徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

歌枕 風流島(たわれじま)

2018-04-30 18:07:24 | 熊本
名にしおはゞ あだにぞあるべき たはれ島 浪のぬれぎぬ 着るといふなり(伊勢物語 六十一段)
島は八十島 浮島 たはれ島 絵島 松が浦島 豊浦の島 まがきの島(枕草子 百九十段)


緑川河口の有明海に浮かぶ小さな岩島「たわれ島」。背景は金峰山と二の岳

 宇土市住吉町の有明海に臨む住吉神社西北の崖下に浮かぶ小さい岩島で、別名たばこ島とも裸島ともいう。三角大矢野海辺県立自然公園に含まれ、古くから歌や物語などにも詠まれた景勝の地。「後撰集」一五雑に「まめなれとあた名はたちぬ風流島よる白波をぬれ衣にきて 小宰相」、また「伊勢物語抄」には「染川は筑前に有り風流島は肥後国名所なり…」などと記されており、そのほか、「夫木和歌抄」「枕草子」などにその名が見えている。(熊本県大百科事典より)



カキツバタ

2018-04-29 21:34:43 | 文芸


ら衣 つつなれにし ましあれば るばるきぬる びをしぞ思ふ(古今 在原業平)

 つい先日、肥後銀行のギャラリーで行われている「永青文庫展Ⅳ Japan beauty 物語絵」を見に行った。「伊勢物語歌かるた」も展示されていた。在原業平のこの歌から、ちょうど季節のカキツバタを見たくなり、立田山の湿性植物苑まで行ってみた。カキツバタは例年より早く満開を迎えたようだ。

2020年大河ドラマが残念なワケ

2018-04-28 18:11:03 | テレビ
 先日、2020年のNHK大河ドラマが「明智光秀」に決まり、ちょっと残念な気がした。それは、京都府下7市町の大河ドラマ誘致運動を応援してきた熊本県と熊本市は「ガラシャ」のドラマ化を想定していたと思うからだ。
 そのことよりも、僕は「明智光秀」が主役になることにより、ガラシャのエピソードがほとんど描かれなくなるというのが残念だ。なぜなら、ガラシャの有名なエピソードはほとんど父・光秀の死後のこと。光秀が「本能寺の変」の後、「山崎の戦い」で敗れて命を落としたのは1582年のこと。それからガラシャが関ヶ原の直前、大坂玉造の細川屋敷で自ら命を絶ったのが1600年で、その間18年もの年月がある。この間、丹後の味土野に幽閉されたり、細川忠興と復縁したり、キリスト教に改宗し、ガラシャという洗礼名を受けたり、文禄の役の際、夫忠興の留守中、太閤秀吉に呼び出されたものの決死の覚悟で謁見に臨み、秀吉に気味悪がられたり、そして何よりも、前述の壮絶な最期といったドラマがこの18年間の間に起こっているのである。主役はあくまでも父・光秀だから、父の死後のこうした出来事は当然描かれないことになる。それが残念なのである。


細川ガラシャ夫人の御廟がある泰勝寺跡(立田自然公園)


泰勝寺跡(細川家立田別邸)山門


細川ガラシャ夫人廟(四つ御廟)


ガラシャ夫人辞世の句

どこからか謡曲「田村」が…

2018-04-27 18:18:07 | 音楽芸能

茶室仰松軒を茅葺屋根の裏木戸から眺める


新緑溢れる池の畔


 今年になって初めて泰勝寺跡に行った。閉園時間の1時間くらい前だったので、他には入園者もなく、森閑とした園内は、木々や竹が風にそよぎ、遠くで鳥が鳴いていた。しばらく歩を止めて池の水面を眺めていると、どこかで誰かが謡を呻っているような気がした。
 父はまだ四つか五つの頃、この泰勝寺に住んでおられた長岡家に日参していた。お坊ちゃまの遊び相手だったが、屋敷で謡曲のお稽古が行われる日は、幼い父も末席に侍らせられていたという。父は謡曲「田村」の「ひとたび放せば千の矢先・・・」という一節だけは終生忘れなかった。そんなことを考えていたら、わけもわからず座敷に座らせられている幼い父の姿を想像し、思わず笑いが込みあげた。



