・「ジャイアンツ」(1956年、ジョージ・スティーブンス監督)
・26日(火)・・・「北北西に進路を取れ」(1959年、アルフレッド・ヒッチコック監督)
・27日(水)・・・「捜索者」(1956年、ジョン・フォード監督)
いずれも、ハリウッドが最も輝いていた1950年代の名作ばかりだ。しかも監督は映画史上に燦然とその名を残す巨匠たち。3日連夜でこんな名作が自宅で見られるなんて。われわれの子ども時代には考えられない夢のようなプログラムだ。
3作のキーワードを記してみた。
【ジャイアンツ】
・エドナ・ファーバー原作の大河小説の映画化
・ジェームス・ディーンの遺作
・1956年度アカデミー賞監督賞受賞
・映画史上最高の美女、エリザベス・テイラーが最も美しかった24歳の時の作品
【捜索者】
・07全米映画協会アメリカ映画トップ100の第12位(西部劇では第1位)
・ジョン・ウェイン演じる主人公(イーサン・エドワーズ)は今日のアメリカを象徴するような男
・まさしく「これぞ西部劇!」というシーン満載
【北北西に進路を取れ】
・ヒッチコック・サスペンスの集大成
・後の多くのサスペンス映画のお手本となった
・07全米映画協会アメリカ映画トップ100には、この作品のほか「めまい」「サイコ」「裏窓」など計4本のヒッチコック作品が入っている
ジャイアンツ
捜索者
北北西に進路を取れ
今回のオリンピックでもっとも勝たせてあげたいと願っていた女子ソフトボールが見事、悲願の金メダルを獲得した。まずは、監督・選手・関係者の皆さんに心からお祝いを申し上げたい。また永い間、日本の女子ソフトボールチームを引っ張ってこられた宇津木元監督には、そのご苦労と成果に心から敬意を表したい。それにしても、オリンピック種目として最後の大会でよくぞアメリカを破ってくれたと思う。アメリカに負け続けたままでオリンピックの種目から消えるのと、そうでないのは今後にえらい違いがある。今夜の試合も1回にいきなりピンチとなった時は、あゝやっぱりダメなのかと思ったが、あのピンチを脱した時、あれ!これはひょっとしたら今夜は日本に勝利の女神が微笑むのではと一瞬よぎったが、それはやはり、上野投手を始め、選手全員が一丸となって頑張ってはじめてなし得たものなのだ。チームの金メダルは、個人の金メダルよりも数倍嬉しい。
厚生年金や健康保険の保険料や給付の算出基礎となる、標準報酬算定基礎届の改ざんに社会保険事務所自らが手を染めていたことを、元社保庁の職員が証言したという。次から次と発覚する社会保険行政の不祥事に「またかヨ!いい加減にしろヨ!」という感じだ。
新入社員の頃、担当していた人事労務の業務には年に何度か繁忙期があり、この標準報酬算定基礎届を作成する7月は、12月の年末調整などとともに最も忙しい時期の一つだった。しかも入社当時はまだコンピュータ処理化されていなく、手作業で200人以上の算定作業を行なうのは大変だった。やっとの思いで作成して社会保険事務所に提出しても、細かいミスで何度もつき返された思い出がある。当時はすべてこのようにシビアなチェックが行なわれているものと信じて疑わなかった。ところが一方では、社会保険事務所自らが今回発覚したようなインチキをやっていたなんて。腹が立つを通りこして情けなくなってきた。
新入社員の頃、担当していた人事労務の業務には年に何度か繁忙期があり、この標準報酬算定基礎届を作成する7月は、12月の年末調整などとともに最も忙しい時期の一つだった。しかも入社当時はまだコンピュータ処理化されていなく、手作業で200人以上の算定作業を行なうのは大変だった。やっとの思いで作成して社会保険事務所に提出しても、細かいミスで何度もつき返された思い出がある。当時はすべてこのようにシビアなチェックが行なわれているものと信じて疑わなかった。ところが一方では、社会保険事務所自らが今回発覚したようなインチキをやっていたなんて。腹が立つを通りこして情けなくなってきた。
今回のオリンピックは正直なところ、日本選手の活躍ははあまり期待していなかった。前回のアテネの成績は出来過ぎだと思っていたからだ。しかし、その予想からするとよく頑張っていると思う。ただ、気になることが二つある。
