この絵図は熊本大学付属図書館が寄託された永青文庫資料のうちの一つで、明治時代初期に赤星閑意によって描かれた「熊本城東面図」。今の鶴屋デパートの上あたりをビューポイントとした鳥瞰図となっている。まず流れている川は江戸時代、内堀としても使われていた坪井川。二つの橋が架かっているが、左側が厩橋(うまやばし)で手前の廓状になったところに厩(馬小屋)があった。現在の厩橋と位置は変わらないので厩のところに現在の熊本市役所が建っていることになる。従ってその外側の広い道が今の電車通りだ。厩橋を渡ったところが須戸口門で、現在お城まつりが行なわれる竹の丸へ通じている。右側の橋は藪ノ内橋(やぶのうちばし)で現在高橋公園の谷干城像があるあたりに架かっていた。川が右に曲がった奥に見える橋が下馬橋(げばばし)で、現在の行幸橋とほぼ同じところにあった。その左側に見えるのが広大な藩主の御花畑屋敷である。川の左岸には船着場があり、水運による物流が盛んに行われていた。天守閣の後ろにそびえる最も高い山が金峰山である。
元治元年(1864)、長崎に向かう途中、熊本城下に立ち寄った勝海舟、坂本龍馬の一行は、その素晴らしい景観に敬嘆したと言われている。