先日、映画「空海」を見ながら、大陸へ渡る古人の苦労にあらためて思いを致した。空海が遣唐使の一員として唐に渡った9世紀初め、まだ造船技術や航海術が未発達で、4隻の船団のうち1隻でも辿り着けばよしとされるような時代。しかし、その数百年も前から既に大陸との往来はあったと考えられている。いったいどんな船でどんな人たちが荒波を越えていったのだろうか。

空海 唐に渡る
昨年、「日本遺産」として認定された「菊池川流域の米作り」の構成文化財の一つである和水町の江田船山古墳(国指定重要文化財)は、日本の古代史と文化を知るうえでとても貴重な古墳である。5世紀後半に築造されたといわれ、その副葬品などからは大陸との深い交流がうかがわれることから、埋葬されたのが誰かは不明だが、大陸とのコネクションを持っていた有力な豪族だったことが推測される。


空海 唐に渡る
昨年、「日本遺産」として認定された「菊池川流域の米作り」の構成文化財の一つである和水町の江田船山古墳(国指定重要文化財)は、日本の古代史と文化を知るうえでとても貴重な古墳である。5世紀後半に築造されたといわれ、その副葬品などからは大陸との深い交流がうかがわれることから、埋葬されたのが誰かは不明だが、大陸とのコネクションを持っていた有力な豪族だったことが推測される。
>>> 和水町 古墳祭 <<<


松田真美さん「こころりあんBLOG」より

熊本写真アーカイブス キロクマ!さんより