大名屋敷の能舞台

2018-04-25 19:37:50 | 歴史
 一昨日、プレミアムシネマで放映された「武士の献立」では、冒頭にこんな場面がある。
 江戸中期の加賀藩江戸屋敷、藩主前田吉徳を始め、藩邸一同が見守る中、能が行なわれている。四本柱や橋掛りに沿う一・二・三の松もない、ただ前田家の梅鉢紋が染め抜かれた陣幕のみが舞台を囲む質素な設えである。演目は「船弁慶」。前場の源義経と静御前との別れや後場の平知盛の亡霊が猛り狂う場面などが演じられている。


映画「武士の献立」における能舞台の場面

 この場面を見ながら、ふと、金春流肥後中村家のホームページに書かれている、承応元年(1652)に肥後細川藩の江戸屋敷で行われた「喜多七太夫・中村伊織立会能」のことを思い出した。藩主細川綱利はまだ9歳。父光尚が亡くなった時にはまだ6歳だったため、改易の危機に瀕したが、重臣たちの働きによりやっと相続が認められてまだ間もない頃である。藩主は幼くても大大名としての権勢を示すためには、大掛かりな能舞台を興行することも必要だったのだろう。
 この時、喜多七太夫や中村伊織らがシテ方を務めた能番組は
「加茂・箙・井筒・班女・鉢木・海士・熊坂・猩々乱」などだったそうである。

おすすめの映画と図書

2018-04-23 17:43:41 | 映画
 今夜のプレミアムシネマは「武士の献立」。というわけで、江戸時代の大名に仕えた御料理人の話を二つ、映画と小説でご紹介したい。

▼映画「武士の献立(2013)」
 江戸時代の加賀藩に仕えた実在の御料理人、舟木伝内・安信親子とその家族を描いたヒューマン時代劇。「包丁侍」と呼ばれた御料理人の家に嫁いだ娘・春は類まれな料理の才能を持っていた。春は、やる気のない夫を叱咤激励しながら「包丁侍」の役目を果たさせていくという物語。上戸彩、高良健吾らの出演。監督は山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズなどで助監督として腕を磨き、後に「釣りバカ日誌」シリーズの監督などを務めた朝原雄三。
 なお、舟木親子が残したレシピ集「料理無言抄」は「国立国会図書館デジタルコレクション」で見ることが出来る。



▼小説「よじょう」
 熊本藩を舞台とした山本周五郎の短編小説「よじょう」。熊本藩に仕える御料理人の息子・岩太は、とんでもないぐうたら息子で、勘当されて乞食のような生活をしている。ところが、岩太の父が、こともあろうに宮本武蔵に斬りかかってあっさり斬殺されてしまう。すると岩太の身の上に激変が。どこでどう間違ったか、かの宮本武蔵を親の仇と狙う感心な息子と、人々から勝手に思い込まれてしまう。というような話。山本周五郎の短編小説の中では傑作と評価が高い。昔、渥美清の主演でNHKが一度ドラマ化している。ちなみに「よじょう」というのは中国の故事に倣った言葉だが、この短編小説の肝なので、あえて説明はさけたい。

2018年度 熊本県陸上選手権

2018-04-21 18:48:49 | スポーツ一般
 陸上競技の本格的なシーズン開幕を告げる「2018年度 熊本県陸上競技選手権大会」が熊本県民総合運動公園陸上競技場で始まった。各選手ともピークには未だしの感があるが、これからシーズンが深まれば、と期待を抱かせる選手も少なくない。
 また、この大会は、かつて日本のトップレベルにあった選手たちが若手と競い合うのも楽しみの一つである。


陸上界のレジェンドの一人、末續慎吾さんは100mの準決勝で敗退したもののレースを楽しんでいる感。


かつて日本選手権100mで4連覇の江里口匡史さんは、まだまだスピードは健在。(左端)


女子400mでは相変わらずダントツの強さを見せる新宅麻未さん。


女子100mでは宮崎亜美香さんと深川恵充さんのポテンシャルに期待したい。(左から2、3人目)


