徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

ありがとう!

2015-12-31 21:12:27 | 
皆様 今年も大変お世話になりました。
ありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

新年が皆様にとって幸多い年になりますことを
心よりお祈りいたします。
 



年の暮れにあたって

2015-12-30 22:25:31 | 
 今年も終わろうとしている。今年の年初に「今年こそ!」と思ったことがいくつかあったのだが、ほとんど何も達成できないままだ。
 すっかり正月の装いが整った街の様子を眺めながら、まさに下の二句のような心境である。

思ふこと今年も暮れてしまひけり

面白い事にもあはず年暮る


 この二句はいずれも正岡子規が年の暮れの心境を詠んだ句。



熊本城・頬当御門


細川刑部邸

マイブログ 2015ベスト(下半期編)

2015-12-29 20:39:12 | 
 先日の上半期編に続き、今日は今年の下半期のブログ記事の中で、特に忘れられないものを選んでみました。

■花童の新時代!
 今年は何といっても国立劇場の舞台を初めて踏んだことが特筆されます。三味線演奏家・作曲家である本條流家元の本條秀太郎さんの「本條會」に出演。5曲を踊って大喝采を浴びました。

▼舞踊団花童 東京国立劇場で初舞台!(9.5)

(写真提供:多摩おば様


 また、今年は花童にとって節目の年。今春、高校を卒業して花童を卒業した花童くるみさんが、10月「はつ喜月若」として名取式を行い、めでたくプロの舞踊家としてデビューしました。
 さらに続いて12月には、来春高校を卒業し、同じくプロとしての道を進むことになった花童あやのさんが「卒業公演」を行いました。

▼はつ喜月若(旧花童くるみ)名取披露(10.12)


▼花童あやの 卒業公演(12.23)



■水球男子日本 32年ぶり五輪出場!(12.21)
 日本の男子水球チームが、ロサンゼルス五輪(1984)以来、32年ぶりのオリンピック出場を決めました。宿敵中国をアウェーで下して出場権をつかんだのは嬉しいのですが、今後もアジアの王者であり続けるために、水球界の改革を期待したいものです。
 今回チームの主将を務めるのは熊本の京陵中学校出身の志水祐介選手ですが、かつて、オリンピックの水球には多くの熊本出身選手が出場しています。そんな先輩オリンピアンたちの中から下記の4名をご紹介します。


ベルリン五輪(1936)に出場した古荘次平さん(熊本商業→早稲田大学)



ローマ五輪(1960)出場の藤本重信、宮村元信、柴田徹(いずれも済々黌→日本大学)
の3選手を激励する平田先生ご夫妻と矢賀さん

舞踊団花童の鶴崎公演!

2015-12-28 20:34:57 | 音楽芸能
 新年の1月23日、大分市の鶴崎で舞踊団花童が初めて公演を行うことになりました。
 花童のサポーターのお一人でもあり、NPO鶴崎文化研究会の一員でもある栗田弘一さんが2年がかりで奔走され、このほどやっと実現することになったものです。
 昭和38年(1963)3月に大分市と合併するまでは鶴崎市であった鶴崎地区には現在支所が置かれています。この鶴崎は熊本と歴史的に深い関係にあります。関ヶ原の後、加藤清正は肥後熊本藩の飛地として、鶴崎や佐賀関などを所領とすることになり、瀬戸内海への拠点としました。加藤家改易の後を継いだ肥後細川藩も、参勤交代は豊後街道を経て熊本から鶴崎に至り、佐賀関から海路で大坂に渡る経路をとりました。
 街道の整備や鶴崎の町づくりなどを行った加藤清正公は、今でも鶴崎で崇敬されており、命日前夜の7月23日の夜は毎年、法心寺(清正公建立)の境内に千の燈明を灯して二十三夜祭が行なわれています。
 そんなゆかりの深い鶴崎で、「熊本の宝」とも言える花童が公演することになったことはとても意義深いことだと思います。

 日 時:平成28年1月23日(土) 9:30~12:15
 会 場:大分市鶴崎市民行政センター(〒870-0103 大分市東鶴崎1丁目2番3号) TEL 097-527-2350


▼豊後街道(肥後街道)(図クリック → 拡大)

今市宿場町見取図より

▼肥後細川藩の参勤船団(鶴崎港)(図クリック → 動画再生)

鶴崎剣神社の絵馬より

▼肥後五十四万石(写真クリック → 動画再生)