その一つは今のところ、金銀銅を問わず、メダルを獲得した個人種目の半数以上が前回大会に続けて獲得している点だ。つまり、これは言いかえれば、ベテラン勢を乗り越える若い世代の台頭がないということも言えるのではないだろうか。日本としては今回まではまぁいいとしても、次回のロンドン大会はどうなるのだろうかと心配だ。これからの4年間でそれが取りこし苦労だったということになればいいが。
それから二つ目は、男子の球技種目の低迷だ。バスケットボール、ハンドボール、ホッケー、水球などは出場権すら取れなかったし、出場したサッカーやバレーボールには落胆させられた。各種目ともそれぞれ頑張っていることは認めるが、国の総合的なスポーツ力というのは、球技種目に表れると信じているのでこの先が心配だ。それにひきかえ、女子は出場したバレーもサッカーもホッケーもよく頑張っていて、メダルを獲る獲らないには関係なく、目に見える成果として表れている。これは今後それぞれの種目の普及発展に必ずつながっていくと思う。個人的には次回のロンドンには男女そろって水球に出場してもらいたい。
その一つは今のところ、金銀銅を問わず、メダルを獲得した個人種目の半数以上が前回大会に続けて獲得している点だ。つまり、これは言いかえれば、ベテラン勢を乗り越える若い世代の台頭がないということも言えるのではないだろうか。日本としては今回まではまぁいいとしても、次回のロンドン大会はどうなるのだろうかと心配だ。これからの4年間でそれが取りこし苦労だったということになればいいが。
それから二つ目は、男子の球技種目の低迷だ。バスケットボール、ハンドボール、ホッケー、水球などは出場権すら取れなかったし、出場したサッカーやバレーボールには落胆させられた。各種目ともそれぞれ頑張っていることは認めるが、国の総合的なスポーツ力というのは、球技種目に表れると信じているのでこの先が心配だ。それにひきかえ、女子は出場したバレーもサッカーもホッケーもよく頑張っていて、メダルを獲る獲らないには関係なく、目に見える成果として表れている。これは今後それぞれの種目の普及発展に必ずつながっていくと思う。個人的には次回のロンドンには男女そろって水球に出場してもらいたい。
今日はお盆恒例のファミリーバーベキュー。といってもここ数年は日程が合わず、やったりやらなかったりだが。また、当初は2年ぶりの海水浴一泊旅行も計画し、定宿の湯の児温泉・三笠屋に予約をしていたが、孫のてっぺいが下痢気味ということなどもあってキャンセルした。
今年は義兄の家に総勢17名が集まった。母からいうと、子とその連れ合いが8人、孫とその連れ合いが5人、曾孫が3人というわけだ。涼しい風がベランダを吹き抜けてここちよい。てっぺいがひと時もじっとしていないので、母や家内は落ち着いて食べるどころの話じゃない。3時間ほどの間、引っ張りまわされどおしだったが、それでも楽しそうだった。みわは相変わらずよく食べるが、幼稚園の年中組ともなると幼児から児童に変わりつつあるのがよくわかる。帰りにはきちんと義兄にお辞儀をしていた。
今年は義兄の家に総勢17名が集まった。母からいうと、子とその連れ合いが8人、孫とその連れ合いが5人、曾孫が3人というわけだ。涼しい風がベランダを吹き抜けてここちよい。てっぺいがひと時もじっとしていないので、母や家内は落ち着いて食べるどころの話じゃない。3時間ほどの間、引っ張りまわされどおしだったが、それでも楽しそうだった。みわは相変わらずよく食べるが、幼稚園の年中組ともなると幼児から児童に変わりつつあるのがよくわかる。帰りにはきちんと義兄にお辞儀をしていた。
昨日、立田山に墓参りに行った時、見上げた空の色と雲の具合が素晴らしく綺麗だった。なんとなく秋が近いことを感じさせた。帰ってから調べたら「巻雲(けんうん)」という種類の雲らしい。
