徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

やぶさめを見る

2021-10-31 17:58:26 | イベント
 今日は「秋のくまもとお城まつり」の一行事として「熊本城流鏑馬(やぶさめ)」が二の丸広場で行われた。昨年は新型コロナのため中止されたので2年ぶりの開催となった。約千百年の歴史を有する「武田流騎射流鏑馬」は熊本県重要無形文化財となっている。古式ゆかしい鏑流馬を見ることができるのはもちろん嬉しいが、馬に触れる機会が頻繁にあった幼い頃を思い出し、ただ馬を見るだけで嬉しくなってしまう。


鏑流馬に先立って行われる神事に向かう馬たち。


疾走する馬上で鏑矢をつがえ的を射る。


秋晴れの下、復旧なった熊本城天守閣を背景に疾走する。


三回の騎射を終えて射手の交代


熊本城おもてなし武将隊と馬の記念撮影

三人の清正

2021-10-30 17:04:11 | イベント
 桜の馬場城彩苑は今年3月、開園10周年を迎えたものの、コロナ禍で記念イベントを開催できず、10月も終わりに近づいた今日、秋まつりとしてやっと10周年記念イベントが開催された。
 今日のスペシャルプログラムは「三人の清正」。別々の舞台に登場する加藤清正が一堂に会し、三者三様のステージが繰り広げられた。


三人の清正(左から096K熊本歌劇団、熊本城おもてなし武将隊、舞踊団花童&はつ喜、各グループの清正)


熊本城おもてなし武将隊の清正


096K熊本歌劇団の清正


舞踊団花童&はつ喜 の清正

銀杏の黄葉

2021-10-29 21:47:06 | 熊本
 紅葉が目につき始めた。本格的には来月中旬以降になるだろうが、これから冷え込みが厳しくなるにともない徐々に色鮮やかになっていくだろう。熊本城は別名銀杏城と呼ばれるほど銀杏の木が多く、市内にも印象的な銀杏の木が数多い。僕は銀杏の鮮やかな黄葉が大好きで、これまで見た印象的な銀杏の風景の中から今日は4ヵ所を選んでみた。


熊本市西区松尾町の雲厳禅寺


熊本市中央区城東町の銀杏並木


熊本市中央区古京町の旧細川刑部邸


熊本市中央区二の丸の二の丸広場

新堀鳥町入口

2021-10-28 21:13:38 | 歴史
 夕方、二の丸広場周辺を散歩しての帰り道、裏京町への入り口に差し掛かると、学生と思しき女子の一団と一緒になった。彼女らは観音坂の方からやって来たので、おそらく壺溪塾(進学予備校)の生徒たちだろうと思いながら少し後ろから歩いていくと、案の定、壺溪塾の寮の中に入って行った。親元を離れて寮生活をしながら受験勉強をしている女子も案外多いんだなと思った。
 それはさておき、ちょうど彼女らと出会った地点はかつて「新堀鳥町入口」と呼ばれたところで、大分県鶴崎の剣八幡宮が所蔵する万延元年(1860)10月の肥後細川家十三代当主細川韶邦(ほそかわよしくに)公の初御入部を描いた「御入国御行列之図」の中には「新堀鳥町入口」に差し掛かった様子が描かれている。古い文献には、京町本通り(旧国道3号線・豊前街道)のひとつ西側の平行した通りを「鳥町」と呼んでいたことが書かれている。そして、「新堀鳥町入口」では藤崎宮や祇園宮の神職らの出迎えを受けるのが恒例となっていたようだ。
 明治に入った一時期、この辺りは花街となって栄えたが、西南戦争で焼失してしまった。父の教員仲間だったI先生がまだ熊本師範の学生だった昭和10年に、町の長老たちの話などをまとめた「京町の研究」レポートが残っている。それによれば、明治以降、国道として重要な交通路となった京町本通りは素通りするようになり、また、上熊本駅から京町台へ登らずとも熊本市中心部へ行ける道ができたので、京町は衰退し始めた。一方、裏京町は、京町台西側に居住者が多かったこともあって多くの商店ができた。昭和10年の調査時点での店舗数は京町本通りの12に対し、裏京町は38と、実に3倍以上の数となっている。今ではその裏京町もすっかり寂れてしまい、かつての繁栄の面影は見出せない。その裏京町の一角に鳥町があったことを今では知る人もいない。