お正月と「高砂の松」

2015-12-27 21:42:42 | 歴史
 わが家は正月になると、床の間の掛軸を正月用に変える。祖母が生きていた時代には既にならわしになっていたので、始まりは相当昔に遡るのかもしれない。
 右の写真がその掛軸なのだが、世阿弥の作と伝えられる謡曲「高砂」を画題とした絵と、それにちなんだ和歌が添えられている。絵は高砂の松を背景に熊手や箒を手にした翁と嫗が描かれている。和歌の方は部分部分読み取れない字があるので、まだ完全解読はできていない。

 この謡曲「高砂」は熊本とゆかりのある作品で、阿蘇神社の第二十六代宮司だった阿蘇友成がワキとして登場する。この話は今から1000年以上も前の延喜年間に、友成が宮中参内のために京に上った時の出来事がもとになっているという。友成が持ち帰った松の実は阿蘇神社境内に植えられ、以来千年余も大切に育ててきた「高砂の松」は、縁結びや夫婦和合、長寿の象徴として今日も多くの参拝者を集めている。

■謡曲「高砂」あらすじ
肥後国阿蘇宮の神主・友成は、都へ向かう途中、播州高砂の浦に立ち寄る。そこへ現れた老夫婦に、有名な高砂の松はどれかと尋ねる。老人は高砂の松を教え、遠く離れた住吉の松とともに「相生の松」と呼ばれるいわれを語る。そして老夫婦は様々な故事をひいて、松のめでたさを語り、実は自分たちは相生の松の精であると明かし、住吉で待つと告げて沖へと消えて行く。というお話。

 阿蘇神社にはもう随分長いことお参りしていないので、来年こそは久しぶりにお参りしたいと思っている。




阿蘇神社


高砂の松

※阿蘇神社の写真は熊本素材写真アーカイブス「キロクマ!」さんからお借りしました。

クリスマスの約束 2015

2015-12-26 19:03:28 | 音楽芸能
 クリスマスイブの恒例番組となっている「クリスマスの約束」(TBS)。その音楽性の高さゆえに毎年楽しみに見ている。昨年が総集編のような編集でがっかりしたので、今年こそはと期待して見た。今年は出演メンバーも絞られており、いずれも実力派ぞろいなので安定感は抜群。しかし、その反面、意外性に欠けた面があったことは否めない。
 今年嬉しかったのは、個人的に好きな次の2曲が歌われたこと。いずれも僕の高校から大学時代にかけて、つまり60年代によく聴いていた曲だ。
 番組のオープニングに歌った「Today」ザ・ニュー・クリスティー・ミンストレルズというアメリカのフォークバンドが歌ってヒットした。後にジョン・デンバーなどもカバーした。ザ・ニュー・クリスティー・ミンストレルズが歌った「Green Green」などは学生時代よく口ずさんでいたものだ。
 もう1曲はJUJU(ジュジュ)が歌った「The Cruel War」小田和正さんがジュジュの新しい一面を見たと評していたが、この曲はアメリカのフォークグループ、ピーター・ポール&マリーが、悲惨な展開を見せていたベトナム戦争の反戦歌として1966年にリリースした。

▼Today





▼The Cruel War

京町本町筋 二階建ての町屋

2015-12-25 20:13:47 | 歴史
 先日、津々堂さんのブログ「津々堂のたわごと日録」に、熊本市都市政策研究所のニューズレターから、久保美代子氏のコラムを引用された「熊本城下の都市デザイン・京町は二階町」という記事が掲載されていた。
 これによると、かつて京町本町筋は両側に二階建ての町屋が並んでいたことから「二階町」と呼ばれていたという。また、寛永9年(1632)に加藤氏に替わって熊本に入った細川忠利公が、二階建ての町屋が建ち並ぶ京町本町筋を見て「二階町」と呼んだことも紹介されていた。当時はまだ二階建ての町屋は珍しかったらしい。
 下の絵図は、忠利公の入国からまだ20年ほどしか経っていない細川綱利公の時代、1650年頃の京町絵図である。京町を新堀から出町の番所へと南北に貫く本町筋(豊前街道)のうち、赤い線の両側に町屋が建ち並んでいた。ここの町人たちはもともと加藤清正公が熊本城を築城する前、藤崎八旛宮(今の藤崎台球場の所にあった)の門前町として栄えた古京町に住んでいた人々。既にある程度の資産を形成していた層だったようだ。京町は江戸時代末期までは熊本城下の北側に位置する侍町および商業地として繁華を維持していた。しかし、明治維新となり、京町遊郭のあだ花はあったものの、神風連から西南の役へと続く戦火に見舞われ、町の大半が灰燼に帰した。
 父の教員仲間だったI先生がまだ熊本師範の学生だった昭和10年に、町の長老たちの話などをまとめた「京町の研究」レポートが残っている。それによれば、明治以降、国道として自動車などの重要な交通路となった本町筋は素通りするようになり、衰退し始めた。さらに、上熊本駅から段山へ向かう平坦道路もでき、わざわざ京町台へ登らずとも熊本市中心部へ行けるようになったことも衰退に拍車をかけた。一方、下の絵図の青い線で示す裏京町は、京町台西側に居住者が多かったこともあって多くの商店ができた。昭和10年の調査時点での店舗数は本町筋の12に対し、裏京町は38と、実に3倍以上の数となっている。今ではその裏京町もすっかり寂れてしまい、かつての繁栄の面影は見出せない。
 そんな京町にあって、寛政4年(1792)創業の池田屋醸造のみが本町筋のかつての二階町の栄華の名残りをとどめている。