雲といえば、ジョン・フォードの映画に出てくる空と雲が大好きだった。白黒映画でありながら空の深い青さを感じさせ、雲の白さとのコントラストが絶妙で、バックの空を見るだけで感動したものだ。最近では白黒映画はほとんど見られなくなり、カラーも昔と比べれば断然クリアになったのだろうが、映画の中で空を見て感動することなどなくなった。今日のようにデジタル技術がどんどん進んでも、必ずしも人を感動させる映像にはならない。人間の感性とは不可思議なものだ。
荒野の決闘(1946)
こう暑いと何か爽やかな音楽が聴きたいと思い、まず探したのがカーペンターズのナンバー。中でも一番好きな曲が「青春の輝き」。原題は“I Need To Be In Love”だが、この邦題の付けかたはうまい。いかにも日本人好みだ。連日雨を待ち望んでいるからか、次に思いついたのが「雨」というキーワード。まず思い浮かんだのはアルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」。これは逆にカリフォルニアには雨が降らないという歌だし、次に思いついたクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「雨を見たかい」も歌われている意味は雨そのものを歌ったものではない。まぁ、いずれも乗りやすいメロディだ。洋モノばかり聴いていたら今度は急にド演歌みたいなものを聴きたくなり、選んだのはちあきなおみ。これぞ演歌の「帰れないんだよ」は絶品。何だかちっとも脈絡のないリストとなった。
カーペンターズ「青春の輝き」
アルバート・ハモンド「カリフォルニアの青い空」
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル「雨を見たかい」
ちあきなおみ「帰れないんだよ」
カーペンターズ「青春の輝き」
アルバート・ハモンド「カリフォルニアの青い空」
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル「雨を見たかい」
ちあきなおみ「帰れないんだよ」
昨日は北島康介の100m平泳二連覇に国中が沸き立った。テレビでは200mでも連覇は間違いないと言っている。そんな様子を横目で見ながら、田中聡子さんのことを思い出した。田中聡子さんとは1960年前後の日本の背泳の第一人者でローマ五輪の100m背泳で銅メダルを獲った人だ。われわれの4級上で、中学校は違ったが同じ先生の指導を受けた関係で水泳部の先輩のような気がしていた。実際に田中さんご本人から指導を受けたこともある。その田中聡子さんは200mが得意だった。その頃、200mでは世界新記録を連発していた。しかし、残念ながら当時はオリンピックでは200mという種目がなかった。メダルを期待された東京五輪では、既にピークを過ぎていたこともあって100m背泳で4位とメダルに一歩届かなかった。レース終了後、放心したかのような彼女の表情を今でも思い出す。しかし、彼女は当時まぎれもなく世界の水泳界の大スターだった。各国の選手や水泳関係者から尊敬を集めていた。五輪の実績は銅メダル1個ながらも国際水泳殿堂入りしていることでもそれは証明されている。ちなみに、皮肉にも東京の次のメキシコ五輪からは200m背泳が種目に加えられた。
8日に北京オリンピックが始まり、世はあげてオリンピックぼけになりつつある。9日の長崎原爆投下の日や12日の日航機墜落事故の日、さらには15日の終戦記念日もすっかり影が薄くなった感がある。戦争や事件事故の記憶や体験は、二度と繰り返さないために風化させてはいけない、とよく言われる。記念日などが設けられたり、記念行事が行なわれるのもそのためだが、風化というのは、基本的には個人個人の気持の問題だ。一人一人が忘れないための努力をしなくてはいけない。その手段として私は映画を見ることにしている。大きな事件事故はほとんど映画化されたり、ドラマ化されたりしている。それを見ながら気持を新たにするのも映画の見方の一つかなと思う。
ひめゆりの塔(1953年、今井正監督)
クライマーズ・ハイ(2005年、TV映画版)
ひめゆりの塔(1953年、今井正監督)
クライマーズ・ハイ(2005年、TV映画版)