熊本に帰って社会人となった野林祐実さんは走りにキレを欠き、未調整がありあり。

牛深のみなと文化

2018-04-20 19:57:23 | 熊本
 今日20日から22日まで開催される「牛深ハイヤ祭り」。古より受け継がれる牛深の豊かな「みなと文化」についてまとめた山下義満氏の研究論文「牛深港の みなとの文化」より、牛深の伝統芸能について記述された部分を抜粋してみた。

 全国の約50といわれる「ハイヤ節」の源流は、この牛深ハイヤ節といわれ、九州の西海岸の「鹿児島ハンヤ節」「田助ハイヤ節」「阿波踊り(徳島)」、また大阪からの北前船により、「浜田節(島根県)」「宮津アイヤ(京都府)」「佐渡おけさ(新潟)」「津軽アイヤ節(青森)」など、江戸期の海運の発達に伴い海路沿いに伝播していく。
「その特徴は海に生きる人たちが持つ、直感的な性格が生み出したと思われる」(民謡研究家 竹内勉)
 牛深には「牛深ハイヤ節」の他に「牛深三下り」「磯節」「ラッパ節」など他地区より伝播したものも存在する。旅芸人の芝居・ビャードンと呼ばれる三味線弾きなどは村にも来て賑わった。また元日の朝は獅子舞が網元宅前で舞う。これは昭和30年代後半までの事例である。

「黒砂糖 求めて 花いちもんめ 白砂糖 求めて 花いちもんめ」


ハイヤ節の収録(昭和2年)
(「写真集牛深今昔」 吉川茂文 2001)

 「花いちもんめ」ではこの歌詞を子どもは唄い、遊戯にもその痕跡を残す。黒砂糖は南方系、白砂糖は北方系の産物で、南北地産の交易中継地がこの牛深であったことを遊戯の中で残存した。子どもたちは社会状況を見ていたのであろう。漁撈に関してはいわゆる労働唄として帆船時代までは唄われていた。カツオ船の「潮換え節」などは鹿児島県の影響を受けている。これは漁法の伝播からでも注目すべき事例である。また少年が漁民として必要な知識・知恵・躾等を学ぶ教育機関的な位置付けができるイカ捕獲のための「イカ網」では約100の櫓囃子があった。数例挙げると

「甑 オダ山 雲かけたなら サー 明日は南風じゃと さとらんせ サー」
「人の七癖 我が八難じゃ サー 人の振り見て わが振り直せ サー」



牛深ハイヤ節(牛深高校郷土芸能部)


牛深三下り(ザ・わらべ)

ちょっとビミョーな大河ドラマ

2018-04-19 20:53:13 | 歴史
 2020年のNHK大河ドラマは「明智光秀」に決まったようだ。これまで「細川ガラシャを大河ドラマに」という誘致運動を進めてきたガラシャゆかりの京都府下の7市町の「ガラシャプロジェクト」は喜びもちょっと微妙かもしれない。熊本県と熊本市も「ガラシャ」のドラマ化を前提にオブザーバーとして運動に加わっていたので、「アレ?」てな感じがあるのかもしれない。池端俊策さんが担当する脚本がどうなるかはわからないが、きっとガラシャのほか、細川藤孝やガラシャの夫・細川忠興なども主要な人物として登場するだろう。泰勝寺跡の四つ御廟で出会った観光客の方に伺うと、ほとんど「ガラシャ夫人廟」への参拝が目的で、相変わらずガラシャ人気は高い。そういう意味でも、熊本にとっても、ちょっとビミョーな結果となった。


泰勝寺跡のガラシャ夫人廟

野林祐実さん 故郷へ帰る

2018-04-18 14:00:56 | スポーツ一般
 陸上女子短距離の野林祐実さんが大学を卒業して郷里熊本へ帰って来た。中学・高校時代に全国大会で華々しく活躍し、期待されて大学へ進学したが、大学では思うような活躍はできなかった。周囲の期待が大きかっただけに本人は精神的につらかったろう。熊本では祐和會という会社に所属して陸上競技を続けるようだ。この会社のことはあまり知らないが、あの、幅跳び・三段跳びのトップアスリートから今はパラ陸上選手として挑戦を続ける中尾有沙さんが所属している会社だから、きっとスポーツ選手の面倒見もいい会社なのだろう。まだまだ23歳、これからいくらでもチャンスは残されている。故郷の暖かい環境で心身を癒しながら、もう一度トップスプリンターを目指してほしい。
 その野林祐実さんもエントリーしている「2018年度 熊本県陸上競技選手権大会兼国体1次予選」は、今週末の21・22の両日、熊本県民総合運動公園陸上競技場で行われる。