前方右側が鳥町入口


細川公の御行列が新堀鳥町入口に差し掛かる。御銀櫃を担いだ山鹿屋の人足たち。


新堀鳥町入口では藤崎宮や祇園宮の神職らの出迎えを受けるのが恒例だったようだ。





阿蘇悠久

2021-10-27 22:24:36 | 熊本
 20日に阿蘇山の中岳が久々に大きな噴火をして以来、毎朝わが家の庭から阿蘇山の噴煙を確認するのが日課になった。テレビではさかんに「20日と同規模の噴火の恐れあり」と言っている。
 わが家のある京町台は今から9万年前の「Aso4」と呼ばれる巨大噴火による火砕流堆積で出来ている。最初の「Aso1」が27万年前、「Aso2」が14万年前、「Aso3」が13万年前、そして最後の「Aso4」が9万年前と4回の巨大カルデラ噴火が起きている。考えてみれば「Aso2」と「Aso3」の間隔は1万年。「Aso4」から既に9万年ということは、いつ「Aso5」が来てもおかしくないわけだ。このところ熊本は毎年のように災害に見舞われており、何とかもうしばらく阿蘇山に静かにしていてほしいものだ。


わが家から望む阿蘇山


阿蘇悠久


阿蘇の恋歌

熊本城修復のあり方

2021-10-26 18:43:13 | 熊本
 今朝の熊日新聞に「熊本城を歩く」と題した特集記事に城郭考古学者として有名な千田嘉博先生の熊本城復旧についてのインタビュー記事が掲載された。千田先生は熊本城文化財修復検討委員会の委員も務めておられるのでとても興味深く読ませてもらった。
 なかでも極めて注目すべきは、国重文である宇土櫓周辺の石垣の復旧に関する話だ。石垣に大きな変形が生じており、櫓だけではなく石垣も解体修理すべきという意見もあったが、現在は「はばき石垣」と呼ばれる石垣の外側にさらに石垣をかぶせるように築いて安定させる工法が有力だという。「はばき石垣」工法については2年前あたりから新聞記事等で目にするようになったが、江戸時代から何度も地震に見舞われた熊本城には「はばき石垣」で修復した石垣が何ヶ所もある。例えば下の写真の「櫨方三階櫓跡」の石垣などである。たしかに「はばき石垣」で修復する方が現実
的なのかもしれないが、あの美しい曲線の宇土櫓石垣の美観が損なわれはしないか。それが気になるのである。

 8月、千田先生が熊本城石垣修復と発掘調査の現地視察に来られた。宇土櫓前の発掘調査に参加している家内たちのところへやって来て、「ご苦労様です!」と声をかけられたそうだ。












はばき石垣。櫨方三階櫓跡(現加藤神社)の石垣


「はばき(脛布)」というのは脚絆のこと。上の早乙女たちの下肢のように脛に巻きつけて紐で結んだ布のこと。

今年も金賞!~玉女サウンド~

2021-10-25 18:10:53 | 音楽芸能
 昨日の「全日本吹奏楽コンクール」の結果はどうだったかな、と全日本吹奏楽連盟のページを開いてみると、玉名女子高校吹奏楽部はやっぱり今年も金賞だった。この安定感はさすがという感じだ。来月の「全日本マーチングコンテスト」と合わせてダブル金賞を期待しよう。
 今年もコンサートの延期や中止が相次いでまだ一度も玉女の演奏を見ていない。年内に見る機会があればいいのだが。
 下の映像は、昨年10月、玉名市で行われた「スクールバンドコンサート」での演奏風景。


いのちの歌

2021-10-24 21:08:14 | 音楽芸能
 知人から頼まれているプレゼンシートの入力作業が捗っていないので今日の午前中はその作業に没頭した。昼飯のあと、熊本城周辺を散歩した後、再び入力作業を続けた。夕方、2年前にNHKで放送された竹内まりやのステージ完全版が再放送されたので全編通して見た。
 竹内まりやの歌はどれも好きだが中でも、駅、元気を出して、純愛ラプソディ、カムフラージュなどが特に好きだ。それから最後に歌った「いのちの歌」は何度聞いても感動する。この歌はもう13年くらい前の朝ドラ「だんだん」の劇中歌として作られた歌だが、この10年ほどの間に大災害が頻発し、多くの命が失われたこともあって、ますます評価が高くなっているようだ。作曲は村松崇継、竹内まりやが「Miyabi」名義で作詞を担当している。 


