今日は中央区土木センターへ家の前の道路補修の申請に行った。場所が蓮台寺なので、久しぶりに蓮台寺に立ち寄って檜垣の塔に参拝した。この蓮台寺は、平安時代の閨秀歌人・檜垣が白川のほとりに草庵を結んだのが寺歴の始まりといい、別名「檜垣寺」とも呼ばれる。
実はつい最近、大正・昭和時代の詩人・小説家である室生犀星の著書「狩衣」の中に、「大和物語 百二十六」を脚色した「檜垣の御」という章を見つけたこともあって蓮台寺に立ち寄ってみたかった。

檜垣の墓ともいわれる「檜垣の塔」

檜垣が閼伽の水を汲んで岩戸観音に日参し供えたという「檜垣の井戸」跡
筑紫の国にいたという檜垣の御(ご)という女性は、とても気の利く人で、風流に年月を重ねていた人だった。藤原純友の乱の巻き添えを食って、家も焼け、財産もすべて失って、惨めな生活に落ちぶれていた。
そんな事情も知らず、追討のため京から下った小野好古(おののよしふる)が、彼女の家のあったあたりを訪ね、「檜垣の御という人に、どうすれば逢えるのだ。どこに住んでいるのだ」とおっしゃると、「このあたりに住んでいたのですが」と、お供も言った。
「あわれな、どのような騒ぎでこうなってしまったのか、尋ねたいものだ」とおっしゃると、白髪の老婆が水を汲んで、前を通り、みすぼらしい家に入って行った。ある人が、「この人が檜垣の御です」と言う。
たいへん哀れに思った好古は彼女を呼ばせるが、恥じ入って出て来ず、ただこのように言った。
むばたまの わが黒髪は 白川の みづはくむまで なにりけるかな
(ぬばたまと称えられるような わたしの真っ黒な髪の毛は白く変わり、今では九州は白川の水を汲むような姿に成り果ててしまいました)
と歌を詠んだので、好古はあわれに思い、着ていた衵(あこめ)を脱いで与えたのだった。
◇「水汲む女」を長唄舞踊化した「檜垣水汲みをどり」
実はつい最近、大正・昭和時代の詩人・小説家である室生犀星の著書「狩衣」の中に、「大和物語 百二十六」を脚色した「檜垣の御」という章を見つけたこともあって蓮台寺に立ち寄ってみたかった。

檜垣の墓ともいわれる「檜垣の塔」

檜垣が閼伽の水を汲んで岩戸観音に日参し供えたという「檜垣の井戸」跡
◇大和物語 百二十六「水汲む女」

◇現代語訳
筑紫の国にいたという檜垣の御(ご)という女性は、とても気の利く人で、風流に年月を重ねていた人だった。藤原純友の乱の巻き添えを食って、家も焼け、財産もすべて失って、惨めな生活に落ちぶれていた。
そんな事情も知らず、追討のため京から下った小野好古(おののよしふる)が、彼女の家のあったあたりを訪ね、「檜垣の御という人に、どうすれば逢えるのだ。どこに住んでいるのだ」とおっしゃると、「このあたりに住んでいたのですが」と、お供も言った。
「あわれな、どのような騒ぎでこうなってしまったのか、尋ねたいものだ」とおっしゃると、白髪の老婆が水を汲んで、前を通り、みすぼらしい家に入って行った。ある人が、「この人が檜垣の御です」と言う。
たいへん哀れに思った好古は彼女を呼ばせるが、恥じ入って出て来ず、ただこのように言った。
むばたまの わが黒髪は 白川の みづはくむまで なにりけるかな
(ぬばたまと称えられるような わたしの真っ黒な髪の毛は白く変わり、今では九州は白川の水を汲むような姿に成り果ててしまいました)
と歌を詠んだので、好古はあわれに思い、着ていた衵(あこめ)を脱いで与えたのだった。
◇「水汲む女」を長唄舞踊化した「檜垣水汲みをどり」
2013年4月6日 熊本城本丸御殿 くまもとをどり2013
作詞・作曲: 杵屋六花登 作調:中村花誠
立方:城北高等学校ダンス部
地方:中村花誠と花と誠の会およびサポートメンバー
作詞・作曲: 杵屋六花登 作調:中村花誠
立方:城北高等学校ダンス部
地方:中村花誠と花と誠の会およびサポートメンバー