※クリックして拡大できます




二階町の名残りをとどめる池田屋醸造


僕が子どもの頃はこんな二階建ての町屋が他にも何軒かあった


熊本城ができる前、藤崎八旛宮の門前町として栄えた古京町

「長唄 外記猿」 のはなし。

2015-12-24 20:28:55 | 音楽芸能
 「外記節 猿」というのが本来の名題だという。外記節と云うのは江戸時代初期に栄えた、薩摩外記という人を祖とする古浄瑠璃の一派のこと。
 詞章を読んでいくと猿回しの門付けを唄っているようだが、後半は猿はお休みでもっぱら猿飼いが踊る。実はこの曲は舞踊のために作られたわけではなく、長唄の素唄として始まったもので、長唄として確立した後に、各流派がそれぞれ振付したためか、解釈が定まっていない面があるという。ただ、曲が素晴らしいので舞踊曲として長い間、愛されてきたようだ。
 いずれにしろ来年は「さる年」。おめでたい祝儀曲としてもってこいだ。

※クリックして動画へ

失われる清正公の歴史的遺構

2015-12-22 21:39:06 | 熊本
 京町から出町を通って植木方面へ走る県道303号線(旧国道3号線)の、旧熊本電通学園付近から、加藤清正が築いたと伝えられる切通しの道が続く。ここはおよそ200mにわたって道の両側に約2000本のツツジが植えられていて、春から初夏には見事なツツジ街道となっていた。
 ところが、ここに大型商業施設ができることになり、現在、建設工事が進められている。ツツジは無残に抜き取られ、今は新しく造成される土手の赤土がむき出しの状態。さらに一部の土手は掘り下げられてしまっている。
 私有地だから誰も文句を言えないのかもしれないが、こうしてまた、歴史的遺構が消えていくのである。







水球男子日本 32年ぶり五輪出場!

2015-12-21 19:08:47 | 水球
 今朝のテレビ各局は、水球男子日本チームが32年ぶりに五輪出場を決めたことを大々的に報じていた。水球のOBとして嬉しいニュースであることは間違いないのだが、実は32年前のロサンゼルス五輪の出場は東欧諸国がボイコットしたおかげで、棚ボタ式に出場できたもの。実力で出場権を勝ち取ったのは1972年のミュンヘン五輪以来だから、実に44年ぶりになるのである。僕たちが現役だった60年代から70年代の初め頃は、ローマ五輪、東京五輪、メキシコ五輪そしてミュンヘン五輪と、日本水球が五輪に出場するのは当たり前のような時代だった。70年代半ば頃から、中国、イランなどが急激に力をつけて来て、日本はアジアで勝てなくなった。これは日本の水球界にも進化を阻む構造的な問題があったのだと思う。今回ともかくアジアの壁を破った。今後もアジアのトップであり続けるために、日本水球に革命的な変化の波が起きてほしいと願っている。
 ところで、日本水球の五輪チームにはこれまで、済々黌OBを始め、延べ10名を超える選手を熊本から輩出している。そして今回リオ五輪の出場を決めたチームのキャプテンが熊本出身の志水祐介君(京陵中出)というのはちょっと因縁めいたものを感じるのである。


元旦は水前寺成趣園で「新春寿ぎの舞」はいかが!

2015-12-20 12:27:17 | イベント


 2016年元旦も水前寺成趣園特設舞台では舞踊団花童による「新春寿ぎの舞」が行われます。
 今年は降りしきる雪の中で始まりましたが、後半は陽光が顔をのぞかせるという波乱にとんだ幕開けとなりました。さて新年はどんな天気になりますことやら。
 水前寺成趣園の桃山式回遊庭園を借景とした舞台は、めったに見られない風情を味わうことができますよ!

