東日本大震災から5年に当たり、去る3月11日に宮城県名取市閖上地区で行われた追悼イベントで、鹿本農高郷土芸能伝承部の皆様が山鹿灯籠踊りを奉納したことを、このブログでご紹介しました。当日、山鹿灯籠踊りをご覧いただいた現地、名取市民の方から鹿本農高の皆様への感謝のコメントが書き込まれましたので、早速、部員の皆様へお伝えしましたところ、同部のN様よりご丁寧なお礼の葉書をいただきましたのでご紹介します。部員の皆様が本当に良い経験と学習をされたことがよくわかります。
また、当日の模様をブログに写真付きでご紹介いただいた「無題・休題-ハバネロ風味-」様には心より厚くお礼申しあげます。
また、当日の模様をブログに写真付きでご紹介いただいた「無題・休題-ハバネロ風味-」様には心より厚くお礼申しあげます。


そこで、漱石の東京帝大教授時代の門下生に鈴木三重吉という人がいる。漱石門下で中心的な活動をした人で、漱石没後の大正7年に児童文芸誌「赤い鳥」を創刊し、児童の情操教育に童話や童謡を活用しようという「赤い鳥運動」を興した。この運動には、芥川龍之介、野上豊一郎、高浜虚子など漱石ゆかりの人々を始め、多くの文化人がこぞって賛同した。今日では三重吉は日本の児童文化運動の父とも呼ばれる。その「赤い鳥」のパートナー北原白秋が、創刊間もない「赤い鳥」に発表したのが、「赤い鳥小鳥」という、まさに「赤い鳥運動」を象徴するような童謡だった。その意味でこの「赤い鳥小鳥」を漱石ゆかりの童謡の一つとして挙げたいと思う。
▼「童謡」と題する漱石の詩