河内町野出から有明海と島原普賢岳を望む



深まる秋を感じながら…

2021-10-23 19:31:09 | 
 今日は所用で玉名へ出かけた。深まる秋の風景を楽しみながらのドライブは快適だ。しかし、対向車線は熊本方面へ向かう車で渋滞。いかにも「コロナ明け」の様相を呈している。第6波は間違いなくやって来るといわれているのに大丈夫だろうか。ついそんな不安がよぎる。
 稲刈りは7、8割がた終わっているようだ。田園風景の中を窓をいっぱいにあけて進みながら秋の空気を満喫する。米農家をやっている親戚のおかげで今日も新米が食べられる。ありがたいことだ。


玉名市山部田の稲田


熊本市河内町大将陣の棚田

かつて名優たちがいた

2021-10-22 22:53:42 | 映画
 「男はつらいよ」シリーズの第6作に「男はつらいよ 純情編」というのがある。全48作の中でいくつかある好きな作品の一つだ。
 寅さんが、長崎港から五島に渡る船の最終便に乗り遅れ、一晩港近くの宿に泊まることにする。すると、同じように乗り遅れた、赤ん坊を背負った若い女(宮本信子)に気付く。女は一晩泊まる金がなく、寅さんに金を貸してほしいと頼む。寅さんは「一緒に来な」といって女と赤ん坊を自分と同じ宿に泊めてやる。金を返すあてのない女は、夜中、寅さんの前で服を脱ごうとする。その時の寅さんのセリフが秀逸。

 オレの故郷にな、ちょうどあんたと同じ年頃の妹がいるんだよ。
 もし、もしもだよ、その妹が行きずりの旅の男にたかだか二千円
 くらいの宿賃でよ、その男がもし、妹の体をなんとかしてえなんて
 気持ちを起こしたとしたら、オレはその男を殺すよ。
 五島とかいう…あんたの故郷で待っているおとっつあんだってオレと
 同じ気持ちだよ。それに決まってらぁな!

何度見てもこのシーンは泣ける。
その五島のおとっつあんを演じるのが、なんと森繁久彌。
森繁久彌は役者としてコメディアンとして渥美清の大先輩。二人の絡みのシーンを見ていると渥美の森繁に対する尊敬の念がにじみ出ている。それは山田洋次監督も知っていたのだろう。実に味のある二人の絡みだった。この二人、実は共通点が多い。軽妙洒脱な芸風や滑舌の良さもそうだが歌も上手い。既に二人とも鬼籍に入られたが、二人の後を継ぐような役者がいまだ見当たらない。


古謝美佐子島唄コンサート ~童神(わらびがみ)~

2021-10-21 19:13:20 | 音楽芸能
 本来ならば今頃は「秋のくまもとお城まつり」の真っ最中。そしてその定番のプログラムとなっていた「古謝美佐子 熊本城島唄コンサート」は一昨年の18回目で途絶えているが、この季節になると無性に島唄が聴きたくなる。最も人気がある「童神」を始め、戦時中、沖縄から徴兵されて熊本の第六師団のもとへやって来た多くの若者たちの心情を唄った「熊本節」など心にしみる唄ばかりだ。
 また、このコンサートは熊本の舞踊団花童との共演もおなじみとなっていた。このコンサートが復活する日が待ち遠しい。
 今日は「童神」を、作者である古謝さん本人と、NHKの連続ドラマ「八日目の蝉」の主題歌としてこの唄を唄った城南海さんが共演した映像で楽しんだ。


2014年


2019年


出水神社秋季大祭 能楽式奉納

2021-10-20 17:45:24 | 伝統芸能
 今日から出水神社秋季大祭が始まり、水前寺成趣園能楽殿では能楽式奉納が行われるというので見に行った。今まで出水神社秋季大祭で鏑流馬式は見たことがあるが能楽式を見るのは初めてだ。金春流と喜多流の出演で「翁」の連吟に始まり、舞囃子二番の後、能「猩々」が舞われた。今日の演目は多分、仕舞と舞囃子くらいかなとタカをくくっていたので嬉しいサプライズとなった。何のアナウンスもないし、シテは面をつけているのでどなたが務めておられるのかわからずに見始めたが、謡の声から喜多流の狩野了一さんだと思われる。
 今年は3月に同じく水前寺成趣園能楽殿で行われた「翁プロジェクト」公演と5月に加藤神社で行われた「国づくり狂言プロジェクト」公演を見た後は、出水神社薪能や藤崎宮例大祭奉納能や熊本城薪能などが全部中止になったので、おそらく今年はもう能楽を見る機会はないだろうと思っていた。何だかとても得した感じだ。


能「猩々」(シテ:狩野了一さん?)