2017国体陸上熊本県最終予選会 成年女子100m決勝

ハライソめざし不帰の船出

2018-04-17 20:51:46 | 歴史
 10年ほど前、天草郡苓北町で真珠養殖業を営む阿倍さんの事業場を訪ねたことがある。そこは坂瀬川という地区で、すぐそばに「天草四郎乗船之地」という旧蹟があった。江戸時代初期の1637年に起きた日本の歴史上最大規模の一揆「島原の乱」において、16歳の少年天草四郎を総大将に立てた一揆軍が富岡城を攻め落とせず、決戦の地、島原半島の原城跡を目指して船出した浜がここである。天草へ二度と戻るつもりはなく、到着後、船は解体して防御資材として使ったと伝えられる。この浜から早崎瀬戸へ向け漕ぎ出した天草四郎の心中いかばかりであったろうか。


天草四郎乗船之地(天草郡苓北町坂瀬川 ※阿部正直さん撮影)


原城跡をめざし、早崎瀬戸へ漕ぎ出す


 
 昭和56年(1981)に父がわが家の墓を改葬した時、立田山のわが家の墓所には二基の苔むした墓石があり、その一つには「島原之乱戦死 十五代之孫之墓」と刻まれていた。古いご先祖が島原の乱で戦死しているのである。僕は20年前に熊本へ帰って来て以来、時々、横手町の安国寺にある「有馬忠死碑」をお参りしている。肥後細川藩は藩主忠利が2万3500の大軍を率い、幕府軍でも随一の戦果をあげたといわれるが、細川藩だけでも二千名を超える死傷者を出した。この安国寺の「有馬忠死碑」は戦死者を追悼するための碑である。
 現在、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が2018年の世界文化遺産登録を目指しているが、幕府軍・一揆軍合わせて4万人を超える犠牲者を弔う意味でも、世界文化遺産登録が成ることを願っている。


安国寺「有馬忠死碑」

春の山鹿を言祝ぐ ~山鹿をどり~

2018-04-15 21:31:07 | 音楽芸能

山鹿三番叟(本條秀太郎 作詞・作曲)
(立方:藤間誠申・はつ喜月若・花童あかね・花童ゆりあ・花童きみか)


本條秀太郎の三味線世界(本條秀太郎・本條秀五郎・本條秀英二)


俚奏楽 とうろう ~山鹿とうろう踊りによせて~(立方:はつ喜月若・花童あかね・花童ゆりあ)


京都お座敷つづれ(立方:京都上七軒歌舞会 梅智賀・梅葉・市こま)


長唄 まかしょ(立方:はつ喜月花)

熊本地震発生から2年

2018-04-14 20:00:24 | 熊本
 熊本地震の前震が発生してから丸2年。復興は進んでいるんだろうか。テレビでは絵面のいい熊本城の復元工事が連日放送され、いかにも復興が力強く進んでいるかのように見える。しかし、最も被害の大きかった益城町や西原村や南阿蘇村などの住民の方から聞こえてくるのは、被災した住民の間でも、大きな格差が生まれつつあるという話。いまだに軒先避難を続けざるをえない人たちや、仮設住宅の入居期限が迫っても新しい住まいのメドは全く立っていない人たちなど。新たな社会問題になりそうだ。いったいわれわれは何をすればいいのだろうか。


14・15の両日、熊本城は終夜ライトアップされる

 4月1日このブログに、熊本地震で倒壊した草分天神(中央区京町2丁目)の鳥居の早期再建は難しいか、なんていい加減な記事を書いた。ところが、なんとそのわずか6日後、前を通りかかったら真新しい石の鳥居が再建されているのを見てビックリ。加藤神社様のご奉仕により、地震発生から2年を前に再建していただいたようだ。ありがたいことだ。主祭神はもちろん菅原道真公だが、加藤清正公による熊本城築城時に草むらから発見されたというこの神社の縁起もあり、これからは清正公も合わせてお参りしなくては。


再建された草分天神の石鳥居