  【場 所】水前寺成趣園・正門入ってすぐの特設舞台
  【時 間】1回目:13:00~ 2回目:14:00~ 3回目:15:00



喜多流シテ方 塩津家三代目

2015-12-19 18:38:50 | 音楽芸能
 昨夜の「にっぽんの芸能」(NHK-Eテレ)は、今年の同番組の中ではいろんな意味で最も興味深かった。まず、取り上げられたのが熊本ゆかりの能楽師・喜多流シテ方塩津家の三代目塩津圭介さん(30歳)であったこと。またそれを指導する二代目塩津哲生さん(70歳)は熊大附属小の僕の1年先輩であること。そして今回圭介さんが取り組むのが、一人前の能楽師として認められる登竜門ともいわれる大曲「道成寺」であることなどだ。
 その圭介さんは、9月の藤崎八旛宮秋季例大祭における段山御旅所での奉納能でも、半能「熊坂」を舞った。
 番組では、公演本番までの稽古や舞台裏の様子を2カ月にわたり取材。何百年にもわたって引き継がれてきたしきたりや奥義が語られた。能で最も重要なことは、基本の型と気合だという先代からの教えを、父から子へと受け継いでいく様子に能楽の奥深さを感じた。


▼鐘供養に訪れる白拍子


▼見どころ「乱拍子」の緊迫の場面


▼梵鐘の中に飛び込んだ白拍子は蛇体となって現れる


▼塩津家の原点、藤崎八旛宮


▼稽古場であり居住場所でもあった藤崎宮能楽堂

マイブログ 2015ベスト(上半期編)

2015-12-18 20:39:38 | 
 今年もとうとうこの時期がやってきました。昨日までにこのブログにアップした記事は、既に350本を超えます。その中から特に忘れられない記事をピックアップしてみました。今日は今年上半期から5本を選んでみました。

■1月20日 「幸若舞を初めて見る」
 前から見たい見たいと思っていたみやま市瀬高町大江に、日本で唯一残る「幸若舞」を初めて見ることが出来ました。700年の歴史の重みに感動しました。

次代を担う人材に育ってほしい小学生たち


■2月7日 「海達公子の最後の生き証人 逝く」
 大正・昭和初期に天才少女詩人と謳われた海達公子の親友で同級生の岩本澄(旧姓規工川澄)さんが他界されました。99歳でした。心からご冥福をお祈りいたします。もっといろんなお話をお聴きしたかった。

仲の良い三羽烏と呼ばれた、左から坂本照子、海達公子、規工川澄


■2月28日 「県民百貨店が閉店」
 1973年に岩田屋伊勢丹として開店して以来、買い物や食事に利用して親しんできた県民百貨店が2月末日をもって閉店。また、翌月末には交通センターも営業を終了しました。現在、跡地の再開発が進められています。

ビルに向かって思わず「ごくろうさん!」と声をかける。


交通センター閉鎖に伴い、おてもやん像はJR熊本駅新幹線口に移設されました


■3月8日 「青ガエル(旧東急5000系)の引退」
 「青ガエル」の愛称で親しまれ、熊本電鉄に2両だけ残っていた「旧東急5000系」の車両のうちの1両がこの日ラストランを迎えました。もう1両も今年度限りで引退することになっており、東横線時代からの50年を超える仲間が去っていくようでとても寂しい気持になります。


■3月14日 「JR上熊本駅新駅舎完成!」
 JR鹿児島線の熊本―上熊本駅間などの高架化工事が完了し、3月14日に開通、上熊本駅の新駅舎もこの日落成記念式典が行われ、営業を始めました。由緒ある上熊本駅の新しい歴史が始まりました。

蒲島熊本県知事、大西熊本市長、青柳JR九州社長、設計者の水戸岡鋭治氏などによる「くす玉割り」

海街 diary

2015-12-17 19:27:12 | 映画
 劇場公開の時、見に行けなかったので、ビデオリリースを待っていたが、やっと昨日からリリースということでさっそくレンタルしてきた。
 最近の映画の刺激の強さには辟易して、もう数年映画館には行っていない。そんな中でこの「海街 diary」を見てみたいと思ったのは、まず是枝裕和監督のこれまでの作品がわりと好きだということが一つ。それからこの作品には僕の好きな女優、綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆が揃って出演していること、この二つである。
 見てまず感じたことは、行定勲監督などもよく口にされるように、是枝監督も小津安二郎や成瀬巳喜男など、日本映画が世界に誇る巨匠たちへの憧憬が強いのだなぁということだ。画面を見ながら、すぐに連想したのは成瀬監督の「稲妻」。63年も前の作品だが、空気感が似ている気がした。小津作品や成瀬作品へのオマージュという意味もあったのかもしれないが、是枝監督のこの作品にとって、古びたあの家、そして舞台の鎌倉は絶対はずせなかったのだろうなということがしみじみと理解できる。菅野よう子の音楽も印象的で良いし、画面の抑えた色のトーンも良い。間違いなく秀作。