愛染院の再建 完成間近!

2021-10-19 20:46:47 | 熊本
 5年前の熊本地震で大きな被害を被った愛染院(熊本市中央区京町1丁目)本堂の再建がやっと完成間近となったようだ。3年前に解体が行われ、しばらく更地の状態が続いたので前を通る度に気になっていた。
 宝聚山愛染院(高野山真言宗)は肥後細川家初代熊本藩主・細川忠利公が寛永9年(1632)に小倉から熊本へ転封された時に創建されたと伝えられる。この寺は旧藩時代、参勤交代の豊前・豊後街道の追分という要所にあり、明治に入っては西南戦争の激戦の舞台となるなど熊本の歴史を見続けてきた由緒ある古刹。
 なお、細川忠利公は細川忠興公と玉(ガラシャ)夫人の三男である。 
※右の写真は水前寺成趣園の細川忠利公像


完成も間近の新しい愛染院本堂


熊本地震前の愛染院。細川家の九曜紋と五七桐紋が見える。

熊本の風景今昔 ~磐根橋から~

2021-10-18 21:58:47 | 熊本
 ここは現在、磐根橋を渡って京町方向へ向かう県道303号四方寄熊本線(旧国道3号線)、新堀バス停付近の風景。
 僕が子どもの頃、磐根橋を渡った正面には加藤神社の石段があった。昭和37年に国道3号線直線化のため、加藤神社が再び熊本城内・櫨方に戻り、ここは切り通されて国道3号線が通った。京町台の中で最も昔と風景が変わった場所と言えるだろう。


磐根橋を渡り京町方向に向かう現在の風景


 明治7年に錦山神社(加藤神社)が熊本城本丸の平左衛門丸から新堀に遷座し、以来88年間、新堀に鎮座した。昭和初期頃まで下を流れる坪井川の船着場には、天草、島原を始め九州各地から錦山神社の参詣客が次々と舟着けし、錦坂を登った。錦山神社が加藤神社に改称されたのは明治42年。
 大鳥居下の石段は30段ほどあり、格好の参詣記念撮影の場所となった。一番下の石段が上の写真の横断歩道あたりになる。


戦時中の昭和19 or 20年、加藤神社の鳥居下石段にて熊本師範女子部附属国民学校(現在の熊大附小)の全校生徒および職員

実りの秋

2021-10-17 23:04:38 | 日本文化
 フォローさせていただいている「案山子の日記」さんのブログに、稲刈りが終わったという記事が載っていた。心から「ご苦労様でした。」と申し上げたい。
 わが妻の実家も米農家。しかし、義兄は既に80歳を超え、体力的な限界も近い。会社勤めをしている長男がいずれ「半農半X」になるのだろう。これから日本の農業は若者にとって職業選択肢の一つとなりうるのだろうか。
 先日、西村直子さんが、おはぎづくりの餅米選別作業をしながら「米節」を口ずさんだとフェイスブックで語っておられたが、案山子さんのブログを見ながら思わず「米節」が口をついて出た。
 一昨年の熊本城稲荷神社の御田植祭の時、こわらべ三人で「米節」を上手に踊ったのでアップしたかったのだが、著作権の問題があるらしいので断念した。代わりに民謡歌手佐藤美恵子さんの「米節」と案山子さんのブログで紹介されていた「あきこまち」CMムービーを貼付してみた。

▼山鹿市菊鹿町矢谷の稲刈り風景



      ▼米節(佐藤美恵子)

 米と言う字を 分析すればよ
  八十八度〈はちじゅうやたび〉の 手がかかる
 お米一粒 粗末にならぬ
  米は我らの 親じゃもの

 米のなる木で 作りし草鞋を
  踏めば小判の 跡がつく
 金のなる木が ないとはうそよ
  辛抱する木に 金が成る

 ことしゃ豊年 祈りをこめてよ
  鳴らす太鼓に 気がはずむ
 唄え踊れや 大黒恵比寿
  めぐる盃 花が咲く

 千代に八千代に 変わらぬものはよ
  尾上 高砂 曾根の松
 わしとおまえは 二葉が松よ
  色も変わらず 末永く


      ▼秋田県産「あきこまち」CMムービー